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婚約破棄も楽じゃない

作者: 山本洋子

 王立学園、卒業パーティー。


 本日めでたく、この学園を卒業する生徒達の新たな門出を祝福するパーティーが、授業でも使われている学園内のホールで行われていた。


 無数に存在する魔法照明の器具。特殊な素材に細やかな彫刻が施された純白の壁。特殊な素材が使われた磨き上げられた床。特殊な素材の装飾が施された、特殊な素材で出来た円柱の柱。特殊な素材の天井には、この国の歴史を絵画に表したものが、物語形式で描かれている。一部の生徒による噂では、ぼんやりした表現で描かれている箇所は、その時代に、やましい事とか誤魔化したいような事件があったとかどうとか。まことしやかに囁かれている。


 卒業パーティーはそんな、異様な輝きを放つ美しいホールで行われていた。晴れの舞台という事で、卒業生ばかりではなく、王を始めとする多くの来賓が観覧席で、談笑を交えながらこの催しを眺めていた。


 そんな祝いの催しに、場違いとも思える、真剣な声が上がった。


「エリス・マーガリン・サーズデイ。申し開きはあるか?」


 この私、エリス・マーガリン・サーズデイに投げかけられた言葉だった。


 私の視線の先には、この国の王太子殿下がいる。魔法の照明に照らされて輝く金色の髪。意志の強い碧眼の瞳。特徴的な鷲鼻。少し小さめの口。長身に、たくましい体つき。次代の王になるべく生まれた貴い御方。


「あるのかと、この私が聞いている」


 そんな大層な人物に詰問を受けている最中だったので、私は大変恐縮していた。殿下の傍らには悲しげな顔をした、綺麗な女の子がいる。彼女の名前はエミリー。小柄で華奢な印象の少女。絹のようにさらさらした感じの銀髪。心配そうに下がった眉。不安に潤む青い瞳。ふっくらしたほっぺ。少し肉厚の唇。全体的に見ると色白で可愛らしい、庇護欲を誘う少女。


「告発にある。エミリーへの虐めの数々、身に覚えがあるだろう」


 憎々しげに私を睨む殿下。私はこの時、やはりこうなってしまったかと、運命的な出来事の中で、ちょっとうんざりしていた。


 私はなぜか知っている。この世界は、庶民であるエミリーちゃんが聖女に選ばれて、紆余曲折があった末に、目の前にいる王太子、ライス・ナパリ・コースト殿下と結ばれる物語だった。


 そして私は。悪役令嬢として登場する、エリス・マーガリン・サーズデイ公爵令嬢。


 その物語では悪役令嬢が、聖女に選ばれたからって良い気になるなよと、身分に構わず勝手な振舞いを繰り返すエミリーちゃんを叱責して、同じような振る舞いをしないでちょうだいねと文句を言う、そんなストーリーが展開されていた。


 私のフルネームのいい加減な感じから、察するに、ふざけた作風の物語だったのかも知れない。


 この世界に生まれて、物心がつく頃には、なぜかその事をぼんやりと分かっていた。もしかしたら前世の記憶とか、そういうものなのかも知れない。成長した自分が学園の卒業パーティーで、衆人環視の中、殿下から吊し上げにされるという事も覚悟していた。


 ただし。私は誓って虐めなんてしてない。そういうのは、はっきり言って趣味じゃない。むしろだいっ嫌いだ。


 虐めをしていたのは、悪役令嬢である私の名前を勝手に使ってエミリーちゃんをギャフンと言わせたい、そう目論む生徒達だった。悪役令嬢の私を都合よく隠れ蓑にして、今もこの場で、突然始まった出来事を趣味の悪い笑みを浮かべて眺めている。複数の卒業生達だった。


 告発というのも、その者達の仕業なのだろう。


「私の妃になるということは、この国の王妃になるということだ。そなたが蔑み、貶めた者は、この国の聖女である。これがどういう事か分かっているな」


 私が何にも返事をしてないのに、殿下が言葉を続ける。頑張って真面目な顔をしているけど、喜びが見え隠れしている。油断したら思わずにやけてしまいそうな顔だった。もしかしたら、私の事が嫌いなのかもしれない。悲しい……。


「そなたに、私の婚約者の資格はない」


 そう言った後、殿下はぐるっと周囲を見た。舞台の上の役者さんみたいだなあと、私は呑気にそう思っていた。殿下はたっぷりと息を吸って、それから口を大きく開いた。


「宣言する。ライス・ナパリ・コーストは、この時をもって、エリス・マーガリン・サーズデイとの婚約を破棄する」


 宣言した。それを聞いたエミリーちゃんが、よくぞ言ってくれたって感じで、殿下のにすがり付いた。若い人達のこういう場面に、子供の頃から免疫のない私は正直、どうしたら良いか分からなくて困っていた。


「おい。エミリーを変な目で見るな」


 そう思ってたら殿下に怒られた。人の見てる前でやってるのが悪いんじゃないかと、私はもやもやした。今のは絶対に、この人達が悪いと思う。いくら若い男女だからって、公衆の面前で何をやっているんだか。


 現代を生きる非常識な殿下が、凶悪な表情で私を睨んでいる。傍らにエミリーちゃんを抱き締めて、2人の愛は今まさに燃え盛っている。エミリーちゃんが満更でもないって顔をしている。それを迎え撃つ私は1人ぼっち。だんだん私は泣きたくなってきた。


「目障りだ。この場から今すぐ出て行け」


 敵を睨み付けるような目付き。私に対する嫌悪感を隠そうともしないで、私の元婚約者は強く言った。物語として、こうなるっていうのは分かっていた。予想は出来ていた事だけど、私はそれに思ってた以上に傷付いていた。


