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第九章 月明かりのロード




 オレは住宅街の路上で、両ひざに両手をつけてうつむいていた。




 遅いせいか辺りに人影はない。




 ゼェゼェと荒い息を吐きながら呼吸が落ち着くのを待つ。




 駅の階段を駆け下りて、コンビニの脇を走り、並木の続く歩道に来ていた。




 見上げれば、秋の夜空に星が瞬いてる。オレはしばらく星を眺めて過ごした。




 どこかで虫の鳴き声が聞こえていた。




 これから家に戻るとなると気が重い。仕事を辞めたことを女房に言わなければならない。家の中で新たなバトルが起きることが予感された。




 右の木立ちからガサッと音がした。




 ハッとして顔を上げると…。




 木の後ろからブルジョワが出て来た。




 「よう」




 オレはほっと息をつき、ひざに両手をついたまま、答えた。




 「何だ、あんたかよ…」




 一瞬、アイスの付いた男と服にシミの付いた女がここまで追って来たのかと思ったのだ。




 ブルジョワはそんなオレを見透かしたかのように言った。




 「お休み中のところ、悪いな。大丈夫だ。誰も追いかけて来てはいない」




 「そうか…」




 「危なかったな」




 ブルジョワは背広の右ポケットからシルバーのライターとタバコの箱を取り出すと一本くわえた。




 「一本、どうだ」




 そう言ってブルジョワはタバコの箱をオレの方へ差し出した。




 「…ああ」




 オレは箱の中からタバコを一本取る。




 オレが口にくわえると、ブルジョワはライターを近づける。オレのタバコに赤い火が灯った。その後、ブルジョワは自分のにも点火して、言った。




 「あんなに走ったのは高校の体育祭以来だったよ」




 「ああ…オレもさっき、必死で走った」




 「必死でか…フフ」




 しばらく沈黙が流れた。虫の音が辺りに響いていて、遠くでコンビニの明かりがあたたかく灯っているのが見える。ひんやりした夜の空気が、運動した後の体に心地よかった。




 暗がりの中、ブルジョワがそっと言った。




 「あんた、家は」




 「…オレはこの辺なんだ」




 ブルジョワは少し高い声になって




 「そうか、実はオレもだよ」




 「へえ…」




 「…何の仕事やってるの」




 「探偵社にいた…今日辞めたけど」




 「エッ…そうか…」




 ブルジョワがフーッと煙を吹いた。そして言った。




 「オレはこう見えても一国一城の主だ」




 やはり、ブルジョワの出だったのだ。




 「そうだと思っていたよ」




 「ほう?…何で」




 「何だろうな……雰囲気かな、貫禄かな…」




 「分かるもんなんだな……」




 立ち尽くしているオレ達のそばを通行人が通り過ぎて行った。




 ブルジョワはオレの顔を見ずに、遠くを見ながら言った。




 「どうだ、あんた…何かの縁だ。うちの会社に来ないか。今、管理職のポストが一つ空いていてさ。実はあんたみたいな骨のある人材を探していたんだ」




 オレが驚いてブルジョワを見る。




 ブルジョワは遠くを見つめながらタバコをふかしている。




 「うちの会社はそれなりの規模もある。待遇も悪い方じゃないと思うが」




 「……そうか。ありがたい話だが、少し考えさせてくれないか」




 するとブルジョワは懐のポケットから名刺を一枚出すと、オレの右手に握らせた。




 意外にあたたかい手だった。




 「気が向いたら電話を」




 「ああ……」




 「じゃあな……」




 背を見せて歩き去って行くブルジョワ。




 オレは名刺を見た。




 暗かったが、太字は読める。代表取締役だ。総合商社で九条達雄くじょうたつおという名前だった。聞いたことがある。オレはブルジョワが、前にビジネス雑誌で見た顔だったことを思い出した。最初に見たとき、奴を一発でブルジョワと直感したのも潜在記憶にあったからかもしれない。




 オレは名刺を背広の内ポケに、そっとしまった。




 そして、右の横断歩道を渡り、住宅地の路地を進む。




 少し急ぎながら。




 背広のポケットで何かが震えた。オレはケータイを入れっぱなしだったことに気づく。




 液晶画面には「着信・秀子」と出ていた。女房だ。




 帰りがいつもより遅いから心配してくれたのかもしれない。




 宙を見上げると、夜空には満月が明るく輝いている。




「ただいま~」




 「あなた!」




 オレがドアの鍵を開けると、女房はいきなり抱き着いてきた。




 「え?どうしたんだ!?」




 「帰りが遅いから会社に連絡したら、あなた会社辞めたって言うから、あたし心配で!」




 「そ、そうだったのか。大丈夫だよ。それに再就職先も決まったみたいだしな」




 扉を閉める前に振り返ると、秋の夜の冷たい空気の中、木の下から夜露よつゆで濡れた草花が生えているのを見つけた。




 もう過去を振り返る必要もない。




 オレの頭上には月の光が優しく照っていた。








                                (終わり)





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