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お父さんの日記

──────────────


どうすればいいのか。

多恵(たえ)がいなくなって、私はどうやって生きていけばいいのだろうか。

一瞬だった。病院に運ばれて、私がそこに駆けつけてからすぐだった。

すぐに息を引き取った。

瑞樹は、きっと私のこと恨んでいるだろう。

その場に連れて行かなくて。

最後に見た多恵の顔が、瑞樹にとっては朝の「行ってきます」の時だった。

事故のことを伝えた時の、あの瑞樹の悲痛な顔を思い出すたびに、後悔の波が私を苛ませる。

瑞樹になんと声をかければいいのか。

今も、うめき声に似た何かが瑞樹の部屋から聞こえてくる。

心臓が痛む。瑞樹。ごめん。本当にごめん。

私があの時、仕事をしていなければ、多恵の事故を防げたかもしれない。

今朝、もっと話しかけていれば変わったかもしれない。


多恵の言葉。

息を引き取る前に、言った言葉。

かすれた声で、私に訴えかけるあの言葉。


私がいなくなったら瑞樹が悲しむから、瑞樹にもあなたにも寄り添ってくれるような、新しい人を見つけて。愛してる。


聞き取りに難かったけど、確かにそう言っていた。

だけど、そのあとすぐだった。

最後の力を振り絞ってまで、そう言ってくれた。

多恵にとって、そこまで大事なことだったのだ。

できるのだろうか。

私に、お前のことを忘れることなどできるのだろうか。


──────────────


 そういう内容だった。

 日記。というより、独白に近い感じだった。

 途中から、書きなぐったように、紙もぐしゃぐしゃだ。


 多恵っていうのは、死んだお母さんのことだよね。


 ……これ、って。

 お姉ちゃんに、見せた方がいいのかな。


 日記には、まだ続きがある。

 日付はいくらか飛んでいた。

 適当なところを開いて、また目を通してみる。


──────────────


多恵。


見つけたかもしれない。

同じ職場の人だ。

明るい人だ。

心優しい人だ。

この人なら、瑞樹も満足してくれるだろう。


──────────────


 これだけだった。

 お母さんのことかな。


 お父さん。

 ……お姉ちゃんのことも、前の奥さんのこともすごく大事に思ってる。

 文章から、それがにじみ出ている。


 また、ページをパラパラとめくる。


──────────────


多恵。


瑞樹は、どう思うだろうか。

私が再婚すると言ったら喜んでくれるだろうか。

新しい母さんに、満足してくれるだろうか。


今から瑞樹にこのことを伝えに行こうと思う。

多恵も応援していてくれ。


──────────────


 ……。

 結果は、お姉ちゃんに嫌われることになったのか。

 無意識にまたページをめくる。


──────────────


多恵!


瑞樹が。瑞樹が。

学校に行くようになった!

楓ちゃんが来てから、瑞樹が少し明るくなった。

部屋から出て顔を合わせてくれるようになった。

会話はしてくれないけど、本当に良かった。

話しかけてくれなくても、少しずつ変わっている瑞樹が見れて、私は今すごく幸せなのだろう。

ともかく。本当に良かった。


──────────────


 ここが、文字が書いている最後のページだった。


 やはり、お姉ちゃんはお父さんに誤解している節がある。

 ……よし。今からこれを見せに行こう。


 と、本来の目的も忘れて部屋のドアへと──


 ──ガチャ。


 向かおうとした。けれど。

 ドアが誰かに開かれる。


「ど、どうも」


 冷や汗が出た。

 目の前にいたのは、お父さんだったから。


 私は咄嗟に、持っていた日記を後ろにさっと隠す。


「あぁ。楓ちゃんか。……それ、見たのか」


 ば、ばれてる。


「い、いい、いやぁ」

「そんな隠す必要もないよ。……ただ、それは、瑞樹に見せないでくれ。……私が、自分から瑞樹に見せるつもりだから。すまんが、今は元の場所に戻していれくれないか」


 お父さんは悲しげに微笑むと、私の横を通り過ぎ、クローゼットからネクタイを取り出してそそくさと退出した。


 いいお父さんだなぁ。

 と、しみじみ感じた。

 この人が、私のお父さんになってくれて良かった。


 だけど不意に、

 私の中の、思い出したくないことが頭をよぎる。

 ……でも。


 この人なら、きっと。不倫なんてしないだろう。

 そもそも、私はあの人のこと信用してなかったし。

 数年間ずっと不倫とか、まじでクソ人間だと思う。

 お母さんはちょっと、人のこと信用しすぎ。

 お前の苗字が欲しいとか言われて、プロポーズされたらしい。

 そりゃ、信じちゃうかもしれないけどさ。

 ……まぁ、今こんなこと考えたって、嫌な気分になるだけだ。

 今は、お姉ちゃんがいる。新しい良いお父さんがいる。

 それで、私はとても満足している。


 それだけ考えて、

 思い出したくないその思い出を、また頭の中にしまう。

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