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第四部 5

 背を向け走り去って行った彼の後ろ姿を見たとき、不意にわたしの心に衝撃が走った。功太郎さんの後姿が、いつもと全然違って見えたから。

---私たちの間に、取り返しの付かないことが起きようとしている。

そんな閃きのようなものを感じた。

 <……まさか……。>

咄嗟にその突然の心の動きを誤魔化そうとした。身動き取れない今のわたし。もし、そうだとしても、どうしろと……。

 だけど、そんな小手先のことなんか役に立たない。不安は次から次へと押し寄せてきて、心臓は苦しいぐらいに高鳴り始める。どうにか静めようとしても、何かで紛らわそうとしても全然ダメだった。

 そう言えば、こんな時のわたしの「勘」はバカに出来ないと、よくお姉ちゃんが言っていた。何か起こるときは、何故か必ずわたしがゴネるんだって……。

 お姉ちゃんが財布忘れた時も、わたしがしきりに忘れ物はないかと聞いたりしたとか、わたしが自転車に乗っていて、車とぶつかった時も、出る前に気がすすまないと溜息をついていたとか。

 それに、お父さんの時も、そうだったって……。

……お父さん?!

 わたしは、そこまで思い出したところで、膝が震え始めた。

うちの父は、出勤途中に交通事故に遭い、他界したのだ。その朝、まだ物心付いて間もないわたしが、いつになく聞き分けが悪く、なかなか父親を離さなかったという。

 <ど、どうしよう……。>

不安はあっという間に「雪だるま」のように膨らんでいく。

 単なる思い過ごしなら良い。でも、万が一と言うことがあったら、お父さんとの別れみたいに、それっ切りなんてことに、なってしまったら……。

 <ダメ!! 絶対にダメ!!>

そう思ったら、もうわたしの体は動いていた。 

 時也君が目を丸くするのを横目に、わたしは人垣に遮二無二飛び込んで、間に割って入ろうとした。でもそんな簡単なものじゃなかった。直ぐに弾き返され尻餅をつく。それじゃあと、今度は四つん這いになって、前の人の足元に潜り込んだ。そして頭を無茶苦茶に足と足の間に、頭を突っ込んで潜り込んだ。

<絶対に、絶対に追いつく。そして、もう絶対に……。>


離さない……


 今日のわたしには、和夫君のことでなんだかフワッとした気分になって、ちょっと気の緩みがあった。その隙に付けこまれるように、わたしたちは引き離され、こんなことになってしまった。そしてそのことが、取り返しの付かないことなんかになってしまったら、わたし、わたし……。

 父のことも、後からわたしがゴネたことを聞かされて、どれ程、悔しく思ったことか。なぜ自分は、もっともっと食い下がることが出来なかったのか……と。

 その時のことを、ほとんど覚えていない自分には、どうしようもなかったことなのだけど、それでも何度もそれを思っては涙を流した。

 <だから、今日は絶対に!!>

 沢山の人の足元をゴソゴソ動のだくから、何度も蹴られたり踏まれたりする。でも、そんなことはどうでも良かった。あっちこっちに痣を作りながら、分厚い人垣を通り抜けることができた。

 でも、わたしの目の前に広がった、ビーチの光景を目の当たりにしたとき目を疑った。さっきまでの家族連れがのんびりくつろいだ雰囲気とは、全く違っていた。

 慌しく人が行き交い、怒鳴り声が聞こえてくる。余りのことに目を丸くして辺り見ていると、この騒々しさは、誰かが溺れたからだと、周りの人たちの話から分かった。

 わたしがビックリして立ち尽くしていると、消防車とパトカー、救急車のサイレンの音が聞こえてきた。わたしは何か出来ないかと、周りを見回し様子を伺ってみたけど、もう、救助には向かっているようで、わたしの出来そうなことはなかった。

