第四部 2
「功太郎さん! こっち!!」
思いっきりはしゃいでいる鈴子。
ギラギラの海岸の太陽の下、嬉しそうに駆けていく。それにしても、僕は着替えて出てきた鈴子を見た瞬間は心臓が止まったかと思った。
彼女は赤いビキニを身に付け、パーカーを羽織っていたのだ。改めて見ると、芸術的ともいえるスタイル。僕といる時は、ほとんど地味でオバサン臭い服を着ているので、今日の彼女は少し衝撃的だった。変容した彼女を唖然として見つめていると、彼女はボッと赤くなって、パーカーの胸元を引き寄せた。
<なんか、鈴子が鈴子じゃないみたいだ。>
やはりこういうシチュになると、また悪い癖が出てしまう。自分の婚約者が超美女だと胸を張っていれば良いのだが、ちょっと抜けてて気安かった鈴子が、急に他の人になってしまったようで、心許なかったり、寂しくなったりする。
でも良く考えてみれば、元々アウト・ドア派の彼女。ビーチこそ彼女のホーム・グラウンドのはず。僕と一緒にいるときは部屋の中がほとんどで、やる事といったら炊事や掃除とか家事ばかり。本当はそっちの方が、特別のことなのだろう。
<そうだよ、こんな彼女も、間違いなく鈴子の素顔の一つなんだ。>
降り注ぐ太陽の光、褐色の肌、打ち寄せる波。それらは確かに似合っていると思った。僕は慣れない土俵立たされ、引いてしまいそうな自分を、そんなことでどうする!と叱咤しつつ、この鈴子をどうしても受け止めてやらなければならないと、一人決心するのだった。
「あ、スーちゃんだぞ!!」
「あー、スーちゃん、どうしてたんだよ!!」
駆けていった鈴子は、それが鈴子だと分かった面々に、あっという間に取り囲まれた。ほとんどが真っ黒に焼けた男たち。そいつらは、さも鈴子を良く知った風に、遠慮なく声をかける。鈴子もなんかいつもよりずっと気安い感じで、返事をしたり、ハイタッチとかしてる。
森山と出会い、鈴子にかなり入れ込んだヤツがいることは理解した。しかしそれは、あくまでも個人的なものだった。でも、目の前に雄叫びをあげながら突進してくる、ガタイの良い男たちの群れを見て、僕は認識が甘かったことを、痛感させられていた。
<あのバーちゃんも、鈴子の事、アイドルだって言ってたっよは。こ、これのことか……。>
ハッとすると、嵐のような「スーちゃんコール」をシャワーの様に浴びる鈴子が、心配そうな顔をして、僕の方を見ていた。
<あ、何?>
その視線に、彼女が何を心配しているかが伝わってきた。そう、こんなシチュこそ僕のもっとも苦手とするところであること。見ていてこっちが可哀想の思えるほど、戸惑っていた。
そんな心配顔の鈴子を目にし、ここまで関係を深めて、なお僕が不安になるのは、鈴子を信頼してないことになると思った。今僕がしなければならないこと、鈴子をどこまでも信じてやることなのだ。
僕は腹を括り、彼女に「大丈夫、大丈夫」と手を振ってサインを送った。彼女はそれでも、やっぱり心配そうな目で見つめつづける。
しかしそんなやりとりも、怒涛と迫る男たちの作るストリーム(流れ)に阻まれ、僕等なす術もなく、飲み込まれていったのだった。
しばらく人にもみくちゃにされていると、人垣の向こうから声がした。
「よう、スーちゃん、それにお連れさんも。」
辺りに急に緊張した雰囲気が走ったと思ったら、人垣が割れて、その向こうから満面の笑顔のイケメン二人がやってきた。
「よお、スーちゃん。良く来てくれた」
「あ、和夫クン!」
「よ!」
「なんだ、時也クンじゃん。」
三人は嬉しそうにハイタッチを交し挨拶をする。
「ちわっす。」
ビックリして目を向けると、時也と呼ばれた男が、挨拶してきた。
「あ、こんちは。」
男の僕でも、ドキッとするようなナイスガイ。その時、何となく見覚えの有るその男の目が、一瞬にして僕をスクリーニングし、品定めしたのを見逃さなかった。
<なんか、嫌な感じだよな。>
でも鈴子は、そんな微妙なやり取りに気づいていないのか、僕等を眺めながら、笑顔を弾けさせていた。
僕は、かつてはしょっちゅう海に来たが、サーフィンにはトンと縁がない人間だった。
街中でサーフボード持ってるお兄ちゃんやお姉ちゃん、海でプカプカ浮いている姿なんかを眺めながら、好きだなあ……と、感心しているぐらいだった。
