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2-7・申し訳、ありません……っ

「……ノクス」


 アリシアの声も耳に入っていないのか、ノクスは底冷えのするまなざしでワーウルフを睥睨へいげいしたままだ。首を締め上げている黒鞭を乱暴に引き寄せて仰向けに倒すと、ワーウルフの眉間に刺さったままのダガーを踏み抜く勢いで更に深くめり込ませた。


 短い呻き声と共に、ノクスの足元でワーウルフの体がびくんと跳ねる。それでもまだ絶命しないワーウルフを、ノクスは汚物を見るような目で見下ろしていた。


 まるで知らない男が目の前にいるようだ。

 いつもアリシアに向けている冷ややかな視線の比ではない。表情も動作も冷静に見えるのに、眼鏡の奥に隠れたネイビーブルーは底の見えない深淵のように光も熱も、憐れみもない。ただひとつ、肌が総毛立つほどに感じるのは怒りだ。


 ワーウルフに襲われた時も恐ろしかったが、それ以上にノクスの纏う気配のほうが重く、隙がなく、息苦しい。

 けれどその押し潰されそうな威圧感は、ノクスのネイビーブルーがアリシアを捉えたことで一気に霧散した。魔物に対する憎悪から一転、アリシアの無事を確認したノクスから鋭利さが剥がれ落ち、執事としてではないただの幼馴染みとしての表情が浮かび上がる。

 それでも最後の一線は越えぬまま、ノクスは「お嬢様」とそう呼んで、アリシアの体を力尽くで抱きしめた。


「申し訳、ありません……っ」


 細いわりにノクスの両腕はがっちりとアリシアを閉じ込めて痛いくらいだ。頬を押し付ける形となったノクスの胸の奥では、驚くほどに心臓が早鐘を打っている。体を抱きしめる両腕もわずかに震えているような気がして、アリシアは心配ないと告げるようにノクスの背中へ回した手にぎゅっと力を込めた。


「大丈夫……。大丈夫よ、ノクス。助けてくれてありがとう。……心配かけてごめんなさい」

「無事で……」


 よかった……と、ひとり言のようにそう声を漏らすと、ほうっと安堵の息をこぼしてノクスがわずかに腕の力を弱めた。近い距離で見つめ合うノクスのネイビーブルーは、眼鏡越しに見てもわかるほどにやさしい色をしている。そのやわらかな視線と、体を包むぬくもりにアリシアもようやく安心することができたのか、気付けば再びノクスに甘えるように抱きついてしまった。

 けれどノクスはその手を離したりはしない。アリシアが落ち着くまで、もしくはノクス自身もそうなのかもしれない。二人はしばらくのあいだ、互いの熱を感じあうことで心を落ち着かせていく。


「……傷だらけですね。早く屋敷へ戻って手当てしましょう」

「ウィルとレオナルドが助けてくれたの。二人はどこ……」


 辺りを見回せば、すぐさまウィルが木の影から飛んできた。


「お姉ちゃぁん……無事でよかったよぅ。ぐす……こわ、こわかったねぇ」

「ウィル。あなたも無事でよかったわ。一生懸命助けてくれてありがとう」

「うん……僕、がんばったよ」


 アリシアの膝の上でぐしぐしと泣くウィルの炎に照らされて、ノクスのそばでもぞりと動く何かが見える。それは片足を引きずりながらようやくそばまで近付くと、ひしっと音が聞こえそうなくらい強くノクスの足にしがみ付いた。


「おぉ……ぉ……ノ、ノクス殿。私にも労いの言葉を……。もうこれが最期になるやも、しれません」

「レオナルド」


 ノクスがレオナルドを優しく両手に乗せてやると、噛み付かれたほうの足が千切れかかっているのがわかった。血こそ出ていないが、傷は決して浅くはない。


「あなたたちが足止めしてくれたおかげで追いつくことができました。レオナルド、ウィル、感謝します」

「ノクス殿がやさしい……っ。~~~~ンンンッ、本望!」


 心なしか頬を赤らめたレオナルドが、ノクスの手のひらの上で卒倒してしまった。そのまま動かなくなったので、本当に死んでしまったのかと青ざめたアリシアに、ノクスが心配ないと呆れたように微笑んでみせる。


