第一部 6
「だからさ、鈴ちゃん、こんなとこで何してんだよ!」
僕らが二件目のアパートに着いて、中を見せてもらおうと、僕は鈴子をアパートの前に残し、大家さんを呼びに行った。
歩いてちょっとの所にある大家さんの家から、大家さんを連れて、鈴子が待っている所に近づいて行くと、男の苛立った声が聞こえてきた。
見ると鈴子とガタイのいい日に焼けた男が、大声上げてやり合っていた。ウェットスーツを着込んで自転車に乗っているそいつ。自転車にはサーフボードを載せる器具が着いていた。
僕はそんな二人を目の前に、唖然として棒立ちになる。
「今日は、用があるんだ。ごめんねっ。」
「みんな待ってんだぞ。今日のこと、ずっと前から話してたじゃんかよ。」
「だから今日は行けないって、友君に言っておいたんだけど。」
「ああ、確かに友のヤツはそう言ってた。」
「じゃあ・・。」
「だってよー、みんな、鈴ちゃん来るの楽しみにしてたのに。おまえのせいで、折角のミーティングがしらけまくりだぞ。」
「・・・ごめん・・・。」
聞いていると、どうもそいつは、鈴子と何か約束していたみたいだった。ここにいるのは、買出しかなんかでたまたまここを通って、鈴子の姿を見つけたかららしい。
「だから、行こうぜって!」
「そんなあ、無茶言わないでよ!!」
その男は頑なに断る鈴子に詰め寄る。
「ここからだったら、すぐなんだからさー。」
「今日は本当にダメなの。ごめん!」
鈴子がそう言って男と両手で押し返した瞬間、空気が固まった。
「お、おま、・・・なんだ、この指輪?!」
自分の胸を押している、鈴子の手を見て言葉を失う。そして、そいつは鈴子の左手を捕まえた。
「ちょっと、やめて・・・。」
その男が鈴子の手を捻り上げた形になる。そいつは鈴子の左手の薬指にある、指輪をじっと見つめていた。僕はハッとして、鈴子と男の間に飛び込んでいった。
「おい!! あんた、何だよ、嫌がってんじゃんかよ!」
そのサーファーは、キッとこっちを睨んだ。
「なんだって、おまえこそ何だよ!」
「僕か?」
「ああ!」
僕は一つカタツバを飲み下して、腹の底から宣言した。
「僕はこの娘の・・・婚約者だ。」
「な、なに?!」
言っている意味が分からないって顔。
「だから、婚・約・者だ!!」
「ああ?!」
思わず手を緩め、目を点にして呆然と立つそいつ。その隙に、鈴子は僕の後ろの隠れた。
「おい、鈴子、こいつの言ってる事・・・。」
助けを求めるような顔をするその男に、鈴子は畳み掛けた。
「本当だよ。わたし、・・・・下村さんと結婚する!」
そう言うとハッとして、そのお兄ちゃんの顔から、血の気が失せた。
「まじ、・・・・嘘だろ・・・・。」
・・・嘘と言ってくれ・・・
懇願のような、また、うわ言の様な一言。しばらく目を見開いて、固まってしまった。鈴子は僕の後ろから、じっとそいつを睨みつけているようだった。
「マジ・・・なの・・かよ・・・。」
コクンと頷くのが、僕の肩に伝わってきた。しばらく凍りついた空気が辺りを包む。
春独特の生暖かい風が吹く。
嫌な静寂が僕らを包み、その風の音が奇妙に耳につく。
固まって色を失ったサーファーの顔。
今まで、振られるのがラブストーリの中で僕の役柄…。そいつの顔を眺めながら、僕はかつての自分と重なって、複雑な思いを抱いていた。
いくら時間を置いても、事態が変わらない…。そいつはそう思ったようだった。とうとう諦めて、ふらつく足で自転車に乗り、どこかに行ってしまった。
シュンシュン・・・・
背中からむせび泣く声が聞こえた。
「天原・・・・さん?」
振り返って僕の後ろで泣いている、鈴子の顔を覗く。彼女は両手の平で顔を隠して、顔を見せようとしない。そんな僕らを、例の大家さんが心配そうに様子を伺っていた。
僕は泣いて顔を上げない鈴子に困って、彼女を連れて、そこからしばらく歩いて表通りに出る。すると商店街の外れに行き着き、目の前に丁度良さそうな公園があった。
そして都合の良いことに、その小奇麗な公園の端には、ゆっくりできそうなベンチがあった。
「さ、座りなよ。」
鈴子は顔を伏せたまま、ベンチに座った。
これで三人の鈴子の知り合いに会ったのだが、尽く男とは…。しかも、三人ともイケメンで、かなり親しげというか、かなり思い詰めていた様に見えた。僕の中を「不安」の黒い雲が覆っていく。
公園のベンチで二人並んで座る。鈴子は相変わらず、さっきのことがショックだったのかどうか知らないが、シクシク泣いていた。
僕はどう声をかけたら良いか分からず、まごまごしていた。「大丈夫?」とか言って、優しく肩を抱くなんて、今の僕らの関係だと、馴れ馴れし過ぎる。かといって、眺めているだけでいいはずも無く…。結局、「大丈夫ですか」とか、在り来たりの慰めの言葉を投げかけ、落ち着くのを待つことしかできない。
きっと、さっきのヤツも、僕よりずっと鈴子のことを知ってるんだろう。少し乱暴ではあったが、僕の目にはそれは、単に乱暴だというより「真剣」を感じた。
…あの義男と同じだ…
そんな風に思った。
僕だって、今までの人生で、片思だったけどマジになった女の子がいないわけではなかった。寝ても醒めても思って、その娘と少しでも話せたり、もしかして・・・・みたいなことがあると、有頂天になったものだった。
……だからこそ、あいつらの気持ちに、敏感になってしまう。
「済みません・・・。」
そんなことを考えていると、いきなり鈴子は立ち上がって、公園の向こうの端にある水飲み場の方に行った。見ていると、そこで顔を洗っている。
「あんたかい、あの娘を泣かしたの?」
いきなり突然、後ろから声を掛けられ、僕は心臓が止まりそうになった。ビックリして振り返ると、そこにはしわくちゃのお婆さんが、犬を連れて立っていた。