やすくはあらねど
「おぉ! ここの店の並びは全然変わってへんな!」
「あそこの駄菓子屋はもう無くなっちゃったけどね。ここのスーパーも中身変わっちゃったし」
年度最初の休日、俺はマナに自宅の最寄り駅周辺を案内していた。マナがこの地を去って10年は経っていないとはいえ、この移り変わりの激しい時代では、たとえ1年でも見違えるほどの変化が発生する場合だってある。
「えっ!? ここのお店、いつの間にこんなカラフルな雑貨屋さんになったん? 元々ここ和菓子屋さんやなかった?」
「いつだったかなぁ……中学生の頃にはもう変わってたかもしれない」
「はぁ〜、時の流れって残酷やねぇ……」
どうにもマナの動作がいちいち大袈裟に感じて、本心から思っているはずなのに芝居っぽく見えてしまう。昔から喜怒哀楽表現が激しかったが、今はそれが道化の方向に昇華されている気がした。
しかし昔のマナを知っている為か、あるいは純粋に驚くマナをそのような目で見てしまう自分に違和感を感じる為か、何年もここを離れていたのだから当然だろうと自分で自分に言い聞かせつつ案内を続ける。
「ほんで、確かトッキーの家へはこの道やろ?」
「そうだけど、覚えてるもんなんだな」
「幼稚園とかじゃあるまいし、しゃんと覚えとるよ」
そう言いながらマナは『この道』を歌いながら、勝手知ったる道とばかりに歩いて行く。勿論元は勝手知ったる道のはずで、俺の家にも来たことはあるが、その驚き方と自信満々の歩き方はどうにも不釣合いで、俺を混乱させる。
何故か案内人のはずの俺が後ろで、案内される役のマナが前に出て歩いている。やたらと記憶力の良さを見せつけるマナは、お店とかでもない普通の住宅の建て代わりさえ指摘してきて、バリバリ地元民のはずの俺を困惑させた。
「……これホントに俺必要だった?」
「何言うてんねん、誰かと思い出を共有するのが重要なんや。ウチ1人でウロウロしてもええけど、折角昔の友達がおんのに態々1人で彷徨いてどないすんねん」
振り返ったマナの一言にそれもそうかと納得しながら、マナとあちこちを見て回る。駅から俺の自宅までは駅周辺を出るとほぼ一本道なのだが、いつも何気無く10分ちょいでサクサク、あるいは眠気や疲れでトボトボ通る一本道も、マナと歩くと1時間は軽くかかった。
「ほほぉ! あの柿の木そのまんまやな!」
「あぁ……ベタに柿を盗もうとして、家の人に見つかって追いかけられた時か」
「そんで、いざ追っつかれてみたら、それ渋柿だからマズいでって優しく言ってくれはったんよな」
「あのおじさんまだ元気だぞ。まあ挨拶しても覚えてないとは思うけどな」
こんな調子の話が、3軒に1軒とか5軒に1軒の割合でポンポン飛び出てくる訳である。遅々として足は進まないが、寧ろその時間の使い方が、かつて5時の鐘がなるまで時間なんて気にせず遊んでいた子ども時代を彷彿とさせた。
そして俺の家に着くと、マナはひときわ大きな声をあげた。俺の家は俺が小さい頃にリフォームしたままなので、マナの最後の記憶にある俺の家の外見と殆ど変わりはないはずだ。
「いやぁ〜、変わってへんねぇ〜! 全然変わってへん!」
「中の人は多少は変わったぞ」
「なぁ、久しぶりに挨拶していってもええ?」
「もうそのつもりで……ほら出てきた」
どこから俺たちの存在を嗅ぎつけたのか、このタイミングで玄関から母親が出てきて、マナの姿を見つけて満面の笑みでこちらへ向かってくる。
「まぁ〜! 久しぶり愛美ちゃん! 立派に可愛くなったわねぇ〜!」
「お久しぶりです〜、ようやく戻ってきました」
「いや嬉しいわぁ、うちの引き篭もり息子を引きずり回してくれた愛美ちゃんが帰ってきてれて」
「まるで幼い頃の俺が引き篭もりニートだったみたいな言い方はやめぇや、せめてインドア派と言ってくんない?」
俺の苦言は母親の耳を素通りし、誰に捕まえられることもなく煙のように消えていった。そしていつものように俺を置いてマナと喋り始める母親。まあ今回はかつての俺の遊び仲間で幼馴染だった相手なので、別に気にすることはなかったが。
そのまま母親がマナを家に連れ込む。リビングにいた父親は挨拶だけして、そそくさとパソコン片手に部屋に引っ込む。マナの話をしたら昼食を食べさせる気満々で、どっさりポテトサラダやらピザやらミートローフやら自作して準備万端であった。というか作りすぎだし気合い入れすぎである。
「すみません、ここまで用意してもらって」
「いいのよ、こっちが勝手に用意したものだし、好きなだけ食べて頂戴」
アクセントは戻らないが、母親の前では口調を保つマナ。かつての破天荒さと現在のひょうきんさと、そしてそこに敬語が混じると、どうにもごちゃごちゃしていてマナの存在がブレて見える。
単にマナが大人に近づいたというだけであろうし、それは俺も同じはずなのだが、どうにも記憶の中のマナとの整合性が取れないせいか、俺だけ時代に取り残されていついていけない老人のようであった。
「昔は学校帰りにうちへ寄っていたこともあったわね。そこにランドセルを横一列に並べて」
