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第二部 10

「下村さんって、わたしの『本当』を、ちゃんと理解し受け止めてくれる、特別な人なんです!!」

「そ、そう…。そうなんだ…。」

「だから、だから…。絶対に下村さんなんです!」

 食って掛かるようにして話す彼女。いきなりの展開に呆気に取られる僕。お互い思わず顔を見合わせて固まった。彼女はアレって感じで、自分の振り回している拳を見る。そしてハッして僕の顔と拳を交互に見比べたた後、真っ赤になって背中に隠した。

 片や僕は、そんな慌てふためく彼女を余所目に、彼女の告白の直撃のせいで、まるでドッジボールの剛速球をまともに受けた時みたいに、息が詰まってアップアップしていた。

<うへ、ぐるじい…>

 肩で息をしている僕を、今度はフワフワした空気が包んでいった。…体が浮かんでいるような感じ。そして今のこと全部「夢落ち」のよう気がして、不安が駆け巡る。手近にある卓袱台の端を掴んで、何とか現実のことであることを確認した。


<<絶対に下村さんなんです…>>


 今まで、そんなことを言われたこと、一度もなかった。

 適当にお茶を濁したような僕の人生。事無かれ主義、全部言われるがまま。何事もろくに考えもせず、行き当たりばったり、人の顔色を見て生きてきた僕。

 強いて言えば、今の会社に就職したことは、僕の意志によるものだった。とは言っても、ここに来てからの僕は、やっぱりそれまでの僕と、なんら変わりはない。そして、その際たるものが、この結婚。

 そんなリーダーシップも無し、個性も無し、無い無い尽くしの僕に、魅力を感じる人なんか絶対にいないと思っていた。だのに何でこの娘は、僕じゃなければならないと言うんだろうか。そもそも、彼女のことをちゃんと理解し受け止めるているなんて、僕自身は意識したこと無いのだが。

 僕が自分を他人のように分析するのは、僕が必死に冷静になろうとするときの、常套手段である。冷めた目で客観的に自分を見つめると、逆上せるのが馬鹿らしくなって、落ち着くことが出来る。大概はこの方法で上手く行くのだが、今回ばかりは勝手が違った。


 気が付くと、もう明け方が迫っていた。漆黒だった空は、ほのかに白く変わりつつあった。時折、バイクの音が聞こえてくる。新聞配達のそれだろう。

 僕らはそれから、何も話す訳でもなく、ただ時間も忘れて見詰め合っていた。そしてずっと僕の心には、彼女の告白の言葉が響き続けていた。

<絶対に、下村さんなんです…。>

…絶対に彼女しかいないよな。僕にもさ…。

 そうなんだ、僕にも彼女かしかいないんだ…。結局はそこに行き着いた。そのことに気付くと、僕の彼女への気持ちは加速度的に大きくなっていき、とうとう堰を切って溢れ始めた。

 悲しいほど口下手な僕なのだが、そんなことはもうどうでも良かった。溢れるキモチは、僕に語るように強いる。そんな僕が紡ぐたどたどしい話にも、彼女はジッと耳を傾けてくれた。

「あのさ、君が僕のこと『特別だ』っていてくれるけど、それは僕にとっても同じで…。だから僕は君といるとき、すごく『自由』だって感じる。僕が僕らしく居れて…えっと、上手く言えないんだけど、だからやっぱり特別なんだ。」

彼女の目の真剣さが増す。

「でさ、そう思ったのは、僕も君のSRでタンデムした時からで、話し聞いてて、なんか僕ら凄いなって…。」

「うん。」

「だから、僕にもやっぱり、君しかいないって言うか…。」

彼女の目が、一瞬、見開いた。そして、じわっと涙が潤み始める。

「あのさ、一生だなんてケチなことは言わない。天国に行っても、一緒に居て欲しい!」

彼女はクスッと笑った。

「え?…ちょっと、変かな、やっぱ、僕ってさ、こういうの…。」

テレもあり、ちょっと受けを狙ったのが悪かった。見事にはずしたと思った。でも、彼女はススっと姿勢を正したかと思うと、手を突いて頭を下げた。

「ふつつかものですが、何時までも、…天国行ってからも、宜しくお願いいたします。」

僕は慌てて、

「こちらこそ、宜しく。」

と言って、急いで頭を下げた。


 今まで、僕の中にわだかまっていた物が、夢が醒めたように消えうせてしまっていた。清浄な空気が静かに流れる僕の中で、キラキラと輝き始めた一つのもの。それは、今やっと形を成し、営みを始めたそれ。そう…、 

