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第四部 6

 雅司の店……、カウンターでコップを磨くこの店の主と、そこに座る背中を丸めた男二人。いつも大繁盛のこの店にしては、いつになく静かな夜を迎えていた。

 暑い夏の日が落ちて、心地よい潮風が吹いている。そんなほっとするような時なのに、店の空気は、どんよりと重い。

 突然どこからか、シンセとギターのノリの良い曲が聞こえたと思ったら、和夫が慌ててポケットからケイタイを引っ張り出した。

「あっ……。」

液晶を見て、驚きと喜びを輝かせた彼は、急いでメールを読み始める。

「誰?」

雅司が聞く。

「ん? スーちゃん!」

「そっか……。」

隣に座っている時也は、何も言わずに、ウザったそうにその様子を横目で見た。

 初めは見るからに嬉しそうな顔だった和夫。しかし、その表情は直に沈んだものとなり、読み終わると呆然と画面を見つめたまま、固まってしまった。

「だから言っただろ。来る訳ないって……。」

時也はそうなることを見越していたように、吐き捨てるように言った。実は和夫、昼間の騒動の後、功太郎と帰ってしまった鈴子を、この後、駅前の居酒屋でもたれる、自分のコンテストでの優勝を祝う宴会に、呼んだのだった。

「で、何て?」

皿を磨きながら二人の様子を見ていた雅司は、和夫に聞いた。和夫はえ?って顔をするも、仕様がないなと諦めた様子で、液晶画面に映る文字を棒読みする。

「『和夫くん、おめでとう! 凄くかっこいいライディングだったね。今晩のことだけど、ゴメン、今日は無理です。家族が寝込んでるので、一人にできないから。』」

<「家族」って何だよ?!>

和夫は口の中で呟く。

 ……さっきスーちゃんの家に電話したときは、時子姉さんが出て「鈴子は居ない。」って言っていた。っていうことは、時子姉さんじゃないとしたら、スーちゃんの家族って……。

 時子以外に肉親の居ない鈴子なのだ。あと「家族」なんて呼ぶようなヤツがいるとしたら、もう一人しかいない。

「くそっ!」

和夫は髪の毛をグシャッと掴んだ。

 「無理にでも、東京、連れて行こうと思ってたんだけどさ……。」

時也が横で悔しそうに漏らす。ちょっとビックリした顔をする雅司。

「スーちゃん、いきなり居なくなって、あの後、大変だったぜ。彼女にちゃんと今日の事、話してなかったのバレてさ、絞れちまった……。それに、さっきテレビ見てたら、やっぱニュースに出てたな、今日のこと。

……小宮山さん、それ見てて、こんなに顔売れちまったら、アイドルでデビューさせるって言ってもなあ……って。」

あー参った参った……自虐的に笑って見せるのだった。

 店中が溜息でいっぱいに満ちていく。

店内に流れるノリの良いロック、そしていつもと変わらない耳をすますと波の音、店の前の道路を車……。そんないつもの風景が、今日はやたらにイヤミに思えてならない。

 そうだ、この風景の中で育んできた二十年来の夢だった。そんな夢が砕けた晩なのだ。何もかにもが、湿っぽくっても当然だろう。三人は思い思いのものを見つめて、深い沈黙に沈む。


 和夫は大きな溜息をつくと、呟くように話し始めた。

「なんか、今日のスーちゃん、スーちゃんじゃないみたいだったな……。」

和夫がそんなことを言うと、雅司は何言ってるんだ?みたいな顔をし、方や時也は腹立たしそうに、手の中で弄んでいたグラスをあおった。和夫は続ける。

「オレたちにとっちゃ、スーちゃんって言うのは、憧れの的だったよな。カッコ良くって、何でも出来て。まあちょっと、キツところもあったけど、それでも、何か魅かれてしょうがないっていうか……。」

「いつもキラキラ輝いてた……。」

時也が応える。

「でも、今日のスーちゃん、ずっとメソメソしてて、あいつにベッタリだったし、いつもならコンテストとなると、鬼みたいに練習して、傍で見てると怖いぐらいの時あったのに、今日なんかコンテストのことなんか、全然、興味ないって感じで……。」

