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第三部 4

 鳥越サーキットのゴール…あの大学の駐車場で僕らを迎えてくれた時の彼女は、ギクッとするほど、思い詰めた顔をしていた。バイクを止めた後、僕が驚いていると、いきなり駆け寄ってきて、ギュッと僕の「二の腕」を握った。見ると頬を大粒の涙が流れていた。

 僕はどうしたら良いか分からないアタフタするも、こうなったらヤケクソだとばかり、空いている方の手で頭をヨシヨシしてやった。

 されるがままに頭撫でられている鈴子。目はハの字、口はへの字に、整った顔をクシャっと歪まして、涙は益々落ちる。時折、鼻水がツーッと流れるのに慌てながらも、どうしても涙が止まらない。そんな彼女が何だか可愛くって、キュンとしてしまう。

 すると森山のヤツ、いきなり「レッド・タイガー!オレの完敗みたいだな!」って、訳の分からないことを叫んだかと思うと、黄昏たオーラしょって、とっとと帰ってしまった。

<おい?? マジかよ…。完敗って言われてもなあ…。>

 ホイール一つ分、僕が先という僅差の勝利だった。だからスタートのときの剣幕を考えると、誤差範囲内だ、もう一度やり直しだ!!とか、言いがかりを付けかねないと思っていた。

 修羅場を覚悟していたところに、なんだこれ…? 

僕は呆気にとられながら、消えていくハヤブサのテールライトを眺める。

 

 森山が立ち去った後も、しばらく彼女は僕の腕を握り締めていた。そんな彼女が口の中でモゴモゴ何かを言っている。良く聞くと、さっき森山が捨て台詞で言っていた、「…レッド・タイガー」ってのを何度か繰り替えした。

 するとどうしたことか、ピタッとベソが止まり、今度は僕のことをしげしげと眺めだす。かと思うと、えらく納得した顔をして、ウンウンと頷いた。

「な、何?」

「え?」

 彼女の熱い視線がたまらなくなって尋ねると、ポンと手のひらを合わせ「そうね!」と言うや、今度は顔いっぱいに少女のような笑顔を輝かせた。それっきり、さっきの深刻さは吹っ飛んでしまう。って、何が起こった?その「レッド・なんとか」という「御呪い」の力か?

 鈴子は帰りの道中も何か変で、バイクに乗っているときの彼女は、いつもバシッと決まってて「カッコイイ・モード」なのだが、今日に限って、お花をバックに背負った「カワイイ女の子オーラ」を漂わせつづけるのだった。


 ++++++++++++++


「あのさ、天原さん、もう遅いよ。」

そう言う僕の声が聞こえなかったのか、バイクを止めた彼女は、当然のように僕の家に上がり込んだ。見ると9時を回っている。

「あのさ、昨日もあんなだったし。」

済し崩し的にお泊りになった昨日のことを考えると、これで今日も鈴子を遅く帰したら、お姉さんがマジ心配すると思って、そんなことを言う。

「ん?…うん…。」

でも彼女は鼻歌を歌いながら、こっちに向かう途中に買い漁った食材を、買い物袋から取り出し、キッチンで料理を始めた。

「だって、折角、材料買ってきたんですもん。それにこれからどこかに食べに行くって言っても、遅くなるでしょ。」

なんか、それ、理由になるか?と、鈴子が主張する理由に突っ込みを入れつつ、再考を促す。

「でも、帰るの遅くなるよ。送って行くから。」

「…んん。」

それでも生返事をして、料理を続行する鈴子だった。いつも「大人な」彼女なのに、どうしたんだろう。


 トントントンとまな板の音、換気扇が回る音。なぜか、どれもが楽しそうに聞こえてくる。そんな楽しいキッチンの真ん中で、鈴子もまた嬉しくってたまらなそうに料理に精を出している。

 Tシャツにジーパン姿、ピシッと体にフィットしていて、セクシーに決まっている。そんな彼女がまるで蝶が舞うようにクルクル動いて、僕のために夕食を作っている。

 僕は、数ヶ月前までは夢にさえ思わなかったこんなシチュエーションが、あと少しで日常になると言う現実を思い、目を瞬かせる。

  ジャー…

 油が弾く音が響いた。時子さんの怖い顔を思っては、頭抱えていた僕も、そんな幸せ色・一色の彼女に、僕の心もいつしか優しいオレンジ色に塗りつぶされていく。


 昨日の晩、鈴子は始めて僕の部屋にやってきた。そしてその夜、お互い思いのほどを、心行くまで語り明かした。今まで味わったことのない、温かくゆっくり流れる時間だった。僕の日常で、こんな穏やかで満ち足りた時間が流れたのって、最近では何時のことだっただろうか。記憶を遡り、やっと思い出すのは、幼い日に両親と行った家族旅行ぐらい。

