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欲と反射  作者: くろわつ
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第二章 side日野春樹

 当たり前だが、世の中にはいろんな人がいる。自分と他人に差異がある以上、基本的にはどんな人からも学べる点があるし、俺は人の個性を知るのが好きだった。だから、知り合った相手のことはとりあえず受け入れて、よく知りたいと思う。誰とでも仲良く、波風を起こさないように。この方針のおかげか、調子にのりがちで陽気な奴、堅物に見えて天然な奴、すごく優しくて真面目な奴・・・いろんな友人に恵まれた。しかし、俺のハト派の方針は、お互いに自己開示して少しずつ深めていく交友関係の中ではじめて活かせるのだ。相手がハトかタカか・・・あるいは何か別のトリなのかも解らぬまま、いきなり爆弾投下されて去られるような場合は、どうしようも無くないか?


 その電話は急にかかってきた。俺は部活が終わって眠気と戦いながら自室で宿題を解いているところだったが、スマホに表示された「香月瑠一(こうづきるい)」の文字に、妙に胸がざわついた。―俺の落とし物でも拾った?友達にスマホを貸せとでも言われた?それとも・・・もしかしたら香月の掛け違いかも知れない―と思って、六コールほど待った。しかしこちらの期待をよそにコール音は鳴り止まない。若干戦きつつ俺は仕方なく電話に出たのだった。これが、昨日の夜の話。



「さぁ、話したこと無いから分からんけど、いっつも本読んでるよなー」

「なんか男なのに前髪長くて暗いし、正直ちょっとキモいわ」

「ちょっとこっちからは話しかけづらい雰囲気があるよね」

 などなど、翌朝クラスメイトに聞いた香月評である。去年から香月とは同じクラスだったので予想はしていたが、案の定香月の人柄をよく知る者はいなかったし、そればかりかマイナスの印象を持たれがちのようだ。

 香月については、俺もほぼ何も知らない。クラスメイトが言うように前髪が長いため目元がよく見えず、どんな顔をしているのかも謎だ。白く長くほっそりした指が、時折文庫本を繰る。朝日を受けて、燃えるように一瞬、その頁が輝く。

 ―香月は、何で俺のことを好きになったんだろう。


 さらりと髪が揺れて、香月と目が合ったような気がした。

 異性愛者の自分には、香月と恋愛関係になるということは考えられなかった。それ以前に俺は彼との交流すらないのだから、つき合う云々の検討のしようがない。それでも、数ある人間の中から自分を選んでもらえたのは、けっこう嬉しい。もし機会があれば、彼と話してみたい。そして、どんな奴なのか知りたい。


 このときの俺に、香月のことを甘く見る気持ち、下に見る気持ちが無かったといえば嘘になる。今までに女子に告白されたことは数度あったけれど、そういう時には少し距離を置いてきた。そこから関係が修復されて、今では普通の仲の良い女友達だ。でも香月の場合には、彼の気持ちも考えず、無邪気に興味本位で動いてしまった面がある。そこには、香月はおそらく気が弱いと踏んで、声をかければすぐに友達になってくれるだろうという打算があった。まぁ、このときは判りようがないが、香月瑠一は俺が今まで出会ってきた人間の中での"外れ値”のような存在だったから、今後何もかもが俺の予想とは違った方に事が運んでいくことになる。



 放課後、サッカーウェアに着替え部活に行く。グラウンドへは、本棟と文化部の部室棟をつなぐ、吹きさらしの渡り廊下を通り抜けるとショートカットになる。そして渡り廊下を抜けた先に、広々としたグラウンドが現われる。うららかな五月の青空に綿雲が浮かんでいる。今日も良い天気だ。

 部の新入生が早々に準備をしているのが見えて、後輩ができるのはいいものだなぁなどと俺は呑気に考えた。

 さて手伝いに行くかと踏み出したとき、視界の隅に何かがちらついた。ここから三間くらい先の部室棟の窓が一つ開いていて、そこからカーテンが風にたなびいている。誰かが外を眺めているようだ。桜並木が木陰をつくっており、木々のさざめきがかすかにしたあと、静けさが漂い、またざわめくのを繰り返していた。なんとも平和だ。

 俺は魔が差して、ちょっと驚かせてやるかとその方へ歩みを進めてみた。あと二間・・・あと一間・・・そのとき、ざあっと一段と大きな風が吹いた。黒い髪が後ろへ流れて、形の良い小さな鼻から利発そうな額まで、今ははっきりと彼―香月の顔のつくりが見えた。

 切れ長で涼やかな目元をしている。柔らかに閉じられたまぶたは、長いまつげで縁取られていた。まるで眠っているかのように感情の読み取れない表情をしており、白い肌の上を木陰がまだらに照らしている。白皙の美青年というやつだ。俺は見上げるかたちで香月を見ていたため、華奢な首下からうなじにかけてがよく見えた。日に照らされた部分の肌や揺れる髪が、時折キラッと反射して眩しく輝いていた。まるで女子のような骨格は、なぜか、見てはいけないものを見た気にさせて、俺は目をそこから背けた。

 やがて香月は、ゆっくりと眼を開き、夜の河面のように黒い眼がこちらを捉えた。

 俺は我に返った。―そうだ、これは香月と話してみるチャンスじゃないか。

 気を取り直して香月に話しかけたが、あまり手応えがない。まるで一人で話しているようだ。居心地が悪いのに、熱を持った黒い瞳に吸い込まれそうな気持ちになる。香月の手がカーテンを堅く握っているのが見えた。その時初めて、ああ、香月は本気で俺を好きなのか、と実感が湧いた。

 単純な好奇心で香月に声をかけたのが悪い気がして、俺は挨拶をした後、早々にそこを離れた。グラウンドへ走りながら、胸のモヤモヤを感じていた。最後に香月の見せた微笑み、熱っぽい眼をかき消すように走る。電話がかかってきたときといい、さっきといい、香月と接するときは非日常的な空間に足を踏みいれたような気持ちになる。

 そして、奇妙なことに俺はさっきと同じような光景を見たことがある気がした。以前にも誰かと、同じように窓際で、何かを約束したような・・・

「日野先輩、おつかれさまです!」

 後輩に声をかけられてはっと顔を上げた。

「おー、おつかれー!」

「あれ、先輩、スパイクの紐、ほどけてますよ」

 ―いつからだろう。指摘されるまで気がつかなかった。礼を言い、靴紐を結びながら俺は文芸部の部室の方を眺めた。しかし、もうそこに人影は見えなかった。

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