第三部 9
投稿の直ぐ後、少し変更しました。宜しかったら御確認下さい。
タッタッタ……
カツカツカツ……
僕らは逃げるようにホテルを出て、駅に向かう。中の熱気とは違って、外は少しホッとする風が流れていた。どこに行くのもバイクな僕らだが、さすがに今日はお酒が入ることが予想されたし、着てる服が服だったので、バイクは避けたのだ。
「もう、良いかな?」
「ええ…。」
しばらく行って、人ごみの中にまぎれるに至って、もう大丈夫だろうと、歩むスピードを緩めた。
気が付くと、夏の夕べの涼しい風が町を流れていた。吹き出る汗をぬぐいつつ、非日常なパーティーを思い返す。やっと終わったと、なんとも言えない安堵感が全身をつつむ。
ふと見ると、横には物思いに耽っている鈴子がいた。じっと真直ぐ前を見て歩く。
<鈴子、どうしたんだろう?>
微妙な違和感を僕の心はキャッチする。
電車に乗った僕らは、夜のガランとした田舎の電車に並んで座った。僕は放心したみたいになって、ボーっと向かいの窓を眺めていた。反射して見える車内の風景と、その向こうに見える町の夜景とを交互に見ながら、今日一日のことを考えていた。
隣の彼女はとても元気だった。そして突然ポンと手を打ったと思ったら、ウレシそうに提案した。
「功太郎さん、受賞祝いしよ。」
「さっきしたし…。」
「わたし、まだお祝いしてないもん。」
「あっそ。」
じゃあ、なにしようかなあ、などと、横でさらにテンションを上げてはしゃぎ始めた。
…でも、なんか違和感を感じる僕。
しばらく電車にのって、僕の家の最寄り駅につくと、僕は彼女に引っ張られるようにして、駅前のスーパーに入った。鈴子は既に、僕の好みをかなりしっかり把握していて、僕の好きそうなものを、次から次へと買い物籠に入れる。
「あのさ、結構、食べたから、余り沢山だと入らないぞ。」
「うん…。」
彼女は僕の顔を見ようともせず、そう生返事して買い物に夢中になっていた。
かなりの量を買った。僕はその食材やらなんやらが入った買い物袋を抱えて、鈴子の少し後を歩いている。夏の夜風が涼しくって、火照った心と体になんとも心地よい。彼女のことが気になっている僕は、幾度か追いついて横に歩く彼女の顔を覗いたが、暗い夜道、余りはっきり分からない。そうしているうちに、僕のアパートが見えてくる。
「ただいま。」
鍵を開けた僕は、いつもの癖でそういった。
「おかえりなさい。」
後ろから返事がする。フッと振り返ると、首をかしげて微笑んでいる鈴子がいた。
「わたし、パーティーの準備するね。」
「あのさ、お腹は結構いっぱいだから、そこんとこ…。」
「…うん?…うん。」
なんだか上の空でそう言うと、彼女は真直ぐキッチンに行って、エプロンをして料理を始めた。
彼女は「一心不乱」に料理をする。しばらくすると、一皿一皿、料理が出来上がっていった。さすがパーティーと言うだけあって、食材はいつもよりワンランクアップなので、かなり質は期待できそうだった。ただ、問題は僕の腹具合である。
…皆に取り囲まれてたから、腹いっぱいとはいかなかったけど、それでも、周りの目を盗んで、ここぞとばかり食ったので、お腹の余地は極々限られた状態だった。
「はあい、じゃあ、行きまーす。」
「良いよ。」
僕が受け入れ体制を整えた卓袱台に、ほっかほっかのフライの皿が据えられる。次はサラダ、次は刺身…。
皿数が増えるにしたがって、青ざめてくる僕。鈴子はなんだかボーっとしていて僕の反応に気付く様子もなく、これでもかと言うぐらい、料理を作った。
「…できました」
僕は内心、冷や汗をかいていた。結局、卓袱台いっぱいに料理が並んだ。僕はこの危機をどうここを切り抜けようかと、ひたすらに考える。
しかしどうしたんだろう。いつもは配慮に怠りのない彼女なのに、今日は周りのものが見えていない。妙にテンションだけは高いけど、そのテンションの高さもなぜか痛々しく見える。甲斐甲斐しく準備をする彼女を眺めながら、一体どうしたことかと思い巡らすのだった。突っ込んで本当のところ聞き出したい気もするが、頑張って明るくしてる彼女を見ていると、そんなことしたら可哀想だし。
「いただきます。」
「どうぞ。」
パク!旨い!…でも、苦しい…。それとなく自分の腹に手を当て、スマンと侘びを言う僕。ウッと来るのを誤魔化して箸を進める。鈴子はボーっと僕の食べるのを見ている。
何かが彼女の心をいっぱいに占めている。一体それは何なのか。そんな姿をジーッと見つめているうちにハッとしたのは、パーティーでの彼女の様子だった。
