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第三部 6

「さあ、みんな、気合を入れるぞ。」

「ハイ、チーフ!!」

 ここは、この辺りでは、最も格式があるといわれるホテルの中の一つである、ホテル・ファトゥオの厨房である。ここは財界人や政治家達のパーティーにしばしば使われる所で、結婚式をここで挙げることは、一つのステータスとなるような場所である。

 さて、そのホテルのレストラン「エテルニテ」のシェフこそ、次世代を担うフランス料理界の新星として注目を浴びる、大上義男である。

 首都圏からも彼の料理に惚れ込んで、ツアーを組んで人々が押し寄せる。その中には多くの有名人の常連がいという。それに加え、この頃はしばしばテレビにも出演し、メディアを通しても注目を集めている。

 料理の腕だけではない。最近は彼のその華やかでハイセンスな立ち振る舞い、イケメンなルックスのため、タレントとしても認められるようになった。そのため、料理に惹かれてだけではなく、ファンと称する若い女性達が、彼の元に押し寄せる。

 先日、彼は実家の店を継いで、そこのオーナーシェフになったのだが、静かな小さな町にあるその店には、次から次へとテレビ局や雑誌の取材があったりして、誰にも知られなかったその町は、あっという間に全国区になってしまった。

 こういうわけでそっちが忙しくなり、最近はホテルの方には顔を出すことが少なくなってきた彼だったが、今日みたいな時には、彼自らが陣頭指揮を執る。


 今日のパーティーは、ある大学の教授が学会賞を取ったことの、祝賀会であった。参加するお客さんは圧巻で、彼が今まで関わった客層の中で、最高クラスの人々だった。なんと大臣クラスの人、財界のトップ、医学系学会や理工系学会のトップクラスの人が、ずらっと顔を並べる。

「なんか、今日の先生、次はノーベル賞間違い無しとか、言われてるんですってね。」

詳しいことは分からないが、何せ奇想天外な発想から生まれ出た理論が、今まで盲点であった所に新境地を開き、世界的な影響があったとのこと。

<ふーん、あの人か…。>

 準備中に会場にやって来た、その教授に出会って挨拶したが、接した感じはどこにでもいる普通の小父さんだった。

<まあ、人は見かけによらないんだ。>

 世界的な学者と言うので、どんなオーラしょっているんだろうかと、興味津々だったけど、結構普通の人なのかなと思う。厨房の責任者として、天才と呼ばれる人がしばしば持っている、どこなく浮世離れした感覚に、十分応えられるか心配しないでもなかったが、「普通」な大科学者の姿に、少しホッとする義男だった。


 一通り指示を出して、自分は全体を見渡しながら、一人佇み次の事を算段する。こんな風に手を休めると、どうしても気持ちが向くのは、彼の親友の一人である森山忠が、話していた事だった。

 数日前、忠の様子が変なので、良く話を聞いてみると、信じられないことを話した。それはあの下村とのことについてだった。

 下村というヤツだが、そいつは得体の知れない悪党で、我ら5人がずっと守ってきた天原鈴子を唆し、身の程も考えず、自分が婚約者だと言っているのである。このままでは冗談では済まないと、皆で対策を練っているところだったのだ。

 確かに忠が抜け駆けをしたのも、余りに突飛なことで信じられなかった。だが、耳を疑ったのは、その忠がそいつに見事にしてやられたというのだ。そこに居合わせた4人は、絶句するしかなかった。


 状況がどうしても理解できないオレ達は、他のヤツ等と一緒になって、忠に状況を説明しろと迫った。しかし、いつも自信満々だった忠は、人が変わったみたいにシュンと黙りこくるばかりで、それ以上口を開かない。

<一体、どうしちまったんだ。>

 小さくなって俯いていた忠のことを考えていると、思わず悪態が零れる。ただの町工場の一従業員なんかに、あの忠があんなに惨めな思いにされるとは…。


 義男は無性に腹が立ってきて、少し荒っぽく飲みかけのコーヒーをクイッと飲む。

<それにしても、スーちゃんもスーちゃんだ、何を考えているんだか。>

 義男の脳裏に、この間、鈴子を皆で呼び出した時のことが蘇って来る。彼等からのプロポーズに、鈴子は少なからずうろたえていた。結果としては、ちゃんと応えず誤魔化してして帰ってしまったが、きっともう後一押しするなら、どうにかなるはず、……いや、少なくとも下村との話はチャラになるのは間違いない様子だった。だのに、あの忠の情けない顔である…。義男も少なからず戸惑う。 

 コーヒーが少し残ったカップを弄んでいるうちに、幼い頃からのずっと一緒に過ごしてきた彼女との思い出が、走馬灯のように巡ってくる。

 天原鈴子は、義男にとって女神のような存在である。何もかも魅力的で、非の打ち所の無い女性。そして、ずっとずっと彼が思い続けてきた人なのだ。それなのに、今になってどうして…。彼女への思いが胸に迫ってくる。

 彼は自分の家のレストランに、しばしば彼女を招待した。当時シェフであった義男の父も、鈴子のことをたいそう気に入っていて、喜んで腕を振るってくれた。

 彼の実家の店も大衆店ではなく、父の代からハイソご用達の店である。ノーネクタイでは入れない店なのだ。しかし彼女はいつも、贅沢ではないがとてもセンス良く服を着こなし店にやってきた。ヘタな格好で来たら浮いてしまうのだが、彼女は一度もそんなことは無かった。

