卵焼きと常識
気の早い戦勝ムードに包まれながら、わやわやと弁当を食べるクラスメイトたち。まだ前半戦が終わったばかりなのだが、それでいいのだろうかと微妙な気持ちになる。
競技の直後なので、なんとなくムカデのチーム同士が集って弁当を食べている姿が多い。それは俺も例外ではなく、マナや智や長谷川などと一緒に弁当を突っついていた。
「はぁ〜、トッキーの弁当、いつにも増してデカイなぁ……こら相当気合い入っとるね」
「まあ、ハレの日大好きなうちの母親クオリティってやつよ。正直多すぎるから、適当に好きなのとってって構わんよ」
とはいえ、実際にハレの日好きなのは間違いないとはいえ、イベントの度に持たされる巨大な重箱状の弁当箱は、多分母親なりの俺が孤立しない為の気遣いなのだと思う。
まあ単純なことほど効果的なもので、現にマナとか以外にも、巨大弁当に興味津々で話しかけてくるクラスメイトも多い。
「へぇ〜、これお前の母ちゃんが作ったの? すげぇ気合い入ってんじゃん」
「スゴい! こんなに沢山、美味しそう……味見してもいい?」
「俺の分は残しておいてくれよ」
正直母親のそういう気遣いはありがたく思いつつも、ふと絵梨奈のことを思うと、どうにも居心地の悪さを感じると同時に、逆に絵梨華に対する悪感情が同族嫌悪の如く湧き上がってくるのを覚える。
絵梨華の方を伺うと、遠くで恐らく絵梨奈作と思しき弁当をつまんでいた。去年までは俺の弁当箱からおかずを鳶のように掻っ攫っては、好き勝手に評価を述べたてていたのを思い出す。自分が料理できるアピールをしたかったのかもしれない。
その周囲には絵梨華の熱狂的支持者たちが集まっていて、絵梨華の弁当を褒め称えている。しかし絵梨華はクールに取り繕うというより、寧ろ仏頂面でそれを聞いているようだ。
銅像に群がる鳩をひたすら見つめるような不毛なことをしていてもしょうがないので、視線を下に落として自分の弁当を食べ進める。こちらにもそこそこの数の鳩がいて、少しも食べていないにも関わらず弁当の中身は減っていた。その代わり俺の弁当箱の蓋には、見慣れないおかずがゴロゴロ転がっていた。
絵梨華はよく考えると、俺の弁当箱からおかずをとっていっても、俺におかずを分けようとはしなかった。自分で作ったものでないのなら当然だが、どうしてそんな等価交換の原則に沿わないことを俺は平然と受入れていたのか、今では不思議でしょうがない。
唐揚げを頬張りながら、白飯を食べる。おかずは交換の対象になっても、白米が交換の対象になることがないのは、それが大概どこの家庭でも白米だからで、調理のしようがないからだろう。おにぎりなら、また話は別なのだろうが。
「さて、僕たちは後点数に関わるのは騎馬戦だけか。問題はクラス対抗リレーでうちは勝算が厳しいことだろうね」
「なんでいつもリレーが最後で、しかもクイズ大会の最後の問題みたいにやけに点数配分が高いんだろうな」
「そりゃあ、負け確のチームが出たら試合終了で諦めムードしか漂わないだろうし、全員参加競技にしたら、みんな試合に必死で勝敗を冷静に考えられないじゃない。というか、そういう演出上のことは考えたら負けだよ欽二」
「いや、堂々と言っとる段階で、智も大概やと思う……」
マナの神妙な発言に思わず吹き出す俺。見ると長谷川も笑いを堪えている。こいつはこういうヤツなので、どうせなら長谷川も覚えて帰ってほしい。
まあ俺たちは俊足ではないのでリレーに出ることもない。最後の方はただ座って競技を眺めているだけになるだろう。正直午後の1番暑い時間帯にそこまで動かなくていいのはありがたい。
適当に弁当箱の上に置かれた人の家のおかずをつまみ食いする。口に放り込んだ卵焼きは綺麗に巻かれていて、しょっぱい系の味がする。
「あ、それウチの弁当のヤツやな。どや? 美味いやろ?」
「しょっぱい系は馴染みがないけど、でもいけるな、美味い」
「あぁ、そっか、関東だと大概甘いんやったね。西の方やとしょっからい卵焼きも普通なんよ」