まず、鈴子は待ち合わせの時、色々あって僕とすれ違い、お陰で人目に曝され大変な目にあったと言っていた。やっとのこと会場に辿り着いた後も、僕が取り込んでいたので、「壁のシミ」みたいに、ほとんど一人ポツンと立たされていた。
招いておきながら、何て無責任なことをしたものかと、今になって自分のした仕打ちに気付く。きっと、彼女がいつもと違うのは、そこら辺りに原因があるに違いない。
まあ、そうでなかったにしろ、僕が酷いことをしたのは事実だ。まず謝らなければと思って、僕は箸を置いた。
箸を置く音に彼女は少しビックリした顔をして、こっちを見た。僕はそんな彼女に語りかける。
「鈴子、ごめんな、独りぼっちにして。来てくれと言っときながら、悪いことをした。」
彼女は目を瞬かせて驚いた。
「あ…、い、いいえ、今日は仕様がないです。」
ほんとに、仕様がなかったですよ、わたし気にしていませんから…と、彼女は恐縮した。でも、それから彼女の雰囲気がフッと柔らかくなった。
「でもさ、君が来てくれて、僕、凄く嬉しかったし、助かった。」
「え?…わたし、何にもしてない……。」
「いやさ、君がいるだけで、落ち着くんだ。一人だったら、今日みたいに、急にテレビのインタビューみたいなことになったら、パニクってシドロモドロだったと思う。」
「そう?……落ち着くんだ……。」
「うん、絶対そう。」
そっかそうなんだ……と、口の中で言った彼女は、急にモジモジとしはじめる。そして、あ、これ、美味しい肉なんですよと、肉のキレを僕に勧めた。
「僕ってさ、ホント、一人じゃ何も出来ない人間でさ、今回の研究だって、独りだったら絶対あんなことには、ならなかったと思うよ。」
「そんなことないよ。」
彼女は僕の言ったことを、そんな謙遜してみたいに、まともに取り合わない。
「いや、本当。あの研究って、僕がずっと妄想していたことを、コンパで一緒になった土岐山先生に、勢いでポロッとしゃべっちゃって、それで始まったんだ。僕一人だったら、良くてイタいSF小説のネタぐらいか。」
僕は一口お茶を含んで話を続けた。
「だから本当に凄いのは、僕じゃないよ。先生が僕の妄想を勝手にヒントにしただけなんだ。」
そう言って苦笑してみせる。
「…でも、大したもんだよな、結果的にこういうことになったんだから。」
僕は鈴子が勧めてくれた肉に、手を伸ばしながら言った。
「僕は、一人じゃ何にも出来ない出来損ない。でも、ピタッと来る誰かと一緒いると、妙に上手く行く。今回の研究もそうだし、小さい頃から今まで、何か上手くいったと思うと、必ず誰かと一緒だったな。」
何が言いたいんだろうみたいな顔をする彼女に向かって、
「でさ、僕、研究とかそんなことじゃくって、人生にもやっぱ、そういうパートナーが要るんだなって、この頃ずっと思ってた。」
色々思い巡らしていた彼女の顔が、えっ?!て顔になって、ジッと僕に目を注ぐ。
「今回のがノーベル賞になるかどうか知らなけど、僕は人生には、どうしても成功したい。」
僕はじっと彼女の顔を見つめ返す。彼女は僕が言いたいことが分かってきたみたいで、頬を赤らめた。
「言っただろ、ずっと一緒に居てくれって。僕には君が必要なんだって。」
彼女は堪んないって感じてテヘーって笑うと、赤くなって頭を掻いた。そうして、ウン!と大きく頷く。
「わたしね、今日の功太郎さん見てて、とんでもない人と一緒になるんだって、急に不安になっちゃった。」
とんでもないか…ちょっと、目が点になる。彼女は照れもあるのか少しおどけながら、訥々と自分の気持ちを話し始めた。
「だって、今をときめくノーベル賞学者だよ! わたしなんか、せいぜいその学者さんの家の、メイドさんが良いとこだよ!」
いつの間にノーベル賞学者にされた僕。いやそれより、そう言う人ってメイドつきのお屋敷に住んだりするんだろうか?…鈴子のメイド姿には萌えはするが、彼女の話には、かなり酷い事実誤認を感じ、苦笑する。
彼女は、彼女のメイド姿を想像している僕をスルーして、一つ一つ、自分の気持ちを言葉にしていった。そう、彼女は折に触れ感じる、僕に対するなんとも言えない親しみや共感が、自分達の絆を感じさせるのだと。でも今日のパーティーでは、僕が急に、知らない世界に住んでいる人に見えてしまった。いきなり「置いてけぼり」にされたみたいで、たまらなく寂しかったんだと…。
「そっか、なるほどね。」
別世界の人だと彼女は言ったけど、僕は彼女の言い分に、無茶苦茶親近感を覚えるのだが。
「僕もそうだったよ。僕の知らない世界、君だって、沢山持ってる。初めはビビりまくってた。」
