第五部 5
やっと見つけた鈴子……。
探しまくっていた尋ね人に、一足ひとあし近づいていく。言い様の無い喜びが込み上げて来る。色々有ったわだかまりも、気が付くと意識の中からすっかり消えていた。
そして普通に声が届くぐらいの所まで来て、まさに駆け寄ろうとした瞬間、僕はハッと立ち止まった……。
僕の目に、目の前の鈴子の肩が震えるの映った。それと潮騒の合間にすすり泣きの声……。それが現実だった。
僕はどこかで、自分を鈴子が大喜びで迎えてくれると思っていた。しかし実際は、電話さえも拒み、背を向け一人涙に咽んでいるのだ。
<そうだよ、今日、一体、何やっていたんだか……。>
時折震える彼女の背中を見詰めていると、さっきまでの高揚感は一挙に萎み、ゲッソリと体から力が抜けていった。代わって、探し回っていた時の重苦しい鬱憤が、またもや僕をの圧倒する。
さあ、どう話し掛けようかと、迷いに迷ってジリジリしていると、ふと耳に滑り込んでくる声。
「……功、太郎、……さん。」
はっとして目を上げた。そこには思いつめた目をした鈴子が立っていた。
彼女は僕と目が合うなり、ヒッと肩をすくめる。そして眉間にシワがより、唇がヒクヒクし始めたと思ったら、目からコロコロと涙が転がる。
こんな鈴子を問い詰めるのは気が咎めるのだが、しかし、今回ばかりはそれで終わらす気になれなかった。でも頭ごなしはいけないと、極力冷静に鈴子に語りかける。
「で、鈴子……さ。」
「ご、ごめんなさい!」
彼女は僕が話し始めようすると、いきなりそう言って深々と頭を下げた。
「ゴメンなさいって、こんなに勝手なことして、心配させて……。時子さんだって、お前がどこに行ったか、知らなかったぞ。」
僕の言葉を、彼女はジッと涙を溜めた目を向け、頷きながら聞いている。彼女の目は、僕に反発する様子も避ける様子もなく、ただただ悪かったと、そんな気持ちを滲ませていた。
「本当にゴメンなさい。」
彼女は僕を見つめながら唇を噛んで、静かに聞いていた。そして、何度も謝罪をこめて深々と頭を下げた。
「ま、まあ、反省しているんだったら……。」
彼女の謝罪の気持ちを疑う気はしなかった。でも、心に残る違和感。でも誠心誠意謝る人に向かって、グチグチ言うのは男らしくないと、無理に笑顔で応えた。
何も話さない鈴子。何も聞けない僕。道路から通り過ぎる車の音が時折聞こえてきた。ジリジリとした、なんとも言えない居心地の悪い雰囲気が辺りを包み、僕は遣りきれなくなって、鈴子に促した。
「さ、腹減った、時子さんのとこに帰らなきゃ。」
「あ、お姉ちゃん、怒ってるね。」
また、フッと不安の色を顔に上らせる鈴子。そんな彼女の様子もちょっと気になったが、でももう時間を取ることは出来ない。
お互い急がなきゃと、それぞれ乗ってきたバイクのところに行こうとした時、僕はハタとその足を止めた。鈴子はそれに気付いて、立ち止まり様子を伺っている。
「鈴子、鈴子のバイクで一緒に行こう。」
「へ?」
じゃあ、お姉ちゃんのバイク、どうするの? と目で問う彼女を受け流し、僕は急いで自分のメットを取り上げて、鈴子のSRの方に歩いていった。
「カギは?」
「あ、ハイ。」
「後ろ乗って。」
「あ、ハイ。」
僕はブルンとキックでエンジンをかけ、半分無理やり、彼女を後ろに乗せ、バイクを出した。
+++++++++++
それから僕は、鈴子の家には向かわなかった。後ろの彼女はそんな突飛な行動にも、何も意見することなく、静かにタンデムシートに収まっていた。
暫く走っていくと、町の明かりは減り、山道に差し掛かる。そう、この先に待つのはあの「鳥越サーキット」だ。