ざっと見て、コンテスト参加者数は数百人はいた。それに加えそいつらを取り巻く家族や知人らしき人たち来ていて、歓声をあげている。それまで入れると軽く1000人を越えそう。マジ、ビーチはお祭り騒ぎだ。
僕らはその和夫と呼ばれたサーファーの男に連れられて行った。見るとそこには中継車が来ていて、テレビカメラがセットされていた。その周りを、クルーらしき人たちが、走り回っている。
<時也って……。>
中継車と、沢山の女の子たちが「時也!!」って声を掛けながら、ずっと付いてくるのを見ているうちに、僕はなぜ、その男に見覚えがあるのかが分かった。それは知り合いというのではなく、テレビて見たことの有る顔だったのだ。
<時也って、「笹塚時也」か?!>
ブレイク寸前といわれている、若手俳優で一番の有望株……。
正直、ビビってしまった。
僕がそんなことをボーッと考えているうちに、気がついたら鈴子はその男二人に連れられて、コンテスト本部のテントの方に行ってしまった。そして鈴子はその笹塚時也、小森和夫というサーファーという二人のイケメンと、それにスタッフらしき人が加わって、色々打ち合わせらしいことを始めた。
笹塚を追って、「時也!!」って声を張り上げる女の子と、「スーちゃん!!」と雄叫びを上げる男の波がドワーッと続く。しかしそれも、スタッフがある程度の所でストップをかた。不服そうな女の子と、喧嘩腰の男たちが、スタッフの人垣の影から、向こうの笹塚と鈴子をどうにか見ようと、カメラを片手に覗いていた。
女の子をかき分けて後を続くのもなんだし、もしそうしても、スタッフたちに追い返されそうな雰囲気だった。僕はどうしようかと、交う雑踏に立ち尽くす。
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コンテストから遡ること数日、雅司の店の一番奥のテーブルで、和夫と時也は顔を突合せ、深刻な顔をして話をしていた。話題は言うまでもなく、鈴子のことだった。
「で、話の続きだがな、スーちゃん、ここまで来ると、俺たちのことを好きになってもらうって言うのをねらっちゃ、間に合わないぞ。」
「じゃあどうするんだよ。」
その結論に不服そうな和夫は時也に突っかかる。時也はそんな反応は想定内みたいな感じで話を続ける。
「スーちゃん自身に、逆上せから覚めてもらうしかない。」
「ってどうするんだよ。」
何々と姿勢を正す和夫。
「そもそも、おかしいとおもわねーか? スーちゃんがそんなショボいヤツに惹かれるって。スーちゃんは、『主婦』何かするタマじゃない。スーちゃんの「結婚願望」をダシにされて、まんまと騙されてんだよ。」
「騙されてる?!」
二人は鋭い視線を交わす。時也の目には怒りがこもっていた。和夫は納得したように頷く。
「……で、どうするんだ?」
低い声で和夫が話を続けるよう促す。
「現実を突きつけてやる。」
「どんな?」
「俺らの凄さ、それとスーちゃん自身の事、そして、あいつの情けなさ。」
「うん。で?」
「あのな、今度の話しだよ。」
今度って……、和夫は、ああ!と思い出したように頷く。
「うちのクラブのコンテストのことか?」
「そうだ、俺がレギュラーしてる番組が、こんどお前ん所のコンテストを特集するって話。」
「で、それで?」
時也は眼差しにさらに鋭さを加え、和夫の顔を覗き込む。そして一つ深呼吸をすると声を更に潜めて話を続けた。
「そこに、スーちゃんとあいつを呼び出す。」
「二人共……か!?」
「ああ、そうだ。」
納得できない顔をする和夫に、時也は説明を始めた。
「あのな、スーちゃんがどれほど人気があるか分かったら、あいつビビるだろうし、スーちゃん自身だって、目が覚める。自分ってどういう本当はどういう人間なのか。それともう一つ手を打つ。」
「もう一つ?」
「うちの事務所の、小宮山っていうスーパー・スカウトに、来てもらうことにしてる。」
「スーパー・スカウト?」
「狙った娘は、今まで一度も逃したことのないという、うちの事務所のスカウト。」
時也はそのスカウトの武勇伝を和夫に話して聞かせる。今でこそ業界では知らない者がない事務所となった時也の事務所。かつて弱小だった事務所が今有る姿になったのは、まさにその人のお陰だと言う。
