第5話 魔法適性テストの罠
【不穏な噂】
「ねえ聞いた? 次の適性テストで一定点以下だった生徒、“落第者の部屋”に連れて行かれるんだって」
朝、教室に入るとすぐ、女子生徒たちのざわめきが耳に飛び込んできた。誰もが冗談のように笑いながら話しているが、声の奥には確かな不安が滲んでいる。
「去年の三年の先輩、突然いなくなったじゃない? あれ、たぶんその“部屋”に……」
「消されたんじゃないの?」
消された? そんな言葉、誰かがふざけているにしても笑えなかった。
僕――アレン・グレイはそっと席につきながら、その話題を聞き流すふりをして耳をそばだてていた。
魔法適性テスト、それは学園で年に数回行われる実技中心の試験だ。
僕のような「最低限の魔法適性しかない」生徒にとっては、毎回が綱渡りのようなものだった。
「おいアレン、今回のテスト、大丈夫なのか?」
隣の席のレオが、小声で訊いてくる。彼は体術系の魔法が得意で、成績も安定している。僕とは対照的な存在だ。
「……まあ、なんとか。たぶんね」
「たぶん、って言ってるやつが一番危ないんだぞ。なんなら補講、俺が手伝ってやってもいいけど」
レオは冗談めかして笑ったが、その親切が心にしみる。けれど、僕は虹色の魔法のことを誰にも話せないでいる。あれは、誰かに見られるとマズい。
なぜなら、あの魔法は――この学園の教科書にも、誰かの記録にも、一切載っていないからだ。
「“落第者の部屋”か……」
誰かがつぶやいたその言葉が、ふと現実味を帯びて胸の奥に突き刺さった。
【 虹色の魔法、再び 】
放課後、僕は校舎の南側にある自習室にこっそりと足を運んだ。そこは薄暗く、照明も少し古びているせいか、人気がなくて隠れ家のような場所だった。生徒の大半は食堂や寮に戻っていて、この時間はほとんど誰も来ない。
机の隅に鞄を置き、深呼吸。今日はいつも以上に気をつけなければならない。
「……よし」
小声で呟きながら、僕はポケットから細い銀のペンを取り出した。魔法陣の補助具――と言っても、正式な器具ではない。ただのメモ用具に魔力を込めて自作した、僕なりの練習道具だ。
机に小さく魔法陣を描き、呪文を唱える。エネルギーの流れをイメージして、息を整える。
……しかし、指先がかすかに震えていた。
「いける……いけるはず……」
次の適性テストに受かるためには、何か結果を出さなきゃいけない。けれど、あの“虹色の魔法”だけは発動させないように、ずっと注意していた。あれが出ると、決まってトラブルが起こる。
ところが――
「……っ」
ふとした瞬間、魔力の流れがいつもと違う方向へねじれた。指先から、ほのかに七色の光がにじみ出てくる。
「まさか……!」
止めようとしたが、遅かった。虹色の光は、机の上にふわりと舞い、まるで小さなオーロラのように揺れながら部屋の空気を震わせた。窓ガラスに反射して、廊下の壁まで照らしてしまう。
「ちがう、これは……こんなはずじゃ……!」
焦りで呪文を止めるが、光はしばらく宙に漂い、やがてふっと消えた――その直後だった。
「そこで何をしているっ!」
扉が勢いよく開いた。
声の主は、魔法理論を担当するカマル先生。厳しい目つきの、学園でも指導に定評のある教師だ。
「……おまえ、今の光は……」
先生は僕を見据えたまま、言葉を切った。その顔に浮かんだのは驚きとも怒りとも違う、どこか戸惑いのような色。
「……まさか、君が……いや……」
僕はその意味を問いただす暇もなく、カマル先生はくるりと背を向け、無言で扉を閉めて去っていった。
「……なんだったんだ、今の……」
残された自習室に、僕の浅い呼吸音だけが響いていた。
【 怪しい補講の招待 】
翌朝、ロッカーを開けた瞬間、僕は思わず手を引っ込めそうになった。
中に見慣れない封筒が入っていたからだ。漆黒の厚紙に、金色の奇妙な紋章が浮き彫りにされている。
触れるとわずかに冷たく、魔力が染み込んでいるような違和感があった。
「なんだ、これ……?」
辺りを気にしつつ、僕は封筒を取り出した。中には、たった一枚の紙。
『補講参加者募集』
それだけのタイトル。だが、下に書かれていた小さな文章が、僕の目を釘付けにした。
『今夜21時。旧校舎・西棟地下室。虹色を持つ者、優先。』
僕は文字通り、息を呑んだ。
虹色――それは、他人に話したことのない、僕だけが知っているはずの異質な魔法。なのに、なぜこの手紙が僕の元に?
