第一部 9
・・・勘・・・か・・・・
さっきから、ずっとそのことばかり考えている。
・・・しかし、鈴子、何考えてんだよ
心許無い婚約した理由を聞かされて、不安の影に沈んでいる僕とは裏腹に、実に安定感バッチリ。自分の決断に対し、全く不安や迷いを持っていない様子の彼女。
僕はどうしてそんな風にしていられるのか、理解に苦しむ。
結局その日は、色々有ったので、家探しは二件で終わり。早く切り上げたので、初めの予定より早く、鈴子のアパートに帰ってきた。
でも、大分長くなった日も、そのころにはもう沈みかけていた。
僕は鈴子の知らなかった面を一度に知らされ、目が回ってしまった。そして現実を知り、一気にアップした、圧し掛かってくるプレッシャー。
今まで自分で描いていた鈴子像を前提に、話題を選んだり、行く場所を選んだりしていたが、全部吹っ飛んでしまった。
今日は初めの予定だと、これからいつも会う毎にしていたように、二人で食事でも思っていた。今回考えていたのは、ネットで調べたリーズナブルそうなイタリアン。今までの選択基準は、義男のフランス料理店でのことを元に選んだものだった。
しかし今日知った彼女の素顔・・・・、ライダーでサファーで、さらにアイドルな鈴子には、それでは余りにも物足りないのではないかと、思ってしまうのだった。
ドタバタの勢いで、和夫に自分は婚約者だと啖呵は切ったものの、その相手はと言えば、バッチリ決まってるサーファー。いやそれだけではない、彼女の周りにいるのは、男の目にもカッコイイあのライダーや素敵なフレンチレストランのシェフ・・・お民婆さんの言うとおり、ここら辺りでは「アイドル」だとするなら、彼女にはまだまだ、僕が知らない凄い知り合いもいるだろう。
きっとそいつらは、男としてずっと僕の上を行っているに違いない。女の子を楽しませることだって、経験らしい経験の無い僕なんかより、格段に上手だろう。
そんな奴らと親しくしている彼女は、今までの僕とのこと、どう思っていたんだろう。そこを考えると、顔から火が出るようだった。
すっかり、どこかに誘ってみようなんて気は、萎んでしまった。
彼女のアパートには帰り着いが、今回は夕食無し。僕はこのままお開きにしようと心に決めていた。
「はい、着きました。」
僕は鈴子の家の駐車場に車を滑り込ませ、到着を告げた。
鈴子は少し不思議そうな顔をするが、何か気付いたようにポンと手を叩いて車を降りた。
底なしの落胆の泥沼で、もがいている僕とは裏腹に、隠していたことを話してすっきりしたからなのか、晴れやかな笑顔の彼女だった。
「じゃあ、急いで支度してきますね!」
微塵も疑いも無い様子でそう告げると、一目散に家に向かって走り出す。
「え? いや・・・ちょっと。」
・・・・今日はもうこれで・・・・
そう言い掛けたところで、半分スキップ状態の彼女は、自分の部屋に消えていくところだった。
「どうしよう・・・・。」
また溜息。僕はこのまま帰るのは諦めて、夕食に行く覚悟を決めた。
息が詰まりそうだったので、深呼吸でもしようと車を降りる。すると、ちょっと歩いた所に自転車小屋があり、そこにはピカピカに磨きぬかれたSRが留めてあった。
この分だと、今までもそこにあったのだろう。でも、今日のあのハーレーのお兄ちゃんの話を聞くまでは、人の家の自転車小屋など、意識することなどあるはずもない。
<これか・・>
近付いて見るとスポーク一本一本、エンジンのフィン一枚一枚、チェーンのブロック一つ一つ、機械いじりが生業の僕には、思いの篭った手が、隅々まで入っているのが良く分かる。
<彼女はバイクを愛して、バイクと一緒に走っているんだ・・・。>
単にファッションやノリでバイク乗ってんじゃない・・・そう思った。静かな感動にも似た感情が、心にじわっと広がる。
それと同時に、僕はなんとも言えない懐かしさを覚え、そのSRを跨いだ。
僕はかつてSR500に乗っていたことがある。知り合いのツテで、中古屋の隅でほこりを被っているのを安く手に入れ、自分で整備して乗っていたのだ。
大学時代に大型二輪を取って以来、何台と乗り継いできたけれど、あの時感じた、ビッグシングルの独特の感触は、今でもしっかり体に染み付いている。
「お待たせしました!」
急いでアパートの階段を駆け下り、駐車場に小走りできた鈴子は、車に向かって嬉しそうに声を掛けた。でも、車内に僕がいないのに気付いて、キョロキョロと周りを見回す。
一瞬不安そうに立ち止まっていたが、物音でも聞きつけたのか、くるっとこっちを向いた。
そして、自転車小屋でSRにまたがった僕を見て、目を丸くする。
僕はその時、思わぬことを口走った。
「天原さん、これでどこか行きませんか?」
「え?」
鈴子は白のフリルつきのブラウスにネックレスにイヤリング、エンジのフレアスカートを履いていた。僕はやっぱり、彼女のルックスにはピッと来ないのだが、そう言うのにとことん疎い僕ですら、彼女の中に、女性誌の表紙を飾る女の子と、共通するものを感じる。
・・・・アイドルねえ・・・・
明らかにいつもより着飾っている彼女を前に、思わずそんなことを考えてしまう。
そこでハッとした。これは、バイクでどこかなんて格好じゃない。今の僕の誘い、ものすごくKYだった?!