<まあ、もうしばらくそんなことはないだろう。>

今朝、笑顔で僕を送り出してくれる彼女を眺めながら、そんなことを思った。何か、柄にも無く、凄くセンチメンタルな気分だった。

 なのに…昨日で、今日かよ…。

思わず苦笑する僕。


「はあい、行きますよ!」

 しばらくすると、料理が終わったらしく、少し照れた顔をして、料理の盛り付けられた皿を持ってきた。

「美味しいと、良いんだけど…。」

そう言って卓袱台の上に料理を並べる。またまた襟元から見えてしまう彼女の胸に、お決まりのドギマギをしながら、僕は礼を言って差し出された皿を受け取る。

 ご飯、付け合せ、漬物、吸い物…、見る見るうちに家庭料理が卓袱台を彩っていく。 

「はい、出来ました!」

「あ、うん。」

鈴子はニコニコしながら、僕をじっと見つめ続けている。

<結局、鈴子の言いなりだったな…。>

料理から上がる湯気の向こうで、満足げにこっちを見る彼女を見て、僕は一人、敗北宣言をする。


 最近は婚約当時とは違って、事あるごとに会っては、食事をするようになっていた。だから、それなりだが彼女の人となりが分かってきているつもりだった。

 彼女はいつもきちっとしていて、逆に砕けた物言いが苦手なような気がしていた。いつもどこかはにかんでいて、それはそれでカワイイのだが、打ち解けた感じにはなかなかならない。でも、今日の彼女はなんだかはっちゃけてる。これは確かに僕のデータベースには無い彼女だった。

「あ、あのさ、どうしちゃったの?」

「なにが?」

「いつもと、違くない?」

「ふうん?」

これまた生返事で、ちゃんと応えない。

 彼女のこの変遷の理由を思い巡らす内に、ふと、思い当たることがあった。

「でさ、さっき言ってた、『レッド・タイガー』って、何のかの御呪い?」

そう言うと、ビックリした顔をして箸を止めた。

「森山さんも言ってたし、君も言ってたでしょ。」

それ言うと急に元気になったし、と詰め寄った。

 え?…ええ…。

 明らかに逡巡の色が伺えた。それでも僕が返答を待っていると、彼女は少し考え込むように数口食べると、コトンと箸を置いた。

「あの、『レッド・タイガー』って、下村さんのことなんでしょ?」

 僕は一瞬何を言っているのか全く分からなくって、とりあえず彼女の言葉を幾たびか反芻してみる。それで初めて、それが誰かの名前だと気付く。

そんで・・・なんで、僕になる??

「だって、一緒に走った忠君が…。」

「いや、だから、『レッド・タイガー』って、誰なの?」

「え? 知らない?」

「ああ、聞いたことない。なんだその、昔のアニメのキャラみたいな、いかにもってかんじの名前。」

「…そうなんだ…。」

そんなに言わなくってもいいんじゃない・・・と、少しプッと膨れる。鈴子は仕様がないねと、例の”レッド・タイガー伝説”を話して聞かせてくれた。

   ……

「だからね、みんな、『レッド・タイガー』こそ、『鳥越の覇者』だって言ってるんだ。」

「ほー、そんな話があるんだ。で、そのすげーライダーが、僕だって?」

「うん。」

「で、それが僕だったら嬉しいの?」

「え?…まあ。」

そう言うと、フッと頬に紅が走り、目をキラキラさせて彼女の思い出を話してくれた。

「わたし、一度だけ、『レッド・タイガー』と、バトルしたんだ。」

「ふうん…。」

「本当に凄くって、なんか、ドキドキした。」

その走り方、漂わすオーラ、天才的なライン取り、本当に凄いライダーだったと。なんか、その一連の彼女の反応が、微妙に引っかかる僕。

「はあ。」

「それに、功太郎さんと走っていて、ちょっと、『レッド・タイガー』の走りに似ていたような気がして、忠君の話し聞いて、やっぱりって…。」

 僕は無性にイライラしてしきて、冷たく断言した。

「多分、それ、僕じゃない。」

「どうして?!」

「だって、僕、今まで君とバトルしたことなんてないもの。」

「どうして、そんなことが分かるの?」

「なぜって、僕があそこで、女の人でまともにバトルしたのって、今までで一度きりだし。」

「…そうなんだ。」

「その娘は凄かった。」

「そっか…。」

何だかシュンとなってしまった。

 レッド・タイガー」みたいな、微妙な二つ名が、僕につけられたのものではないことを証明できて、清々するのだが、方や目の前でしょげてしまった鈴子に戸惑う。

「僕が『レッド・タイガー』じゃなくって、ガッカリした?」

「あ、うん、…正直、少しは…。」

 少しどころではなく、完全にうなだれてしまった彼女。なぜかその姿がドスンとボディーブローのように効く。胸が詰まって言葉が出ない。

 鈴子のレッド・タイガーに寄せる思いは、まるで「憧れの人」に寄せるそれに近いような気がした。そう思うと今度は胃をジリジリ言わすような、イヤーなキモチが胸に広がっていく。