<大丈夫かしら……。>

わたしは、波間に見えるライフガードの人たちの黄色いキャップを、見つめた。


 しばらく周りの人たちと、固唾を飲んで救助の様子を見守っていた。しかしハタと自分のしていたことを思い出した。

<そうそう、功太郎さんに、追いつかなければいけなかったんだ。>

せっかく抜け出して来たのに、こうしていたら意味がないと、慌てて辺りを探し始めた。

 頭の中に功太郎の姿を思い浮かべては、それらしき人を探し回る。

 あっ!!と思って、近寄ってみると、違う人。今度こそはと思って声をかけると、怪訝な顔をされ……。

 その度ごとに、不安はわたしの中で膨らんでいき、目眩のようなものを感じ始める。彼のケイタイに電話もしてみた。でも何度かけても「お留守番センター」にしか繋がらない。

 <功太郎さん、どこにいっちゃったの?>

もう、手遅れなのかもしれない。わたしの手の届かない所に、行っちゃったのかも……。天国に行っても、一緒に居てくれるって、あんなに真剣な眼差しで言ってくれたのに。

 自分の気持ちが、最悪の方に引き込まれるのを唇を噛み締めながら耐える。気がついたら涙が流れ始めていた。

 そうしているうちに、砂浜で行き来する消防士の人たちが交す言葉が耳に飛び込んできた。それは、初めに救助に向ったのは、ライフガードの人ではなく、一般の青年だったとの事。周囲に交される話を、注意深く聞いていると、その青年は紺色の海水パンツを着た、色白で中肉中背の髪を七三に分けた若者だったという。

 わたしの心にはそれを聞きながら、紺色の海水パンツを履いて、照れた顔でわたしを見つめてくれていた、功太郎さんの姿が脳裏に浮かんでいた。

 これでも、海には人一倍慣れ親しんできたわたし。海は大好きであると同時に、どれ程恐ろしいか知っている。子供さんを助けに行ったお父さんとか、溺れている友達を助けに行った大学生の人とか、助けるはずが逆に溺れて、亡くなったという胸が痛む話は、この海岸でも何度か聞いたことがあった。

 その度毎に、素人が溺れている人を助けることは大変危険で、特に救助用の道具を持たず、泳いで行って助けるということは、余程でなければ絶対にしてはならないことであること、耳にタコが出来るほど注意されてきた。

 <功太郎……さん、助けに行ったんだ……。>

わたしが探していた掛替えの無い人は、今、わたしの手の届かない海の中に居た。

 小さな男の子とを助けるために、文字通り命がけで救助に向っている功太郎。一見、クールで投げやりな感じがするけど、実はとても熱い心を持っている彼らしいことだと思った。

 そんな風に、彼らしいと納得し功太郎さんは本当に勇敢な人だと、感心するわたし心の底は、実は激しく動揺していた。

---でもね、でもね、こんなこと言いたくなるなんて、そんなあなたに比べて、余りに身勝手で、自己中だと思うけど……、

 <功太郎さん、お願いだから帰ってきて。格好良くなくっても、立派でなくても良いから……。>

 わたしは涙を拭って、目を上げた。何もできないけど、せめて見守らなけりゃと、唇を噛んで、波間に見える彼を見守りつづけた。 

 

+++++++++++++++++++


 テレビカメラは、サーフィン・コンテストから隣接する海水浴場で起きた、事故現場に移動していた。俺は慌てて取材に向かうスタッフを余所目に、居なくなったスーちゃんのことで、カリカリ来ていた。

……きっと、あいつを追っていったんだ。折角ここまで上手く行っていたのに、オジャンになるのかよ?思わず拳に力が入る。

 「笹塚さん、見てください。」 

横に詰めているスタッフの声が飛び込んできた。モニターに目をやると、海の中から黄色の水着を着た数人のライフガードが、ちょうど上がって来るところだった。

『大丈夫だ、助かったぞ!!』

そんな叫び声がスピーカーから聞こえてきた。しばらくするとそいつ等が、溺れていた男の子を、レスキューボードに乗せて浜に引き上げているのが映る。

『今、救助されました!! 大丈夫です!!!』

現地からレポートする興奮した記者の声。人だかりが一斉に救助された子供のほうに動く。

『茂樹!!!』

『良かった……』

警察の人や消防の人が、その人の波を制していると、集まった人を掻き分けて、その子の親らしき人達が駆け寄ってきた。そんな親に向かって、その子は手を伸ばししっかりと反応した。大分、疲れているようだけど、問題なさそうだった。

