第二部 2
「あのう、下村功太郎さん、おられるでしょうか。」
受付の方からそんな声が聞こえた。今日の仕事を終え、後片付けをしている僕は、思わず手を止めた。
「功ちゃん、お客さんだけど。」
受付をしているおかみさんが、ちょっと怪訝な顔をして、僕を呼んだ。呼ばれて行ってみると、パリッとしたスーツを着込んだ、見るからにやり手そうな青年紳士が立っていた。
「下村・・・功太郎さんですか。」
「あ、・・・はい。」
そんな客とは相対して、僕は油で汚れたツナギを着ていた。間違いなく僕とは関係のないようなクラスの人に見える。僕の隣では、おかみさんが顎に指を当てて、何か考え込んでいる。
「あのう、ちょっとお時間いただけないでしょうか。あ、私こういうものです。」
そう言ってその男は、僕の目の前に名刺を差し出した。
<MM機械 株式会社 総務部長 森山忠>
MM機械、総務部長??・・・なんで、あんな大会社の総務部長が??
僕は余りにも、僕なんかとは縁のなさそうな肩書きに、思わず身構える。
「ああ、MM機械さんところの、お坊ちゃん!」
おかみさんが横から口を挟む。
<何、坊ちゃんって、・・・・社長の息子??>
僕は益々訳が分からなくなり、へーこれがねえ・・と、その大会社の御曹司の顔を眺めた。なるほどハイソな感じがするはずだ。
「いやあ、お坊ちゃんだなんて、武村さんの奥さんに掛っちゃ、形無しですね。」
「で、何の御用件でしょう。ウチの人なら奥に・・・。」
親父さんを呼びに行こうとするおかみさんを、森山は呼び止めた。
「あ、いえ、良いんです。今日は仕事の関係じゃなくって、下村さんにちょっと個人的に用が・・・。」
「はあ?」
おかみさんが、不思議そうに森山を眺める。僕はここに至って、目をしばたかせるぐらいしか出来なかった。
森山は僕が服を着替え、準備をするのを事務所で待っていた。全部を終えて僕が出て行くと、僕を促して、会社のちょっと先にある喫茶店に、僕を連れて行った。
初夏の夕暮れ、ムッとした暑さが僕を包む。前を行く森山と言う男の背中を見つめ、これから何が起こるのだろうかと、僕は気が気ではない。
喫茶店に入り席に着く。程なくやってきたウェイトレスのお姉さんに、それぞれコーヒーを頼む。しかし気になってならないのは、僕は向けられている森山の挑戦的な視線。なんで、こんなクラス違いのヤツに、目をつけられないといけないのか・・・。僕は戸惑うばかりだった。
「あの、個人的な話って、なんでしょう?私ら初対面ですよね」
森山は何か思うところがあるようなのに、こっちは何がなんだか分からない。たまらなくなって聞く。
「うーん、今気付いたんだけど、厳密な意味では初対面じゃない。ちょっと前、高村の不動産屋の前で・・。」
不動産や・・・・・
「え?もしかして、ハーレーのダイナ乗ってた・・・。」
「え? あ、そう。それ僕・・・。」
「はあ。」
・・・・だとすると・・・・・
「あのですねえ・・。お伺いしたいことがあるんですよ。」
至って冷静な口ぶりの森山。しかし、高ぶる感情がオーラのように彼の後ろにメラメラと立ち上る。僕もどう来るかと身構える。森山は話を続ける。
「スーちゃん、じゃない、・・天原さん・・・。」
精悍な表情が一瞬消えてなんか赤くなってる。その落差に唖然とした顔をしていると、あっちも気付いたようで、コホンと咳払いをし表情を整えて続けた。
「だから、天原さんと・・・・。」
「はい。」
「結婚するって・・・」
僕は空かさず合いの手を入れた。
「ホントです。」
・・・・・ホント・・・・・・って・・・・・いきなりかよ・・・・
そう口篭りながら、森山は目を丸くしたまま固まった。一瞬にして僕らの周囲だけ、気温がガクンと下がった気がする。
見てれば分かる、彼の中で何が起きたのか。
僕だって、失恋に関して言えば、かなり経験豊かだ。だから直感的に今目の前で晒している、森山の表情の意味を悟った。
<目が死んだ魚のようだ>
自分も失恋したとき、こんな顔してたのかなと思う。今までは失恋する方だったのだが、今回は失恋させる立場。失恋したときのショックは誰よりも知っているつもりだ。
だからこそ僕は、はっきりと事実を告げた。なぜなら失恋は経験上グジグジ期待持たされる方が、後々傷は深刻になり、場合によっては人生を狂わすことすらある。それともう一つ、こんな大切なことをうやむやにするのは、約束をした鈴子に対し余りにも失礼だ。
だけど・・・・、
目の前に点になって固まっている森山の目を見たら、もうちょっと考えたら良かったかもなあと、気まずさと同情と僕の胸のうち湧いてくる。
<おいどうする、・・・困ったよー。>
僕は息の詰まる雰囲気に、次の手を感慨あぐね、思わず視線を外の風景に向ける。
喫茶店のウインドー越しに、高校生達が大声で楽しそうに話しながら、家に向かっている姿が見えた。僕があんなだったころだったよ、振られまくっていたのは・・。そのころの苦い思い出を、久しぶりに思い出す。
彼は程なく、力なく話し始めた。
「・・・・で、なんで、こんなことに・・・?」
やっと聞き取れるぐらいの声の大きさだった。
「いや、・・・見合いで・・・。」
パッと上げられた顔に、意味が分からないような色が浮かぶ。僕は良く聞こえなかったんだと思って、言い直す。
「だから、見合いしたんです。今年の初め。」
「み、見合い・・・で??!!」
バンとテーブルを叩いて、立ち上がる森山。思わずのけぞる僕・・・。
「なに!!、見合いだとー!」
「そ、そうですよ。」
「なんで、スーちゃんが見合いするんだ??!!」
「知りませんよ。うちのおかみさん・・・じゃなくって、武村の奥さんが・・・。」
そう言うと、さっきよりもっと目を丸くして、しばらく僕を睨んでいたと思ったら、グチャと髪を掴んだ。そして、力が抜けたようにどかっと椅子に座り、がばっとと背もたれに身を投げ出す。
「あんた、履歴とか誤魔化したりしたんじゃないよな。」
「そんなんで見合いして、何になります。」
「そうだよ・・な・・・。」
まるでうわ言を言っているように言う。
「わからん・・・、俺たちをスーちゃんが、・・・裏切るなんて・・・。」
・・・・確かに、僕も分からん・・・・・
何でこんな凄そうな男と知り合いで、わざわざ僕となんかの見合いをし、しかも婚約するなんて・・・。
改めて、リッチでイケメンな森山を眺める。
するとヤツはダンと立ち上がって、ギロッと僕を睨んだ。と思ったら、ほとんどダッシュでレジに向かう。
・・・・なんだか、面倒なことになってきたなあ・・・・・
森山の後姿に、そんなことを思う。
「ありがとうございました!」
ウェートレスさんの挨拶の後、ドアのカウベルがカラカランとせわしなく鳴った。