ある幕間
【注意】
このお話はキリンさんの“髪結いの魔女”本編のネタバレが入っております。
先に以下のリンクから“髪結いの魔女”本編を読んでから見るようにお願いします。
↓キリンさんの“髪結いの魔女”本編↓
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どんなに救いようのない者でも心はある。
心のない人間というのはどこにも存在しない。
性格がゴミクズであるというのならば……
それはただ心が腐っているだけな事だ。
牢獄。
みすぼらしい格好で横たわっている一人の男。
「クソッタレ、クソッタレ、クソッタレ!!」
地団駄を踏んで怒りを撒き散らす。
牢獄の似合う悪人面。血の気の引いた白い肌とは対照的な黒い髭。にんにくのような鼻をぶるりと震えさせながら大きく息を吐く。
「シエル……あの女が、この私を…私をぉぉぉぉ!!!!」
血管を浮かび上がらせながら怨念を吐きに吐き出す。
この男は、悪名を馳せたセイレム教の大司教エンザイ。
王国の第二王女シエル・ニーベルンゲンを侮辱、脅迫した罪で大司教の職を剥奪、投獄、絶賛服役中であった。
「クソ!!クソ!!」
彼は怒りで顔を歪めている。元々不細工な顔がさらに醜くなる。
元を辿れば、自業自得なのだがそれを諭させる余地はない。
何せ、王位を継承するはずがなかった女王の妹の分際で自身を牢にぶち込んだのだ。
無駄にプライドの高い彼にとって甚だ憤慨であった。
いや、それだけじゃない。
その横にいたロゼッタとかいう田舎娘の魔女も不愉快だ。
アイツが、自分を辱めた。神の御身の下に在る自分を安易と辱めたのだ!!
ああ、不愉快!!不愉快!!
「おい、うるさいぞ!!ギャーギャー叫んでおちおち寝られないだろ!!」
隣の男は空の瓶をエンザイに投げつける。
「何をするんだ、ヤーブ!!」
ヤーブと言われた身体の大きな男は目を三角にしながらエンザイに近寄る。
ヤーブもまた、シエルによって捕まった一人。
エンザイと同じく彼女に怨みを抱いている。
彼の身体には火傷が半分を占めており見ていて痛々しい。
それでも、エンザイはヤーブを殴っていたのだが。
「やったな」
「お前こそ」
「この野郎」
「このっ、このっ!!」
ポカポカと互いに互いを殴る。目にぶつかっても歯が折れても
もみくちゃになって疲れてへとへとになるまで止めなかった。
「なぁ」とエンザイ。
「私と手を組んで、脱獄しないか?」
「なに?」
突然のエンザイの発言に困惑するヤーブ。
「どういう風の吹き回しだ」
その問いにエンザイは粘ついた笑みを浮かべながら答える。
「奇しくも私達はシエル・ニーベルンゲンに捕えられた者同士。ここで手を取り合えば、脱獄はおろかあの憎き第二王女に復讐まで出来る……」
「……なるほどな」
互いに下衆な笑みを浮かべて顔を見合わせている。
「それでお前に考えはあるのか、エンザイ」
「……勿論。そうでもなければこんな事は言うまいよ」
さっきまでヒステリックだったエンザイが落ち着いた顔でニヤリと口角を上げる。
彼は石壁をまさぐり、壁の一区画を外す。
するとそこにはツルハシと共に浅い穴が掘られていた。
「なっ、これは……!?」
「お前が捕まる前に私が少しずつ掘っていたのだ。だが看守の目は厳しい。これ以上はダメだと諦めていた。しかしお前が新たに来てくれたおかげで糸口が再び見えた」
彼の計画はこうだった。
牢獄の壁をくり抜き、くり抜いた壁の穴に石盤を置き、その穴を掘り進めて外に出るというもの。