時也は相槌を打った。雅司は何だか興味深そうな目を向ける。そして時也が続けた。

「なんかさー、すっかり、普通の女の子になってた……。」  

「……『普通の女の子』か?!」

二人の語りを聞いていた雅司は、思わず吹いた。

「おっまえら、よくそれて、スーちゃんのこと、好きだって言えたもんだな。」

「なんだよ。」

「うっせーな。」

和夫と時也は、不服そうに雅司を睨んだ。

「じゃあ、お前は違うのかよ?」

「んな、決まってるじゃんか。スーちゃん、あれでいて、『普通』に可愛いところあっただろうが。」 

「そりゃ、顔とかスタイルとか、可愛いけどよ、『普通』って言うのはどうか?」

「そうそう。」

雅司は呆れた顔で続ける。

「何言ってんだか……。そうじゃなくって、オレらと居るとき、実は結構、無理して頑張ってたり、可愛い見栄張ってシッタカして、後で必死に勉強したりとか、やってたろうが……。 」

「そっか? そんなこと、ねーだろ、スーちゃんに限って。」

「そうそう。」 

雅司は二の口が継げずに、目を瞬かせて二人を代わる代わる見た。

「おまえら、マジでそう言ってる?」

「なんで?」

「こんなとき、冗談なんか言うかよ。」

キョトンとした顔をして、こいつ何が言いたいんだみたいに、雅司をジロジロ見る二人だった。

「……そっか。」

雅司は溜息をついた。

「何だよ……。」

「おい、雅司!」

二人は呆れている雅司に食って掛かる。しかし、雅司はそんな二人に、言っとけ!みたいに、取り合おうとはしない。


 微妙に苛立った空気に、三人はまたもや口をつぐんだ。しかし口をつぐむと、空気の重さが一層感じられて、気持ちは沈むばかりだった。

 しばらくすると、その重さに耐えかねたのか、和夫が言葉を零した。

「だけどさ、……何であいつなんだ。」

ジッと焦点の合わない目で、前を見つめる和夫。

「だなよ、もう少しですっげー人気のアイドルにもなれたし、金だって嫌って程儲かってさ……。あんなふうに簡単に蹴っちまうなんて、スーちゃん、どうしちまったんだ……。」

時也は本気で分かんなそうな顔をした。そんな二人を代わる代わる見ていた雅司は、苦笑交じりで呟いた。

「……勝負になってないってことなのかな。」

そしてコンと磨いたグラスを置き、ふらっとカウンターを離れた。行った先はトイレ。

 終わって手を洗らいながら、鏡に映る自分をボーっと見る雅司。彼の肩が不意に震えたと思った次の瞬間、鏡の中の彼の目には、涙が光っていた。

   

  +++++++++++++++


「ちょ、ちょ鈴子……。」

「あ、大丈夫だからね。ゆっくり寝ててね。」

こういう時って、どういうのが体に良いのかしら? などと独り言を言いながら、鈴子はクルクルと台所で料理していた。

 でも僕の気になるのは、彼女の顔や腕の青痣だった。言葉を濁す彼女だが、相当無理をしてあの人垣を抜けてきたことは、直ぐに分かってしまう。


 <別に僕なんか、ちょっと長い距離、泳いだってだけなのに、なんだ、鈴子ったら……。>

鈴子は僕のことを、海からここに帰ってくる間中、「大変だったでしょう、体、大丈夫ですか、疲れたでしょう」と、まるで重病人にでもするかのように扱うのだった。そればかりではなく、僕が途中で、ちょっとフラっときたのを目敏く見つけては、わたしに捕まってください!と、自分の肩に捕まるように迫る。

 たいしたダメージでもないのに、女の子の肩に捕まるなんて、恥かしいしできるはずもない。大丈夫だからと言い張る僕だったが、遠慮しないでくださいと頑として迫る彼女の前に、結局、彼女の肩にちょこっと捕まってみた僕だった。

