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第七部 5

 「疲れたでしょうねえ」

「あ、はい、少し」

「鈴子さんも、バイク、相当乗るんだって?」

「あ、は、はい」

「事故だけは気をつけてね」

「はい!」


 僕らはお袋の手料理が、ずらっと並んだテーブルを囲んで、夕食をとっている。

自分としては、家の様子も食卓の上に並んだものも、余りにいつもどおりで、いささか不満であった。

 一人息子が結婚し、奥さんを連れての初帰省だというのに、もうちょっと考えてくれたら良いのにとぼやきたくなる。

 こんなしょぼいもてなしに、鈴子がガッカリしていないかなと顔色を伺った。しかし不思議なことに、いつも以上に嬉しそうな笑顔で、お袋の田舎料理に箸を伸ばしていた。

 お袋は僕の不満に気付いたのか、言い含めるように言った。

「鈴子さんは、お客さんじゃないからね。うちの子になったんだから」

親父もその言葉を当然のように聞き流している。すると鈴子がフッと動きを止めたので、思わず横目で伺うと、笑顔のまま小さく唇をかみしめているのが分かった。

 

 僕らは食事が終わってお茶を飲みながら、結婚式の時のことやこれからのことを、あれやこれやとしばらく話す。

 鈴子はここに来るまであんなに緊張していたのに、なんだかすっかり馴染んでしまっていた。それにうちの親も、どちらかというとお客さんと言えばテンパってしまう性質なのに、今日はいつになく肩の力が抜けているように見える。

 鈴子は、お客さんじゃない……か

 お袋の言っていた意味が、自然に話の輪に入って、クスクスと笑っている鈴子を見ているうちに、分かったような気がした。



 「さあ、そろそろ、休んだほうがいいんじゃない? 明日も色々あるんでしょ?」

 盛り上がった団欒の時だったが、頃合を見計らったお袋がそう言って区切りをつけた。見ると確かに鈴子も疲れていそうだったので、それじゃあとお開きとなった。

 「お風呂、準備できているから、早いところ入りなさい。布団は出しておいたから、寝るときに自分で引いてね」

 お袋のそんな言葉に送られ、泊まるべき部屋に移る。今日僕らが休むのは、僕が物心ついてからずっと使っていた、かつての自分の部屋である。

 その部屋は大学に進学しアパート暮らしになった時、使えそうなものはみんな持ち出したんで、往時よりちょっと寂しくはなっているが、それでも雰囲気は当時のままである。

 

「へー、ここなんだあ」

二階の一室であるその部屋に案内された彼女は、疲れていたはずなのにちょっとテンション高い。女の子の喜びそうなものなんか、一つもないはずなのだが、それでもキャッキャと言って一人で盛り上がっている。

 有触れた六畳間。ベージュのクロス張りの壁、アルミサッシの窓が一つ。幾らか本が入っている大きな本棚、ブラックのパイプでできているシングルベッド。それに押入れが一つあり、その横にロッカーがある。

 鈴子は荷物を置くなり、部屋の調度や本棚の本、そんな物一つ一つ、興味深そうに眺めている。

 「まあ、そういうことだ」

 勝手にハイテンションになっている彼女の背中に、ちょっと投げやりに答える。微妙に気恥かしさを感じていた僕は、彼女を放っておいて、一人、ベッドの片隅にドカッと座った。 




 ……色々あったな 


 こうしているうちに、次から次へとここでやっていたことが脳裏を過っていく。

 楽しかったこと、嬉しかったこと、夢を追って心をときめかし、かと思ったら泣いたり、怒ったり。

 親の目を盗んでやった色々な悪さ、人には言えない自分だけの恥ずかしいこと、片思いに身を焦がしたり、失恋して、真っ暗な気分に沈んだこともあった。兎に角、僕の人生の色々な出来事が、ここを舞台に展開されたのだ。