SRの心地よいビッグシングル・エンジンの振動を感じ、夏の夜風を切りながら走る内に、僕の中のぐちゃぐちゃに絡んだ感情の糸が、少しずつ解れていく。
素直に謝ってくれた鈴子だった。そこには心から済まないという思いで、いっぱいだったのは分かった。でも、僕の中の彼女に対するわだかまりは、膨らみはすれど無くなりはしなかった。
確かに一人の人間として、お互い立ち入って良い領域と、そうでない領域がある。だから、その抱えている何かを、無理に曝け出させようとは思わない。
でも、何よりもお互いを理解し、一緒にやっていくことに、結婚の意味を見出していた僕としては、彼女があんなに悲しむことを一人で抱え込んで一言も話がないというのは、結婚自体の意味を、根っこから揺るがすことのように思えた。
そっとして置くべきだという理性と、どうしてもそれを話して欲しいとの僕の素直な気持ちの狭間で、もって行き場のないぐちゃぐちゃの感情が、僕の中で暴れまわっていた。
そんな情けない僕が苦し紛れに思いつたのが、こうやってタンデムしバイクを走らせることだったのだ。そうすればあの日の様に心が通じ合い、何か分かるかもしれないという淡い望みを抱きながら……。
大分乗った。もう僕らは「鳥越サーキット」の入り口まで来ていた。結局、ここまでの何十分か一言も交さず、ひたすらにバイクを走らせていた。
ここら辺りまでは緩やかな街道で、ただ走らせれば良い快適な道。しかしもうちょっと行くと、そんな快適な夜のツーリングとは行かなくなる。
SRは僕のCB1000なんかに比べれば遥かに非力だ。サスペンションにブレーキ、タイヤだって、峠でどうこうするような仕様ではない。さらに、今日は一人で乗っているわけでもない。でも僕はここで勝負する気で来た。相手は他ではない、僕の後ろに乗っている鈴子だ。一つ深呼吸をすると、僕はシフトを下げ臨戦態勢に入った。
「鳥越サーキット」は、初め高速コーナーが続く。僕はテストも兼ねて、鈴子のSRのポテンシャルを知るべく、バイクに対しまたコースに対し、限界に迫っていった。後ろの鈴子も、その対応に卒なく応えてくる。
<流石、鈴子……。>
サーファーの兄ちゃんと遣り合ったあの日、二人での初めての、思い出のタンデムの時の感触が蘇ってくる。 普通ならタンデムすると色々と制限され、一人で乗るより難しいはずなのだが、その時は違った。そう自分一人で走るより早く、さらにスムーズで、どこまでも自由だったのだ。
<鈴子の側こそ、僕の本当の居場所なんだ……。>
僕はあの時初めて、僕らが一緒に居ることの意味を見つけたのだ。
高速コーナーが終わり、このサーキットの難所といわれる、厳しいコーナーのエリヤに入っていく。
初めのヘアピン・コーナーを抜け、僕は次のコーナーに照準を合わせる。そのコーナーには僕は特別な思い入れがある。と言うのは、かつてここに通い詰めて、無数の相手とバトルたが、大概はこのコーナーで勝負を付けたのだ。
僕は、一瞬の内にスロットルで合わせてシフトを下げ、コーナーに迫る。バイクはいつものと違えど、ここに来るまでで大方の癖は読み取っていた。そのデータに基づき、今の状況で最速のラインを大胆に選び、ブレーキング、そしてコーナに飛び込んでいった。
その時……
<??!!>
リーンするタイミングが、僕の感触とは何百分の一秒か遅かった。バイクは思い描いたラインを外れ、コースアウトへの軌道に乗っていく。
<マズイ!>
思いっきり車体を倒した。バイクはドリフトを始めタイヤは煙を上げ悲鳴を上げる。僕はカウンターを当てながら必死に耐える。バイクは二人を乗せたまま崖に迫っていった。そして、ここまでか!?と思った瞬間、ガガガガという音を立て、道路を外れ、崖下の小岩がごろごろしている場所に突っ込んで止まった。
