第三部 11
すみません、投稿後、大分変更しました。宜しかったらご確認ください。
「大丈夫だって。うん、うん、そう。功太郎さんところだから…。」
彼女は電話で、お姉さんに連絡している。もう遅くなったからとか、こっちで色々準備があって大変だからとか、のんびりしているのを心配していたのは、お姉ちゃんの方でしょうとか、色々、理由をつけては説得していた。
そんな電話でのやりとりを横に座って聞きながら、僕は完全にテンパッている。この間の朝帰りとは今回は根本的に違う。今回こそ、いわゆる正真正銘の「お泊り」なのだ。
「うん、分かった。うん、じゃあね。」
電話を閉じると、彼女は少しホッとした顔をして言った。
「お姉ちゃん、大丈夫でした。」
「そっか。」
これで最大の懸案はクリアした。僕は「お泊まり」が文字通り現実のものとなり、思わず一つ生唾を飲み下した。
<鈴子のお姉さんもОKと来たら、もう行くしかない!>
頭の中に「初体験」と言う言葉が、夜空に輝く某ハンバーガーショップのアルファベットの文字のように輝き始める。
鈴子はその後、残りの洗い物をする。僕もそれを手伝う。緊張のせいで、何度か皿を落としそうになった。僕は今起きていることが、夢の中のような気がしてならないでいた。
それにしても驚いたのは、彼女自ら、お姉さんを必死に説得したことだった。彼女がこんなにお泊りに積極的だっていうのは、意外だった。
とてもセクシーなルックスの彼女で、大半の人はそれに騙されるのだが、付き合ってみて分かったのは、見た目とはおおよそ違う、彼女の中身である。夢があると言うか、清純と言うか、ドロドロしたものがココまで似合わない人はいないのではないかと思うぐらい、純情なのだ。
半分同棲みたいなことをしていながら、彼女といると、男女のことが何故か健康的で清々しい気分になってしまい、あらゆる下心を霧散させてしまうのだ。
照れ屋の上、ちょっとカッコ良い硬派と思って欲しい僕としては、そんな彼女に無理に汚いものを見せる気にもなれず、いつしか、とても紳士的な男をしていたりする。従って一生連れ添う約束する間柄になっても、実際面ではプラトニックの域を脱していない。
<それが、とうとう…>
気が付いたら拳を握り締めていた僕だった。
洗い物が終わり、卓袱台に戻って座ると、鈴子も横にやってきて座った。でも何を話すわけではなく、押し黙ったままだった。さっきまでのデレデレはどこへやら、ひたすらボーッと座っている。
僕はどう振ったら良いのか分からず、焦った気分を持て余していたが、そんな気まずい静寂に痺れが切れたのか、彼女が口を開いた。
「功太郎さん…怒ってる?」
ギクッとしてそっちを見ると、そこには上目遣いな鈴子がいた。
「功太郎さんが、お家に帰るように言ってるのに、我侭言ってごめんなさい。」
「あ、いや、別に怒ってないし。」
謝る鈴子に、僕は慌てて「まあ良いよ」みたいに応えた。萌えまくって、灰になりかけているなんて、口が裂けても言えない。
<でも、そっか…、そんな風に思ってるんだ。>
彼女は今日のお泊まりは、自分が無理強いしたものと取っているらしい。確かに考えてみると、こんな話になったのは、彼女がいかにも、今日は帰りたくないという仕草をするからだった。
<だとすると、さっきの電話のこともだが、彼女はそこまで乗り気ってことか?>
僕の斜め横にいる彼女に目を注ぐ。彼女は麦茶を含みながら、何か考え事をしているようだ。
鈴子は不用意に街などを歩くと、無用に街中の視線を一身に集めてしまうほど、目立ってしまう口である。そんな彼女だが、中身といえば、こんな女性が現代日本にもいるのかと言うぐらい、前時代的な「ヤマトナデシコ」を、地で行くような娘なのである。それはきっと、彼女が目標として見つめているのが、どこまでも今は亡き彼女の御両親であることが、影響しているんだと思う。
……お父さんお母さんを悲しませたくない、お父さんお母さんみたいになりたい。
彼女はよくそう話してくれるが、それは口先だけでは無く、生活全体に行き渡っているのだ。
だからどんなに時代の流れが変わろうとも、例え親しい周りの友人達のフィーリングがどうであっても、彼女は動かされること無く、このことで一本、筋が通っている。そしてそんな彼女を、僕は心から素敵だと思っている。
<じゃあどうなんだ?…その鈴子がこういうことに、奥目もなく全面的に積極的なるなんて、有り得るのか?>
今になって、その大前提に気づく僕だった。
万が一、本当に彼女が、そういうことを望んでいるとしたらどうだろうか。きっと完熟トマトのように赤くなり、炊き上がる直前の炊飯器みたいに湯気が昇らし、キョドって目も当てられない状態になるに違いない。
<これはおかしい。何か有るぞ、今日のお泊まり…。>
ここにきて僕の中には大きな「疑問符」が点滅するのだった。
僕は真意が確かめたくなり、俯き加減の彼女の顔を覗いた。でも、特にテンパっているわけでも、怯えているでもない。強いて言えば少しシンミリとした空気を纏っているぐらい。僕はそれを見て、なんかフッと気が抜けた。
<考えてみれば、「お泊り」って言ったって、いつもと何が違うんだ?>
彼女は森山のとの一件があってから、もっと婚約者らしくなるべきだとの周囲の進言により、彼女は僕の家に文字通り入り浸っている。言ってしまえば、その気になれば、押し倒そうがどうしようが、し放題な状況なのだ。別に泊まろうが泊まるまいが、それが今更どうこうと言う話ではない。
<それじゃあ、鈴子は何で、わざわざ泊まりたいって言うんだろう?>
「通い妻」では何が物足りないのか?て言うことは、やっぱり?……でも……。
あーもう分からん!!