 <なんか、鈴子の肩って、ちっこいな……。>

女の子の肩って、男のそれと厚さから全く違う。なんか妙に感動してしまった。

 でも、そんなニヤけるのも束の間、今度は「なんだコイツ、スーちゃんに、やたら馴れ馴れしくしやがって、はぁ?!」みたいな、あちこちから投げかけられる、槍のような鋭い視線の洗礼を受ける。

 もう、マジ全身ザクザク、本当にヘトヘトになってやっとのことでタクシー乗り場まで、行き着いたのだった。

 タクシーの中で、僕が彼女の過保護に少し不平を鳴らすと、鈴子は急に居住まいを正して、子供に言って聞かせるように説明するのだった。

「功太郎さん、海に溺れた時は、後から大変になることも有るんですよ!」

<あ、それ、聞いたことある……。>

そう、「二次溺水」というヤツね。

「だから、わたし、ずっと付いていますね!」

24時間は側に誰かいないといけないんです!と言って、鈴子はヘヘーっと嬉しそうにした。そしてするっと僕の脇の下に手を通す。ピクンと反応してしまう僕。

「……でもさ、あの、僕、そもそも溺れてないんだけど。」

 照れ隠しにそう突っ込む僕に、え゛?!みたいな顔をするも、彼女は良いから良いからと誤魔化して、結局、家に着くまで、ずっと腕に取りすがっていた。

 タクシーを降りると、今度は「階段、危ないですから。」と、今度は腕を肩に回してくださいと迫ってきた。ちょっとそれは……とやっていると、彼女、グイッと僕の手を引っ張て自分の首に回す。そこまで行くと振り払うことも出来ず、僕は鈴子に肩を借りて、引っ張られるようにしてアパートに帰ってきたのだった。

 しかしだ、助けに行ったはずなのに、いつの間にか溺れたみたいに扱われるのは、どうにも承服しがたい。微妙に悔しい気分。でも、鈴子の嬉しそうに世話を焼く姿に押されて、「寝ててね!」と、笑顔で言う彼女の言葉に従って、ベッドの綿毛布の中に潜り込んだ。


 「ハーイ、出来ました!!」

「あ、ありがと……。」

しばらくすると、明るい鈴子の声が聞こえてくる。僕はベッドから起き出して、卓袱台に付こうとした。するとこっちに来ようとしていた彼女に、ダメダメと睨まれる。

「ベッドに寝ててください!!」

え?なんで?と思って見たら、彼女はどこから出してきたのか、ずっと昔に行方不明になっていた小さなお盆に、消化の良さそうな煮物とオジヤを載せて、こっちに向かってやってきていた。

「オジヤ……?」

真夏にオジヤかと思わず零してしまった僕に、鈴子はちょっと膨れて、解説を加える。

「大丈夫、少し冷ましておきましたから。冷たいのだと、お腹ビックリするでしょ。」

彼女が話している間にと、ベッドから起き出して卓袱台に座ろうとした僕を、彼女は、ハイハイ、そのままそのままと押し返し、枕元までやって来た。

「じゃあ、食べましょ。」

「んじゃ」とベッドに腰掛た僕は、どこにお盆置こうかとあーでもない、こーでもないとしていると、あ、ダメダメとそれすら制される。

 僕は訳分かんなくなって、じゃあ、どうすんだよと、抗議の目を向けると、彼女はお盆を横っちょに置いて、僕の肩を抑えつけた。

<え? 何??>

押されるがままに、ベッドに仰向けになってしまった僕。襲われるのかと身構えると、いきなり口元に、オジヤの入ったレンゲが差し出された。

「はい、あーん……。」

鈴子は僕の口元をじっと見て、それが開くのを待っている。

「ちょ、まっ……。」

「ダメです、はい、あーん。」

レンゲにいっぱい入っているオジヤ。よく見ていると、表面張力でやっと収まっていた中身が、今にも零れそうに揺れていた。

<あ、ああ、……。>

思わず僕の口が開いた所に、スポッとレンゲが入ってきた。

「はい、おいしい?」

満面の笑み。


……完全に見切られている……。

  

そう、思った。

 

 

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