第四部 3
<どうしよ、こんなはずじゃあ、なかったのに……。>
気がついたら、わたしは和夫と時也と、それと周りで慌しく行き交うテレビ局の人たちに囲まれて、身動き取れなくなっていた。
……みんなで、のんびりとビーチで遊ぶんだと思っていた。
思っていたのと全く違うことになって、深い溜め息をつく。特に厚い人垣の向こうに取り残されている功太郎。慣れないこんなところまでやってきて、一人取り残され一人棒立ちになって、所在無げに辺りを見ている。その様子を見ていると、涙が溢れそうになる。居ても立ってもいられない。
<行かなきゃ……わたし、行かなきゃ。>
周りに迷惑をかけるかもしれないけれど、功太郎にこんな理不尽な辛い思いを、これ以上させるわけにはいかない。
「あのう、時也君、わたし……。」
「でね、僕が話を二人に振るから、頼んだよ!」
「ねえ!」
「スーちゃん、頑張ろうな!!」
「『頼んだよ』って、『頑張ろう』って……。」
和夫まで、今日は強引。それなら無理やりにでも……。
「ちょっとゴメン! アレ? ちょ、アレ?」
どうにか人の間を抜けようとするも、周りにいる人たちが押し迫っていて、どこにも潜り込む隙間がない。ゴソゴソやっているうちに、周りは慌しく動き始める。
そんな鈴子の頭越しに、和夫と時也は二人顔を見合わせ、ホットしたような顔で肩をすくめた。その時、声がかかった。
「じゃあ、本番です。準備お願いします。」
「え、待って!」
「OK!」
「バッチリです!」
スタッフのコールに、時也と和夫は即答した。
「え?……あのう。」
「済みません、天原さん、笑顔、お願いします。」
「え? は、はい……。」
もう一人のスタッフの人がそう言った。
+++++++++
幾重にも重なる人垣の向こうに、二人のイケメンに挟まれ談笑する鈴子。
<なぜこんなに、遠くに感じるんだ……。>
時折ギャラリーから掛かる「時也!」と「スーちゃん!!」のコール。彼女が本来どう言う娘なのか、その現実が苦しいほど迫ってくる。
距離にして数十メートルなのに、うねる人波は物理的にも心理的にも、僕がそこに近づくことを徹底的に阻む……。
しばらくそんなことをしていると、にわかに周囲は慌しくなった。会場にアナウンスが流れ、参加者のエントリー受付の終了と競技の開始を告げた。
それにしても、こういうところが初めてな僕は、どれもこれも戸惑う。流れも分からない、これから何がどうなるのかも分からない、「畑違い」を痛感し、ただただ周りに流されるばかりだった。傍から見たなら、きっと浮いている、イタいダサ男に映っているだろう。
……それに引き換え、あの三人は、こういう雰囲気が、バッチリ似合ってる。
小さく溜め息をつく。
「それでは本番、行きます!!」
スタッフの一際テンションの高い声がスピーカーから流た。
「ハイ!! 今日は、西南海岸のサウスビーチから、注目のイントラオーシャン・サーフィン・コンテストの様子を、現地から笹塚時也がリポートします!」
派手なリアクションでカメラの前で話す。それに続いて和夫と鈴子についているスタッフが、二人に合図でスタンバるよう促した。
「今日は会場には、素晴らしいお客様を、お迎えしています! どうぞ!!」
進行役の笹塚は、どこまでも明るいノリ。
「まず、昨年優勝の小森和夫さん、それと、昨年のウィメンクラス優勝の天原鈴子さんです!」
彼の紹介に従って、和夫と鈴子がカメラの前に出て行った。スタッフの人たちの合図で、会場から拍手が上がる。
<鈴子……。優勝者か……。>
僕はその拍手の嵐の中、キューっと胸が締め付けられるような感覚に捕らえられる。
++++++++++++++++++++
「凄いっすよ、電話、鳴りっぱなしだって。」
オープニングが終わり、カメラはスタジオに戻る。一仕事終わったみたいにホッとしていると、そんな情報が流れてきた。電話というのは、スーちゃんについての問い合わせの電話のようだった。さっきまで素人扱いだったのが、スーちゃんに対する周りの眼差しが自然と変わっていく。
