第一部 5
うちの会社に通っているころは、いつもそこらのオバサンが着るような服を着てて、ダサい女の子にしか見えなかった鈴子。
てっきり男縁なんて全く無縁で、僕と同じ様に、この縁談を千載一遇のチャンスだからOKしたのだと、思っていた。そうじゃなければ、僕みたいなぱっとしない男と、ほとんど話らしい話もしていないのに、いきなり婚約なんてありえないと思ったからだ。
それが、実はあんなイケメンのフランス帰りのシェフと幼馴染で、そのうえ、あちらさんは彼女にかなり本気な様子。あの状態だと、鈴子がチョイと押せば、簡単に落とせただろうに。
だのになぜ????
急に自分が置かれている立場が、自分で思っていたのと掛け離れていることに気付き、戸惑うしかない僕だった。
それからの僕は、鈴子のことを思うたびに、溜息をつくようになった。
僕はあくまで、うちの会社に通っていた鈴子に対して持ったイメージが前提で、この縁談をOKしたのだ。実際、見合い以降もそのイメージを狂わされることは無かった。だからあの晩まで、僕が思っている鈴子に他の顔があるなんて、疑う気など一度も起きなかった。
でもあの義男とか言うシェフととの出会いは、そんな僕の考えを、根底から覆したのだ。要するに、話が違うと思った。
だが今になって考えてみれば、ちょっと話したぐらいで、その人の全てが分かってしまうなんて思うほうが、余りにも幼稚な認識なんだと思う。
僕は鈴子を知らない・・・少なくとも、あのシェフやあのマダムよりも・・・・。
これから一生、一緒に過ごしていく約束をしたというのに、これでいいのか?
そう思うと、OKを出した自分の判断が、余りに無責任なような気がしてくる。
じゃあ、婚約をリセットするか?!
・・・・それもまた、余りに無責任だ・・・・
この息苦しいスパイラルに、僕の眠りは浅くなるばかりだった。
そんな煮え切らないキモチを抱える僕だったが、おかみさんの「デート命令」により、週一回はデートしなければならないという義務を課せらた。お陰で僕らは毎週週末は会うことになる。
でも会ってするのは、甘い恋人達の語らいでも、ましてやイチャイチャすることでもない。結婚に向けての様々な「諸般の事務」をこなすのだ。
今まで考えたことも無かったが、結婚までの手続きは、大変なものだった。
式・披露宴などの打ち合わせも慣れない事で、一つ一つ、聞いたり調べたりしなければ、話が進まない。さらに式さえ挙げればそれで御終いになるわけはない。いや、そこからが始まりなのだ。
全くゼロから新しく家を構えるということは、当然、住む所がいる。どこにするのか、いくらだったら家賃が払えるのか、様々な条件を満たす物件を探すべく、終わりの見えない不動産めぐり。そしてさらに、場所が決まっても、役所やライフラインの手続きがいる。日々遣う必要なものを、一から買え揃えたりしなければならない。
毎日、仕事がある身にとって、いつもやっていること以上にこれらが加わるので、はっきり言って、プッツン切れそうになるぐらい大変であった。
まあ、ウチの場合は鈴子が、早々に仕事をやめたので、ウィークデーではないと行けない役所回りなど、どうしても仕事で手が届かない所は、彼女の方がやってくれた。最近まで事務員をしていたというだけあって、書類関係のことは、僕よりずっと良く分かるようだった。
何度目かのデートのとき、その日は新居探しがメインテーマだった。
結婚後、お義姉さんが一人暮らしになるということで、できるなら今まで鈴子が住んでいた所に、近い方が安心だということだった。
そう言うわけで、僕らは鈴子の街にある、ある不動産屋のガラス戸に張ってある、物件情報を二人で物色していた。
ドドドド・・・
?・・結構大きなバイクだ・・・
そんなことを頭の片隅で考えながらいると、ずっと向こうから聞こえていた、その図太いエギゾーストノートが、段々近づいてきて、店先の掲示板に張ってある広告を睨みつけている、僕の後ろで止まった。
何事かと思って振り返ると、そこには、ドでかいハーレーにまたがったグラサン男がいた。そして、どうしたことか、その男がさも親しそうに、掲示板の向こうの端にビックリした顔で立っている鈴子に、声を掛けたのだ。
