しがらみと思い出
4月、俺たちは高2になった。入学式の頃には恒例のように桜前線は通り過ぎた後で、桜は物の見事に散っていて花びらの絨毯と葉桜になりかけの桜の木が新入生を出迎えた。
始業式の日、俺は新しいクラス分けが掲示されている掲示板の前に立ち、群がるクラスメイトの間を縫って掲示板の前にたどり着く。全6クラスで、その年の文理の割合次第でクラス編成が組まれる。
俺の名前は4組、文理混合などということもなく、普通に理系クラスであった。問題は絵梨華の名前なのだが……
「あったよマジかよ……」
非常に残念なことに、俺は今後1年間に渡り、関係最悪の元カノと同じクラスであることが確定してしまった。どこかで半ば観念していた自分が嫌になって、大げさなため息をつく。普通は年度替りというと心機一転のチャンスなのに、寧ろ過去の呪縛をより引きずる格好になって、俺は気分がだだ下がりになるのを抑えられなかった。
不幸中の幸いは、智も同じクラスなのでボッチにはならずに済みそうというくらいか。実際1人ポツネンと新クラスに取り残されて、しかも絵梨華と1年共に過ごすとか冗談抜きで胃がもたなかっただろう。味方確定の人間がいるだけで相当マシだった。
どうにか気を取り直して4組の教室へ向かう。これまでは1階の教室だったが、2年なので校舎の2階に教室が移り、これからは毎日階段を登る必要が出てくる。3年になると3階。
確か近代ヨーロッパの住宅は、階段を登らずにすむ下の階に富裕層が、上の階に下層階級の人間が住んでいたという。当然先輩後輩の関係と階級格差を同じにするのは言語道断なのだが、ふとこれから先登る階段の段数を考えて、何故学年が上がるほど階段を登らなければいけないのかと、くだらないことを考えてしまう。
4組の教室に入ると、既にちらほらと人がいた。早めに来た為か、絵梨華の姿は見えない。出席番号順で頭文字が「と」の俺は、大概学年の最初は教室の真ん中近くに陣取ることになる。今回は……
「また1番前かい……」
1年の後半もズッと教室の1番前だったのだが、2年の最初も1番前という事態。しかも教卓にとても近い。まあ実は教卓に近い方が、居眠りとか内職は気づかれにくいのだが。どうしても先生は前を向いているので、視線を下に下ろさないと見えづらい教卓付近は先生の死角なのである。別に居眠りや内職をする気は無いが。
自分に割り振られた席に腰を下ろす。どうやら左隣は頭文字「は」の智のようだ、これはありがたい。左が智なら右は誰だろうと右の席に目をやる。
右の席には既に新しいクラスメイトが座っていた。長い黒髪を緩くウェーブさせ、珍しい琥珀色の瞳が長めの前髪の間から見え隠れする。その横顔はつまらなさそうな表情で、右肘をついてどこか遠くを見つめている。
と、その顔がフッと俺の視線を感じたのかこちらへ向く。ボリュームのある髪の毛が顔の動きに合わせて揺れ、正面近くから見た顔は、彼女の気の抜けた感じを存分に映し出していた。そしてその表情を保ったまま彼女は俺にひょうきんな感じの西の方の訛りの声で話しかけて来る。
「……およ、何や?」
「あ、いや、俺の右の席の人ってどんな人かなと思って見ただけ」
「さよかぁ、ウチは瀬川愛美、よろしゅうな!」
「俺は時任欽二、これから1年よろしく」
そう俺が名乗り返すと、瀬川はその瞳を少し大きくし、つまらなさそうだった顔が満面の笑顔にゆっくり変わっていった。俺がその様子に妙な顔をすると、瀬川は俺の方に顔を寄せてきて衝撃の言葉を放った。
「おぉ! 久しぶりやねぇ、トッキー!」
「はい? トッキー……?」
そんな馴れ馴れしく呼ばれるような相手ではないはずだがと、首をかしげる。単にその場で渾名をつけられたのなら分からなくもないが、久しぶりとはどういうことだろうか。
「すまん、どこかで会ったことあるか?」
「え〜……しゃあないなぁ、マナのこと忘れてしもうたん?」