小宮山さんは、さもありなんという顔をした。そして俺に意味ありげな視線を向ける。カメラが他に行っているとき、小宮山さんはおもむろにスーちゃんに話しかけた。
「天原さん、凄いですよ。」
「え?」
「今テレビ局に、貴女についての問い合わせが、殺到しているそうです。」
「そんな、有り得ないです。」
「いいえ、本当です。」
「そんな……。」
断定的な強い言葉の前に、スーちゃんは口を噤んだ。
俺は思わず、隣のスーちゃんの顔を覗いた。戸惑ったような顔をしているが、それも無理はない。でもきっと直に納得するだろう。こんなに注目されて嫌なはずはないのだから。邪魔なフィアンセとやらも、言ってた割に根性なしで助かった。呆気なく振り切れたみたいだし、ここ迄来たら必ず上手くいくに違いない。
小宮山さんも、ちょっと余裕を感じさせ始めていた。こっちペースだとばかりに、もったいをつけて話を続ける。
「天原さん、いいですか? 大切な事を話します。良く聞いてください。」
「は、はい。」
スーちゃんは、急に雰囲気が変わったので、ビックリした顔で小宮山さんを見た。
「テレビ、ちゃんと出てみませんか?」
「どういうことです?」
「タレントになるんです!」
「そんな、無理です!」
言下に拒否されて苦笑する小宮山だった。でも当然、それで引くような人ではない。
「まあ、分かりますよ、その気持ち。知らない世界でしょうから、当然です。でも、私が太鼓判押します。絶対に売れます、貴女。」
「……無理です。」
小宮山さんは一つ咳払いして続ける。
「じゃあ、貴女の友達、時也君を見てください。彼もちょっと前までは、少しやんちゃなただの青年だったでしょ? 彼も私が見つけたんです。今じゃあどうです、芸能界の次の世代を担うのは、笹塚時也だって言われてるんですよ。彼だって初めは躊躇したんです。でも、それを乗り越えたからこそ、今があるんですよ。大丈夫、私が付いていますから。」
そう言って、僕もかつてゾクッとさせられた確信で輝く笑顔を、スーちゃんに向けた。俺も横から、本当にそうだったと、しみじみ答える。そんな僕等を見ていた彼女は、小さな声で答えた。
「そうなのかも、しれませんが……」
少し不安げに答える鈴子に、小宮山は食ってかかる。
「そう『かも』じゃなくって、そうです。間違いなく!!」
「あ、え、ええ……。確かに本当かもしれませんけど、わたしには将来を誓った人がいるんです。結婚式が間近な時に、いきなりタレントになるなんて……。」
「それも聞いています。でも何の問題もありませんよ! 私かつて、そう言う人にも出会って、マネージメントしたことが有ります。大丈夫です。今、その人、二人共、幸せにやってますよ。」
小宮山さんはそう言った。俺はその人を知っている。確かに幸せにやっている。但し、そのカップルは結ばれはしなかったが。それぞれ代価として与えられた、金と名声で満足しているのだ。
スーちゃんは困ったように、俯いた。小宮山さんは僕の方を向いて、ウィンクした。
小宮山さんはそれから、芸能界に入ることの凄さを、次から次へと羅列し始めた。
有名人と友達になれるという、素人っぽいメリットから始まって、沢山の人から注目されるアイドルになることとか、アイドルの浮世離れした生活の一旦、そして、収入が桁外れであることも。そして最後に、絶対に貴女だったら、そんな夢見たいな生活をゲットできると、太鼓判を押した。
++++++++++++++++++
わたしは嬉しそうに話す、時也君の「恩人」という、小宮山と言う人の話を聞いていた。芸能界の人だということで、そっちの世界の事に付いてはさすがにとても詳しかった。
名前の聞いたことのあるタレントさんの話、特にその裏話にはビックリした。テレビに出る人たちも、私たちと同じ人間っぽいことをするんだなと思った。
その人は、わたしに芸能界に入ったらどうかと勧めてくれた。でもわたしは、芸能界のことは全然知らない。というのはそもそも、ウチにはテレビがない。時間を無駄にするテレビなんかに、受信料を払うのはバカらしいと、どんなにわたしがせがんでも、お姉ちゃんは絶対にテレビを買おうとしなかったから。