 サーズデイ公爵家の娘として生まれて、その大半を個人的な趣味に費やしてきた私だけど。殿下の婚約者に選ばれてからは、未来の王妃となるべく、色々な事を頑張ってきた。やりたくもない勉強、社交マナーのレッスン、歴史や家柄、他の国の事まで、数えてったらきりがない。覚える事は山積みだった。それでも、しょうがないかって頑張ってきた。


 その全部が無駄に終わった。


 もう良いや。人里離れた場所で引きこもりでもして、これからはずっと趣味に生きよう。こんな形で婚約破棄された女なんぞに、良い出会いなんてあるはずないし。


 若い2人のお望み通りに、この場所を去って、お家に帰ったらお父様におねだりしようと思った。一礼して、身をひるがえして、それからあからさまに悲しげな顔で出ていってやろうと思った。


「お待ち下さい」


 女性の声が私を止めた。今度は何だよと、振り返って見た。そうしたら驚いた。


 静かな夜のような長い黒髪。白い肌に綺麗に横に描かれた細い眉。凪いだ海のような青い瞳。すーっと鼻筋の通った小さめの鼻。ちょこんとした口。小柄な顔立ち。落ち着きのある佇まい。


 ルミナ・バーレーン・トリアー。トリアー子爵家のご令嬢。彼女は卒業生として、パーティーに参加している一人だった。


 そして何を隠そう、私が一番親しくお付き合いさせて貰っているご令嬢だった。色々とあって気疲れしていた私は彼女を見た瞬間、思わずルミナちゃんと結婚したいなあと思った。絶対に気の迷いだけど、それも悪くないかもなあと真剣に迷った。ちなみにこの国では、同姓同士の結婚は認められていない。


「殿下、あちらをご覧下さい」


 ルミナちゃんは殿下に、観覧席の方を見るように促した。ライス殿下は素直にそっちを見た。空気を読んで私もそっちを見た。


 マーニャ・バーレーン・トリアー。


 ルミナちゃんのお母様だった。しかも、今まで見たことないような顔で、怒っていた。わりと距離があるのにそれが分かった。眉をひそめて、口角をぴくぴくさせて、呪い殺すような眼差しをライス殿下に向けて、彼女はあきらかに怒った顔をしていた。


「ご覧の様に、私の母がお怒りです」


 ルミナちゃんがライス殿下に言った。言われた殿下は、それがどうしたという顔でルミナちゃんを見た。


「それがどうした」


 実際に言った。何だかかすっとぼけた感じになった。


「お分かりになりませんか」

「何がだ」

「母がお怒りです」

「見たら分かる。それがなんだと言うのだ」

「この国の危機です」

「何を言っている」


 あくまでも落ち着いたルミナちゃんと、イライラしたライス殿下の何度目かのやり取りの末に、どうやらこの国に危機が訪れたらしい。


「私の母は以前、そちらのエリス様に命を救われております」

「命を」

「はい」


 二人のやり取りを聞きながら、私はそういえばあったなと思い出した。マーニャ様──ルミナちゃんのお母様は以前、魔力の肥大する謎の病で瀕死の状態にあったのだと──。


 ~◎


 その事を聞き付けた私は、トリアー家にお見舞いに行った。そして、どうにか頼み込んで彼女が安静にしている寝室に入れさせて貰い、容態を確認した。間違いなく、魔力肥大症だった。直す方法がないとされている不治の病だった。


 優秀な魔法使いであるマーニャ様は、生まれつき膨大な魔力を内に宿していて、そして、成長と共に増え続けていた。どうやらその許容量に、彼女の肉体が耐えきれなくなったようだった。


 症状を確認した私は、直す術がない事を、側にいたルミナちゃんに伝えようとした。彼女の方を振り返ったら、今まで見た事のない悲しい顔で、ルミナちゃんが私を見つめていた。いつも落ち着きのある彼女の初めて見る顔だった。


 私はこの世に生まれて、ほとんどの時間を、魔法と錬金術の研究に注ぎ込んできた。物語の世界を生きる、唯一の生き甲斐だったからだ。


 私はルミナちゃんに言った。


「私が絶対に治してみせる。だから安心しなさい」


 今でも思いきった事をしたと思う。でも次の瞬間、ルミナちゃんが私にすがり付いて泣いたのだ。


「どうかお願い致します」


 一言だけ、小さく言って。彼女は静かに泣き続けた。


 それからすぐ、我が家に戻った私は、子供の頃、お父様におねだりして屋敷に作って貰った研究所に籠って、魔力肥大症の特効薬の研究を始めた。マーニャ様に残された時間を、おおよそ頭に浮かべながら。


 まさに寝る間を惜しんで続けた。この時、朦朧もうろうとした頭に、前世の自分がブラック企業という所で働いている記憶が、ぼんやりと浮かんで見えた。それは地獄のような体験だった。休む暇もなく仕事に追われているその生活は、今やっている事が子供だましに思えるくらい、壮絶な日々だった。だから私は、もう何が起きても頑張れると思った。


 薬が完成した。壮絶な体験をしていた、恐らく前世の私である人物のノルマという特殊な拷問に比べたら、薬の一つや二つ、楽勝だと思った。


 すぐに家の者に馬車を用意させて、それから先方に、今から向かう旨を伝えて貰うよう手配した。そして、朦朧とする頭と、ふらつく体を無理やり動かしながら、私はトリアー家に向かった。


 到着すると、使用人が出迎えてくれた。貴族なのに基本的に腰の低い私は、疲れもあって「大勢の出迎え、感謝致します」と思った事をそのまま言った。そうしたら、「……私一人でございますが」と返された。良く見たら本当に一人だった。ぼんやりする頭で、不思議な事もあるものだと思った。


 使用人の案内で屋敷に入るとルミナちゃんが出迎えてくれた。双子の姉か妹はいるかと聞こうと思ったけど、ややこしいから止めておいた。とりあえず彼女に、寝室に案内して貰った。