急に頭をかきむしった僕に、鈴子は目を丸くした。
今日は慣れないことばかりで大変な一日だった。ホコリと汗を流そうと、シャワーに入ることにした。彼女も勧められるまま、僕の後にシャワーを使った。
彼女がシャワーに行っている間、じっとしていると、シャワーの様子気になって仕様がないので、机の上にあるPCを開き、適当にネットサーフィンを始める。
ポータルサイトのニュースリンクから、今日一日あったことを一通り読み、天気を確認する。
<あーあ、また、「晴れ」か…こんなんだと、ダム、干上がるぞ。>
暑い夏の日は続くようだった。それから某掲示板に覗きに行く。また、みんなめちゃくちゃ言ってんなあ…などと、考えていると、横から声がした。
「功太郎さん、飲みませんか?」
ギクッとして一人じゃなかったことを思い出す。向き直ると髪が濡れた鈴子が、僕がパジャマ代わりに貸した、Tシャツとジャージを着て立っていた。なんかズキンと胸に来る。もう、他人とは違うだってことが、じわっと心に広がってきた。
そんな僕は彼女の<どうしたの?>みたいな視線に我に返り、差し出された手にある、ジュースのコップを受け取った。
「あ、ありがと。」
彼女は僕にコップを渡し、今度は僕の除いていたPCの画面に目を向けた。
「へー、これがあの掲示板ですか。」
「知らないの?」
「わたし、あんまりインターネット使うことがなくって。会社では、ワープロと表計算しかしてなかったから。」
「そっか。」
ふーんて感じの僕に、彼女はちょっと焦ったように乞うた。
「あ、あのう、何か面白いものありますか?」
ざっと記事を流し読みしてみても、鈴子が目を輝かせるような記事はなかった。
「何ってねえ…。」
あっそうだ…、そうしている内に、ふと思いつくことがあった。
「じゃあさ、これどうかな。」
僕はある検索サイトの提供している、町並みを映すサービスに行く。彼女は何が始まるかと、ワクワクしながら僕の肩口から身を乗り出す。僕は学生時代を過ごした場所を、映し出した。
「あ、ここ、ここに住んでたんだ。」
「へー!」
彼女は顔を輝かせて、さらに僕の近くににじり寄った。彼女のシャンプーの匂いのする生乾き髪の毛が、チラッと僕の頬に触れる。
「あ、ここの店によく買い物に行って、ここ、そうこれがうちの大学。」
僕はクリックをしながら、青春時代を過ごした街の風景を、彼女に見せていた。
一つのディスプレーを二人で見るというのは、結構、狭苦しい。否が応でも、体が接近してくる。いつしか僕の後ろから横にやってきた彼女は、ほとんど触れるぐらいの距離に、夢中になってディスプレーを覗いていた。
「こんなところなんだ。良いなあ…。今日の先生も、ここにいられるんですよね。」
「う、うん…。」
しばらくそうしているうちに、中腰でいる彼女がフラっとした。僕は思わず助けようと、彼女の腰を捕まえて引き寄せた。
「キャ…。」
結果、僕が彼女を抱き寄せた形になる。
<あ、ヤ、ヤバイ…。>
何の前振りも無しにこんなことをしてしまって、これじゃあ鈴子、誤解する。僕は手を離そうとするのだが、何故か彼女を引き寄せている腕の力が抜けない。鈴子も僕のを押し除けるかと思ったら、腕に抱かれたまま動かないでいた。
<鈴子?>
じっと僕の腕の中にいた彼女は、しばらくして僕の方に顔を向けた。彼女の顔は真っ赤で、少し潤んだ目が僕に向けられた。その視線に促されるように、僕は椅子から立ち上がった。彼女も僕に従って立ち上がり、こっちを向いて相対する。僕らは吸い付けられるように、お互いに見つめ合った。
今日のパーティーでは、彼女の美貌は、おかみさんのメイクアップ技術とコーディネートで、眩しいほどにキラキラと輝いていた。それは周囲の人々の視線を強烈に引き付けていた。その魅力は半端ではなく、少し前の僕だと、腰が引けて逃げ出してしまいかねないぐらいだった…。
でも、今の彼女は完全に素っぴん、ドレスではなく、僕のTシャツにジャージ、あまりに身近な姿で微笑んでいる。
もちろん可愛くないわけではない。彼女の素顔もまたドキドキするほど魅力的である。ただ、そこに有る美しさは、僕の腰を引かすような圧倒的なそれではなく、僕の心に何とも言えない安心と、穏やかさを与えてくれるそれなのだ。
そして、そんな彼女の微笑みは、僕だけのもの……。
そう思ったら、何故かテンっぱっていたのが、急に落ち着いてきた。それと入れ替わって、また熱い「思いの塊」が、体の中でムクムクと大きくなっていく。いつもだったら、こんなことしていたら、とっくに湯気を吹いて倒れてしまってただろうに、今日は違った。その「思いの塊」がヘタレな僕に力を与え、「勇者」に変身させるのだ。
僕は自然な流れの中、彼女の両肩に手をかけた。
「鈴子…。」
彼女の顔にふわっと暖かい笑顔が立ち昇る。僕の気持ちはさらに力を増し、もう僕の内側だけでは収まり切れずに静かに溢れ出した。それを見て取ったのか、彼女の目にキュッと切実な色が滲んだと思ったら、彼女は静にまぶたを閉じた。
僕は見つめ合っていた彼女の目が閉じられたので、一瞬視線が彷徨う。しかし、戸惑うことはない。目以上にお互いの心を伝え合うものが、ここに有る。
僕は静に、彼女の唇に自分の唇を重ねた。