時也君がテレビに出ているのは、みんなから聞いて初めて知ったし、時也君が出る番組も、雅司君のお店で見た。
そんなわたしは、もらったお古のサーフボードで、サーフィンしたり、あとバイクに乗ったり、そうでないときは家事をしていた。それでわたしは、それで充分楽しかったし、ましてや今は、功太郎さんがいてくれるのだ。そんな良く分からない芸能界なんか……。
<そんなことより……。>
話を他所に、人垣の向こうにチラチラ見える功太郎の姿を、ジッと追い続ける。
<功太郎さん、ごめんなさい……。>
さっきから何度も、後悔の言葉をつぶやいている。わたしは、兎に角、この囲いが解かれたら、いの一番に飛んで行って謝らないとと、唯々チャンスを伺いつづけていた。
祝福してもらう方が、言っちゃいけないことだと思いながらも、和夫ももう少し配慮してくれたら良かったのにと、思ってしまう。その和夫は自分が選手なので、そっちに行ってしまっていて、どうしてもらうことも出来ない。
「……ね、すごいでしょ?! だからさ、天原さん、行こうね! 東京! 決まり! 決まり!!」
「な、スーちゃん、一緒に東京行こ! 俺も一緒に居るんだからさ!」
嬉しそうに、時也君と小宮山さんは、二人で盛り上がっていた。
「そうですねえ……。」
わたしが言葉を濁すと、二人はやった!!とばかりに、躍り上がって喜んだ。
「決まった!! 行こうな! 絶対に!!」
「良かった!、良かった!!」
そんな周りの盛り上がりなど、わたしは完全に上の空。
スタジオでもタレントの人たちが観戦していて、海岸に据え付けられた大型スピーカから、その人たちの話や解説者のコメントが聞こえてくる。時々、現地担当の時也にもカメラが回ってきて、そんな時にはビーチに据えてある大きなテレビに、ここの映像が映ったりする。その度にビーチは盛り上がる。
コンテストの方もいつの間にか佳境に差し掛かっていた。それに伴い、こちらにカメラが回ってくる頻度が増え、ビーチのお祭り騒ぎは最高潮に達していた。
そんな熱気のド真ん中にいる鈴子だったが、彼女は逆に真冬に凍えているような顔をしていた。目は不安に泳ぎ、今にも泣き出しそうな様子だった。
ここに来るまでは、これで功太郎と和夫が仲良くなってくれるのだと、信じて疑わなかった。結婚にまつわることで、ずっと胸を痛めていたことが、すっかり解決できるものと、この日を心待ちにしていた。でも結果は、功太郎に辛い思いをさせだけということになってしまった。
こんな事になったのは、久しぶりの和夫の優しい声に舞い上がり、他のことを良く考えなかった自分のせいだと、責められてならない。鈴子は功太郎にどう謝ったら良いのだろうかと、途方に暮れる。
重い気持ちに心塞ぎ、虚ろな眼で小さく見える功太郎を眺め見ていた鈴子の耳に、急に観客の人たちから歓声が飛び込んできた。
「さすが、小森!! スッゲーなあ。」
「もう、これで決まりだな。」
「だろうな。」
ハッとして見ると、和夫のライディングが終わり、採点結果が出たところだった。周りを見ると、時也君やスタッフの人たちが、和夫の事で盛り上がっていた。思わず喝采を受ける和夫に目を向けた。和夫は上気した顔で皆に応えるも、わたしの姿を見つけるや、皆の前で飛び上がってガッツポーズした。
「和夫くん……。」
そんな和夫に、手を振って応えた。
<え?……功太郎さん?>
その瞬間だった。鈴子は何か冷たく鋭いものが、自分の中に走ったのを感じた。直感的に功太郎に視線を戻す。すると彼もわたしをジッと見ているのが分かった。そして右手を上げ振ってくれた。
<ああ……。>
わたしは久しぶりに、気持ちを通わせられた気になり、嬉しくて自然に右手が上がる。
「功太郎さん!!」
彼の名を叫び、力いっぱいその手を振ろうとした瞬間だった。功太郎はクルッと背中を向けたと思うと、急いで駆けて行ってしまった。
<……え?>
……わたしの心臓は、凍った。