 寝室で、ベッドに横になっているマーニャ様は、以前の健康な姿と比べようがないほど痩せ衰えていた。正直、私は駄目かも知れないなと思った。もしも薬が効いたとしても、果たして助かるだろうかと。それでも、すぐ側で心配そうに見守っているルミナちゃんの前で、おかしな態度をとるわけにはいかない。


 気持ちを切り替えて私は、自身が作った薬をマーニャ様に飲ませた。薬を作る傍ら、私は、弱った患者にそれを飲ませる技術も習得していた。マーニャ様に、身体強化魔法の応用となる魔法を付与しながら、彼女の体に身体操作を行い、薬をゆっくりと時間を掛けて、少しずつ飲ませていった。


 魔法には。照明の器具に利用した魔法だったり、大きな火を打ち出す魔法だったり、体を強化したり生活に役立てるものだったり、この世界の魔法には色々な種類があった。それでも、原理はいまいち良く分からなかった。どうやら物語そのものが、絵本のような形で伝えられているものだったようなので、色々な解説が曖昧だった。その事実を知った時、私は思わず、責任者出て来いよって思った。


 マーニャ様に薬を飲ませながら、気が遠くなりそうになると、良く分からん知識だけ押し付けられてと、どこのどなただか分からない存在に対して怒りをぶつけていた。そうしたことに対して、普段からうんざりしていたのだった。


 飲み終わらせて、私はルミナちゃんに、助かるかどうかは分からないが、やれるだけの事はやったと伝えた。ルミナちゃんはこの間の様に、私を抱き締めて、泣きながらお礼を言ってくれた。色々と限界だった私はそこで、意識を失った。最後に一瞬、前世の自分が「その程度の事で情けない」と、廃人のような顔で嘲笑っているのを見た気がした。


 次に目を覚ますと、トリアー家の来客用の部屋で、ベッドに寝かされているのに気付いた。ああ、そういえば、という感じで体を起こした。体を見下ろすとちゃんと、寝間着に着替えさせてくれているのが分かった。しょうがなかったとはいえ、お世話になってしまったなと思った。そこでドアが開いた。


 見るとルミナちゃんが、この部屋に入ってくるところだった。私を見た彼女が驚いた顔をした。それを呑気に眺めながら、こんな可愛い子と友達になれるなんて、異世界転生冥利に尽きるなあ、とかすっとぼけた事を考えていた。


 手に持っていた物を机に置いて、ルミナちゃんが私の側に来た。


「ありがとうございました。トリアー家は、このご恩を絶対に忘れません!」


 私の両手を握ってそう言った。ルミナちゃんが大きな声を出しているのを初めて見たから、けっこう驚いた。この頃はまだライス殿下と婚約者の間柄だったけど、それを適当に破棄して、ルミナちゃんと結婚したいなあと思ったくらいだった。


 ルミナちゃんの手配で何人かの侍女が呼ばれて、私の着替えをしてくれた。大層なドレスが出てきた辺りで、腰の低い私は恐縮して、黙ってされるままに徹した。一言でも喋ったら絶対、ボロを出していた事だろう。私は最後まで公爵家の誇りを守り抜いた。


 着替えを終えるとルミナちゃんが、「どうかお越し下さい」というから、とりあえず私は、促されるままに着いていった。


 到着したのはマーニャ様の寝室だった。ルミナちゃんがドアをノックすると、マーニャ様の声がした。私はこの時、本気で驚いた。昨日まで本当に危険な状態だったのだ。そんな人の声が何で聞こえるのかと、まだ夢の続きなんじゃないかという気持ちで聞いていた。


 私に振り返ったルミナちゃんが一つ頷いて、おもむろに寝室のドアを開けた。そして、彼女が中へ入っていった。流れ的に、私が入らんわけにもいかんよなと思いつつ、訳の分からないままちょっと怖かったから、帰りたいなあって思った。私は基本的に、臆病者なのだった。


 でも、公爵家の娘がそんな真似をする訳にはいかないので、半分泣きそうな気持ちで中に入った。そうしたら、なぜか元気そうなマーニャ様が、ベッドの上で上半身を起こしているところだった。何事かと思った。


「エリス様。この度のご配慮、本当にありがとうございます」


 私を見るなりマーニャ様は、真剣な顔でそう言った。色々と勉強している割に、油断したら抜けたところのある私は、「あっはい……」という、間抜けのお手本のような返事しか出来なかった。そもそもこの人、何で起きてんの? という所で理解が追い付かなかったからだ。


「我がトリアー家は、エリス様への感謝を、未来永劫忘れる事はありません」


 マーニャ様は、けっこう恐ろしい事を言った。別に良いから、さくっと忘れて欲しかった。


「別にお構いなく」


 そういう感じで、とぼけた返事をするのが私の精一杯だった。


 それから問題なく元気に回復したマーニャ様。後日お会いした際に、なぜか知らないけど以前の三倍くらい、魔力量が増えたと言っていた。三日三晩、魔法の連続使用をして、トリアー家の周辺の森を探索し続けたけど、ぜんぜん平気だったと言っていた。モンスターをたくさん討伐したらしい。良い運動になったとも言っていた。それから魔法攻撃の威力も、三倍くらい増えたと言っていた。病み上がりなんだから、無茶な事はしないで欲しかったけど、当たり障りのない返事しか出来なかった。マーニャ様のオーラに威圧されていたからだ。


 それからしばらくして、この国の魔法使いの軍隊である魔法師団に、マーニャ様が復帰されたと、ルミナちゃんから聞いた。ちなみにマーニャ様は師団長様だった。その時に初めて知ったので、あらためて驚いた。けっこう凄い事なのに、わりと朗らかな感じで、ルミナちゃんは言っていた。トリアー家、恐すぎって私は恐怖に震えた。


