第四部 7
……あ、寝てた。
僕はいつの間にか寝ていたのに気付いて、薄目を開けた
<夜……?>
朦朧とした意識、まだ夢の中に居るようで、自分がどうしているのか、霧につつまれているような感じ。僕は、頭の中に蘇ってくは消えていくシーンをボーっと眺めながら、ゆっくりと記憶の綱を手繰り寄せる。
……ギラギラ光る太陽、真夏の青い海、海岸いっぱいのギャラリー……。
紡がれていく一日の記憶に、嬉しくなったり、寂しくなったり、不安になったり……。あまりに浮き沈みの激しかったた一日。その記憶の真ん中に居るのは、言うまでもなく鈴子。
<あ、鈴子どうした?>
クルクル世話を焼いてくれていた彼女の様子を思い出し、目が覚めて真っ暗になっている現状に、彼女があれからどうしたのかと気になった。
<さすがに今日は帰ったか……。疲れただろうし、仕様がないよな。>
最近、夜の間中ずっと点いてた僕の部屋の明かりだった。結婚式の準備が佳境に入るも、慣れない人間がやっているものだから段取りが悪く、ここ一週間はそっちの仕事に追われまくっていたのだ。その上この頃は、最近覚えた「チュッ」とか「ギュッ」とか、「恋人のスキンシップ」なんてのがその合間に入り、ほとんど連日、半徹夜になっていた。
それが今日は、真っ暗でひっそり静まりかえっている。
どうなっているか、部屋の様子を確認しようと起き出そうとしたとき、足元に重い物がドンと有るのに気づいた。もしやと思って起き上がると、果たして彼女がベッドに突っ伏していた。
「鈴子……。」
どうも彼女はすっかり寝入っているようだった。
僕は彼女が居てくれて、一瞬沈みかけた僕の心は一気に元気になる。あまりに現金な自分の心に、嬉しいような、それでいてちょっと悔いような変な気分だった。
……隣ではしゃいでいた鈴子を眺めては、こっちもワクワクし、イケメンたちと戯れ合っていた彼女を見ては、ズドーンと落ち込み、遠く放送席にたたずむ彼女に、ぞっとする寂しさを感じ、思いつめた顔をして、こっちをじっと見ていた彼女には、どんなことをしても励ましたくなる……。
そして、救助にどうにか成功し、命からがら海岸に上がってきたとき、胸に飛び込んできた彼女。彼女から注がれる真実な愛情を噛み締めながら、ああなんかもう、”死んじゃっても良いかも!!”とか思ったりしちゃってた……。
<「死んじゃっても良い」……って。>
思わず頭の中に浮かんだ言葉に、もう「自分はクールに決めているんだ」なとど、絶対言えないと溜息をついた。
それはそうと、鈴子には大丈夫だと言ったものの、今日の救出劇、正直かなり危なかった。
喘息持ちだった僕、小さいころからのスイミングスクール通いで、泳ぎにはかなり自信があった。さらに水難救助についても、一時期、海岸に通っていた僕には、ライフガードの友達がいて、誘われてそっち系の講習を受けたり、実際に少し手伝いもしていたこともあった。だから、救助に付き伴うリスクついても、一通りの知識は有る。
僕はあの時の状況から見て、僕が助けに行くしかないと判断した。でも今考えると、それはやはり甘かったと言わざるを得ない。
まず久しぶりに全力で泳いでみて、自分の泳力が落ち様には愕然とした。毎日海に来ていたころとは、ずいぶんと違った。一番危険な溺れている子を捕まえることは、セオリー通り後ろから上手く捕まえられ良かったのだが、もうその時点で僕の体は既に悲鳴を上げていた。それから岸に向かって泳ぎ始めたのだが、思うように体が動ない。僕の脳裏には「死」という言葉が過り始めていた。
<おい、救助に向かっていながら、ここで沈むのか?!>
助けた子供も連れているのだ。どうしても戻らなければ……。しかし、焦れば焦るほど、体の反応は鈍くなり、陸が遠く思えてくる。
そんな中だった。僕の頭の中にふと浮かんだのは、すがるような視線を向ける鈴子だった。
<鈴子……。>
もし帰らなかったら、彼女はどうなるんだろうか……。
死に別れた父母のことを話してくれる時の彼女は、まるでガラス細工の様にデリケートでか細く、下手に触ると壊れてしまいそうな危うさを感じる。そんな彼女が、もし結婚を目前にしてフィアンセを失ったら?
命に替えても、守らなければならない。
彼女を心を、彼女の命を……。
くっそー!! 絶対に生きて帰ってやる!!!