 「ここで勉強してたんだ」

そんな声でふと目を向けると、鈴子は僕の机の椅子に座ってこっちを見ていた。

「ああ」

 そしてそこからの風景を見回す。

「なんだか、功太郎さんらしい部屋だよね」

「それ、どういう意味?」

「ん? そういう意味だけど」

 お世辞にも、自分の部屋が素敵なだと思えない僕は、ちょっとからかっているのかと思って、投げやりに答えてしまった。

 鈴子はそんな反応に、ちょっとビックリした顔をし、上目遣いで聞いた。

 「嫌だった?」

「なにを」

「お部屋の中、色々見たりして」

 いや、別にそういうことじゃ……。

 少し不安の色に変わり、いつもの様に心底、済まなそうにこっちを見つめる彼女の目に、大人気なかったと頭をかいた。

「別に良いよ、そんなこと。でも、……ちゃんと借りは返す」

でも、余りに無邪気で可愛い顔で悄気てるものだから、イタズラゴコロがムクムクっと顔を出してしまった。

「借りを返す?!」

真剣に狼狽える鈴子に、僕はもう一押し。

「ジロジロ見てやる」

「え?」

 何の事か分からないらしく、キョトンとして考え込む。冗談半分、僕は彼女の胸元をガン見してみると、彼女は何度か目を瞬かせた。と思ったらいきなりボッ!と赤くなって、アウアウ言い出しはじめた。どうも何を言っているのか分かったらしい。

 ザマアミロ……

 今度も勝ったと思った。僕は清々した気分でいると、彼女がはにかみながら言う。


「……えっと、電気は消して……くれる?」


そう言ったきり、真っ赤になって俯いた。


 その一言で昨夜のことがフラッシュバックしてきて、心拍数は一瞬のうちにレブリミットまで跳ね上がった。今度はこっちが思いっきり慌てふためくことになる。

 (これじゃあ、完全にこっちが弄られてるじゃないか!)

 僕はいろいろな意味で赤くなった顔を見られたくなくって、ベッドにゴロンと寝転がり不貞寝する。



 しばらく動く気配がなかった彼女だったが、何か思いついたらしく、ガタガタと立ち上がる音がした。続いて窓辺から静かに呟く声が聞こえてきた。

「綺麗」

 薄目を開けてみると、彼女は窓際に立って、外を眺めていた。彼女が見ているのは、高台にある我が家から見える、この町の夜景である。

「ん? まあな……」

 この部屋からの夜景、正直って相当綺麗なのだ。実は好きな娘が出来たら、見せてあげたいと思っていたそれだったりする。その長年の妄想の一つが、実現した瞬間だった。

 電気を消した方が良く見えるぞと、部屋の明かりのスイッチを指さすと、彼女はトコトコと歩いて部屋の明かりを消す。

「わー、本当だぁ」

 高台にあるうちからの夕日と、その後見えてくる夜景は、正直、感動もの。そっけない僕の部屋の中で、唯一、自慢できるものだった。

 「都会っ子だったんだね」

「ん? ここは都会と言うより、『都会を眺めるには良いところ』かな。明日、外歩いてみたら分かるだろうけど、僕らのとことそんな変わんないよ」


……「僕らのとこ」か。


 目を瞑ると、今度は今の自分のアパートの部屋の様子が浮かんできた。

 少し前まで、仕事を終えて、しんと静まり、ヒンヤリとした部屋に帰っていた僕は、今では「おかえりなさい」との声に迎えられ、明るく電気のついた部屋に帰る日々を送っている。