どうにか転倒は避ける事が出来た。黄色のナトリウムランプの光が満たす道路脇で、僕の心臓は胸から飛び出そうなほど、高鳴っていた。
ハッとして、鈴子に謝らなくてはと、メットを脱いで後ろを向いた。
「鈴子、ゴメン、怖かったろ。」
「え? ……え、ええ。」
こんなことになったら、後ろ乗ってるやつは、相当に引くだろうと、かなり慌てる僕だったが、当の鈴子からは、何かボーっとした感じの反応が返ってきた。その鈴子の目には、責める色は無かった。ただ、何かに心奪われた目をしていた。
僕はそれ以上、何も応えない彼女に、「じゃあ、行くよ」と声を掛けると。もう一度コースに戻る。
また、小気味良いビッグ・シングルのエギゾーストノートが響く。
<確実にクリアできると思ったんだが……。>
こっちが運転してたんで、こんなこと口が裂けてもいえないが、いつもなら絶対について来てくる鈴子のレスポンスが、一瞬遅かったのだ。
いつも以上に早く走れたと思ったあの時と、行ける!と確信して突っ込んで、こんな事故まがいのことになった今……。それこそ、僕らの今の関係だと、溜息は止め処も無く漏れる。
それから僕は、もう攻めることはしなかった。のんびり走るツアラーの様に、街灯で黄色く光る坂道を、ポテポテと登っていった。いくつものコーナーを越え、そして目の前に見えてくるのは、ゴールである大学の校舎。ついこの間、例の御曹司とやりあったときとは打って変わって、ユルユルと進むSRは終着点に到着した。
校舎の窓からは、まだあちかこちらから明かりが零れている。僕らは駐車場の隅にある自販機コーナーまで行って、一服することにする。
「鈴子、いつもので良いよね。」
「え?……うん。」
僕は何か沈んでいる彼女の顔色を伺いながら、いつも鈴子が買うレモン・ソーダを買って彼女に放り投げた。
「あ、あっと。」
何時に無く反応の鈍い鈴子は、危うく落としそうになるも、缶をキャッチする。
<やっぱ、不味かったかな……。>
ずっとボーッとしたままの鈴子。一緒に走れば、心通じるかと思ったんだが、そうは問屋が卸さないか……。
溜息を付きながら、ブラック・コーヒーを啜っていると、レモン・ソーダの缶を、両手でギュッと握り締めていた鈴子は、ハッと顔を上げると思いつめた声で言った。
「ご、ごめんなさい。わたし、ボーっとしてて、危ない目に……。」
初め??な僕だったが、さっきのコースアウトの件だということに気付き、そんな、こっちこそと頭を下げる。
お互い、一頻り「ごめんなさい」を言い合い、ふと顔を見合わせた。僕は彼女の顔を見てギョッとする。彼女はワナワナと唇を震えさせ、ぽろぽろと涙を流していた。
「わたし、やっぱりダメ、功太郎さんには、功太郎さんには……。」
「ん?」
「こんなの嫌。功太郎さんと、こんなんだったら、わたし……。」
そして、呻くように言葉が零れる。
「死んじゃうよ……。」
その瞬間、コロコロっと涙がこぼれた。
いきなり泣き始めた鈴子に唖然としていると、彼女は物凄く思い詰めたように叫んだ。
「あ、あのう、わたし、秘密があるんです!」
「えあっ、ひ、秘密?!」
初めは度肝を抜かれて固まっていたが、その言葉の意味の重さに、またもやズドンとボディーブローを受けたような感覚に襲われた。ちょっま、おい、女の子が婚約者に秘密にすることって、ま、まさか?! いや、鈴子に限って……。
僕がいきなりのカミング・アウト宣言にドギマギしていると、彼女は益々思いつめた顔になって、口がピクピクしたと思ったら、いきなり叫んだ。
「バイクのことは知ってると思うけど、サーフィンはウィメンで何度も優勝したし……、」
「え?」