 思えばそんな事もあったなあと思っていた。


 ~◎


「殿下、エリス様に謝って下さい」

「何を言っている貴様。この私に、貴族の娘に謝れと言うのか」

「ではこの国は今夜中に滅びるでしょう」

「一体、何の話を言っているのだ」

「母が本気を出したらそうなります」

「まさか……」


 冷静に訴えるルミナちゃん。困惑するライス殿下。ちなみに、魔法師団の団長であるマーニャ様は、我が国の最終兵器の一翼と呼ばれている。


「……ムニエール山脈に棲む赤龍の群れを滅ぼしたというのは、本当だったのか?」

「母が、ちょっと遊びに行ってくると言って、しばらく経った頃その報を受けました」

「まっ!」


 落ち着いたルミナちゃんの答えに、殿下は絶句していた。前世の世界であったなら、「マジか!」という驚愕をしていた事だろう。


「殿下、宜しいでしょうか?」


 そこへ、男性の声が掛かった。


「後にしろ。今それどころではない」

「そうは参りません。この大陸の危機でございます」

「……何だと」


 ルミナちゃんとお話ししていたライス殿下が、今度は何だという顔で振り向いた。聖女であるエミリーちゃんは、よく分からないし良いや、と割り切った顔をしていた。彼女のその自由なあり方が、とてつもなく羨ましかった。とりあえず空気を読んで、私も振り向いた。


 真夜中の深い森の奥で見る闇のような黒髪。薄い眉。無機質な灰色の目。ぽちゃっとした鼻。分厚くて大きめの唇。頬の痩けた顔立ち。私達の視線の先に居たのは、ヤード・パダレッキ・ダカール。ダカール侯爵家令息。


 彼も卒業生の一人だった。


「殿下、あちらをご覧下さい」


 固い口調で言って、ヤード様は観覧席の方に手を向けた。


 殿下が「まったく何事だ一体」とぼやきながら、意外と素直にあちらを見た。私も当然、あちらを見た。ヤード様の手は彼のお父様に向けられていた。先の大戦にて、右腕を失いながらも多大なる功績を上げ、我が国の英雄と讃えられる人物。


 バルザック・パダレッキ・ダカール。


 今は何だか凶悪な顔をして、ライス殿下を睨み付けていた。彼の御仁の立場がもし違うものだったなら、何もしてなくても賞金が掛けられそうな人相だった。


「ご覧のとおり我が父が怒っています」

「今度はお前の父か。それがどうしたと言うのだ」

「エリス様に謝って下さい」

「だから何故この私が、貴族の小娘に謝らねばならんのだ」

「では近日中に、この大陸の形が変わります」

「なんだと」

「我が父がそれを成します」

「お前の父親。まさか……」

「はい。この世界の危機です」


 退屈になった私があくびをしている間に、文官のような口調のヤード様と、急に驚きだしたライス殿下が不穏な会話を始めた。国を飛び越えて、今度は世界の危機が訪れたらしい。


 窮屈なドレスを着ているせいで、パーティーのご馳走があまり食べられなかった私は、燃費の悪い頭でぼんやりと、過去にあったある出来事を思い出していた。


 ~◎


 利き腕を失って、騎士としての勤めを果たせないと、騎士団を辞めたバルザック様は、以前の元気を失くしていたのだとか。それからというもの、溺れるようにお酒を飲んで過ごす日々が続いたという。


 その頃の私はといえば、まるで取り憑かれたように、死者蘇生薬の開発に取り組んでいた。鬼のようなダンスレッスンに追い詰められて、きっと頭がおかしかったのだろう。連日の、エリス・マーガリン・サーズデイ王妃改造計画はいよいよ佳境を向かえ、日々の試練は行く所まで行っていた。その合間を縫うようにして何かから逃げるように、使う当てもない薬品開発の研究に没頭していた。現実逃避。私のストレスもいよいよ加速していた。


 いっそ誰彼かまわず嫌がらせをして、悪役令嬢にでもなってやろうかという腹積もりを企てていた程だった。一重に、ストレス解消のために。


 その頃に聞き知ったのが、我が国の英雄様が大変悩ましい状況にあるという話だった。それを聞いて私は思った、腕の一本ぐらいでどうした、こっちは毎日へとへとになって頑張っているんだぞと、憤りを覚えた。


 日々の地獄とストレスと薬品開発の興奮で、既にもう恐いもののなくなっていた私は、三日目の徹夜明けというコンディションも相まって、目についた試験薬を乱暴に掴んで、何の知らせもせずに英雄バルザック様のお屋敷を訪れた。


 私を出迎えた使用人は狼狽えた。ちなみにこの時は、十人前後に増えたり減ったりして見えていた。ハイになっていた私は珍しく、気が大きくなっていたので、細かい事はぜんぜん気にしなかった。とにかく英雄に会わせろ、その一点張りで、使用人との押し問答をした。


 約束もなく突然訪れた珍客に、侯爵家の使用人一同は狼狽えた。けっこうな騒ぎを聞き付けて、屋敷の扉が開くと何人かが姿を現す。乱れた髪と、あちこちに皺を作ったドレスを着た若い女が、英雄に会わせろと、常軌を逸した様子で訪れたのだから当然の事だった。しかも、その相手はサーズデイ公爵家の令嬢。私の顔を知っていた執事が、とりあえずという感じで応接室に案内してくれた。私は意気揚々とそれに従った。


 出されたお茶と何故か提供された軽食を口にしながら、しばらく待った。少しだけ冷静になった頭で、確かに何をしでかすか分からない狂暴な獣に餌付けをするのは妙案だと、ダカール侯爵家の心配りに感心していた。


 二日ぶりの食事で空腹が和らいで、そもそも何で私ここにいるんだっけと思いながら待っていると、応接室の扉が開いて、二日酔いで青い顔をしたバルザック様が現れた。


「本日は、どのようなご用件ですかな」


 たくましい体を引きずるようにして歩いて、面倒臭そうに椅子に腰を落としてから、あからさまに機嫌の悪い顔をしたバルザック様は、早速私にそう訪ねた。食べるものを食べて今度は眠気に襲われていた私は、色々と便利だからとドレスに縫い付けたポケットから、薬品の入った小瓶を取り出して、無言で目の前の机にそれを置いた。


