第五部 4
長らくお待たせしました。第五部4を、お楽しみください。
僕は時子さんが貸してくれたバイク、スーパー・カブに跨り、夕焼けに真っ赤になった海岸線を、ひた走りに走っていた。
<な、なんだ、このバイク?!>
時子さんのバイク、見た目は間違いなく、あのお馴染みの超ロングセラーの名車あるが、しかしその名車の特性である、マイルドな走りを期待して走り始めた僕は、余りに予想と違うレスポンスにビビってしまった。
そのエンジンの吹け上がり、どこかに持っていかれそうな力強いパワー、それだけではなく絶妙に調整されたサスペンションの硬さ、タイヤも良く見ると何か凄いの履いているし、ブレーキも然り、兎に角、タダモノではなかった。それはまさに究極までチューンしてある、化け物スーパーカブ。
<時子さん、これ、どうしたんだろ……。>
ちょっとコワモテだが、博多人形のような清楚で気品のある時子さんが、これに跨って攻めまくっているのを想像してみるも、どうしてもイメージが湧かない。
それにしてもあの姉妹、鈴子もそうだが、時子さんも得体の知れないものを感じる。
暫くして僕は、夕焼けで赤く染まった駐車場に、バイクを横に止め電話をしていた。
アパートを飛び出した後、背中に言われたように、まず海にやってきた。それからずっと海岸線を走って、それらしき姿を人はいないかと探してみたのだったが、つくづく、当てもなく人を探すというのが、どれほど難しいか思い知らされるばかり。
柄にもなく、あんなに威勢の良いことを言って飛び出して来たので、弱音を吐くのがちょっと恥ずかしくもあったが、変な意地なんか張っている場合ではないと、時子さんにヒントをもらうことにしたのだ。
時子さんは、僕からの連絡を待っていた様で、僕の要請に即座に応えてくれた。
『あのね、海岸国道の「駅入り口」の信号から、二つ目の信号の角のね……。』
時子さんの説明を必死で聞く僕は、頭の中の地図と照合していく。
「あ、はい……。」
『でね、店を覗いて、一番奥のカウンターを見たら一発。もし居たら、鈴子そこに座ってる。そこに居なかったら、次はその先、少し行ったところにある、サーフショップかな……。』
時子さんは、幾つかの鈴子の居そうな所を教えてくれた。全部僕の全く知らない場所だった。話を聞いていて、それらが鈴子が今まで、良く行っていた所であることが分かる。
僕が知らない、彼女が長い時を過ごしてきた馴染みの場所を、覗いてみたくないといえば嘘になる。でもそれと同じぐらい、僕の心を占めるのは恐れだった。あのアルバムを見て受けたようなショックを、また受けるんじゃないかとの思いが、僕の中を過る。
<だからって、鈴子、探すの止めんのか?>
自問してみるが選択の余地などない。兎に角今は、彼女を探さずしかないのだ。そして、どんなショッキングな『彼女』に出会ったとして、もし、ずっと一緒に居たいと思うのなら、正面から向き合うしかない。潮風に吹かれながら、そんなことを考えていると、もやもやとした迷いが消えていった。
僕はうっし!と気合を入れ、スーパーカブに座りなおし、チェンジペダルを踏む。そしてスロットルを捻ると、過激な唸りを上げ、ウィリーしそうな勢いでバイクは走り始めた。
「あのう、今、海の家ですけど……、やっぱ居ません。あと、どこら辺りでしょうか?」
『そっか、……そうねえ、他にか……。』
路側帯にバイクを停め、ひっきりなしに通り過ぎる車をボーっと見ながら、僕はまた電話の時子さんとやり取りをしていた。
時子さんに教えられた通りに、鈴子の居るはずだと言う所を、探して回った。