そう思った途端、僕の中の何かに火が点いた。力が悠然と湧き上がり、まさにひと飲みにしようとしていた不安や恐怖の影は、すっかり蹴散らされていった。
そこまで思い出し、ベッドの上で暗い天井を見つめつつ、大きく深呼吸をした。
ハー……フー……。
なんか、知らない間に体が強張って、額から汗が吹き出していた。
静に口から空気が肺の中に入っていくの確認してみる。自分の手、足、体……、動かすとちゃんと動く。綿毛布の感触、うん、確かに生きているな。
<鈴子、おまえんところに、帰ってきたぞ……。>
僕は堪らなくなって、ガバッと起き上がって突っ伏している彼女の頭に手を置いた。髪の感触と温もり、息の度に動く肩を見ながら、一人、感慨に耽る。
そう、僕の胸に飛び込んでむせび泣いていた彼女。僕はそれだけ見て、どんな気持ちで僕のことを待っていたかが分かった。そして、そんな彼女が居てくれたからこそ、こうして帰ってこられたんだと思った。
<ホント、ありがと……な。>
ぐっすり寝ている彼女の頭をなでながら、まだ言えていなかった礼を、心から言った。
「おっと、こうしちゃいられない。」
しばらく感動に浸っていた僕だったが、彼女をこのまま寝かしておくわけにはいかない。こんな恰好で寝ていたら、いくら夏だって体に良いはずはない。少なくとも、明日の朝には、あちらこちら痺れていることだろう。僕は彼女を動かして、ベッドに寝かせることにした。
<さあ、どうするか……。>
疲れている彼女をどうにか目を覚まさせずにベッドに寝かせたいのだが、ヘタレな僕は、うつ伏せでベットにもたれかかっている体勢の彼女を、静かにお姫様抱っこするパワーはない。結局、あんまり恰好を考えず、脇に手を差し込んで単純に抱えあげることに決めた。
じゃあということで、腕を脇に差し入れようとしたところで手が止まった。と言うのは、考えてみたら、それはまさに、バックからガバッと抱きつくことになるのだから。
……そうだ、もし最中に彼女が目を覚ましたら、どうなるのか?
……だからと言って、このまま放っておくのか?
しばらくあーでもない、こーでもないと考えてみても、妙案は浮かばなかった。だったら、成るようになれと、思い切って彼女の脇から腕を通した。
思った以上に細いウエスト、それに女の子の服って、やたらにツルツルで柔らかい。それに腕にポヨンと触れているのは、まさしく彼女の豊かな胸。
キャミソールを着ている彼女。Tシャツ一枚の僕の胸には、彼女の体の感触と温もりも、ほとんどダイレクトに伝わって来ている。気づくと僕の心臓は、僕の胸の中でムチャクチャに踊り回っていた。
ドクン、ドクン、ドクン……
クールなはずの僕の理性は、ドクンと鼓動が一つ一つ打つ度に微妙に揺らぐ。
<とっ、兎に角、……ベッドに寝かさなきゃ。>
自分の動揺している様に、僕は益々不安になる。これはサッサと終わらせてしまわないと、どうなるか分からないと思い、慌てて腕に力を込めギュッと彼女の体を抱き上げる。
僕の腕に抱かれた彼女の頭から女の子独特の香りが香り、持ち上げようとして腕は、微妙にずれて、グニュッと彼女の胸を思いっきり拉いでしまった。
……何だかマジ、頭がクラクラしてる。
<く、くそ!、行け!!>
これは本気やばい!と感じた僕は、そのままトリャ!!と、彼女を抱いたままベッドにダイビングした。
<絶対に目を覚ましたぞ……。>
倒れ込んだ時の、思った以上にデカいベッドがきしむ音と衝撃に、肝を冷やした。僕は慌てて彼女を離すと、彼女はムニャムニャと言って、寝返りを打ち仰向けになる。
「鈴……子?」
僕は恐る恐る声をかけてみた。あれだけの衝撃と音に、目が醒めないはずはないのだが……。
しかし、聞こえてくるのは安らかな寝息。彼女の眠りの深さに唖然とする僕。
淡い光に照らし出される彼女は、口が薄く開いてて、髪は乱れ、ブラの紐は肩から落ち、いつも膝をくっつけてお嬢様っぽくしているのに、寝返りの拍子に股がバーンと観音開き状態。流石にこの「股」は、可哀想だったので、足を伸ばして整えてやる。
それにしても、こういう微妙に乱れている状態と言うのは、やたらに刺激的だ。僕はこの彼女の姿に、理性の最後のセーフティーロックが、弾き飛びそうになっていた。
しかしだ、僕は「初めて」を、寝首をかくようなことは絶対にしないと決めていた。だって、僕らは一夜だけの関係じゃないのだ。これから生涯を共にする僕ら。大切な初めてなんだから、お互い、本当に望んで結ばれたいと思っていたから。
