第五部 1
「あ、おはようございます。」
「あ、功太郎くん、良く来たね。鈴子、遅れるって……何で?」
「え?、何だか用があるって、言ってましたけど。」
今日僕は、鈴子の実家、すなわち鈴子が、お姉さんである時子さんと住んでいるアパートに来た。結婚式まであと4日。一緒に住む僕の家の受け入れ準備が整うまでということで、最後まで残していた、鈴子のタンス他の大型の家具を、移すことにしているのだ。
だのにだ、昨日の晩、急に鈴子のやつが明日の日中どうしても一人で行動したいと、言い出したのだった。
今までの彼女から言うと、あれ?っと思わないでもない、突飛な申し出に思えた。一体どうしたんだろうと思いもしたが、いつも積極的な鈴子の願いであるからには、よっぽどなんだろうと承諾した。
「そう……。でも、自分の妹のことを、あなたに聞かなきゃいけないって、変な感じね。それにしても、わざわざ今日みたいな日に、ねえ!」
ねえ!と言われても……、僕はじっと見つめる時子さんの視線に、微妙に硬くなる。
「……あ、さあ、どうぞ。」
僕は慌てて靴を脱ぎ、狭くはあるがきちんと整えられている玄関から、中に上がらせてもらった。
「あの子、こんな忙しい時に、何やってるのかしら……。」
時子さんは僕を案内しながらも、鈴子のことがまだ引っかかっているようで、不服そうにそう呟いた。
「え、まあ、……ですね。」
そう言われても困るんだけとと思いながら、適当に合わせる。でも、僕の心中は微妙に揺れていた。というのは時子さんなら、鈴子の遅れる理由を知っていると思っていたから。
「まあ、いいわ、じゃあ、私が手伝うね。」
「え?あ、……す、済みません……良いんですか?」
鈴子が遅れるいうことで、当初は全部一人でする覚悟だった。しかし考えてみると、今日のメインであるタンスの移動なんか、はっきり言って一人では無理なのである。それに気付いて頭を抱えていた僕には、時子さんの申し出は「渡りに船」だった。
胸をなでおろし、何度も感謝する僕を、先に行く時子さんは時折振り返っては、クスクスと笑う。
時子さんは鈴子とはずいぶん違って、色白で「博多人形」みたいな雰囲気の和風美女である。歳は僕より二つ上、婚約の時には、そのほっそりとした顔立ちや体型が、冷たく厳しく見えて、おっかなそうでビビった。果たして鈴子の話によると、今まで彼女に付きそうな「悪いムシ」には、苛烈と言えるほどの対応をしてきたという。
そんな時子さんが、一応承諾をしてもらってはいるとは言え、ほとんど同棲状態になってしまっている僕らの現状に、一言二言、お小言があるのは至極当然なのだ。いや、叱られるだけならまだしも、ここに来て変な事口走って、僕自身が話に聞いた「悪いムシ」の一匹になるのではと、本気で心配していた。
そんなわけで、奥に通されお茶を出してもらってからも、落ち着かずそわそわしていると、そんな僕に気付くか気付かないか、時子さんは至って砕けた感じで話しかけてきた。
「功太郎くん、わたし、覚えてない?」
「え?!」
「覚えてない?」と言われても……。困った顔をしていると、さもありなんと話を続ける。
「君、小岩浜だよね?」
「はあ、そ、そうですけど……。」
小岩浜高校……それは、僕の母校の名。一体それがどうかしたんだろうか。キョトンとした顔で、時子さんを見ていると、急に悪戯っぽい表情になる。
「私、小岩浜で、生徒会長してたんだ。」
「へ?……マジ?」
ウンウンと頷く時子さん。二つ上で生徒会長としたら、僕が一年の時なわけで……、記憶を辿っていくと、僕の脳裏に一人の人の姿が像を結ぶ。
「天原、天原って、……まさか……」
時子さんはそこで僕の話を止め踵を返すと、水屋の引き出しをゴソゴソ探し始めた。そのうち、有った有ったとこっちに向いた顔には、眼鏡がかかっていた。
「あっ……。」
知ってる、この顔!