初めはトロピカルなレストラン。店を覗くと、店主らしき僕と同じぐらいの歳の男が、こっちに向かって愛想良く挨拶をした。僕はその挨拶に会釈を返し、一通り店内を見渡すと、その主人の前にカウンター席があるのに気付いた。時子さんの言っていたのはそこなんだろうと、そこら辺りを見回し空席だったもので、トイレとか行っていたらと思って少し待っていたが、結局、鈴子らしき人影はなかった。
次に行ったのはサーフショップ。店の中を覗くと、真っ黒にやけた以下にもサーファーって人が会釈した。店の中には他に人影は無く、ちょっと気まずい雰囲気になる。
ふと見回すと、デカい写真が飾ってあって、僕はその写真に釘付けになる。鈴子と見覚えのある男が仲良さそうに写っていた。
<鈴子、ここの常連だったんだろうな……。>
その写真に誘われ、アルバムの彼女のことを思い出していると、店の人が「何でしょう?」と声をかけてきた。
「あ、済みません。」
僕はここに来た理由など言えるはずもなく、頭を下げて急いでそこを立ち去る。
それから展望台や、居酒屋、スーパーなど何か所かを回ったが、尋ね人もその愛車も、見かけることはなかった。そして、これが最後だと教えられた海の家に至り、やはり彼女を見つける事が出来なかった。
『困っちゃったね、どうしよう……。』
電話口の時子さんの声には、いつもの冴えは無く、逆に焦りのようなものが混ざっていた。僕も電話口で押し黙るしかなかった。
「……じゃあ、兎に角、辺りまわって見ます。もしそっちに帰ったら、連絡してくれませんか?」
これ以上考えてても、進展しそうもない。ここで突っ立っているぐらいなら、いくら不毛なことであろうと、手当たり次第回ってみるしかないと思った。
『分かった、なんだかゴメンね……。鈴子が迷惑かけて……。』
「あ、いや、鈴子のことだから、なんか訳があるんでしょう。」
『かなあ……。』
そんなことを言ってみても、僕にその「訳」とやらに心当たりがあるわけではく、どちらかと言うと、僕自身の願望が言わせた言葉だった。
僕はそれから、海岸線を彼女の影を求めひたすらに走り、店の軒先やショッピングモールの駐車場など、人が集まっている所を、彼女のバイクを探して歩き回った。しかし回っても回っても、目当ては見つからない。
期待を裏切られる度に気分は悲壮になり、もう最後は形振り構わず、アパートの駐輪場から民家の軒先まで、彼女の愛車をメチャクチャになりながら探していた。それでも、手がかり一つさえもみつからなかった。
++++++++++++++
「あ、鈴……子……。」
『……お留守番センターに、接続……』
ピッ!
今度こそと思い電話を掛けると、今日、もう10回は聞いた音声が返ってきた。照れる鈴子を捕まえて撮った、解体の待ち受けになっている彼女のポートレートに、思わず語りかけた。
<電話すら掛からないなんて、一体どうしちゃったんだよ……。>
いつも僕が仕事から家に帰ると、飛び出してきて迎えてくれた鈴子だった。今までにも僕らの間では、いろいろと問題が起きはしたが、その度に鈴子の方からアクションを起こし、問題を解決へと導いてくれた。
モテないダサい男である僕、方や鈴子はアイドル級の人気者。実際、沢山のイケメンや御曹司からアプローチ掛けられていたというのに、彼女は僕を選んでくれた。
それだけではない、自信がどうしても持てない僕に、自分にとって僕という人間が、どれほど必要不可欠な存在なのかを、必死になって伝えてくれさえした。
そんな彼女の姿に、何でも半信半疑であるはずの僕は、この人の言うことだけは、本当に信じて良いんだと、心底、思うようになっていた。
でもその彼女が、自分から姿を消し、連絡を断ってしまった……。
なんで?