どこか得意げな顔でマナ、と言われて俺の脳は記憶の海の底から、昔の記憶を勝手にサルベージしてきた。かつて俺の小学校の同級生兼遊び仲間で、小4の時に引っ越していってしまった、ガキ大将だった少女のことを。
「マナ!? お前戻ってきてたのか!」
「せやでぇ! 関西から戻ってきたから、ちょっとエセ関西弁〜」
そう言われると、記憶の中でも昔のマナの琥珀色の瞳はそのままだった。だが昔のマナは髪の毛は短く、寧ろ真っ直ぐな髪だった。身長も当然小学校低学年で低く、何よりもっと勝気でイケイケドンドンなタイプの少女だったはずだ。
「お前、もっと元気ハツラツで俺らを振り回すような奴だったろ」
「転校した先の学校で、その性格が嫌われてなぁ……マイルドに、でも明るくないとうちがつまらんからね」
そう何でもないように笑うマナ。しかしやはり人間何年も会っていないとこうも変わるものかと、俺は驚愕だった。
「というか1年同じ高校で過ごしてて、全然気づかなかったとは……」
「うんにゃ? ウチこの4月からの転入生」
「は? お前編入試験受けて入ってきたのか!」
「せやせや、結構難しかったかなぁ。急に父ちゃんの都合でこっちに戻って来ることになって、とりあえず次の家に1番近いとこの編入試験を受けたんよ」
何でもないように言うマナ。だが編入試験自体が難易度高いはずなのに、そこそこレベルの高いうちに編入してきたということは、それを軽くパスできるだけの成績を誇るということである。
「スゲェなぁ……算数のテストで全問不正解に加え、名前まで間違って先生からマイナス点食らったやつと同一人物とは思えん」
「いやそんな昔のことほじくり返さんといて!?」
それまで悠然と構えていたマナが、黒歴史を掘り返されて初めて動揺した顔を見せる。その様子に、昔のマナの残滓が見え隠れして、俺は相手が昔遊んだマナであることを確信した。
「他にもあるぞ? 神社の銅像によじ登って転落して救急車沙汰になった話とか、急ぎすぎて自転車のスタンドを外さずに漕ぎ出してコケた話とか……」
「あ〜あ〜! き〜こ〜え〜ん〜!」
マナが耳を押さえてオーバーリアクションをするが、その顔はニヤケているのを隠せていない。2人して顔を見合わせ大笑いする。
「はぁ〜、やっぱりそんなに覚えてるってことは、トッキーなんやなぁ……」
「何だ、疑ってたのか?」
「顔がめっちゃおっさんくさくなってたから、ちょっと自信のぉて……」
「しばくぞ」
「冗談やって、でも全然変わってなくて嬉しいわ」
「俺はお前の変わりように驚いたんだけどな、マナ」
せやねぇ、大分変わったねぇ、と呟くマナは、かつての良くも悪くも子どもっぽさが前面に押し出されていた姿とは大きく異なり、まるで海のようであった。表情を波のようにコロコロ変えながらも、その下では波に左右されない静かな時が流れている。
それでも、昔の姿を知る俺が突っついてみると、奥から海底火山の如くグワリと動きがある。そんなギャップを持ったマナに、俺はとうの昔に過ぎ去った、何も難しいことを考えずに済んだあの日々を思い返した。マナは俺が全然変わっていないと言ったが、個人的には俺も大分変わったような気がする。
そんな風にマナと思い出話をしていると、教室の後ろの方から俺の方へ1人の男子が歩いて来るのが見えた。小柄で身長は160前半くらいだろうか。ただ何かしら鍛えてはいるらしく、体幹はしっかりとしている印象を持った。茶色い髪の毛は朝撫で付けてこなかったのか酷い癖毛だ。
そんな彼は俺の方へ険しい顔で近づいて来ると、開口一番にこう言い放った。
「お前か! 金子さん相手に酷いことをしたというのは!」
今度の過激派はこいつかと、俺は頭が痛くなる。ふと教室の後ろを見ると、いつの間にか絵梨華の姿があり、ギリギリ隠せていないレベルの不機嫌そうな顔をしている。