 そして今までのそれは、ママゴトみたいなごっこ遊び感がつきまとっていたわけだが、この旅が終わって帰ったときには、それが完全に僕の日常になるのだ。

 嬉しいと言うか、不思議な気分。


「功太郎さん?」

「えっ? ああ」


 さっきよりずっと近くで声がして、僕はビックリして目を開いた。彼女はいつの間にかベッドのそばまで来ていて、こっちを覗き込んでいる。

 「疲れさせちゃったね、運転、一人でさせてゴメンなさい」

そういうと、小さくため息をついた。

「そんなことないって、僕もそっちの方が気楽だったし」

そう言うと、うんと頷くも浮かない顔をしている。

 目の前に立っている鈴子、そのバックには見慣れた自分の部屋の風景。地味で殺風景な部屋には、彼女はあまりに華やかで美し過ぎる……。


「功太郎さん」

「ん?」

「わたしたち、ここに『里帰り』したんだよね」

「まあ、そうだ」

「じゃあここは、わたしの『里』でもあるんだよね」

「当然、そうだな」

 彼女は「我が意を得たり」みたいな、とても満足した顔をしたかと思うと、しみじみと噛み締めるように言葉を綴った。

「帰る『古里』が、こんなところで良かった」

と。


 そっか、ここに「帰る」のが嬉しいんだ。


 僕はその言葉に、またもや入りかけていた肩の力がスッと抜けたのを感じた。

 彼女の類い稀なルックスや様々な能力。それは僕をドキドキさせワクワクさせる魅力である。確かにそうには違いないのだが、凡人の僕には、時として強烈なプレッシャーとなることもあったりする。

 しかし彼女が紡ぐ言葉とそこから滲む真心は、僕がどんなにテンパっていても、しっぽりと安心の中に憩わせてしまうのだ。

 僕は無性に嬉しくなり、自然と手が伸びて、気が付いたら彼女の手をクイッと引っ張っていた。


 キャッ!


 彼女は小さく叫ぶなり、全く無防備にダイブして、見事に僕の上に倒れ伏した。


 (おっと、マジかよ)


 もともと、運動神経はプロスポーツ選手並なので、いつもの鈴子なら、どんな不意打ちも華麗に対処するのに、全く受身もなく、僕のするままにすっ飛んできて、僕の上にうつぶせでドガッと倒れこんだ。

 ……そして、それっきりピクとも動かずジーッと僕の上に乗ったままでいる。

 ずっしりとした重み、人肌独特の温もり。それと僕の胸に押し付けられたゴワゴワした下着の感触と、それに包まれているフワフワの物体の柔らかさがしっかり伝わってくる。耳元には彼女の吐息がかかり、顔にかかってる彼女の髪の毛がちょっとむず痒い。



 シーン……


 あれ??


 一瞬、余りの甘い感覚に、理性が飛びそうになったが、それより、なんだか彼女があんまりされるがままなことに引っかかった。しかも、ぶっ倒れてあられのない姿のたまま、身だしなみも整えようともせずじっとしている。

 時計の秒針の音がカチカチとやけに響き、僕の中に湧いた不安は、次第に確信になっていく。

 (や、やっちまったか?!)

 折角、良い感じだったのに、どうも彼女を怒らせてしまったようだ。あいも変わらず場が読めない自分を情けなく思いながら、さあどう謝罪を切り出そうかと考えていた。

 「ドキドキしてる、功太郎さんの心臓」

「はぁ? え?、ま、まあな」

 耳元に聞こえた思わぬ言葉に、慌てながら話を合わせた。彼女の声は、さも面白いことを見つけたような楽しそうな空気を纏っている。どうも怒ってはいないようだった。ひとまずホッとする。

 「二人の中に、二つ心臓があるみたい」

「え?」

 まるですごい秘密を発見した様な、トキメキと驚きがその一言の中に篭もっていた。僕は鈴子にそう言われて、こっちもさっきから色々な意味で高鳴り続けている自分の心臓の鼓動に、意識を寄せる。