なるほどと呟きながら、ふとこの構図に既視感を覚えた。確か絵梨奈の作る卵焼きも塩っぱかった。彼女の家は西の方の出身だったか、あるいは……
いや、作ったのとは別の人を思い浮かべるのは良くないぞと、頭を振りながら俺はその卵焼きを味わう。絵梨奈のと比べてこちらの方が塩っ気そのものが強くて……と、何故か脳内で凝った食レポを始めてしまう。
「ウチ料理覚えたのが西に移ってからやったし、向こうの味付けに慣れてもうて。というか帰ってきたら調味料が全然味違うて普通に困ったわ」
「そういうのもあるんだなぁ……俺料理しないから全然分からん」
「なんや、教えてあげよっか?」
「いや……マナの卵焼きも負けてはいないと思うが、教えてもらうなら今のお相手がいい」
「あぁ……せやなぁ……その方がええで」
周りに聞こえないように顔を近づけボソリと呟くと、それはそれは良い笑顔でニンマリしてくるマナ。自分でもそのセリフが出たことに驚いたが、塩っぱい卵焼きを食べて絵梨奈のものを思い出したせいだろうか。
ふと視線を感じたのでそちらの方を伺うと、絵梨華がこちらをジッと見つめていた。俺が振り向いたのに気づくとすぐ目をそらしたが、その視線は俺というよりマナの方を向いていた気がした。
まあ絵梨華にとっては、マナは俺の新しいお相手になってしまうのかもしれない。あるいは俺にまだ未練のあるらしい絵梨華からすれば、下手すると泥棒猫か。馬鹿げているが、絵梨奈の存在が頭にない絵梨華を筆頭とするクラスメイトたちにとっては至極妥当な思考回路なのやもしれない。
正直マナがスケープゴートにされる歓迎すべき事態ではないのだが、しかし俺が色々ドジ踏んだり、絵梨奈の存在を公にできていないのもあって、現状俺とマナの関係性はとても微妙だ。本音では周囲からどう思われているのかも実際定かではない。
そして困ったことに、マナの存在は益々絵梨奈の存在を公表できない理由になりつつあった。「マナが俺の新しい恋人である」というあるのかどうかも不明な誤解を完全に解かなければ、絵梨奈の存在を公表した瞬間俺は完全に女誑しになってしまう危険性がある。
別に恋人と幼馴染が両方いたって構わないと思うのだが、それは甘すぎるのだろうか? 恋人ができたら恋人一筋になって、それ以外の女子とは距離を置かねばならないのだろうか? いや、もしやすると絵梨華のこれまでの束縛が影響しているのかもしれないが、俺にはどうにもその辺はよく分からなかった。
「常識って何なんだろうなぁ……」
「およ、社会学とか哲学の話でもするん? でもほらこういう名言もあるやん? 常識とは18歳までに身につけた偏見の塊ってやつ」
「アインシュタインだろ? つまり俺たちはまだ偏見を身につけている真っ最中か」
「そう考えると嫌やなぁ、今身につけてるのは全部偏見なんやろか?」
「いや学校で習う知識は偏見じゃないとは思うけどな」
そうは言いつつも、でも実際学校ほど常識を身につける場所もないかもしれない。非常識な人間は、ハブられて孤立していき、やがてそれを恐れる人間は非常識な行動を取らなくなる。
そう考えると、寧ろ絵梨奈が別の学校だったのはある意味幸運だったのかもしれないし、でも非常識さが暴かれるまでの執行猶予がついただけなのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は弁当を食べ進めた。南中を過ぎて次第に下がりつつある太陽は、地球が自転しているという常識をたやすく打ち破るように動いていた。
「あっ、欽二さん!」
「お疲れ様、そっちも暑かったでしょ」
運動会からの帰り道、俺はあえて途中下車して同じく運動会帰りの絵梨奈を駅構内で待ち伏せていた。絵梨奈はやはり普段より疲れた顔をしていたが、それでも俺の姿を認めるとすぐにその顔から疲労の色が飛んだ。
