第26話
その日、学校で。
俺はふとした拍子に違和感を感じた。
授業と授業の合間の休み。トイレに行って帰ってくる際、自席の脇に消しゴムが落ちているのに気がつく。
黒い消しゴムだ。俺は白MONO派なので、俺のものではない。落ちている角度的に、まず間違いなく坂巻のものだろう。
頭の中に、拾ったところで「触るなよ」みたいな視線を向けられ、恩を仇で返されるであろうビジョンが浮かぶ。
普段であれば拾うこともなくスルー、が基本だが。今回はそうもいかなかった。
自席の椅子を引くのに、消しゴムが邪魔だ。しかも件の坂巻は、次の国語で提出する作文課題を、今、死に物狂いでやっている。
嫌味ったらしい小言がうるさい、おばさん教師の課題。やってきていないとバレれば、授業で立たされ、晒されるかもしれない。
それをわかっていながら、何故やってこないんだ、というのが素直な感想だ。
しかもあの課題。結構厄介だった。与えられた長文を簡潔にまとめるもので、字数制限がシビア。残り五分の休み時間では、到底終わるわけがない。
消しゴムを拾う時間すら惜しい気持ちは、よくわかる。
(はぁ。仕方ないなぁ……)
「うげ」とした視線を向けられるのを覚悟で、消しゴムを拾いあげる。
「坂巻、落としたよ」
声をかけると、坂巻がハッと肩をびくつかせた。
驚いたように目を見開き、俺の眼鏡の奥に視線を合わせる。
「えっ。あっ。ありがとう……」
(!?)
衝撃が走った。
坂巻が。俺に。視線を合わせて礼を言う……だと……?
しかも、手の上の消しゴムをパッと掻っ攫われるでもなく、ちょこん、と丁寧に摘んで受け取っている。なんていうしおらしさだ。放課後はゲリラ雷雨か?
(……怪しい)
なんとなくだが、今日の坂巻はどこかおかしい。
まさか。俺が『真壁』だとバレた?
だとすれば、どうして声をかけてこない。
あれだけお前が盛り上がっている『アイス屋のゆきくん』が、後ろの席にいるんだぞ?
今朝だって、仲良しグループの河野たちに、先日のデートの件(証明写真機に逃げ込んだハプニングを除いた部分)を、きゃあきゃあ言いながら報告していたというのに。
聞いていて、こっちが恥ずかしくなるのを抑えるのに大変だった。
こちとら、「も。ほんと。ジェラート食べる姿が可愛すぎて! スプーン咥えたままボーっとしてるの! ギャップ萌えで!」とか言われても、いつもどおりに能面ヅラしなきゃならないんだからな。
(……うーん……)
本人を前にして、あそこまで丸聞こえで会話してるんだ。
勘づいたわけではない……のか?
俺は、ちょっと試してみることにした。
次の国語の授業。
坂巻から渡されるプリントを、わざと手が触れるように受け取る。
触れた瞬間。ぴく、と反応しただけで、睨まれることはない。
思いのほかあっさりとしている。塩対応、とも言える。
体育の後。
近々行われる体育祭の種目発表を受け、クラス内は「何に出るか」で持ちきりだ。
体育祭の種目は、生徒が己の希望に沿って決めることができるが、種目毎の人数には規定がある。
我先にと強いメンバーを募る者や、友人同士で組みたがる者……
他者と関わりの少ない俺には関係のない話だが、自席に戻るついでに、立ち話している坂巻に声をかけてみる。
「坂巻は、何に出るの?」
意図的に。耳元付近でこしょ、と囁くように聞いてみた。周囲に怪しまれない程度の、適度な距離感を保ちつつ。でも、気持ち息を多めにして囁いた。ASMRっぽく。
「んっ……ふぁっ!?」
坂巻は驚いて飛び上がった。耳まで真っ赤だ。
へー。坂巻、耳弱いんだぁ。……エロいな。
心なしか潤んだ、大きな瞳がこちらを向く。
「な、なんだっていい、じゃん……!? ま、まま、真壁には関係ないっしょ!?」
(こいつ……?)
「関係ない」とは言われたが、先のウィスパーには言及されなかった。もっと嫌がるとか、「セクハラ!」とか言ってキレられると思ったのに。
(うーん……やはり、知っているのか?)
俺が、『アイス屋のゆきくん』だと。