「あ、いや、すっごく可愛いくしているのに、やっぱ止め・・・。」
「え?!・・・あ、いえ、・・・良いです!それでどこか行きましょ!」
彼女は僕の呼び止める間もなく、嫌な顔一つせず凄いスピードで部屋に戻っていった。
「あ、ああ、ちょっと待った!って・・・」
<なんか、凄く悪いことしちゃったな・・・>
気まずさが胸をふさぐ。
「お待たせしました・・・。」
少し恥ずかしそうに姿を現した彼女は、ジーパンに革ジャンだった。それは今までのどんな服よりバッチリ決まっていた。体の凹凸の迫力も、こっちの方がずっとグッと来て、僕はなんかドギマギしてしまう。
この姿、初めに見てたら、彼女、相当モテるのかもと、思ったかもしれない・・・・。
「海でも、行きましょうか?」
KYしたとふさいでいても仕様が無い。彼女を見ていて、水平線に沈む夕日のことが脳裏に浮かんだので、そう誘った。
「ええ・・。」
鈴子はそばに立って、静かな眼差しで、僕が自分の愛車に息吹を吹き込むのを見つめていた。空踏み一回、少しスロットルを回して、それ!!
ドドドドド・・・
エンジンは鼓動し始める。彼女はフッと目を細めた。
それから海への道は、丁度良いドライブコース。市街地を抜け一つ峠を越えると海岸線に出る。何度も走ったことのある道だった。
学生時代から、暇があればバイクに乗っていた僕なのだが、バイクを乗るときは何時も一人だった。ツーリングも一人、峠を攻めるのも一人。ダンデム(二人乗り)もほとんどしたことが無い。
その点に関しては、鈴子をいきなり乗せて走るのは、ちょっと心配だった。でも、それが杞憂であることは直ぐに気付く。というのは、鈴子、後ろに乗るのがえらく上手いのだ。
慣れてない人間だと、車体を傾けたとき怖くなってしまい、間違いなく車体のバンクとは反対側に体を持っていく。そうされると、ラインは膨らみ大変乗りづらく、危険ですらある。
しかし鈴子は違った。乗りなれている人間なのだから当然なのだが、ちゃんと僕に付いて来てくれた。
風きり音とバルブの規則正しい音が聞こえる。
僕を無心へと導く、このシチュエーション。
この道が僕が良く知っていることもあり、徐々にペースは上がり、いつしかかなりマジで攻めていた。そのうち、僕は二人で乗っていることすら忘れ、走ることに夢中になる。
<今日はなんか調子良い・・>
そしてかつて峠で鳴らしていた当時の、いや、それ以上の冴えに、久しぶりに武者震いする。
何でなんだ?
え?
あ、そうだった・・・
鈴子が後ろに・・・、
え?・・鈴子のせい??
ハッとして鈴子のことに意識を向けると、彼女がただ乗っているのではないことが直ぐ分かった。彼女は僕の選んだラインを感じ取り、絶妙のレスポンス、微塵の狂いも無く付いてきていた。それはまるで、僕がどのラインで入ろうと思った瞬間、リアルタイムで情報を受け取っているようだった。
なんなんだ、・・・・鈴子って・・・・
正直、舌を巻いた。
海につくころには、もう日は落ちていた。刻々、西の空の赤みが紺色の夜空に塗りつぶされていく。春の夕暮れ、人気の無い海岸縁の駐車場にバイクを滑り込ませ、夕日の良く見える場所にそれを停めた。
するっと鈴子が降り、僕もエンジンを切って、バイクから降りた。
短いながら、久しぶりに心から楽しいと思えるツーリングだった。
降り立った彼女は何も言わない。僕も何も聞かない。でも、お互い、無視しているのでも探り合っているのでもない。
今の僕には彼女の沈黙の意味が分かる。それは一緒に一台の「鉄馬」に跨り駆けるうちに、語る以上のものを分かち合ったと言う、充実感からのそれだと。
「下村さん、隠してましたね・・・。」
「それは、こっちのセリフ。」
フフフ・・・・
アハハハ・・・・
「わたし、後ろに乗ったこと、ほとんど無いんです。」
え?
「でも今日、一人で乗っているより、自由だった・・・。」
僕はハッとして彼女の横顔を見る。真っ赤な夕焼けの残影が彼女の瞳に映っていた。
「ほんと、自由で楽しかった・・・・。」
彼女はもう一度、たまらない喜びを噛み締めるように、呟いた。
一人でいるより自由でいれる二人・・・・・・・
自分もまた全身で感じた快感が、今、彼女によって言葉になったと思った。