「よくドーナツを揚げていただいたのは、しっかり覚えていますよ」
「最近じゃ揚げなくなってなぁ……この間は揚げてくれたけど、どうせならまた揚げてくれよ」
「そうねぇ、また愛美ちゃんが遊びに来てくれたらね。新しいお家は近所なの?」
「いや、高校の目の前。通学時間徒歩1分未満とか、羨ましい限りだよ……でも2日目に普通に遅刻ギリギリだったよな」
「いやぁ〜、3度寝までしてしまって、普通に起きたのが始業15分前で……」
とまあ、たまに家に出入りしていたから、母親もしっかりマナのことは覚えていて、昼食を食べながら3人で話に興じていた。だがマナは俺の母親の前では決して訛りも出さず敬語を貫き通していた。
昼食の後、母親に見送られてまた2人で街を歩く。次第にその足は良く遊んだ神社の方へと自然に向けられていった。
「よぉこの階段も登ったなぁ、みんなで競争したりして」
「普通に参拝客の人に迷惑だったろうなぁ……」
「アハハ、しゃぁないねぇ、昔はなんも周り見えてのうて……」
今日は昔のように駆け上がることなく、ゆっくり階段を登る。境内のどこにでも、思い出が詰まっている。それだけ神社の中を良く遊び場にしていたということだ。
「ほら覚えてるか? あそこによじ登って転落して、何針か縫ったの」
「覚えとる覚えとる! あん時はスゴい騒ぎになってしもうて……」
「もう登らないのか?」
「そんなおちょくらんでや! もう……でも写真くらいはとっておきたいかな、頼んだわ!」
俺がからかうと、やはり怒ったような声を出しながらも、でも顔はニヤニヤ笑いながら、俺に自分のスマホを押し付けてくる。そして件の銅像のすぐ横に立った。
俺はスマホを縦のまま構え、画面を覗き込む。はい、チーズといつもの掛け声をかけようとして、俺はマナの頭が銅像の台座を超え、銅像の足と同じくらいの高さにあることに気づいた。当然の話で、俺も170cmはあるが、マナもそこそこの背丈はあり、俺と数センチも違わない。
だが昔のマナは俺たちの中でも1番のチビで、それ故か1番身軽であった。当時のマナの頭は、記憶の限りでは台座の高さに頭が届いていなかった。それを見て、俺はようやくかつての記憶のマナと、今の成長したマナとの差異をハッキリと認識した。
髪の毛や性格や喋り方といった変化で当然解ってしかるべきだったが、俺は余りに過去のマナの印象が強すぎて、物理的に比較しないと頭が認識してくれなかったらしい。まるで柱の傷みたいだ。俺は自分の目で見ないと信じないとはこういうことかと自嘲する。
「ん? どしたん? はよ撮ってや」
「あぁ、はいはい。じゃあはい、チーズ」
そうして撮れた写真は、かつてのようなやんちゃさ100%の小憎たらしくも愛らしい子どもの顔ではなく、大人びた笑顔を見せつつ、その笑顔の奥にかつての無邪気さと悪戯心少々のみを残した、落ち着いた顔であった。
折角だからと神社の本殿の方まで登る。正月ではないので人の姿こそまばらにあったが、ズラッと長々賽銭箱の前に行列などはできていなかった。絵梨奈と並んだ時とは位置を逆にしてマナと共に二礼二拍手。
最後の礼が終わると、マナは御神籤を引こうと俺を誘った。
「ウチ、神社に来たら絶対御神籤引いてるねん。ほら、財布の中にぎょうさん御神籤」
「うわっ、よくそんなに詰め込んでるな……」
そう言いながら100円を投入し、ガサガサと中を漁る。俺はあたかもクレーンゲームのように突っ込んだ手が最初に掴んだものを取り出す。マナはまるで米とぎの如くジャンガジャンガ中身をかき回し、ようやく1つを掴み取る。
「お〜、吉か。まあ末吉とか小凶じゃなかったから、全然ええ方やな」
「小凶とかホントに引いたことあるのか……? 俺は……へぇ、大吉か」
「あ〜! ええなぁ、ズルい!」
「いやズルい言われても……」
そのズルいは昔さながらでもあったが、マナの輪郭はブレることなくしっかりそこにあった。俺はマナにせっつかれて、御神籤の中身を読む。
「……争いごと、円満に解決せり、恋愛、非常によろし……」
「流石は大吉やなぁ、ええことしか書いとらん」
そう言いつつ自分の御神籤を読み始めるマナを見て、俺はよく考えれば自分と同年代の女子と連れ立って歩いていることを今更自覚した。ちょっとこれはしくじっただろうかと思いつつも、最早手遅れなので何か言われたら、幼馴染で戻ってきたからかつて住んでいた周辺を案内していたと素直に言うしかないと思った。
俺は自分の御神籤の恋愛の部分にある、簡潔な1文を見つめていた。そのよろしという言葉が、たかだか3文字の言葉であれども、真実であることを俺は願っていた。
私自身は小凶なる御神籤は見かけたことはありませんが、世間にはそういう御神籤の結果もあるらしいとか。
『この道』は山田耕筰(1886~1965)作曲、北原白秋(1885~1942)作詞の為、一応演奏、歌詞共に著作権切れの歌になります。ですが歌詞転載はJASRACがとても怖かったので、皆さまご自身で上機嫌に歌うマナの姿を想像していただければと思います。