 恐らく、二日酔いで頭が回ってなかったバルザック様は、部屋の隅に控えている執事が狼狽える様子にも気付かず、目の前に置かれた小瓶のコルク詮を左手だけで器用に抜いて、潔く一気飲みした。


 そこまで見届けて、どうやらこれでようやく帰って眠れるなと安心した私は、流石に無理が祟ったようで、その場に倒れ混むように意識を手放した。


 次に目を覚ました私は、他所様のお屋敷にある客室のベッドで寝ていた事を自覚した。前にも似たような事があったので、慣れたものだった。見下ろせばやはり、寝間着に着替えさせてくれている。そして、だんだんと自分が何をやらかしたのかを思い出していった。自分の顔がだんだんと青ざめていくのを自覚した。


 この事がもし鬼ばばあ、もとい、私の王妃教育を嬉々として遂行する婦人の耳に入ったら、エリス・マーガリン・サーズデイ王妃改造計画は次の段階に突入するのではないかと、既に魂にまで恐怖を刻み込まれていた私は、ただひたすら自身の保身を案じていた。早急に対策を練らねばならない。事を仕損じれば生き地獄が待っている。


 寝惚けて頭が回らない中、私が憂鬱な気持ちで策を巡らせていると、部屋のドアがノックされた。どうやら御迎えが来たようだ。私は精一杯の貴族のプライドで返事をした。


「……どうぞ」


 すぐに返事が返ってきた。


「失礼致します」


 妙に緊張した女性の声の響きに、私はそれ程なのかと、自らの儚い人生を半ば諦めた。英雄バルザック様はさぞお怒りだろう、突然押し掛けたのだから当然だ、それでも逃げる訳にはいかない。私が潔く迎え撃つ覚悟を決めると、扉を開けて、見覚えのある侍女が恐る恐る顔を覗かせた。流石は英雄を生み出した侯爵家、侍女に至るまでしっかりと油断の無い構えで来るのか。そう感心して、同時に不安が加速した。


「お支度の用意をさせて頂きます」


 部屋に入るなり横一列で一礼した彼女達の中で、比較的、落ち着きのある侍女からそう言われた。私は頷いて答えて、ベッドから起き上がった。私におどおどしている可愛らしい侍女の手を借りながら、さあ、煮るなり焼くなり好きにすれば良いさと、改めて覚悟を決めた。


 三人目の侍女が用意していた、大層なドレスに着替えさせられた。三人の侍女からそうされている間、処刑の日を迎えた罪人のような気持ちで、心に浮かぶ前世の記憶に気持ちを預けて、般若心経という呪文をぶつぶつと呟いていた。


 身支度を終えて、一人の侍女がお茶の用意がどうのとか言っていたけど、集中を切らしたくなかった私は丁重にお断りした。用事を済ませると、来た時と同じように頭を下げて、侍女達は静かにこの部屋から立ち去っていった。


 元々この部屋に用意されていた椅子に腰掛けて、私が今後の対策を真剣に考えていると、しばらくしてまたドアがノックされた。


「失礼致します」


 今度は男性の声だった。思ったより優しげな感じがしたので、私はほんのり僅かに安心して、ドアの向こうにいる人物に入るようにと応じた。


「失礼致します。お寛ぎとは存じますが、旦那様がお呼びでございます。ご案内を致しますのでどうぞ、お越し下さいませ」


 初老の執事が、部屋に入ると一礼をして、穏やかな声でそう言った。いよいよか……。


 他所様のお屋敷の廊下を気まずい気持ちで歩くこのやるせなさ。妙に慣れた感じのする執事の歩調に負けてたまるかと、破れかぶれの気持ちで、王妃改造計画の集大成ともいえる颯爽とした歩みを続けながら、彼の後を追い掛けた。自分の成長を実感すると気持ちが癒される事を、様々な体験の中で私は学んでいた。揺れ動く自身の気持ちに翻弄されながら、そうする事で、どうにか理性を保っていたのである。


 屋敷の廊下をしばらく歩くと、回りを見渡す余裕すらない私は、気付けば旦那様、恐らく英雄様の待つ部屋へと案内された。執事がドアをノックすると、入るようにという返事がすぐに返ってきた。


 執事はドアを開けると、さあどうぞ、中へとお入り下さいませという動作を私に示した。洗練されたその動きに感心した私は、そうおっしゃらずに、どうぞ貴方からお入り下さいませ、と言おうかどうしようか迷った。その隙に逃げようかと、半ば本気で考えていたからだ。


 しかし、悲しくも私は貴族の娘だった。断腸の思いで、部屋の中に足を踏み入れる事にした。例え人様のお屋敷であろうとも、生まれてこの方、ここまで恐る恐る浸入するというのは、この人生で初めての事だった。


 背中に気持ちの悪い冷や汗をかきながら、潔く中へ入ると、私が押し入った際に案内された部屋とはまた別の応接室だった。内装に興味のなかった私は、部屋の中央にある机と、黒皮を張り付けたソファーが向い合わせで置かれている様子を確認した。一方のソファーには、このお屋敷の主であるバルザック様の姿があった。


 ちゃんと両腕があるじゃん、噂なんて当てにならないものだなと、じっくりと様子を観察しながら私はそう思った。私を見たバルザック様は、妙に畏まった態度で会釈した。


「どうぞ。お掛け下さいませ」


 目の前にあるソファーを手で示しながら、彼はまずそう言った。思慮深いと思える程、真面目な顔付きだった。怒りっぽいそこら辺の貴族や、笑っている時が一番恐いという風な、鬼ばばあ婦人や私の母上のように、怒り方というものには人それぞれの個性がある。私はそう思っている。