多分俺がマナと親しげに話しているのが気に食わなかったので、今年の手駒を早速派遣してきたのだろうか。まあ自分から行ってこいとは言えないだろうけど、俺の方を睨みつけているだけで勇躍俺のバッシングにせいを出すだろうから、絵梨華にとっては楽なものだろう。
「はて、身に覚えがない「惚けるな!」お前人が喋ってる時に口挟むなよ……」
「お前に発言権があると思っているのか!」
「日本国憲法は俺の言論の自由を保障してくれているはずだが、お前にそれを侵害するだけの理由と正当性は存在するのか?」
「女性を泣かせた罪は重いぞ!」
「じゃあそこらの有名な映画監督や俳優は軒並み極刑だな」
本当は自然に被害者を装うべきところなのだが、相手の態度が余りに酷すぎてつい減らず口が飛び出る。相手は俺に完全におちょくられていることに我慢ならないらしく、顔を真っ赤にして俺を睨みつけて来る。
「この……ここまでかけらの罪悪感さえ持てないやつだったとは……」
そりゃ悪いことしたとは思ってねぇからな。そう思いながらも、流石にそれは口に出すとマズいのでせり上がってきたセリフを飲み込む。
「しかも金子さんに謝りもせず、違う女にうつつを抜かすだなんて!」
「え? トッキー、ウチのこと彼女にしてくれるの?」
「いやそのつもりはないが?」
「もう! 何よアンタ、ウチに期待させるようなこと言わんといてや! 乙女心を弄んだ罪は重いんやろ?」
「へ? あぁ、いや、その……」
相手は俺への追及にマナへ話を振ったようだが、思わぬところからの攻撃に泡食って目を白黒させている。味方につけようとしていたらしい相手からの不意打ちに腰砕け状態の相手は、結局言葉に詰まって俺に、
「と、ともかく! 俺らはお前のような男を許さないからな!」
と、捨て台詞を吐いて去って行った。別にお前らに許されなくても構いはしないのだが、という言い返しは時間と労力の無駄なのでやはり飲み込み、俺はマナに謝罪する。
「いやすまん、変なものに巻き込んだな」
「どうしたん? 色恋沙汰っぽいけど」
「端的に言うと、中学から2年半近く付き合ってきた彼女に、この間のクリスマス・イブに言いがかりをつけられてフラれ、挙句に根も葉もない噂でボロクソに叩かれて、相手にあたかも酷い彼氏に愛想を尽かした被害者のように装われている」
「うわぁ〜……酷い話もあったもんやね」
マナ相手なので端的に事情を説明すると、マナはもう見事な引きつった顔を披露してくれた。
「まあ、相手の広めてる噂が余りに突拍子もなさすぎて、ありがたいことに前のクラスの大半は噂を信じてなかったけど」
「はぁ〜、トッキーも大変やったねぇ……」
「いやでも上手い返しで助かった、ありがとう」
「そんなん気にせんでええって、しかしそらまた面倒な話やなぁ〜」
しみじみ呟くマナに礼を言うと、マナは右手をヒラヒラ振りながら、でも多少得意げであった。そう言えば昔からマナは俺らを引きずり回す暴走機関車だったが、よく知恵が回ってマナのおかげで結構美味しい思いをしたことも1度や2度ではなかった。
その度に、マナは得意満面の笑みで俺たちに自分をもっと褒めるように言い、気分の良くなった俺たちも口々にマナを褒め称えていた。
「いや、マナはスゴいよ、あんな面倒な奴をあっさり撃退しちゃうし、昔から頼りになったし……」
「ちょ、ちょっとどないしたん? そんな突然ウチのこと褒め出したりして……」
「いや、なんか得意げな顔してたから、もっとあたしを褒め称えなさい! って言われるかなって」
「もう! そんなこともう言わんて! 恥ずいわぁ〜昔のウチ……」
そう言いながらも、それでも満更でもなさそうな空気を僅かに醸し出すマナに、思わず声をあげて笑ってしまう。つられてか一緒に笑い出すマナ。
なるほど、懐旧も悪くない。そう俺は心の中で思ったのであった。久々に記憶の海の中から拾い上げた記憶のオルゴールは箱こそ錆び付いていたが、それでも中身はしっかりと音色を奏でてくれた。
だって、学校外のイベントばかりじゃ、つまらないでしょう?(すっとぼけ)




