手を繋ぐこと
例年、うちの両親は朝起きておせちを食べると、のんびり家の近くの神社に向かう。絵梨奈に話していたようにそこそこ知名度のある神社の為か例年やたら人が多い。
地元民だから人が押し寄せる前に行けばいいと思うのだが、どうせ年が変わるのをあそこで待ってる人も多いし、急いで行くだけ無駄というのが両親の主張である。故に寧ろ開き直ってゆっくり神社に向かう。
なので両親にくっついて初詣に行くと、人でトンデモなくごった返した参道を歩く羽目になる。家からだと馬鹿正直に駅から伸びる参道を歩き通さなくても良いが、それでも神社そのものにたどり着くまで、人に揉まれて一苦労だ。
「あれ?」
だから、その人混みの中で俺がその横顔を見つけられたのは、年始早々運命の女神が微笑んだからに違いないのだ。
「絵梨奈、さん? 絵梨奈さん!」
「え……あ、時任さん! もしやするとと思っていましたけど、お会いできましたね! あけましておめでとうございます!」
思わず名前に詰まったのは、確証が一瞬持てなかったからであり、決してさんづけに戸惑ったからではない。そんな誰に向けてかよく分からん言い訳をしている俺に、絵梨奈はにこやかに微笑みかけて新年の挨拶をしてくる。
「ああ、あけましておめでとう……っていやいや、そうじゃなくて。どうして君がここに?」
「その、それがですね……姉が今年は初詣に行かなくてもいいや、などと突然言い出しまして……」
「へ?」
「元々うちは初詣に行くような家じゃなかったんですけれど、初詣に行き始めたのは姉が時任さんと付き合い始めてからなんです。それが、今年は姉が別にいいと言うので、父もそれに乗っかって……」
まさかの事実。ということはアレか? ひょっとして「彼氏と初詣に行った」ということをやりたいが為、あるいは自慢したいが為に初詣に俺を連れ出してたのか……
「ですけど、私は今年になって行かないというのがちょっと気持ち悪くて、1人で初詣に行くことにしたんです。でも折角1人なので、どうせなら時任さんに紹介してもらったところにしようかなと……」
「はぁ〜、なるほど……」
「でも時任さんはご自宅が近いですから、朝のうちにもう初詣は済ましてしまってるかな、なんて……」
「ところがそんなことはないのよねぇ〜、あけましておめでとう、絵梨奈ちゃん」
俺がついてこないんで様子を見に戻ってきたのか、突然俺の後ろから顔を出す母親。俺もビクついたが、絵梨奈は文字通り軽く飛び上がってしまった。手に持っていた黒いハンドバッグが揺れる。
「あら、ごめんなさい。驚かせちゃったわね」
「い、いえ、大丈夫です。あけましておめでとうございます」
「おう、どうした?」
俺の後ろから母親、その後ろから父親……アレか? 歌いながら腕ぐるぐる回して踊ればいいのか?
「ほら父さん、昨日の夜話してた……」
「あ〜、なるほど。初めまして、時任欽二の父親です。あけましておめでとうございます」
「ど、どうも初めまして。金子絵梨奈と申します……あけましておめでとうございます」
何故かあれだけ酔っ払っていたのに、昨日の夜のことを全部覚えている父親。寧ろ何か酔っ払ってしでかしたら地獄なんではなかろかと、常日頃から思っている。酒も抜けているのでちゃんと絵梨奈に挨拶してくれたが。
「何だ、お前彼女を初詣にでも誘ったのか?」
「誘ってたらこんな雑踏の中で待ち合わせはしないから。偶然だよ偶然」
というかそれは俺が自重したことであるし、それだったら先に両親には話を通す。
「そうかね……じゃあ行くかい? 母さん」
「そうね、ほらちゃんと案内してあげなさいよ。私たちは先に行ってるから」
「はい?」
すると何故か父親は母親を連れ、俺と絵梨奈を残して雑踏の中をスイスイと歩いて消えて行ってしまった……アレ? 俺ひょっとして妙な気を遣われて2人きりにさせられた?
「えぇ……」
「あ、あの……」
余計なことをという言葉をどうにか飲み込む。そんなことを言ってしまったら、隣で不安げな顔をして俺を見てくる絵梨奈をますます不安にさせてしまうだろう。
「あー……ホントごめんね、うちの両親こういうとこあるから……その、もし良ければ案内しようか? ここはよく知ってるからさ」
「よろしいんですか? その、ご迷惑でなければ……」
「迷惑だなんてトンデモない。寧ろ俺の話を聞いてここまで態々来てくれたんだから、こっちとしても嬉しいしね」
そう俺が言うと、じゃあ、お願いします、と笑みを浮かべる絵梨奈。そのまま案内しようとして、俺に迷いが生じた。
はっきり言って話している間にも山ほど人にぶつかられるくらいの人混みである。このまま並んであるいていると、はぐれる危険性があった。
(だがしかし……ここで手を繋ぐという選択肢があるのか……? あるのか……!?)
まだ知り合いになってから1週間の女子と手を繋ぐとか、やっていいのか? いやいかんでしょ常識的に考えて……でもなぁ……
(まず匂わせて、その反応から次の言葉を考えよう)
とりあえず向こうの出方を見るという日和見的な選択肢を選んだ俺は、なんでもない風を装って絵梨奈に話しかける。
「えっと、ちょっと人が多いから、俺のカバンを掴むなり手を繋ぐなり……」
……いや手を繋ぐとかこちらから提案する選択肢に入れたらダメだろ俺ェ!? 思わず思考が口に出て途中で発言が尻すぼみになる。果たして最後の方が雑踏の騒音に紛れて聞こえなかったことを願いたいが……
「あっ、そうですよね……すみませんが、お手を貸していただいても、よろしいでしょうか……?」
聞こえたかどうかは分からなかったが、なんと絵梨奈の方から手を差し出してきた……だと?
「あ、あぁ、うん、勿論」
挙動不審になるのをどうにか抑えながら手を務めて優しく……取ろうとして、自分の手にはまっている手袋に気づいた。絵梨奈も白い手袋をしているし、俺も手袋をしたままの方が良いだろうことは分かっていた。
だけど、あえて俺は絵梨奈に見えないようにスッと灰色の手袋を外し、あたかも最初から手袋をしていなかったかのように絵梨奈の手を取った。
手袋の革の感触。でもその向こうから伝わる絵梨奈の熱を感じながら、俺は絵梨奈に声をかける。
「じゃあ行こうか。ちょっと人が多すぎるし、人ができるだけ少ない方を通ろう」
「そうですね、案内よろしくお願いします」
絵梨奈の手を引いて歩き出す。思えば、絵梨華とデートの時は常に絵梨華が俺を引きずっていて、人をリードして歩くというのは、中々珍しい状況だった。絵梨華のようにグイグイ行くのではなく、でも人混みに負けないように、細心の注意を払いながら、俺は絵梨奈の手を引いた。