誰か運動会帰りで一緒だったら、流石にバレるとマズイので話しかけるつもりはなかったが、幸か不幸か絵梨奈は1人だった。周囲に知り合いらしい影も見えないし、そもそも絵梨奈は大分他の制服姿の子より遅くやってきたから、絵梨奈と同じ制服姿もちらほらしか見当たらなかった。
「ええ、日差しがすごくて……私は保健委員だったのですけれど、熱中症の方もそうですが、騎馬戦の際に怪我人が出たりもしまして……色々と事後処理にお付き合いしていたら、結構遅くなってしまいました」
「そいつは中々ハードだったね……こっちも大分酷かったよ、よく強行したもんだよね」
双方苦笑いをするしかない。チラと駅の外を見ると、元凶の太陽は既に相当傾き、空は茜色に染まっていた。残照は眩しく、未だ午後の日差しで燻された空気を保温していた。
「そういえば、運動会の結果はいかがでしたか?」
「あぁ、うん、まさかのうちのクラスともう1クラスが同率1位とかいうね、都合の良い結果だったよ」
基本10点単位換算なのでそういう可能性も当然あったのだが、結果はデッドヒートを繰り広げた1組と4組が320点で同率1位という、なんとも不完全燃焼というか、フィクションみたいな結果に終わった。
それでもなんだかんだと盛り上がりはしたので、同率でも1位は1位だとあちこちで歓声が上がっていた。なお2組は250点でぶっちぎりの最下位。
「そっちはどうだった?」
「私は3組で全5クラスなのですけれど、私のクラスは確か4位でしたね。ビリじゃないからマシ、というような声があちこちから……」
「ブービー賞ってやつか。もっとも、運動会にブービー賞なんてないけどね」
そもそもブービーとは最下位のことだ。故意にブービー賞を狙えないように下から2番目にしているに過ぎない。逆に言うとそういうものを設けるとそれを目当てにする人間が出るから、運動会で1位以外に目立ったものを与えるのは厳しいだろう。
それでも下に誰かいるというのは、人に安心感を与えるものだ。それを覚えると精神的安定を保つことはできるが、代わりにそれを言い訳にするようになる諸刃の剣。
「でもどうして態々途中下車までして待っていてくださったのですか? 分かっていましたらもっと急ぎましたのに……」
「いや、なんとなくどっちも運動会だったのに、まるでその感覚を共有できないのは寂しいなと思って」
そう平然と嘯いて見せたが、それ以上に頑張っただろう絵梨奈を俺が迎えてあげたかったのだ。絵梨華と絵梨奈のどっちも運動会だったとしても、かつてショッピングモールで見た2人の父親の様子からして、絵梨華の方だけが労われるだろうことは分かりきっていた。
せめて俺だけでも絵梨奈を出迎えてあげたかったのだ。自惚れかもしれないが、絵梨奈にとって俺が大切な人であると信じたいという気持ちもあった。
「そうだったのですか……ふふ、ありがとうございます。何だか欽二さんの顔を見ると、疲れもどこかへ吹き飛んでしまったようです」
「そりゃ何よりだ、俺が顔を見せるだけで疲れが消えるなら本望だよ」
2人して改札の内側で笑い合う。しかし絵梨奈も下手するとこれから夕飯を作らなければならないかもしれないし、俺も絵梨奈も肉体的には疲労が溜まっているはずだ。そう引き止めても置けず、名残惜しいながら別れを告げる。
「じゃあお疲れ様、また約束の日に」
「ええ、お疲れ様です」
手を振って別々のホームへ歩き出す。別れは寂しいものだが、別れがあるからこそ、次の出会いが楽しみになる。2人での美術館デートの予定は明後日だ。
夕陽に照らされたホームで、俺は額の汗を拭う。よく考えれば汗臭くはなかっただろうかと、今更なことを心配しながら、俺はやってきた電車に乗り込み汗を冷やした。
俺の匂いは知らないが、絵梨奈は汗ばんでいても決して不快にならない、ほんのりとした甘い香りがしていた。その香りが、俺の塩っぱい汗の匂いをかき消してくれたことを祈りつつ、俺は銀色の手すりに寄っかかって電車の揺れに身を任せた。ひんやりとした手すりの感触が、今から浮つく俺を窘めていた。
私は卵焼きは塩っぱい方が好みなのですが、皆さまはどうでしょうか。