 果たして英雄バルザック様の場合、どの様なご判断をされるのかと、まな板の上の鯉のような気持ちで状況に身を任せる事を選んだ。特にこれといった妙案が浮かばなかったからだ。私が腰掛けるとさっそく、バルザック様は話を始めた。


「私の腕もこうして無事に、生え変わりました」


 そう言うとバルザック様は、上着の右の袖をたくし上げて、血色の良い右腕を私の前でかざして見せた。いまいち事情が分からないので無難に、無言で見詰める事にした。内心では、腕は生え変わらんだろうと思っていた。きっと噂話に便乗しているのだろう、それでも年長者が子供を分かりやすい嘘でからかう、私はその手の冗談があまり好きではなかった。


「エリス様。この度の多大なる御慈悲、誠にありがとうございます」


 英雄のよく分からない一面に思いを巡らせていると。私を見詰めて、バルザック様は少ししゃがれた声でそう言った。私は無難に、ぽかーんと眺めていた。まだ続けるつもりかと、予想外の展開に頭が追い付かなかった。相変わらず無言でいる私に気分を害した様子もなく、バルザック様は言葉を続けた。


「ダカール侯爵家は、エリス様への御恩を、未来永劫忘れる事はありません」


 バルザック様は静かに、力強く、そう言った。前にも確か似たような事があったよなあ、と思っていた私は無難に、「……あっ、はい」と返事をした。他に思い付かなかったからだ。失礼極まりない私の反応を見たバルザック様は、初めて笑みを浮かべた。


 それから私のお迎えとして、サーズデイ公爵家の馬車が到着するまでの間、戦争中の体験や、騎士を辞めて酒浸りの生活を送っていた後悔など、無口な私を気にした様子もなく、バルザック様は様々なお話をされた。


 そんな事は良いから私の空腹に配慮して、食事でも提供してくれないかと、三大欲求の一つに支配された頭で考えた。腹が減ると私は、だんだんイライラする性格なのだ。


 食べる事も出来ず空腹のまま、英雄の長話を聞かされるという拷問を耐え凌いでいた所に、サーズデイ家からのお迎えが来たというのを告げられた。それを知らされた私は、ようやく安心した。帰ったら何を食べよう、とにかくお腹いっぱいご飯を食べよう。空腹は最高のスパイス。さぞ美味しい体験になるだろうと、腹をペコペコさせていた。


 最後にお屋敷を辞する際、バルザック様は私の両手を握って、「エリス様のお背中はこのバルザックに、お任せ下さいませ」と言った。恐かったから「……へっ、へい」と、泣きそうになりながらどうにか答えた。


 私の思い出したくないトラウマがまた一つ増えた。それでもどうにか丸く収まったので、馬車に揺られながら、私は安心して帰路に着く事が出来た。


 ちなみに、王妃改造計画は第二フェーズへ移行した。私にそれを告げた時の鬼ばばあ婦人は、とても良い顔をしていた。嵐のように過ぎる日々の中で、とっくに自尊心をへし折られていた私は、「……イエス。マム」と、胸に競り上がる本音を圧し殺して優等生の返事をした。


 このクソばばあは事の顛末を、どうやって把握したのだろう。一体どこでバレたのだろう?


 頭を悩ませる私に、クソばばあ鬼軍曹婦人はにっこりと、本当に嬉しそうな表情を顔に浮かべていた。


 ~◎


 あの時の笑顔がフラッシュバックした。かなり気合いを入れて、脳裏に浮かぶ灰色の青春から目を背けるようにと努め、とりあえず目の前の現実に集中する事にした。うっかりすると、奇声を発しそうだったからだ。


「先の大戦において、我が父上は本気ではありませんでした」

「何だと」

「あの方が持てる力を全て振るえば、この国もろとも、討ち滅ぼし、ゆくゆくはグレース大陸に風穴を開けてしまった事でしょう」

「ちょっと待て、本気で言ってるのか。お前の父親は魔王か何かなのか」

「違います」

「そうだよな。流石にそうだよな」

「それ以上の何かです」

「まっ!」


 現実を直視した私は、目の前で繰り広げられるライス殿下とヤード様の掛け合いに、まだ続いていたのだと安堵した。下手に話でも振られたりしていたら、ボロが出る所だった。なので、そこら辺に転がっている石ころだと自分に言い聞かせながら、なるべく存在を感じさせないように徹した。目立ちたくなかった。


 私が「石ころ、石ころ……」と、頭の中で繰り返していると、どうやらヤード様が話を続けるようだ。彼は咳払いを一つしてから、分厚い唇を開いた。


「父上は言いました、エリス様は素晴らしいお方だと。自身の身を省みず、身を粉にするようにして、救って下さったのだと。一貫して口数の少ないそのあり方は、誠実さの現れ、まるで全てを見通されているかのように思えたと……」

「まさか。どこにでもいるような女ではないか」

「私には分かりません。しかし、それまで私は、自分の父を悪鬼羅刹だと思って参りました。その父がこうまで他人を褒め称える。父にも人の心があったのかと、私は驚愕を覚えました」

「おい。流石に言い過ぎだろう」

「言い過ぎではありません。ダカール家に生まれてこの歳に成長するまで、私はひたすら、父の重圧に怯えていました。いっそ魔王と暮らした方がどれだけ安らげるかと。特に何をする訳でもないのに、同じ屋根の下で暮らしているだけで、気が狂いそうになるのです」