「……普通だな」
白々しい目で見てきたヤーブのコメント。
「派手にやったところでリスクが増えるばかりだろ!!」
そう言われてヤーブは肩をすくめながら渋々と頷いた。
「だが、何か掘るものとかはないのか?看守が来たらどうする?」
エンザイは……ただその不細工な顔を意味ありげに歪めた。
コツコツと、石畳の上を叩く足音。
毎日、昼と夕方に見回りに来る看守である。
「ん、何をしている」
牢の向こうではエンザイが祈っていた。
膝をつき、窓というには小さすぎる隙間に向かって何かを呟いている。
看守に気づいたエンザイは振り向いて、
「あぁ、失礼。教団を追われた身であろうとセイレム神の信仰を絶やすわけにはいかないと思いまして……」
「そうか?でもお前昨日までは祈るなどやっていなかっただろ」
「いえ。今朝、日が昇ると共に突如、私の耳に歌が聞こえたのです。これはセイレム神の御言葉に違いない。やっと神が私に罰を与えたのだと」
「お、おう……何だか分からないが……心を改めるつもりという事か……?」
「ええ、そうです!!今こそ罪を贖うと決めたのです!!」
「な、なるほど……あれ、もう一人は……?」
「それは……私がセイレム神の為の供物にいたしました……」
「な…!?お前刃物を持って?!」
「いえ、神の起こした奇蹟によって彼は消えたのです。ご覧の通り、血の痕など一つもないでしょう?」
(ははぁ、なるほど)
石壁の向こうでヤーブはツルハシを使って穴を掘り進めながら、二人のやりとりを聞いていた。
要は、ヤーブを殺した体で話を進めるらしい。
しかし、セイレム神というのはよく分からないがよく贄を捧げるとかいう野蛮な行為が出来るものだ。
“集まった土は夜に隙間窓から捨てろ。外がどうであれ気づくヤツはいるまい”とエンザイは言っているが流石に大量の土を外に捨てるのはまずいのではと思うヤーブ。
まぁそれでも脱獄によって夢が広がるというのは良いことなのだが。
二人はそうやって看守を騙して脱獄の準備を順調に刻刻と進めていた。
そして数ヶ月が過ぎて。
穴はすでに掘り進めてもうすぐ、地表に辿り着くところまでいっている。
あと少し、あと少しで元の世界へ——
「ヤーブ、調子はどうだ?」
エンザイは痩せ細ってはいたもののその瞳と醜悪な顔は健在であった。
「土の感触からしてあとナンボか掘り進めれば外に出られる」
対してヤーブはピッケルを振り続けた影響か、元々大きかった身体がさらに隆々としていた。
「あぁ、そうか。もう少しだ。もう少しで」
「もう少しで出られる」
二人は互いに下衆な笑みを浮かべる。
ヤーブはまた、土を掘る。
(脱獄したら村に戻って、美味いモン食って……)
そんな事を考えて、
ふとある事を思う。
——何が残された?
何も残っていない。
見せかけだった権力も医者としての知識も信頼もないままでどう生きていくのだろう。
あのエンザイだってそうだ。
前はセイレム教の大司教だと聞く。
しかし、権力の失墜とともに獄中で過ごした後の人生より遥かに過酷な老い先が待っている。
あんな下衆な顔をしていてもそれぐらいは分かっているだろう。
だから“復讐”などという無意味なものを求める事で自分の人生を肯定しようとしているのではないだろうか。
ヤーブのツルハシを振る手が止まる。
あの王女は正しい事をしたのか?魔女は本当に邪悪なのか?
強引な行動は理解しがたかったが、彼女にはそれなりに自分の人生を生きようとしていたのではないだろうか。
あの魔女だって、王女の為に身を尽くそうと思っていたのではないか?
