彼女の死
「なんて世間では言われているそうですわよ」
「勘弁してよ……」
山間の細い道を進む馬車、ガタゴトと時折小さく揺れるその中で、対面に座るリリンシアンのどことなく悪戯っぽい口調に頭を抱えていたのは、凶刃によって命を落としたとされるメフィーゼンその人だった。
あの惨劇が起きたとされる日からおよそ一カ月の時が過ぎていた。その間に謀略に加担した第二王子派の多くの有力貴族たちの大半は粛清され、彼らの手引きによってエィースト王国へと入り込んでいた暗部を始めとした諜報や連絡を行っていたランスト関係者たちも一斉に摘発され壊滅状態となっていた。
メフィーゼンという英雄、いや女傑が殺害されたこともあって、一連の報復行動は苛烈を極め、第二王子派の中核貴族などは王家の外戚となっていた者たちですら容赦なく捕縛投獄されたほどである。ランスト関係者は言うに及ばずで、王宮に送り付けられたたくさんの首を見たランスト王は、先日の大敗も相まって心がへし折れたとまことしやかに噂されていた。
「さすがにわたくしも神の僕と聞いた時には噴き出しそうになりましたわ。だって、フィーゼには一番似合わなさそうな肩書きなのですもの」
「そこはボクも自覚しているよ。どっちかというと悪魔の手先とかの方が妥当じゃないかな」
親友の軽口に肩をすくめながら同調する。あの事件から始まった一連の流れは、自分でもかなり悪辣だと認識していたので。
「謀略の片棒を担いだ第二王子派の貴族たちは揃いも揃って呆けていたらしいね。まさか自分たちの関与が露見するとは思ってもみなかったんだろうなあ」
「離宮の警備を行っていた者たちの命をことごとく奪っていったほどの手練れ揃いでしたもの。わたくしもフィーゼやあの子たちが居なかったらと考えると背筋が凍りそうになります」
「そのあたりも第二王子派の仕込みだったようだけどね。離宮の管理をしていた侍女や従僕たちを遠ざけることができただけでも良しとするしかないさ」
以上の会話からも分かったかもしれないが、メフィーゼンは襲撃をあらかじめ予想していた。そしてそれに対処するためにリリンシアンと協力して準備を行っていた。その一つがドレスの仮縫いのために当時同じ部屋にいたデザイナーと針子たちである。
表向きはとある高位貴族に気に入られた新進気鋭のデザイナーとその工房の者たちという触書だったが、王立学園時代にメフィーゼンが見出してリリンシアンがパトロンとなった、二人の子飼いの者たちというのが実際のところだった。
ドレスのデザインに針仕事もさることながら、メフィーゼンや師である占い師から手ほどきを受けたことで自身の身を守るどころか要人警護すらもできてしまえるだけの魔法の腕前となっていたのだ。
警護を皆殺しにした暗殺者たちが、同じ室内にいたメフィーゼン以外の誰一人として傷つけることができなかった理由はこれである。もっとも、噂とは異なり目標であったメフィーゼンにも一太刀すら浴びせることはできなかったのだが。
一応補足しておくならば、決してランスト暗部や第二王子派の貴族たちによる計画が杜撰だった訳ではない。それどころか王家や国が派遣していた護衛を殺害しているのだ、戦力的には過剰なほどであったとすら言える。
彼らのミスはただ一つだけ。メフィーゼンの力を把握しきれていなかった、これに尽きる。
もっとも、これが最も致命的な失敗だった訳だが。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「全員リリーを守れ!」
「はいっ!」
メフィーゼンの言葉に、間髪入れずにその指示を全うするために針子たちが動く。
「失礼いたします!」
「え?きゃあ!?」
最も早く彼女の元に辿り着いた数名が彼女の盾となるべくリリンシアンに覆いかぶさると、残りが十重二重に囲み鉄壁の防御を築く。そのあまりにも巧みで素早い動きに、襲撃者たちは意識を吸い寄せられてしまう。
それは一瞬の瞬きにすら達しない刹那のことだった。仮に、この場に居たのが並みの騎士や魔法使いであればその優位は揺らぐことはなかっただろう。それ以上の腕前の者たちをことごとく屠っているのだから当然だ。
しかし、彼らにとって不幸なことに暗殺の対象となっていたのは先の大戦で英雄、いや稀代の女傑として名を馳せることになったメフィーゼンである。そんな彼女がその隙を逃すはずがなかった。
「ハッ!」
掛け声とともに腕を振るうと、空中に生み出されたいくつもの白い小さな球が襲撃者へと殺到する。
指の先ほどの大きさのそれを対処できずに吸い込まれるように体の内側に潜り込まれた数名は、直後に穴という穴から血が吹き出して息絶えていた。