「よお、スーちゃんじゃん!」
ビックリして目を見開くと、その男はメットを取って髪を直していた。見た感じ僕と同じぐらいの歳に見える。
「スーちゃん、この頃、クラブ来てないじゃん。この間なんか、江ノ島、行ってきたぞ。前、行きたいって言ってただろ。なんで、スーちゃん来ねーかなーって、みんな心配してたし。」
「え?・・う、うん・・・。」
「で、スーちゃんのSR元気にしてる?」
「え、ええ・・・。」
明らかに視線を逸らす鈴子。そんな彼女にちょっと戸惑うそのお兄さん・・・。グラサンを取ったので素顔が露になる。すると、なかなかのイケメンだった。
鈴子はあっちが機関銃のように話すからか、僕に話を振らない。きっとこの感じだと、僕がそのスーちゃんこと、鈴子の連れであることには、気付いていないだろう。
「なんか、今日のスーちゃん、いつもと・・・。」
その男は、彼女の頭から足の先までを見る。
「いつも、ジージャンとかなのに、ワンピースって・・・。」
彼女はその時、ワインレッドのワンピースを着ていた。僕はそんな二人の様子を横目見ていて、鈴子が話を振らないのに、個人的な知り合いに、横から口出しするのがおこがましく思え、敢えて話しに加わらなかった。
僕は一人、アパート探しの続きをする・・・。ただ、そんな話している二人が横にいたら、いくら目を凝らして広告を読んでも、頭には何も入って来はしないのだが。
「なんか、忙しそうだな。引越しでもすんのか?」
その男は、ちょっと不機嫌そうにそう言った。
「え?・・・ええ。」
「んまあいいわ。今度、暖かくなったら、泊りがけで箱根でも行こうかって言ってるから、そん時は来いよな。やっちんも、そうちゃんも、そうそう浩二も紀子も、他の奴らも心配してっから。」
「う、うん・・。」
「じゃあな。」
そう言うと、メットを被りなおし、グラサンをかっこ良くはめて、そのイケメンはドスドスと低いエギゾーストノートを残して去っていった。
僕は思わず、そのバイクが去って行った後を見送る。うーん、なかなか決まっている。
僕は鈴子に聞いた。
「今のも、友達?」
「え? ・・・ええ。」
なんだか凄く慌てているのが見て取れる。
「天原さん、バイク乗るんだ。」
「あ? いや、・・・えっと、触りぐらいですけど・・・。」
・・・・触りって何だ、良く分からん
逃げるように不動産屋の掲示板に吸い付く彼女。どうも、これ以上この話題はダメみたいだと思った。
結局その店で、一つ二つ物件に目星をつけた。時間が無いので、早速僕らはそこを見せてもらうことにした。今日は親父さんの車を借りて、鈴子の家に行き、そこで止めさせてもらって、街を回っているのだが、第一候補は不動産屋さんからさほど遠くなかったので、車をそこに止めさせてもらって歩きで行ってみる。
義男に続いて、あのお兄ちゃん何もんだろ?
僕の頭の中は当然、さっきことでいっぱいだった。鈴子のイメージがどんどん変わっていって、それについていけてない僕は、内心、うろたえっぱなしだった。
そんな僕に気付いているのかいないのかしらないが、鈴子はここら辺りも良く知っているようで、僕の先を、迷うことなくスタスタと歩いていく。
「ここです・・・ね。」
彼女は急に止まって、指を指した。そこには古いアパートがあった。
大家さんに頼んで、中を見せてもらうことにする。
「さあどうぞ。」
人の良さそうな大家さんのおじさんが、少しきしむドアを開けて、僕らを案内してくれた。僕らはキョロキョロと中を見て歩く。
そこそこ広さがあり、古くも無いのだが、ただ日当たりが悪そうだ・・・。鈴子がそこに難色を示し、結局パスとなる。
「我が侭言って、済みません・・・。」
「これから長いんだから、しっかり選ばなきゃ後、困るよ。やっぱ僕も、日当たり悪いと、子どもとかできて、病気になったりしたら嫌だし・・・。」
彼女は一生懸命ウンウンと頷く。そんな所帯じみた話を始めると、鈴子は急に元気になって、嬉しそうにする。
さっき、バイクの兄ちゃんと出会って以来、人の顔色を伺うような感じだったのに・・・。
じゃあということで、二件目を覗こうとしたとき、またもやハプニングが起きた。