そうこう思っている内に上から何か音がした。
「何——んだよ! バカ——ぁあああああっっっヅヅヅッ!!!!!」
幼い少女の悲痛な叫び声。
或いは怒りの咆哮。
しかし、その声は芯が通っていて一途に“何か”を守ろうとしている。
そんな気がしてならない。
その声を聞いた時、あの時の少年を思い出した。
『なぁ、ヤーブさん。ホントに母ちゃんは治るのか?』
固いベッドの上で荒い呼吸を繰り返す母親。
『母ちゃん……』
それを見て、涙ぐむ少年。
(……)
正直、何も思わなかった訳ではない。
それでも見放した。金を優先した。
「……チッ、この期に及んでやる気が失せちまった」
掘りかけの穴蔵の中で一人うずくまる。
火傷の痕が少しヒリヒリと痛んだ気がした。
一方、エンザイは祈り続けていた。
前まではシエル・ニーベルンゲンの恨み辛み、邪念ばかりだったが、今は違っていた。
(……)
例えるならば、沈黙。それだけ。
復讐心などはもう既に消えていた。
すると、祈り続けているエンザイの横で石壁が開き、ヤーブが現れる。
「ヤーブ!!どうした!?」
「なぁ、脱獄なんて辞めないか?」
「……っ!?気が狂ったのか!?」
「いや、狂ってはない。むしろ綺麗だ」
「なら、どうして!?」
「やっぱり償おうと思ってよ。今の今まで腐ってたんだ。ここで脱獄なんざしても腐りっぱなしで死にたくねえと思ってよ」
「ぐぐぐ……!!」
「エンザイ。お前も分かってるんだろ?復讐なんて身のためにならないって。また間違いを繰り返すつもりか?」
「……」
エンザイは、何も言えなかった。
全てが的を射ていたのだ。
とっくに分かっていた。復讐なんて情けないものだと。
もし脱獄したとしてこのままでは生きられないと。
「諦めて、罪を償った方がいい。そしてこの牢獄を出た時に新たな人生を歩めばいいんだ」
ヤーブの言葉にエンザイは少し考えて。
「ああ、お前の言う通りだよ、ヤーブ」
その直後、看守が二人の檻の前で止まり何やらガチャガチャと錠前をいじっている。
ガチャリ鍵が開いた音がする。
不審に思ったエンザイが看守に話しかける。
「悪いが、脱獄の手伝いは要らないのだが……」
しかし看守は不思議そうに彼らを見て困惑した表情を浮かべる。
「脱獄?何言ってるんだ。お前たちは今日で釈放だ」
「「……え?」」
「え?」
看守と見つめ合う二人。
「今、何を?」
「いや、だから……お前たちは釈放だ。しゃ・く・ほ・う」
それでも首を傾げるばかりの二人。
「なぜ、今になって釈放を?」
「ああ、そうか。お前たちは知らないのか。シエル・ニーベルンゲン第二王女がお亡くなりになられた」
「……何?」
シエル第二王女といえばあの、気丈でエンザイにビンタし、ヤーブを睨みつけた、二人の憎悪の元のあの少女……
「どうやら魔女に殺されたらしくてな……やはり魔女というのは悪、忌むべき災厄なんだな」
「魔女……?」
まさかあの隣にいた燃えるような赤髪のあの女?
そんなはずがあるか。
少なくとも、シエルを利用している素振りは一切なかったのだが。
「それで、お前たちはシエル第二王女の手によって投獄されたのだろう?今になっては何も意味がないからお前たちは釈放って訳。分かったなら、ほら出ていった出ていった」
鬱陶しそうに手を振る看守と呆然とする二人。
こうして二人はひっそりと元の世界へと帰っていった。
その後に彼らが何をしているのかは分からない。
ただ一つ分かる事と言えば、彼らは二度と悪に染まらなかったという事ぐらいだろう。
とある場所で
「せんせー“まじょ”っているのー?」
「魔女ですか……それはいます」
「“まじょ”って、わるいひとなの?」
「そうですね……私は嫌いですが、決して悪い人ばかりではないと思いますね。ええ」
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キリンさんの「髪結いの魔女」本編もよろしくお願いします