意図が良く分からない告白に、目を瞬かせる。そんな僕の反応に慌てたのか、彼女は益々アワアワすると、今度は目を瞑って、大きな声で「わ、、わたし、け、結構、友達多くって……、」
「はあ……。」
そりゃ、一緒に居たら分かるって、心の中で突っ込みを入れる。鈴子はテンションが上がりまくり、肩に力入れてギュッと拳を握ってる。
「だから、何人も男の友達もがいたんです。」
<男の友達……って?!>
「え、鈴子、何……。」
僕が呆気にとられて固まっていると、その今までの反応と急に変わったからか、彼女はハッとして顔をあげた。
「あ、あの……だから、男の友達……。」
そこで僕らは顔を見合わせ、絶句した。
「ちょ、ちょっと待て……。男?……男って言った? 男が沢山いたって?!」
今度は、こっちがテン張る。体がガクガク震えだし、拳を握ってる。鈴子はそんな僕をきょとんとして見ている。しかし急にギョッとした顔をしたかと思うと、叫んだ。
「こ、功太郎さん、何、考えてんです!!」
「だから、ボ、ボ、ボーイフレンドがさ、……沢山いて……。」
「ボーイフレンド? 功太郎さんのその言い方って、あーーーー!!」
そう言うと、僕の前にツカツカと近付いてくると、
「ヒドーイ!!!」
と言うなり、両手でドンと僕の胸を突いた。
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「そりゃ、信じなかったというのは、悪かったよ。」
「だって、そうだとしたら、わたし、物凄く酷い人間じゃない……。」
「ま、まあ、そうだ……。」
今まで、結婚への思い入れを熱く語ってきた鈴子。それを聞いておきながら、彼女を相当な男遍歴を持つ、経験豊富な女性と見なすことは、人格を根底から否定することになる。
「で、でもな、おまえ、何にも言わずに引っ越し作業サボるし、電話掛けても出ないし、何かあるって思わない訳にはいかないだろ。しかも、さっきの告白、物凄くテンパッてなかったか? あんな前振りされると、相当重大な問題が来るって、身構えるだろう、誰でも。」
「あ、ハウ……。」
そう言うと、彼女はプシュッと音が聞こえるぐらい萎んでしまった。
とは言ったものの、僕も鈴子を疑ったことは、シクシク胸に沁みていた。すると、口の中で鈴子がぼそぼそと話し始める。
「お、お姉ちゃんに、そういうことは、余り軽々しく言うものじゃないよ、特に好きな男の人にはって、言われてたん……です。」
時子さん曰く、男はカワイくて、守ってあげたくなるような、女の子が好きなんだそうな。だから、妙にスキルがあると敬遠される。だから何でも出来るスーパーウーマンなんかも、結構、相手探すのに苦労するものだと。その上、鈴子が熱中しているのは、どっちかと言うと、男が傾倒するサーフィンとかバイク。そんなのいくら上手いって、引かれるだけだと。
僕はその話を聞いて、頭を掻いていた。なんか、完全に見透かされていたような気がした。
「それと、友達についても、厳しく言われたんです。女の子の友達はまだしも、男友達が多いって言うのは、絶対、遊んでるように思われるって。特にあんたの友達は、結構レベル高いから、間違いなく疑られるよって。」
そう言って、口を尖らせると。
「わたしは、功太郎さんは、そんな人じゃないと言ったんですけど、お姉ちゃんに、すっごくきつく、言っちゃダメだと言われた……。」
いや、僕に対する見解は、間違いなく鈴子より時子さんの方が正しい……正直そう思った。
「で、今日、友達にお別れを言いに、あちこち回ってたんです。」
「え?」
そう言うと、目を逸らし言い辛そうに言った。
「そ、その、男友達にも。」
「はあ……。」
そのとき、ヒューと初秋の風が吹いていった。