母校では今でも語り伝えられている、伝説の人:天原女史……。才色兼備なスーパーウーマン、小岩浜高校の一時代を築いた、カリスマ生徒会長。
「あ、思い出してくれたかな?」
「え?! ま、まあ。」
「嫌ねえ、私なんか、この間会った時、一発で思い出したぞ!」
そう言って時子さんは、ちょっとおちょくるような笑顔をした。
……そ、そう言われても。
慌てる僕を面白そうに眺める時子さんだった。
こっちが知らなくって、あっちに知られているというのは、何だか先手を取られたみたいで思わず身構えてしまう。それでなくっても口の重い人間なのに、すっかり黙りこくってしまう僕だった。
そんな無愛想な僕を、時子さんは特に気にするよう素振りをすることも、無理に話させようともせず、感慨深げな顔をして黙々とお茶を啜っている。
<なんか、時子さん余裕だな。ちょっと年上なだけなのに、やたらに大人……。>
そんなことを思ってしまう。
暫くして時子さんはお茶を飲み干すと、両手の平で自分の膝をピシッと叩いて、元気良く言った。
「さ、しようか。何からするんだっけ?」
「あ、はあ……。」
時子さんはパッと立ち上がって、荷物の置いてある部屋のほうに進む。僕はそれに引っ張られるようにして、後を追った。
「じゃあ大物からね!」
と時子さんに仕切られつつ、鈴子の洋服ダンスを動かしにかかる。
「じゃあ、下村君、そっち持って。」
「あ、はい……。」
第一弾として、引き出しを抜いた洋服ダンスを、下の駐車場に停めてある、会社から借りてきた1BOX バンまで動かすことにした。
「足元、気をつけてよ。」
「あ、ハイ……。」
一緒に作業している間に、古い記憶が蘇ってくる。生徒総会の時の凛々しく輝くような時子さんの姿。そう、ただそこに居るだけで、その場が華やぐような人だった。
何をするにも格好良くって、頭の回転もやたらに早く、兎に角、当時の男子生徒は、誰もが一度はこの人にときめいたと言われたのは、当然のことだろう。
その上、今、目の前に居る時子さんは、あの時の魅力に加え、大人の色気と包容力みたいなものも加わって、もうなんか、無敵って言っても良いんじゃないかと思う。
<でも何か変なの……、あのころ、みんなの憧れの人と、こんな形で親戚になるなんて……。>
変な気分の僕だった。
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岩場と砂浜が交互につながる海岸線。その側を「海岸通」は通っている。
この海岸通だが、海端を通っているといっても、地形の関係でかなりアップダウンがあって、特に「小崎」と呼ばれる、小高い丘がそのまま海に突き出したような形をしている岬を越える所は、峠道になっていた。
峠の天辺はそこそこ平らな所があり、駐車場と白亜の可愛らしい展望台がある。ここはかなり人気のスポットで、海の広々とした風景を満喫でき、真夏にはそのすぐ側にある海水浴場に行く人で賑わい、ピークを過ぎた今の時期は、サーファーたちが賑やかに行き来するところとなるのだ。
その片隅に、一人の女の子が愛車のSR400を傍に駐め、眼下広がる青い海を何やら感慨深げな眼差しでじっと見ていた。
何でもないジーンズにTシャツを着ている彼女なのだが、メリハリのあるスタイルをし、ドキッとするようなオーラを漂わせるその娘が着ると、訳もなく決って見えてしまう。
そんな彼女に、サーフボードを抱え、側を通りかかるサーファーのにーちゃんたちが、ちょこちょこ声を掛けるのだったが、誰も色よい返事はもらえなかった。というか、どうも彼女には彼らの声は届いていないようで、振り向くこさえすることなく、ひたすら吸い込まれるように海を眺めている……。
そんな彼女も、海に正午の時報がなると、背伸びをして深呼吸をした。それから駐車場の橋に設けられている、砂浜への階段を降りて行く。夏の海水浴の時期の余韻が漂う砂浜は、どことなく寂しい雰囲気で、そんな中、往く夏を惜しみつつ人々は波と戯れていた。
彼女は砂浜に降りると、今度は真直ぐ海を見据え、脇目もくれず波打ち際に向かって歩いていった。サクサクと砂を踏みしめる足音は、程なく彼女はキラキラと波が光り、潮騒が辺りを満たす水際に至って止まった。
彼女は潮騒に耳を傾け、水平線を眩しそうに眺め、ボーっと海面に浮かぶサーファーを眺める。それからあてどもなくフラフラと波打ち際を歩き始めた。時折、頬を撫でる潮風、それを頬に受けては堪らなく気持ち良い!!見たいな表情を浮かべた。
時折、しゃがんでは打っては寄せる優しい波の中に手を差し入れ、打ち寄せる波と戯れ、掌の中でキラキラと波が光る……。それは、まるで一幅の絵のような情景。
「よ、スーちゃんじゃん!」
突然、自分の名を呼ぶ声がして、彼女は振り駆る。そこにはサーフボードを抱えた、何人かのサーファーが、ニコニコしながら立っていた。
「あ、俊太くん!」
「そうそう、おめでとー。テレビ見たぞ。」
「あ、……う、うん、……ありがと。」
「なんか、寂しくなるな。結婚しても、海、来いよな!」
「あ、……うん。」
彼はそう言うと、手を振りながら行ってしまった。
「おめでとう……か……。」
祝福を受けたその娘。彼女の顔が、どことなく不安げで寂しそうに見えたのは、気のせいだったのだろうか……。
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「いらっしゃい。……って。」
「こんにちは。」
俺は昼のピークが終わり、もう少ししたら、今度は午後のティータイムのお客さんの時間になろうとしていた頃、さあ、昼のゆっくりした時間のここら辺りまでと、気合を入れて立ち上がった時だった。エントランスのカウベルが来客を知らせた。
俺はいつものようにお客さんを迎えようと、エントランスの方に向き直り、挨拶をしようとしたところで、固まってしまったのだった。
「スーちゃん……。」
トロピカルなテイストで統一している俺の店。目の前の道路の向こうは直ぐに海になっていて、全面ガラス張りになっている客席からは、美しい海岸線が一望できる。
大分前、タウン誌がウチの評判を聞きつけて取材に来た。その時、ここら辺りではそれなりに名の知れた店になり、一昨年にはそっち系の紹介番組で取り上げられ、今はすっかり全国区だ。お陰で最近は、県外からのお客さんも倍増し、中には各界で名の知れた人もその中に居たりして、忙しい日々を送っているのだ。
「ここ、いいかな?」
「ああ、君ん席だろ。」
「……え、ええ。」
スーちゃんは、ちょっと視線を泳がせながら、彼女の「指定席」に着いた。
「指定席」と言うのは、内の店にあるオープンキッチンの5席のカウンター席のことで、ここにいつも油を売っている……いや、正確には油を売っていた5人が、座っていた席のことだ。
そいつらはガキの頃からのダチで、いつもつるんで遊んでいた。その中の紅一点が、いま、そこに座ったスーちゃん、そう、俺らの憧れの的、天原鈴子である。
……もう、こんなことなんて無いと思っていたのに……。
気が付くと俺の胸は、抑えようもなく高鳴っていた。