「とんでもない話だな」

「そして、いざやるとなった時には、とことんやります。試しにあの男に三年の猶予をお与え下さい。この世界を征服してみせます」

「おい、止めろ。ちょっと待て」

「先の大戦において、父が右腕を切り落としたのは、うっかり手が滑ったからだそうです」

「そういうのは、あんまり聞きたくない失敗だな」

「その際に発生した謎の衝撃波で、敵の軍勢は壊滅したそうです」

「相手は大陸最強を誇る帝国軍だったんだぞ。そんなんで壊滅したのか?」

「右腕を切り落としたショックで父上は、今まで以上の重圧で、酒浸りの生活をしておりました。我が家はまさに地獄でした」

「そういう話らしいな」

「それを救って下さったのがエリス様です」

「……何だと」

「エリス様が我が家に訪れて、何故だか分かりませんが、父上の右腕が生えました」

「すまん。よく分からなかった。もう一度言ってくれ」

「それを救って下さったのがエリス様です」

「いやそこは分かった。次を言ってくれ」

「エリス様が我が家に訪れて、何故だか分かりませんが、父上の右腕が生えました」

「何でそうなる?」

「分かりません。父上はそれ以上の事を話してくれませんでした。ですが、エリス様との婚約を破棄されて、エリス様を深く傷付けたライス殿下は、きっと父上に八つ裂きにされます」

「不敬であろう」

「容易く予想できる事です。付け加えるならば、気持ちの収まらない父上の八つ当たりは、天地を翻す程の狂騒と化して、この世を地獄へと変えます。あの男はやると決めたらとことんやります。狂乱の魔神の誕生です」

「それで。私にどうしろと言うのだ」

「エリス様に謝って下さい」

「お前もそれか」

「この世界の危機なのです。私はまだ死にたくありません」

「ええい。クソ……」


 皆に分からないように、頭の中で石ころコロコロを唱えている間、熱い議論を交わしていた筈のライス殿下とヤード様が、いつの間にか私を凝視していた。気合いを入れて捩じ伏せなければ、思わず吹き出すところだった。油断していた所に来たもんだから余計にきつかった。


 現在のこの国の上から順に偉い人達と、この国の未来を背負って立つ若者達の前で、ライス殿下とヤード様に見詰められながら思わず吹き出す女。私の社会的立場が偉いことになるところだった。殿下が、「……あんな女に」と言っている。本人は小声で言っているつもりなんだろうけど、私の耳にはっきりと聞こえた。咄嗟に堪えたつもりだったのに気配を読まれたのだろうか。身の振り方には気を付けなければ……。


「ライス殿下。少々よろしいでしょうか」

「ヤードと大事な話をしている。余裕がないので手短に言え」

「畏まりました。エリス様に謝って下さい」

「お前もかあ!」


 今日は一段と気の短いライス殿下の声に、何事かと思って見てみると、今度はまた別の人物と話していた。


 ハチミツのような色をしたふわふわの髪。少したれ目のどんぐり眼。小さめの鼻。妙に愛嬌のある口。口許のホクロ。血色の良い健康優良児という感じの童顔。


 ミード・オルステリアス・バルフォート。彼もまた卒業生としてパーティーに参加している一人だった。


 彼の父は男爵家の三男という立場に生まれ、家督を継げず、そもそも興味もなく騎士団に入団した。そして、先の戦争で見事に武功を挙げ、男爵家でありながら名が知られ、その武功によって第三騎士団の団長になったそうだ。


 その騎士団長の息子であるミード君。彼は私に色々と教えてくれるので、本当にありがたい存在だった。


 ~◎


 我が家の侍女が「料理で使う鉄鍋が錆び付いて困っている」と言っていたので、私はさっそく錆び落としクリーナーを錬金術で作った。そして使ってみたら、鉄の鍋は何故か違う金属になった。軽くて丈夫で錆びに強い。しかも、その鍋でスープを作ったら、今まで食べた事のないくらい美味しいスープが出来た。


 その評判を聞き付けたお父様の命によって、屋敷にある金属類は錆び落としクリーナーが施され、次々と謎の金属に変えられていった。お母様は「あらあら」と笑っていた。ちなみに、お母様が一番怒っている時は朗らかに笑って見える時である。軽率なお父様の無事を、私は案じた。


 これは怖いなと、訳の分からない金属をこの世に生み出した私は不安を覚えた。お母様のお説教によって、ぎこちなく歩くようになったお父様におねだりして、魔法研究所と、錬金術師の研究機関に、謎の金属の解明を依頼した。


 それが巡りめぐって、試しに騎士団の装備の金属部分に使用してみよう、という事になったらしい。その結果、軽くて、頑丈で、手入れの要らない夢のような武具が誕生したらしい。私に対する騎士様達の好感度が、めちゃくちゃ高まったらしい。


 私が学園の中庭でアリの巣の観察をしていたところに、たまたま立ちよったミード君が色々と教えてくれた。ちょくちょくそういう風にして、情報を仕入れてくれるので大変ありがたい存在だった。可愛げのある彼の顔立ちと雰囲気を気に入った私は、親しみを込めてミード君と呼んでいる。本人は少し嫌そうにしていたけど、無言で見詰めて押し切った。


 騎士団の装備品の魔改造は、ミード君がお父様から聞いた話らしい。その事実を知った私は、何かを吐きそうなストレスに襲われた。しかもミード君に話によると、それだけでは終わらないそうな。


 魔法師団でも、試しに金属製の短い杖を製作して、錆び落としクリーナーを使ってみたらしい。そうしたら、魔法の威力や精度が、格段に良くなったらしい。魔力の消費も抑えられるという優れものが出来上がったらしい。魔法師団での評判はとても好意的なものとして高まったらしい。


 前世で言うところの、豆腐の角に頭をぶつけたような衝撃を覚えた。果たして私は、何を生み出してしまったのだろう……。


 ちなみに、魔法研究所からも錬金術師の研究機関からも、金属の正体が解明されたという知らせは届いていない。自分でも調べてみたけど、ぜんぜん分からなかった。恐いからそれ以来、なるべく視界にいれないようにしている。確認しようとすると、何故か強いストレスに襲われる。綺麗さっぱり忘れる事にした。