…思い合うこと…

僕は僕らの関係が、本当の意味で一線を越えたのを感じた。


 鈴子はしっとりと落ち着いた表情で、僕を見つめていた。いつも緊張を強いていた彼女の視線は、今はなぜか心地よくって、その中こそ、僕の居場所があるように感じていた。

 鈴子もまた、僕の視線にあたふたと身だしなみを確かめたり、緊張したりはしなかった。さもキモチ良さそうに、ほのかな笑顔と輝かせ、僕の視線を受け留めている。

 これまでの僕は、片思いの相手を憧れ眺めるだけの「片思い専科」だった。その思いが届いたことなんか一度も無かった。

 でも今度は違う。僕の思いは、彼女に届き、彼女はそれに応えてくれた。いや、そうじゃないか…、僕以上に、僕に心を寄せてくれている。

 僕はふと思い出して、鈴子に聞いた。

「で、おかみさん…なんだ。」

「あ、そうなんです。」

急に聞かれて、少しビックリした顔をした鈴子だったが、僕が聞いたことの意味が分かって、テレながら説明を始めた。

「わたしが下村さんのこと影から見てたの、奥さん、知ってらしたんです。」

「そっか、おかみさん、そう言うの感付くの早いから。」

「で、わたし、結婚って、さっき話したみたいに、すごく大切だと思っていたから、どうしても思い切りがつかなくって…。」

「なるほど。」

僕は平静を装いながら、知らずに投げかけられていた彼女からの視線のこと、また、何とか僕とお近づきいになりたいと頑張っていた彼女のことを思い、くすぐったかった。

「そんなわたしのことを見ていた武村の奥さんが、下村さんのこと、『絶対大丈夫だから』って勧めてくださったんです。『ああ見えても、あの子、賢い子だよ。だからきっと、あなたのことちゃんと見てくれて、しっかり受け止めてくれる。』」

<そ、そうか。おかみさん、僕のこといつもケチョンケチョンなのに。>

僕はおかみさんの言ったと言うことを聞いて、今度は背中が痒くなるような気がする。

「それからしばらくして、奥さん、お見合いだといって、下村さんのことを、紹介してくださったんです。」

 そこまで言って、彼女は視線を落として、エヘヘと照れ笑いした。

「わたし、武村社長御夫妻見てて、きっと、うちの父母が元気だったら、あんなんだろうなっていつも思っていたんです。凄く憧れていたんです、あのお二人に。その奥さんから『絶対、良いから!』って言われて、わたし、間違いないと思ったの…。」

「なるほど。」

 鈴子は始めて会ったときから、なぜか僕に対して、一方的に肯定的な態度をとってくれていた。それは、こういう根回しが有ったからなのか。でも、絶対良いって…。あの押しの強いおかみさんが、僕のことを褒めちぎっているのが目に浮かんで、苦笑した。

「だったらさ、もうガッカリしちゃったんじゃないの。いくらおかみさんだといっても、今回ばかりは誇大宣伝だって…。」

褒められるのに成れていない僕は、ひたすら照れまくった。居心地悪くって、仕様が無くって、そんな照れ隠しを吐く。

「いいえ? なぜ?」

「『絶対に良い』なんて、ちょっと言い過ぎ。」

「そんなこと、ありません。」

「ホント?」

「ええ、それに、もう、武村さんに言われたから、どうのこうのだなんて思ってないです。半年、お付き合いして、あなたと出会えてよかったって、心から思ってます。」

「あ、そう…。」

ウンウンと頷いて見せる鈴子。そして自分に言い聞かせる様に言った。

そして、大きな溜息をついた。

「これで、もう、思い残すことないわ。」

ため息の中で囁かれた言葉。その時僕は、溢れる笑顔の合間に隠れる、彼女の寂しげな表情を見逃さなかった。 

   

  

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