「彼は植物です。綺麗な水につけてやりさえすれば、また元気に復活するでしょう」

「そう……。それならよかった」


 ほっと胸を撫で下ろしていると、奥の方から草を踏み分けて近付く足跡がして、フレッドとケット・シーが姿を現した。

 真っ先にアリシアの無事を確認して、フレッドは腰が抜けたようにその場に座り込んでしまった。ワーウルフ討伐の疲労が蓄積しているところに、アリシアを追って走ってきてくれたのだ。息は上がっているし、額にはうっすらと汗も滲み出ている。


「無事でよかった。お前までいなくなるかと……」

「心配かけてごめんなさい」


 ノクスに手を引かれて立ち上がり、体の無事を自分でも確認する。服は汚れてぼろぼろだし、擦り傷と打撲だらけの体はどこもかしこも痛かったが、幸いにも大きな傷は受けていないようだった。


「血が出ておるぞ」


 アリシアの足首に頭を擦り付けてきたケット・シーが、黒いヒゲを揺らしながらぴすぴすと鼻を動かしている。確かに擦りむいた箇所からはうっすらと血が滲み出ていたが、帰宅後にしっかり洗って消毒すれば問題ないだろう。

 しかしケット・シーの懸念は、どうやら傷の大きさではないようだった。しきりにアリシアのにおいを嗅いだかと思えば、今度は落ち着きなくぐるぐると辺りを歩いて周囲の様子を窺っている。


「わずかなニオイでも、獣の魔物は鼻が利く。用が済んだのなら早めに立ち去るほうがよかろうな」


 ケット・シーが何を警戒しているのか、その意味を真に理解したのはどうやらノクスだけだったようだ。手のひらの上で気絶しているレオナルドをフレッドに預けると、そのまま今度はアリシアのほうへ近付いて有無を言わさずその体を両腕に抱き上げた。


「ノクス!? ひとりで歩けるわ」

「時間が惜しいので我慢してください」

「でも……」


 フレッドたちが見ている前で、いわゆるお姫様抱っこをされるのはさすがに恥ずかしい。前みたいに肩に担がれるよりはマシだが、うれしい気持ちと恥ずかしさがいっぺんに押し寄せてきてアリシアの体が一気に熱を持つ。


「フレッド。すみませんが、()()に刺さっているダガーを抜いてきてください。死体には不要でしょうから」

「マンドラゴラにダガーまで……俺はお前の荷物持ちじゃねぇぞ」

「誰のおかげで、いま息をしていられるとお思いですか?」

「ったく、冗談の通じねぇ奴」


 そうぼやきつつ、ワーウルフに突き刺さったままのダガーを引き抜こうと、フレッドが柄に手をかける。よほど深く刺さっているのか、少しの力で引いてもダガーはぴくとも動かない。


「お前、なんっつう馬鹿力だよ。めり込んでんぞ!」

「急ぎでしたので」

「そりゃそうだが……っ、取れた!」


 ダガーが抜けた拍子に、ワーウルフの体がびくんっと大きく痙攣した。完全に死んでいなかったのか、ピクピクと四肢を震わせながらゆっくりと頭をアリシアのほうへ傾ける。起き上がる力はないようで、ワーウルフは口から泡を吹きながら何かをしきりに呟いていた。


「……メ……」


 すっかり毒の回った顔は土色にくすんでいて、なのにアリシアを凝視する赤い目は死に際とは思えないほど爛々《らんらん》と輝いていた。


「……バラ、ノ……ハナ……ヨメ」


 アリシアを指差してはっきりと呟いたワーウルフは、ニタリと不気味に笑ったまま今度こそ完全に絶命した。








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