 確かに自分の心臓らしき鼓動とは別に、自分の胸に同じように響いてくるもう一つの鼓動。まるで二人で2つの心臓を共有しているような感覚。


 トクトク、ドクドク、トクトクトク、ドクドクドク……


 鼓動の「デュエット」。意識すれば意識するほど二つは溶け合って、マジでどっちがどっちの鼓動なのか分からなくなっていく。

 「鈴子、ほんと、不思議な感じだな!」

「……」

 「鈴子?」

 あれっと思って聞き耳をたてると、聞き覚えのある規則的な息遣い。

「え? 鈴子?」

 スー・スー……

声をかけてもピクとも動かない彼女から聞こえるのは、安らかな寝息だった。

「なんだぁ、寝ちゃったか」

思わず、落胆の声が漏れた。

 いきなり置いていかれてたようで微妙にガッカリするも、まあ疲れていたことは間違いない。それに突然寝てしまうというのは、彼女にしてみればいつものこと。こうなったのは必然だったかなと、溜息と一緒に納得した。

 ゆっくりと彼女の体を脇に転がすと、下にひかれた形になっている腕を、彼女の体の下からそろそろと抜き、よっこいしょと起き上がった。

 どれどれ……

 どんな顔をして寝てるのだろうと、面白半分で彼女の顔を覗き込む。彼女の寝顔を目の当たりにした僕は、思わず息をのんだ。


 かつての僕のベットの上に、髪を乱れさせた美女が正体もなく寝入っている。その余りに整った顔には、誰が見ていてもドキドキしてしまうに違いない、魅力的で愛らしい微笑があった。


 こ、この娘が僕の、奥さん、なんだよなあ。


 月明かりの青白い光に照らされた僕の部屋に、ホワッと輝いているように見える白い顔。僕の心臓はさっきとは違った意味で、鼓動のスピードを早めていく。

 見ているうちに、彼女はゴソッと体をくねらせ横に向いた。豊かな胸が強調される角度になり、Tシャツの襟から中の下着と豊かな双山の片鱗が覗く。


 ……ま、待て、まあ、お、落ち着け。


 頭痛がするほどバクバク言っている自分の心臓を必死になだめる。

 夫なのだから、ここでむしゃぶり付いても良いのかもしれないが、しかし僕は、夫婦となっても、寝こみを襲うようなことをして、一方的に欲望をまき散らすことはしたくないと思っていた。

 だって、お互い求め合ってこそ燃えるわけで、まして、そんなことで後々気まずくなったら、元も子もない。

 「鈴子、鈴子!なあ、風呂、入らなきゃ……」

ということで、僕は風呂を口実に起こしにかかった。

 「おい、鈴子~」

 スー、スー……

 しかし、鈴子をユサユサと揺すり起こすも、直に今までも何度と味わった絶望感が僕を包んでいく。

 ゆすっても転がしても、ある時なんか、抱き上げて誤ってベッドの上にドスンと落としたこともあったが、それですら起きなかった。

 昨日はドギマギしながらも、お互い、愛情を確かめ合い、夫婦としての初めての満ち足りた時を過ごすことが出来たのに……。


 「まあ、明日があるからな」

 僕は溜息と共に、自分に言い聞かせるように独りごちる。

 (それにしても、なんて幸せそうな寝顔なんだろう……)

全く不安の影もない、少女のような安らかな寝顔。結婚前にも、寝顔を見ることは度々あったが、今日の寝顔はそれとはちょっと違うように見えた。

 考えてみれば、もうガッつくことはないのだ。僕らは生涯を、そして彼の世までも一緒にいようと誓い合った、夫婦なのだから。


 月明かりに真っ白く輝く彼女の頬に、僕はそっと触れてみた。すべすべでフニュッとした柔らかさ。

 心に溢れる想いが言葉になる。

 「鈴子、愛してる」

 「んん……はぁん、功太郎さん」

 「?!」

 寝言だった。でも、同時に彼女の寝顔に輝いた笑顔が、あまりに嬉しそうで色っぽかったので、もしかしたら彼女は夢の中で、ちゃっかり新婚二晩目を、楽しく過ごしているのかもしれないと思った。

    

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