<何だ、これって?>

 自分の苦い気持ちを辿るって行くと、一つの言葉に行き着いた。いつもなら絶対に噛み殺す言葉なのに、場の雰囲気のせいなのか、思わずその言葉を零してしまった。

「なんか、妬けちゃったりして。」

「へ?」

鈴子はそういった僕の顔を、眼を丸くしてマジマジと見た。僕は思わぬ反応に戸惑う。

「妬ける?」

「あ、やっぱイタかった?」

僕なんかが言うと引くよねと言い訳して、一つ溜息。出た言葉は戻らない、今度は自己嫌悪にズドーンと落ち込んだ。

「悪い悪い、ごめん、あのさ、…。」

謝ろうと姿勢を正していると、彼女が言葉を遮るように言った。

「ううん、・・・・ウレシイカモ。」

「何?」

「だから、…嬉しい。」

「はあ?」

「だって、ヤキモチなんて、焼いてくれるなんて思わないよ、いつもクールな下村さん見てると。」

な、なんだ、この反撃は?!僕は虚をつかれ、一瞬固まる。

 彼女のニヘラと笑った顔は、耳まで真っ赤で、それを見た僕自身も、カーッと顔が熱を帯びていくのを感じた。

「そっか。」

「そ、そう…。」

彼女は静かな声で、自分の思いを綴っていく。

「あのね、わたし、『レッド・タイガー』凄いなって思ったのは、バイクに対する労わりや、ひたむきさとか、真剣さなんかが、一緒に走っていて伝わって来たからなんだ。」

「ふうん。」

「それにね、凄ーく速くって…、みんなからとっても、尊敬されていたんだよ。」

「はあ。」

「もし、下村さんが『レッド・タイガー』だったら、みんなから尊敬されているわけで、それって凄いなって思ったの。」 

 僕が森山に馬鹿にされるのを見ていて、無性に悔しかった彼女は、僕が「レッド・タイガー」だったら、誰も絶対に、僕のことを馬鹿にしなくなると思ったのだそうな。 

「ふうん。」

 ちょっと僕の考えてたのと違ったのかなと、ツンケンしてしまったのが恥かしくなった。彼女はそんな僕をじっと見つめ、少し押し黙ったと思ったら、一つ深呼吸して静かに続けた。

「『レッド・タイガー』が誰だって、構わないよ。わたしにとっては、こ、こう、功太郎さんのほうが、ずっと素敵に見える。」

 突然、下の名前で呼ばれ、昨日以上にダイレクトにコクられた僕は、彫像のように固まった。

「だって、『レッド・タイガー』の素敵なとこって、功太郎さん、全部持ってるよ。」

まあ、功太郎さんがレッド・タイガーじゃなかったのは、やっぱり残念だけど…と言ってから、お茶淹れるいって、急いで立ってキッチンに行った。

 …そっか。

 こういう場合、なんて言ったら良いんだ。僕は言葉に詰まって、ポリポリと頭をかくしかなかった。

 なんか、ムキになって悪かったな…。どうでも良いことなんだから、そのままにしておいた方が、夢があって良かったのかもな。

 台所で急須にお茶葉を入れる彼女の背中を眺めながら、大人気なかったと溜息をついた。


 鈴子がそんな話するもんだから、僕は今でも心に残っている、あの一戦のことを思い出した。

<僕がバトルらしいバトルした女の子は一人だけ。腰まで髪の毛があって、YZF乗ってた。バッチリ、ツナギが決まってて、もの凄くカッコイイ女の子だった。腕も有り得ないほどで、バトルしてて、これは無理かもと思ったんだっけ。結局は、どうにか連勝記録は途絶えさせずに済んだけど…。マジやばかった。>

そこで、一口お茶を含む。

<…でも、出会ったの、あれ最初で最後だったんだよな…。>

 その時のヒヤッとしたのを思い出して、それに比べたら今日の方がまだ楽だったと思ったことだった。


 功太郎には、鈴子が一時期、腰まで髪を伸ばしていたことや、隣町には大きなレンタル・バイク屋があって、彼女がしょっちゅうそこを利用していたことなど、知る由もなかった。

      

  

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