マネキン ~寮の三階一番奥の部屋~
今から三十数年前に私が就職した工場には、古めかしい独身寮が二棟建っていた。工場も廃工場の跡地をそのまま利用する形で操業されていた。
私が入社したのは昭和が平成に変る頃だった。二棟ある寮の内使用されていたのは工場に近い方の一棟で、もう一棟は買い取ったままの状態で放置されていた。
高校を卒業して、就職した私は当時十八歳になったばかりだった。同期で十五名入社していたが、女子が五名、男子十名の内高卒六名だった。
新入社員の歓迎会の後、俺達は寮に入っている先輩社員に誘われて、会社の寮に足を踏み入れた。女性社員は歓迎会の後それぞれ帰って行った。男性社員のうち寮に来たのは私と高卒社員二名と大卒社員で寮に入っている大崎さんの四名だった。
三階建ての寮には、一階に八畳ほどの部屋が片側に六部屋ずつあるようだった。二階へ続く階段を上っていく。各階に共用トイレと小学校などにあった共同の手洗い場が設けられていた。廊下を歩いて三つ目の引戸のドアを開けて大崎さんと隣の部屋に入っている山梨さんが部屋に入った。
男ばかりの寮なので覚悟はしていたが、会社のユニホームが脱ぎっぱなしで、万年床になっている壁際にテレビと小さなテーブルが置かれている。テーブルの上には、ビールの空き缶が立てられるだけ立てられていて、テーブルの隙間もなかった。反対の壁際には、一人用の冷蔵庫が置かれていて、コンビニの袋が山盛りに積まれている。
「適当に座って、飲み直しや」
山梨さんはさも自分の部屋のように振舞った。大崎さんは、冷蔵庫から缶ビールを取り出しみんなに配っていく。
「あっちの寮もこっちと同じ造りなんですかね」
コの字型に建てられた寮は、片側だけを社員が使用しており、もう片方は未使用の状態だった。中庭を挟んだ向かいに同じような窓が並んでいる。
私と同じ高卒の島村が山梨さんに聞いた。
「ああ、そうだな。同じように部屋が残っているよ。当時使っていたそのままに」
「当時のまま?」今度は田代が質問した。
「集団就職とかで高卒の若い子が四国や九州から関西圏や関東に就職するのに上京してきてたんやな。この部屋にも二、三人で寝泊まりしていたと思うで。今でも流行の歌手なんかのポスターも貼ったままや」
「見に行かれたんですか」
「昼間に行ったことはある。流石に夜は行かへんで」
「なんか、不気味ですね」島村が身震いする仕草をすると、田代が横から、
「お前怖がりか?これから探検しにいこか」
「ポスター以外には何かあるんですか」
「そうやな、もともと紡績工場やったからか、マネキンがいくつかあったな」
「外注さんの野村さん知ってるか、あの人も平日この寮に泊まってるんやが、夜中に目が覚めて、窓からふと向かいの寮を見たんやて。そしたら、誰か知らない女の人が歩いてたのを見たみたいやで。この会社の寮は男しか入ってないから、女性がいるわけないねん。誰かが規則破って連れ込んだとしても、向かいの寮を女性一人で歩くのおかしいやろ」
「それとな、集団就職で若い子が働くわけや、故郷は遠く帰りたくても帰れない、ホームシックになったりいじめもあったやろ。これは噂やけど、自殺した子もいると思うで。寮の端っこに祠があるの知ってるか。会社の敷地内に祠やで、何を祀ってるんやろな」
「やっぱり、探検に行こうや。面白そうやん。幽霊に出会えるかもしれんで」
田代がみんなの顔を眺めながら、同意を求めてくる。
「島村さん、懐中電灯ありますか。津浪いくぞ」
一番行きたくなさそうにしていた私を田代がせっついてきた。
「えぇ。今からですか。昼間なら見に行ってもいいですけど」
私は声がうあずっているのも気にせずに反対を表明した。
「しゃあないな、皆で行ってみるか。一つは俺が持ってるけど。山梨、お前の部屋に懐中電灯あるか?持ってきてくれ」
大崎さんは、ビールをぐびっと飲み込むと山梨さんに言った。
「あると思いますよ。取ってきます」
酔っているせいか、山梨さんがよろよろと立上り、自分の部屋に入って行った。
私達五人は大崎さんの部屋を出て、廊下に立っていた。大崎さんの懐中電灯を田代が持ち、もう一つは山梨さんが持っている。二つの懐中電灯を持って、まずは一階に降りていく。こちらの寮は、明るいとは言い難いが廊下には明かりが点っている。寮の行き来は一階の食堂の横にある廊下を通って行かなければならなかった。深夜に近い時間の食堂には誰もいるはずもなく、その付近からは、電気が消されている。