見ているうちにゴニョゴニョと口が動いた。ゴソゴソとしているので、おっ!起きるかと思って観察していると、彼女はポロッと寝言を零した。
「コウタロウサン……。」
そう言ってフッと微笑んだと思ったら、一つ大きく息をして、また安らかな寝息。
……鈴子。
暗い部屋、僅かな光に滲む部屋の風景。そんな中に横たわる最愛の人。
僕のことを夢にまで見てくれるその人の顔を、もっと近くで見たいと顔をのぞき込んだ。
そのとき初めて気付いたのは、彼女の目が泣き腫れ、睫が涙に濡れていること。なのにその顔に滲んでいるのは、見ていてウットリするような幸せそうな笑み……。
<どうして泣いた? どうしてそんなに幸せそうなんだ?>
ドキドキしていた僕の心臓は、その笑顔に急に静かになった。
「な、なんか、こういうの見せられると……。」
……起こせないじゃんかよ。
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「えっ、功太郎さん?……モー」
気が付いたら、わたしはベッドに寝かされていた。功太郎を看病しているはずなのに何で?と思って、起き上がってベッドの脇を見ると、果たして彼が毛布に包まって寝転んでいた。
<だから、寝とかなきゃいけないのは、功太郎さんなんだって!>
急いで飛び起きて、彼を揺さぶる。
「功太郎さん、こんな所に寝てちゃダメ。ベッドに寝て!!」
いくら揺すっても、ムニャムニャと言ってるだけで起きない。
「仕様がないなあ。だから、溺れかけた人は、しばらくは様子見ないといけないって……。」
わたしはちょっとムッとして、寝ている彼に文句言ってみる。でも、寝入っている彼なのだ。どんなに零しても何か言ってくれるはずもない。
そんな彼をジッと見つめていると、わたしの目に、また涙が溢れ始めていた。それは、苦しくて嬉しい涙……。
わたしは昨日、彼を失うということがどれほど辛いことなのか、そして彼が居てくれることが、どれほど幸せなことなのか、一辺に味わった。
彼が遠くに行ってしまっては泣き、どこに行ったか分からなくなっては血の気を失い、海に出て行ったことを知らされて、もう生きた心地がしなかった。
もし、もし彼が帰ってこなかったら……。
そう考えてしまうのは、帰ってこなかった父を持つ、わたしの心に疼く深い傷のせい。
一人では、彼をベッドの上に移せないので、一つ、工夫をした。ヨイショヨイショとベッドの上の布団をフローリングに下ろして、卓袱台を退けて彼の直ぐ横に敷いた。今度は、彼をゴロゴロと転がして、布団の上に移動させる。
「アハハ、上手くいった!」
わたしは布団の上で、気持ちよさそうに寝息を立てる彼を見て、我ながらナイスなアイデアだったと自賛した。
<じゃ、わたし、……どうしよう。>
時計を見ると、まだ4時をさしていた。このまま起きるには少し早いし、それにわたしがゴソゴソしていると、功太郎さん起きちゃうかもしれない。……。
色々と考えながら、またジッと彼を見ているうちに、わたしの胸がまたキュンキュン言い初めて苦しくなる。結局、布団は一枚しかないということで、彼の布団の空いている所を、ちょっとだけ借りることにした。
真っ暗な天井を見つめながらも、意識は隣から聞こえる安らかな寝息に向いていた。
<功太郎さん、帰って来てくれたんだね。>
大好きな人っていうのは、居なくなってしまうかもしれない……。わたしの心の底に潜んでいたそんな恐怖が、今まで大好きな人を作らないようにしていた、理由だったのかもしれない。
でも功太郎さんと出会ったわたしは、心に疼いていた痛みなんか、みんな忘れてしまうほどに、彼のことが大好きになってしまっていた。わたしは彼と一緒にいると、今までの悲しく寂しいことなんて、みんな夢の中のことみたいに遠くに朧に感じるようになっていた。
そんなわたしを襲った今日の出来事……。
だけど、功太郎さんは帰ってきてくれた。
そしてわたし、本当に分かった。功太郎さんは、どんな所からでもわたしの所に帰ってきてくれる人なんだと。
わたしを絶対に一人にしない人なんだと。
功太郎さん……
ありがとう
本当に、ありがとう
わたしはずっと、あなたの側にいます。
ちょっと恥かしかったけど、今までそっと触れていた彼の手をキュッと握った。