 ~◎


「エリス様の生み出された錆落としクリーナーは、我が国の文化をガラッと変えました」

「それ本当に錆落としクリーナーなのか」

「塗っただけなのに、軽くて錆に強い謎の金属が出来上がる。ちなみに、謎の金属が錆び付いたという確認はされていないようです」

「それ本当に大丈夫なのか」

「大丈夫です。表面に塗装しただけなのに、金属その物の性質が変わるので、まさに無敵です」

「何だか怖くて、私は不安だぞ。正体不明の金属とか」

「ご安心下さい。商品の保証は全て、我がミード商会が受け持っております」

「お前、そんな事をしていたのか」

「という訳で、エリス様に謝って下さい」

「だから、何故そうなる」

「既にもう、産業として確立されているのです。国外への貿易の目玉商品なんです。お金のなる木なんです。エリス様の発明はもう、国家事業となっているのです。そんな方をないがしろにしたら、誰に何を言われるか分かりません」

「まっ!」


 あんなに興奮して喋るミード君を、初めて見た。何時も朗らかに笑って、「今度は何を作るんですか?」って、私のやる事を全肯定してくれる。本当に気立ての優しい子だと思っていた。ライス殿下も何だか青ざめた顔をしている。人には裏の顔があるというのは、この事だったのか。


「錆落としクリーナーだけではありません。エリス様の発明された、魔力肥大症の薬、そして腕の生える薬、それだけの物をお作りになられる訳です」

「そんな事をしていたのか」

「ですからきっと他にも、もっと凄い薬が生まれるはずです。それが一体どれ程の価値になるか。どれだけ儲かるか。私は正直、震えが起こるほどの期待をしているのです」

「なるほど」

「まだ儲かる。まだ儲かる。ミード商会の野望はこれからなんです」

「貴様は欲望に正直だな」

「家柄もあってないようなもんだし、騎士になれる才能もありません。なので私は金儲けで生きていきます」

「たくましいな」


 それでも、楽天的なミード君の明るい性格には、何度も助けられた。何時も太鼓持ちの様に私を持ち上げてくれるから、彼と話していると私の自尊心がぐんぐん回復して、生きる希望が沸いてくる。とても貴重な存在だ。


 私は良い友達を持ったと、心からそう思える。鬼ばばあクソ軍曹婦人から教育を受けた後、彼の姿を探すくらいになっていた。思えばあの無責任な話っぷりは、商売に向いていたのかもしれない。上目遣いでおねだりされると、彼のためについ、お望みの物を錬金術で生み出していた。


 私は良い友達を持ったと、心からそう思える。


「という訳でエリス様。貴女はまさに、お金のなる木です。ライス殿下との婚約破棄が無事に執り行われた暁には、私と結婚を前提にしたお付き合いをして下さい。あと、殿下はエリス様に謝って下さい」

「貴様は何を言っている」

「エリス様のお噂は既に、国内外に知れ渡っております。そんな方との婚約破棄。このままだと殿下は、世界中の商人から嫌われてしまいますよ」

「まっ!」


 しかしこの時ばかりは、流石に私は自分の耳を疑った。何故お付き合いの話に発展するのだろう?


 ふと視線を感じて観覧席を見た。この国のはかりごとの背後には常に、この人がいる。貴族の間でそう噂されている私のお父様が、ミード君を睨み付けていた。あんな怖い顔初めて見た。


 その横でお母様が笑っている。若者の色恋が微笑ましいのか、実ははらわたが煮えくり返っているのか、私のお母様の表情はいまいち分かりにくい。


 どちらにせよミード君は、私の両親に目をつけられた。彼はこの先、大丈夫なのだろうか……。


「皆の者、静まれ」


 いつの間にか、国王陛下と王妃様がすぐ近くに来ていた。お着きの人が渋い良い声で言ってくれたから、ちゃんと気付く事が出来た。色恋に迷ってぼんやりしていたから、気付かなかったら大変な事になっていた。私はあわてて貴族の礼をとった。下手な事をして、それが鬼軍曹婦人の耳に入ったら大変な事になる。


「楽にして良い」


 陛下がはっきりした声で言った。堅実な性格の良い王様で、まだ若くて健康そうだからこの国も安心だ。ライス殿下があの調子なので、陛下には出来るだけ長く頑張って欲しい。


 あと、楽にして良いと言われて本当に楽にしてはいけない。本当に楽にしたら、鬼軍曹婦人に何をされるか分からない。正直者が生きづらいのが貴族社会というものなのだ。嘆かわしい。


「さっそくだがライスよ。とりあえずエリス譲に謝れ」

「謝りなさい。ライス」


 私が貴族社会の腐敗を思っている間に、国王陛下と王妃様のお二人は、ライス殿下に歩み寄っていた。


「……父上。母上」

「ライス。お前には選択肢がある。素直に謝るのと、王位継承権を失うのと、王族から追放されるのと、お前には三つの選択がある。とりあえずエリス譲に謝れ」

「まっ!」


 ライス殿下は顔を真っ青にしていた。聖女であるエミリーちゃんは跪いて、主神ヘタレ・エクスカリバー様にお祈りをしていた。


 前世の知識によるところの、フルボッコという騒ぎになった。


 国王陛下と王妃様を交えての、改めて始まった謝れライス殿下大作戦。訳の分からない状況の中で私は、お金とか、権力とか、暴力とか、宗教は、本当に恐ろしいなと思った。


 それでも、ライス殿下にはもうしばらくの間、私に謝らないでいて欲しい。色々と上手い事やって、皆を丸く治めて、エミリーちゃんとのラブラブ生活に明け暮れていて欲しい。国家の存亡とか、大陸の未来とか、確かに心配だ。けど、王妃様になるのとか、貴族社会のあれこれとか、私だって色々と疲れる事があるのだから。人里離れた場所で思う存分、夢だけを追いかける生活がしたい。


 殿下には、上手い事やって本当に頑張って欲しい。夢の隠遁いんとん引きこもり生活が掛かっているのだから。


 欲望が渦巻く卒業パーティーを、切実な思いで見守っていた。

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