「……まさか、昨日の魔法を見ていたのか?」
思い浮かんだのはカマル先生。けれど、彼の態度はまるで無関心だった。あれが演技だったとも思えない。
ふと、ロッカーの奥にもう一枚、小さなメモが貼り付けられているのに気づいた。
『君は、自分の魔法の正体を知るべきだ』
その文字は、古めかしい筆記体で書かれていたが、筆跡には見覚えがなかった。誰かの悪戯か? それとも、これは――。
「……行くべき、なのか?」
もし罠だったら? でも、僕が抱えている疑問――なぜ虹色なのか、なぜそれが誰にも知られていないのか――それを解き明かすヒントがあるのだとしたら。
僕はその封筒を制服の内ポケットに滑り込ませると、心の中でそっと決めた。
行く。たとえ、それが“落第者の部屋”だったとしても。
【 補講教室の正体 】
夜の旧校舎は、まるで別世界だった。
日中のざわめきや灯りがすべて消え、廊下は冷たい石造りの通路のように静まり返っていた。
指定された「西棟地下室」は、普段は生徒が立ち入ることのないエリア。
教師の立ち入りも制限されていると聞いたことがある。
僕は、革靴の音を立てないように歩きながら、心臓の音を抑えようとしていた。
階段を下り、石造りの廊下の先に小さな扉が見える。
「ここか……」
ノブに手をかけた瞬間、空気が変わった。
まるで“見られている”ような、皮膚の下を這う感覚――それでも、僕は扉を押し開けた。
中は、古い講義室のようだった。
木製の机と椅子が整然と並び、その奥に、数人の生徒が座っていた。
皆、一様に俯き、沈黙している。誰も声を発しない。
そして、教壇の前には、ひときわ存在感のある人物が立っていた。
黒ずくめのローブ。深くかぶったフード。顔は影に隠れて見えない。
「君たちは選ばれた。教科書にない魔法を、ここで学ぶことになる」
低く響く声。けれど、不思議と威圧感はなく、どこか静かな情熱を感じさせる語り口だった。
「この学園は君たちを測れない。なぜなら、君たちは“枠外”だからだ。
常識では説明できない魔力。制御不能な魔法。
そして、誰にも教わらずに生まれた力――それが、君たちの資質だ」
言葉が、胸に刺さった。僕の虹色魔法も、まさにそうだ。
「……君は、アレン・グレイだな?」
黒衣の男の声が、僕に向けられた。
一瞬、心臓が止まったような気がした。
どうして名前を……?
「君には、特別な教本を渡す。これは……“虹色使い”専用だ」
男が差し出したのは、革張りの古びた魔法書。
手に取った瞬間、まるで体温が奪われるような冷気が走った。
表紙には、紋章が浮き出るように光っていた。まるで僕を見ているように。
【初めての禁術 】
魔法書のページを開いた瞬間、まるで心の奥に何かが流れ込んでくるような感覚がした。
それは知識とも違う。記憶とも違う。言葉にできない“力の形”だった。
ページには、幾何学模様のような魔法陣、古代文字のような呪文、そして――虹のように滲むインクで書かれた注釈があった。
なぜか、その言葉は読めた。誰にも習っていないはずなのに、意味が、すっと頭に入ってきた。
「君の魔力には“干渉波動”が混ざっている。通常の呪文では制御できない。
だがこの“写しの印”なら、共鳴で導くことができる」
読みながら、指先に自然と魔力が集まってきた。もう、意識せずとも手が動く。
「……試してみるか?」
黒衣の男の声に、僕はうなずいた。
部屋の中央に設置された魔法陣の前に立ち、呪文を唱え始めた。
普段の呪文とまったく違うリズム、抑揚。なのに、体が覚えているように動く。
「写しの印、発動――!」
ドンッ――!
足元の空気が爆ぜ、淡い虹色の光がふわりと立ち上った。
だが、それは暴発ではなかった。
静かに、規則正しく脈打ち、僕の周囲を包み込む。
はじめてだった。虹色の魔法が、こんなにも安定しているのは。
「……できた、のか?」
呟いた僕に、黒衣の男は静かに頷いた。
「君の中にある魔法は、“遺された系譜”だ。今の魔法体系の前に存在したもの。
その記録は、ある時点から封印された。
だが、君の中には……その名残が生きている」
「なぜ僕が……?」
問いかけたが、男は答えなかった。かわりに、こんな言葉を残した。
「次の適性テスト――その場で、すべてを見せてみるといい。
恐れるな。“虹色”は、消えるものではない」
部屋に鐘の音が鳴り響いた。夜の門限の合図だ。
他の生徒たちはぞろぞろと立ち上がり、口をきかずに出て行く。
僕も魔法書を抱えて、最後に扉をくぐった。
……階段を上る足取りは、なぜか少しだけ軽かった。
読んでくださってありがとうございます!
今回はアレンが補講に参加し、初めて“虹色の魔法”を制御できた場面を書けて、私自身もワクワクしました。
次回はいよいよ適性テスト本番。
書く方もドキドキしています。お楽しみに!