 直ぐに救急隊員が駆け寄り、手際よくストレッチャーに載せると、警察の人に守られた救急車まで搬送した。人だかりはストレッチャーを取り囲み、波打ち際から救急車の方に移動をしていく。

 救急車が人だかりの中からサイレンを鳴らしながら出発すると、どこからともなく、安堵の溜め息が漏れ拍手が鳴り響いた。さっきまで修羅場だったビーチは、ほっとした空気が包んでいった。


 そのとき、今度はどこからか、女の子の叫ぶ声が聞こえて来た。


 『功太郎さん!!』


<功太郎って、はぁ……?!>

嫌な予感が俺の中を駆け巡った。 

 その声が聞こえた次の瞬間、映っている画面が揺れた。目の前の記者も走る。一体何が起きたんだと、イライラして見守っていると、その揺れた映像の中に、上半身だけ海面に出したところで、女の子に抱きつかれて困惑している男が映った。

 「おい! こっちだ!!」

どこからか怒鳴るような声がしたと思うと、次々とライフガードや消防の人が駆けつける。 

 殺到する人々に押しくら饅頭にされ、また画面は激しく揺れた。しかし、カメラが負けじと、人垣を掻き分けて中に入って行くと、女の子を首に”ぶら下げ”て、よたよたと歩いている男が映った。

 その男にどこか見覚えがあった。もしやとモニターに顔を近づけよく見ると、その男の首に取りすがって、ぶら下がってるのは、他ではないスーちゃんだった。

<ってことは……。>

……下村?!

 つまんねーなーと退屈そうだった小宮山さんが、横からオッ?!て感じでモニター覗き込む。駆けつけた救急隊員が、下村へ質問しているが聞こえてきた。


『救助に向かわれた方ですよね。』

『あ、ハイ、一応。』

『大丈夫ですか?』

『ええ……』

 ……

 その様子を、コンテスト会場の大画面モニターに見入っていたギャラリーが、ざわめき出した。

「誰? この人。」」

「「この人が、助けに行ったってよ!」」

「「へー?!」」

「「ちょま、この娘、スーちゃんだろ。」」

「「だよな!!」」

  ……

 そんな話が、口から口へと広がっていった。

モニターの中ではインタビューが続く。

『今日はこちらに何の御用で?』

『あ、いや、プライベートで……。」

でも、横に目を赤く腫らし、ほっとした顔でピッタリ寄り添っている鈴子を見たら、「プライベート」の要件とはどういう言うものか、一目瞭然だった。

『勇気ある行動でした……。」

『あ、いや、たまたま成り行きで……。あ、それに、昔こういうこと、少ししたことが有ったんで。』

『本当に、お疲れ様でした!』

その後、インタビューの終わるのを待っていた様に、救助された男の子の両親がやってきて、下村の手を握った。下村は照れた顔をして慌てている。周りから歓声と拍手が涌き起こる。




 その日の夕方のニュースでは、「結婚を目前に控えた会社員、少年を海から見事救助!!」とのヘッドラインで、助けられた男の子と「救助者」である下村功太郎、さらに「救助者の婚約者」鈴子の映像が、テロップ付きで大々的に放映されることとなったのだった。

 「小さな子供の救出」という胸が温まる話題に加え、鈴子の美貌、そんな彼女との結婚を控えながらも、我を顧みない勇敢な行動は、多くの人の心を捉えた。

 かくして、あちらこちらから関心を呼び、某動画サイトにアップされたニュース動画は、何万回と再生されたという。


 こうして二人は、全国的に祝福された、超有名カップルとなったのだった。


 

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