ハイソの友達が沢山いたり、沢山のファンがいるアイドルだったり、サーフィンやバイクなんか色々なカッコイイことが出来たり、何より僕とはどうしても釣り合いそうにないルックス、まさに自分とは違う世界の人に思えた。
僕は初めて、そんな彼女と一緒に居て感じてきた疎外感を、正直に打ち明けた。そして、思いが募るほど、自分の知らない世界でキラキラ輝く鈴子に、言い知れないコンプレックスを感じたりしたことも。
だけど今は違う。今はそんなことは、極々小さいことと感じるようになった。
そうなんだ、今まで住んでいた世界がどうであれ、それはたいした問題ではない。もっと大切なことがある。
結婚するということは、僕ら二人の世界を新しく作っていくこと。…そう、長い人生、僕らの掛替えのない居り場となる世界は、これから生まれるんだ。
「でも功太郎さん、本当にわたしに、コンプレックス感じるんですか?」
「『アイドル』だなんて言われてる娘に、ダサ男の僕がコンプレックス感じないはずないだろ、普通。」
「『アイドル』なんかじゃない。誰? そんなこと言ってるの。」
「大分前、公園で会った、面白そうな御婆さん。」
「ああ…お民婆ちゃん?!」
お民婆さんがそう言っていたって事は、町中に広まっていることだいって、マジ青くなる鈴子だった。でも、あのサーファーの兄ちゃんも、そんなこと言ってたぞ。
…ははあ、周りじゃ当然みたいな話になってるようなのに、本人、全然感知してないんだ。
この手の鈍さには、一緒に居て何度驚かされただろう。でも、最近はそんなこともだろうなって感じて、流せてしまう僕が居る。
「あっ、つ、作り過ぎちゃた…。ムリしないで。」
いきなり叫んだと思ったら、悪夢から醒めたような顔をして、鈴子はそんなことを言った。どうも、今になって暴挙に気付いたらしい。でも、そんな彼女を前に、
「あ、美味しいから、別腹!」
と言ってしまう僕。
「そんなことないでしょ。…わたし、思い詰めちゃうと、料理、作ってしまうんです。」
「はあ?!」
どうも異様な雰囲気で料理していたのは、「ヤケ料理」だったらしい。
すっかり和んだ雰囲気に戻った。僕はホッとして、目の前の料理に取り組む。鈴子もホッとしたのかパクパクと食べ始めた。見るからに幸せそうな空気を纏って…。
「あのホテル、わたし、初めて入りました。」
「へー、僕もそう。」
「そうなんだ。」
<ああ、もう大丈夫だ…。>
完全にいつものリアクションに戻った。僕はそっと胸をなでおろした。
しかし、なんて分かりやすい人だ。手に取るように、気持ちの動きわかってしまう彼女のことを、僕は感心して見ていた。
嵐が去った後の真っ青の空のように、どこまでも屈託なく楽しそうな鈴子。そんな嬉しそうにしてる彼女を前に、思わずイタズラ心が頭をもたげる。
「君さ、そんなに、こんなボクンクラ男の役に立つのが嬉しい?」
「え?どうして?」
話の流れをさえぎって、自虐的なボケを放つ。さあ突っ込んで来いと、ワクワクして身構えてたら、彼女は勝手にしっとりとした雰囲気になった。ふっと微笑んだと思ったら小さく深呼吸をして、手を胸の前で合わせた。そして静かに目をつぶる。
「わたし、功太郎さんの役に立てるの、とても嬉しい。」
…僕はその一言に、決定的に撃ち抜かれてしまった。
変な気持ちの高ぶり、なぜか目頭が熱くなってしまう。くそっ、鈴子が変だったのが直ったと思ったら、今度はこっちか。
僕なんかのために、役に立つのがそんなに嬉しいなんて、バカじゃないの。ちょっと睨んでみようと思って彼女を見るが、ダメだ、彼女の顔まともに見たら、涙腺が壊れそう。
「どうしたの?」
彼女は心配そうに、僕の顔を覗き込む。僕は気持ちの高ぶりに耐えかねて、ぶっきら棒に箸を置いた。
<こんなこと言っちゃってもいいのかな。>
自分の中で巡っている言葉を反芻しながら、戸惑いを覚える。でも溢れる思いは僕に語ることを強烈に強いた。
「あのさ、君が僕の人生に役に立つから、どうしても必要な伴侶だって話したよね。だから一緒に居て欲しいと。」
「ええ…。」
鈴子は心配顔で肯った。
「でも、良く考えたら、それ、嘘かも。」
「え?!」
話を交ぜっ返しているのは分かっている、でも……。彼女を見ると、予想通り戸惑いの色を浮かべて固まっていた。
「実は君が僕の人生に役に立つかどうかなんて、二の次三の次で…。」
彼女は唇を噛む。
「だからさ、君が役に立つなんかどうでも良くって…」
硬い空気が部屋を包んだ。僕は逸らしていた目を彼女に向けた。
「鈴子、ただ好きなだけなんだ。だから、一緒に居て欲しい。何の役に立たなくってもいい、ただ、一緒に居て欲しい。」
「…うん。」
あれ、なんか、鈴子、…泣いてる。