「俺がスーちゃんのことをその人に話したら、スッゲー興味持ってくれた。コンテストの賑わいで彼女の気持ちがグラついたところに、小宮山さんに当たってもらったら、絶対成功する。それで兎に角一度、東京に連れて行ってもらう。」
和夫はなるほどと頷く。
「そこで、テレビ局のやつらとか、ビッグな人たちに出会ったら、絶対にスーちゃん目が覚める。自分はこんな田舎に終わるべきじゃない。まして専業主婦になるなんて有り得ないって分かる。そうしたら間違いなく、この結婚話はポシャる。」
「スーちゃんを東京に……、で、タレント?!」
驚きと戸惑いを隠せない和夫。そんな和夫に時也は畳み掛けた。
「もう、手が無いじゃんか、それしか。」
和夫は胸ぐらを掴まんばかりに迫る時也に、不安気な顔をしつつも、頷くのだった。
+++++++++++
功太郎の帰りを待つ、鈴子の手元のケイタイが鳴った。鈴子は表示を見ると、「和夫」と発信者名が表示されていた。一瞬躊躇する彼女だったが、意を決した様に電話に出る。すると懐かしい声が聞こえてきた。
『スーちゃん、久しぶり、元気?』
「あ、和夫くん、あのこの間……。」
『え?ああ、うん。それよっかさ、話があるんだ。』
「え、何かな?」
『結婚式、今月末なんだってね。』
「う、うん。」
元々、家族だけの極々小さい結婚式・披露宴するという、両家の申し合わせが有ったことに加え、この間のゴタゴタのこともあり、和夫や時也たちには敢えて連絡していなかった。
『水臭いぞ。』
「ゴメン。」
電話口の声は、どこまでも冗談めいた声だった、でも鈴子には親友に不誠実だったと、重く感じられた。
どう返答したらいいのか迷っている内に、鈴子の耳に和夫の声が聞こえた。
『あのさ、もう、コンテストなんだぞ。』
「あ、そうだよね。」
去年までは、鈴子もこのコンテストの主役だった。彼女はアマチュアながら、ウィメンクラスでは第一人者だったのだ。
『コンテストにさ、フィアンセと一緒に来てくれない。みんなで御祝いしたいんだ、スーちゃんたちの事。』
「え?!」
雅司の店での出来事で、鈴子は彼らの気持ちを知った。それでも彼女は功太郎と選んだ。そのことは、もう、あの5人の親友とは、永遠に袂を分かつことだと思った。
それは言うまでもなく、彼女にとっては大きな悲しみであった。ただ、その悲しみ以上に、鈴子にとって功太郎は、かけがえの無い存在であり、それは幾晩も泣き明かし、徹底的に考え抜きた出した結論である。この選択に、今でも微塵も後悔はしていない。
しかし、その失ったはずの親友からの、自分たちの結婚を祝福する言葉が贈られた。それはどんなに願えども、絶対に叶うはずもないことだと思っていたことだった。
「う、うん、分かった。きっと行く。」
『じゃ、待ってっから。』
「うん、和夫クン、ありがと!!」
『いいや、いいよ。』
電話を終えた鈴子は、胸に電話機を押し当て、暖かい安堵の涙を流すのだった。
++++++++++
「何か久しぶりだな、こんな風に並ぶのって。」
「だな。」
和夫と時也は、さも嬉しそうにそう語り合った。鈴子は呆然と二人に挟まって立ち尽くす。はっとして目をあちらこちらに走らせると、人垣の向こうに見え隠れする功太郎が見えた。
胸に満ちていく鉛の様に黒く重い気持ち。さっきまでのワクワクとホッとした気分が混ざった思いは、とっくに吹っ飛んでいた。
あまりにも戸惑ってしまってて、どう行動したら良いのか分からない。必死で頭を働かせている所に、急に声がかかった。
「あの、キミが天原鈴子さん?」
後ろから知らない声が自分を呼んだ。はっとして振り返と、そこには物腰の柔らかそうな、都会的な紳士が立っていた。
「なるほど、時也の言う通り、いや、それ以上かな。」
にこやかな目が、キラリと光ったような気がした。
「あのう……。」
いきなり知らない人に見つめられた鈴子は、身をすくめる。
「あ、失礼しました。私こういう者です。」
差し出された名刺には、「GDエージェント 営業部長 小宮山 史郎」
「あ、そうですか。どうも。」
名刺を受け取るも、何でこの人が自分にこんな挨拶をするのか、一向に分からない。ふと見ると和夫も時也も、彼女の顔色を伺うような視線を向けていた。