だが、本当に悲惨だったのは手にした凶器を振るうだけの実力を持ち合わせていた者たちである。白い球は斬り裂かれると同時に獄炎と変わり猛威を振るったのだ。表面どころかその芯まで焼き尽くした後に残ったのは真っ黒な人型のなにかだった。それもすぐに崩れ落ちると、焦げた床の上で一塊の残滓となってしまう。
余談だが、針子たちがリリンシアンに覆いかぶさったのは、彼女にこの光景を見せないためでもあった。
結局、この初回の迎撃だけで十名近い襲撃者が死亡することになる。内なる警鐘に従って辛うじて白い球を避けることができたのは、わずか四人だけだった。
ここに至って彼らはようやくメフィーゼンの隔絶した実力を理解することになる。第二王子派の貴族たちからもたらされた情報を鵜呑みにしてしまったことを悔いたが、それと同時に正確な強さを把握できていたとしても、それを乗り越えることはできなかっただろうと、ある種諦めの境地に達していた。
辛うじて可能性があるとすればリリンシアンを人質に取ることだったのだろうが、当の彼女はどこからかき集めたのか凄腕の魔法使いたちによって守られている。人数が減った今、その防御を突破するのは至難の業となるだろう。
しかも、その間は最大戦力であるメフィーゼンを自由にさせることになるのだ。もはや完全に勝ち目のない無謀な挑戦でしかない。
「これ以上は戦うだけ無駄だ。お前たちの手引きをした者たちの情報をすべて明け渡すこと、そして今後一切エィースト王国にかかわらないと誓うのであれば、命を取ることまではしない」
「……………………」
投降を呼びかけてみたが、返ってきたのは無言だった。すなわち拒否である。
もっともこれは予想通りであった。対象の殺害に失敗した暗部になど価値はなく、一度潰えた信用を取り戻すことはできないからだ。
「生き残りが居た方が背後関係やら色々と調べるのが楽になるかと思ったんだけど、まあいいか。第二王子派の連中が怪しい動きをしていたことは分かっているしね」
そう呟くも、メフィーゼンが投降を勧めた一番の理由はリリンシアンに凄惨な殺害の様子を見せたくなかったためである。彼我の強さは隔絶していたが、それでも一国の闇を担う一団の手練れたちだ。さしもの彼女でも勝ち方に拘れる余裕はなかった。
「残念だけれど末期を汚すことを良しとしない気持ちはボクにも理解できるつもりだ。さあ、かかってくるがいい!」
傍らに立てかけられていた短杖を手にしてメフィーゼンが吠える。その杖こそが彼女を『破滅の魔導士』たらしめた魔法の触媒にして相棒。それを手にしたことにより襲撃者たちの勝機は完全に潰えることとなった。
……はずであった。
「なんだって!?」
ここにきて初めてメフィーゼンの口から驚愕する言葉が飛び出した。なぜなら生き残った暗殺者たちは彼女だけでなく、体を張ってリリンシアンに覆いかぶさるようにして彼女を守る針子たちに向かうという、二手に分かれて動き始めたからだ。
繰り返しになるが、メフィーゼンの力量は暗殺者集団が束になったところで害することができないほどに突出していた。ゆえに数を減らすことなど自殺行為でしかない。
また、リリンシアンであればともかく針子をいくら殺害したところで暗殺者たち、ひいてはランスト王国にとっては何の意味もないどころか余計な血を流したことでエィースト側に悪感情を植え付けるだけの悪手でしかない。
にもかかわらず襲撃者たちは暴挙に出た。メフィーゼンの冷静な部分が辛うじて陽動であることを見抜く。そして自身が声を発してしまったことで、その策が効果を発揮してしまっていることも理解してしまう。
いつの間にか、針子であろうともこの場にいる者たちの中から犠牲者を出すことを良しとしないことが読まれていたのである。「どうして知られてしまったのか?」という驚き、「すぐにでも対処しなければ!」という焦りが彼女から冷静さを奪っていく。
「させない!」
気が付けば、針子たちへと向かう暗殺者の背中に向かって氷結の魔法が放たれていた。狙いを能わす命中した魔法は局所的な猛吹雪となり人型の氷像を生み出していた。
「ぐっ!?」
その一方、無防備となったメフィーゼンの左胸には深々と凶刃が突き立っていた。
仮縫い途中の純白のドレスが赤く染まっていく。致命傷の手ごたえを感じ取ったのか、数を減らした暗殺者たちは即座に反転して部屋から逃げ去って行ったのだった。
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