二人は懐中電灯のスイッチを入れて、前方を照らす。二つの円が前方を明るく照らしたが、同じ場所を照らしているので、
「同じところ照らすなよ」山梨さんが田代に文句を言って、廊下の先を照らした。
社員が入っている方と同じ造りで、廊下の片方に部屋が六部屋ずつあるようだった。もちろん誰もいるはずもない。一階の一番目の引戸を田代が開けると中を照らしだす。和室の畳の部屋には何もなかった。壁紙が汚れているだけで、ポスターも何も貼られてはいない。
二つ目も三つ目の部屋も何も置かれておらず、奇麗に清掃されていた。
「何か、面白くなくなってきたな」
自分から誘っておいて田代が不満を口に出す。
「幽霊のゆも出てこないじゃん」
五人は一階の端まで行ってから、食堂の横まで戻って来た。二階へ続く階段を上っていく。
二階の廊下に着くと、田代が俺は三階を見てくると言って、島村を引き連れて二人で三階へと向かっていった。
私と山梨さん、大崎さんの三人は先ほどと同じように部屋を見て回る。
「外注さんの野村さんて何階にいるんですか」私は大崎さんに聞く。
「うん、寮の三階やな。なんでや」
「窓から見たんでしょ。その、幽霊とやらを。目覚めて窓から見るとなると、同じ階なのかな何て思ったりして」
「三階の一番奥の部屋だから、野村さん」
大崎さんは部屋に入っていくと向かいの寮を指差す。一階にも二階にもまばらだが電気が点いている部屋がある。同じように歓迎会を引き上げて来た寮生がいるのだろう。二階の三番目、四番目の部屋にも電気が灯っている。大崎さんと山梨さんの部屋だ。三階の一番奥の野村さんの部屋は暗かった。
「今日は週末だから実家に帰ったのかな」
山梨さんが背後で小さな悲鳴を上げた。私が振り向くとそこには昔のアイドルポスターが壁に貼られていた。だいぶん日に焼けていたが、大島さんの言っていた物のようだった。
「あっただろ、ポスター」
その時上の階からもっと大きな叫び声が上がった。島村の叫び声だった。
私達は山梨を先頭にして階段の所に引き返して、三階に向かった。
三階の廊下を照らした先に、廊下に腰を抜かして座り込む島村の姿があった。こちらを向いて一番奥の部屋を指差して、口をパクパクしている島村に三人が走って向かう。
開けられた扉の中を山梨さんが照らすと、こちらを向いて炬燵に座っている髪の長い女性がいた。色白で黒髪の女性がずいぶん昔のファッションで座っていた。
私達三人も叫び声をあげた。私が一番大きかったのは言うまでもない。
「びっくりした。マネキンじゃないか」
大島さんもこの部屋の事を知らなかったのか、叫んだことのテレからか、大きく振りかぶってマネキンの頭を叩くと、首から頭が取れて、畳の上をころころと転がって止まる。髪を巻き付けながら、その顔は私達を見詰めて来た。
「田代は、田代どこ行った」
山梨さんが、部屋を懐中電灯で照らすが田代の姿がない。振り返って島村に聞くと、島村は非常階段の方を指差す。廊下の突き当りに非常階段の扉があり、災害時は外の階段で非難することが出来る。
腰の抜けた島村をその場に残して、非常階段を駆け上がっていく。月明かりに照らされた鉄製の階段を駆け上がる音が深夜の寮に木霊する。
寮の屋上に田代がいた。懐中電灯を持った手は、自分の足元を照らしている。彼は、ふらりふらりと屋上の淵に歩いていく。まるで何かに引き寄せられるように。私は、田代の懐中電灯の明かりを目印に走っていき、間一髪のところで彼の腕を掴んで思いっきり引き寄せた。倒れ込む私の上に彼も倒れてくる。私は、田代を自分の上からどかすのに必死だった。
「何してんだよ、田代」
大島さんが言うと、我に返ったかのようにぼんやりとしていた田代が答える。
「え、僕、どうしてたんですか。何かあったんですか」
「お前覚えてないんかい。津浪が助けてくれなかったら、もう少しでここから飛び降りるとこだったじゃないか」
「女の人の後を付けてきてしまったんですよ。最後の部屋を開けたとたんに、マネキンがあって、島村が叫び出して、それから、非常口に立ってた女性が屋上に向かうのが見えたので、後を付けて来たんです」
その時、皆が女性の叫び声を聞いた。夜の寮に響くその叫び声は、どこか悲しげだった。
翌日の朝、寮の一番奥に当たる部屋の真下に、粉々になったマネキンが一体発見された。
それと、マネキンの頭を取った大島さん、次の日から高熱で一週間会社を休んだそうだ。噂では、マネキンの祟りだとか。
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