それを考え始めると全てが分からなくなり、チラチラと最悪のことが脳裏に広がっていく。
……実は今までのことは全部、僕みたいな風采の何らに男を弄んだ、「ドッキリ」紛いの手の込んだお遊びだったとか、遊びとまでいかなくても、結婚直前にハタと我に返り、僕みたいなヘタレなんか捨てて、あの写真の中の誰かと、駆け落ちした……とか。
<いや、鈴子はそんな娘じゃない……。>
ここ最近は、ほとんど一緒に過ごしてきたのだ。あんな心の綺麗な彼女が、人を騙すとか、ここまで来て、僕を捨てて他の男に走るとか……あるわけ……ない。
<いや待てよ、でも……、>
今度はさっきのアルバムの一件が脳裏に蘇える。そして、お前、鈴子のこと、誰よりも分かっているつもりでいたのが、何にも分かっていなかったじゃないか……。
嵐の様に頭に浮かんで消える、様々な考えに弄ばれ疲れ、僕は呆然とバイクを走らせていた。
流れていく町の様子が、妙に現実感が無くって、異世界のように遠く感じる。
そんな「心ここに有らず」な危ない運転をしていると、見覚えのあるところに差し掛かった。あまりここら辺りには馴染みがない僕なのだが、道の側の特徴のある民家や店舗、海に妙な形をした岩とか、確かに見覚えがあった。
右手に山、左手に海。山が海まで迫っている地形。その海と山の間を道路が通っていて、道路の左側には波から道路を守るようにと、ずっとコンクリートの防潮堤が続いている。
<あ、そうだ……。>
しばらく思い出そうと、もがいていた僕は、いつここを走ったのかを思い出した。
それは鈴子と初めてタンデムをしたあの晩……。あの時のことは、僕にとって人生のクライマックスとも言えるような出来事だった。
ふとした思いつきで誘った、初めてのタンデム・ミニツーリング。成り行きで婚約はしたものの、どうも興味が持てなかった鈴子のことを、真剣に生涯の伴侶と考え出したあの晩。
……あの時の胸の高鳴りは、単なる僕の勝手な思い込みだったのか?
そう思った瞬間、ギュッと胸が締め付けられる。
その少し先、道路に隣接して、数十台か駐められる駐車場が設けられていた。
<ここだ……。>
紛れもなく、あの思い出の駐車場だった。
胸の高鳴った語らいのワンシーン・ワンシーンが脳裏に過ぎる。懐かしく感じると同時に、無性に苦しくなって、急いで通りすぎようとスロットルを空けた、その時……。
<あっ?!>
対向車のヘッドライトに、駐車場でたたずむ人影が浮かび上がり、目の端をかすめた。
僕は反射的にスロットルを戻し、フル・ブレーキを掛けた。バイクは無茶なことを強いる今日の主人に不平でも言うように、路肩にたまっていた砂を舞い上げ、車体を軋ませながら、その駐車場の少し先で止まった。
僕はバイクを路肩に寄せ、急いでバイクから降りると、海をジッと見つめながら、一人佇んでいるその人影を注視した。
男か女かやっと分かるぐらいの距離、行き交う車のライトによって照らし出されたそれは、僕が良く見知っている人と重なった。
僕は体中が震え出す。なかなか切れない車の流れを掻い潜って、やっとのことでバイクを転回すると、逸る思いを必死で抑えて駐車場に戻る。
近づいていくと、もしかしたらと言う思いが、確信へと変わっていく。そうだ間違いなくその人影は、僕が尋ね人であった。
急いで近づいていこうと思ったが、丸まった彼女の背中を見ている内に、いきなりバイクで横付けして声を掛けるのは、余りにも無神経なように思えた。僕は少し離れた所でバイクから降り、一歩一歩近づいていった。
<鈴子……。>
鈴子はまだ僕のいることに気付いていない。
そこに佇んでいるのは、あの僕の知らない「鈴子」ではなく、何かあると直ぐメソメソしてしまう、僕の良く知っているの鈴子だった。
そして、僕の中に有ったわだかまりが消えていく……。
ずっと一緒にやっていた引越し作業だったのに、その一番大変な作業日に、ドタキャンされたときの戸惑いも、それに追い討ちをかけるような、アルバムの中の知らない鈴子の素顔がもたらした、心の揺らぎも、更にこんなに遅くなっても連絡一つしないどころか、携帯の電源を落として、コンタクトを拒否しているということも。
……彼女が居てくれさえしたら、もう、どうでも良い。
半日しか経っていないのだが、懐かしさに似た思いが湧き上がってくる。そして万感の思いを込めて、駆け寄ろうとした瞬間……。
僕は立ち止まった。