 金をかけて格好つけるのは誰でもできる。でも、有るものを使ってセンス良くコーディネートするのは、誰でもできるものじゃない。

<スーちゃんみたいなのを、本当のレディーって言うんだ。>

ウンウンと一人頷く。

<それが下村みたいな凡人と一緒になるなんて、絶対にありえない!>

きっとスーちゃんは、何か思い違いでもしているに違いない。そうだ、悪い夢でも見ているんだ。

 だから思うのだ、今日あるようなパーティーに来て、その贅沢さや優雅さに触れてくれたら、本来の自分に醒めるんじゃないか。そして、そんなラクシュアリー(贅沢)なパーティーを、先頭切ってコーディネートしていく自分を見てくれさえすれば、絶対に……。

 そもそも、自分がシェフの道を選んだのも、お呼ばれで来て美味しそうに食べる彼女に、最高のフレンチを食べて欲しかったからだし、そんな自分に彼女はぞっこんになると信じていたからなのだから。


「チーフ! チーフ!!」

「あ、ああ……悪い。」

「お願いします。」

義男はハッとして顔を上げ、彼の部下の後についていった。部下から報告を受け、指示を出す。彼は素晴らしい上司で、部下の厨房スタッフからも絶大な信頼を得ている。

でも、今の彼はそんなやりがいのあるポジションにあっても、微妙な影があった。それは彼の憧れの人が、他人と結婚しようとしていたからだ。


++++++++


「あの娘、モデルじゃないの?」

「オレ、あんな娘、知らないよ。モデル・オタのオレが知らないんだから、モデルじゃない。」

「なんや、それは?!」

 バイトの学生の男達が、材料を搬入しながら、そんな話をしていた。まあここには、日本の各界のトップクラスの人達が来るのだから、どんなタレントが来ていても可笑しくはない。そんなことを思いながら、義男は納品された材料をチェックしていた。

「じゃあ、ちょっと、あっち行ってくる。」

「はい!」

 義男は厨房から出て、打ち合わせをしようとホテルのロビーをスタッフルームに向けて歩いていた。すると、只ならぬ空気が漂っているエリアに意識が向いた。

<なんだ?>

 思わず立ち止まって、何が起きているのかを観察する。すると、どうも柱の側に佇む一人の女の子を巡って、みんなが何やかんやと言っているようだった。

 ブラックのイブニングドレス、髪はアップにしてまとめ、涼やかな首元が見えている。少しエキゾッチックなはっきりして整った顔立ち、品良くつけているアクセ類。身長こそ普通の女の子ぐらいの高さだが、まとっているオーラは、雑誌の紙面を賑わすモデルの娘たちのレベルと遜色ないか、それ以上のものを感じた。


<?!>

そこまで考えて、思わず義男は固まった。

<え?……スーちゃん?!>

そうだ、それは今しがた思っていた鈴子の、美しく着飾った姿だった。

 義男は逸る心をやっとのことで落ち着けながら、ジェントルマンとしての身のこなしを注意しつつ、淑女のオーラを立ち上らせている、彼の思い人に少し気取って声をかけた。  

「天原鈴子さん!」

「え?……義男君。」

 ビックリして声のほうを向いた鈴子だった。初めは何がなんだか分からない顔をしたが、直に誰かに気付く。義男は「いつもはスーちゃんって呼ぶのに」みたいな顔をする彼女に、今は仕事中だからと謝りつつも、それとなくシェフの制服で胸を張って見せた。

「何でここに?」

「え、ちょっと、お付き合いなの……。」

「でも、見違えちゃったよ。」

すると彼女は、少し頬を赤らめ視線を逸らした。

「義男君のレストラン、ここだったんだ。」

「ああ…。」

周囲からの視線が痛い。

<ハハ、どうだ!>

こんな美女と知り合いって、うらやましいだろう。刺さるような視線も、ある意味快感に思う。


 視線を向けられることには、慣れている義男。人目を引いて、益々、堂々とする彼の姿は、その器のデカさを物語っているようだった。

<しかし…、今日のスーちゃん、なんか…。>

そんな義男だったが、鈴子の前では、何か緊張してしまう。

 彼女はモデルのようにスッと真直ぐに立ち、キリッとした顔をしている。なんとも言えない大人の色香が当たりに漂う。それにしても何だこのドレスは反則だ、マジ似合い過ぎ。いつものボーイッシュな魅力とのギャップに、余計に萌える義男だった。

 今まで重責を担うチーフとして振る舞っていた義男だったが、まさかの鈴子との出会いに、彼女との会話では思わず「地」が出てしまう。

「オレさ、今日ここで仕事なんだ。良いもの見せてあげるから、こっち来ない?」

「え?でも…。」

彼女は時計を見て、躊躇するのだが、周囲にそれとなく屯っている、良くわかんない男達の視線にビクっとした彼女は、今度はすまなそうに答えた。

「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな。」

「よし来た!」

義男は鈴子を嬉々として案内する。その様子は、まるで貴公子がお姫様をエスコートするようだった。

  

 

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