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俺たちは渡り鳥じゃない


 学年末考査の答案返却日、俺は前日の夜を殆ど眠れないままに過ごした。眠気でボーッとする頭をどうにか水で顔を洗って覚醒させ、のそのそと着替えて朝食をとる。


「今日は答案返却だけかい?」

「そう、終業式と成績表は明日ね」

「まあでも、今日で試験の結果は分かるんだろ? あれだけ勉強してたんだから、期待しても良さそうだね」

「少なくとも、2学期期末みたいな悲惨な点数になってないことは保証するよ」


 もそもそとパンを齧りながら、母親の問いに生返事する。本音は学年1位絶対取るだが、やはり結果発表が近づくとどうにも不安で仕方ない。


「あれだけ勉強してたのに、随分自信なさそうじゃないか。もっとしゃっきりしな! 受験の合格発表見に行くんじゃあるまいし」


 そう母親は言うが、しかし俺にとっては合格発表と変わらないようなものだった。全学年約200人のうち、199人を蹴落とさなければならない。驚異の倍率200倍の試験の結果を俺は見に行くのだ。


「どうにも冴えない顔のままだねぇ……手応えがそこまで悪かったのかい?」

「いや、正直全然覚えてない……」

「じゃあもう自分を信じるしかないね。信じられないなら、自分を信じてる人間を信じな!」


 その言葉に、瞬間で頭の中に絵梨奈の顔が浮かぶ。そうだ、俺は絵梨奈にあれだけ教えてもらって、最後には太鼓判までもらったじゃないか。告白しようとしている相手のことを、信じられないでどうする?


「お、多少マシになったじゃないか。誰を想像したかは聞かないでおくけどね」

「そのいい笑顔やめてくれない?」


 やはりうちの母親はどこまでも強いんだなと、そう思えた。朝食を食べ終わり、カバンを掴んで外に出る。


「行ってきます。ちょっと友達と遊んでくることになったら、遅くなるかも」

「はいよ、夕飯までいらないなら連絡よこしな」


 母親に見送られ、家を出て駅へ向かう。2月が終わると途端に暖かい日が続くようになった。駅までの道のりにある1件の家から突き出した木の枝に、梅の花が咲き誇っていた。







 学校に着く。もう大分みんな登校してきていて、そこそこ人が多かった。定期試験の結果は、答案返却日に学年上位30番までが、名前、クラス、出席番号、点数を張り出されることになっている。

 うるさいくらいの心臓の鼓動を無視し、俺は上位成績者の名前が張り出されている廊下へと歩みを進める。遠目からでもその周囲に人が集まっているのが見える。もし1位なら当然名前は1番上。つまり人の波に名前が埋もれる心配はない。


 意を決して紙が見えるところまで来て、顔を上げる。


高校1年 学年末考査 上位成績者


1位 1年2組22番 時任欽二 1,168点

2位 1年3組◯番 ◯◯◯◯ 1,165点


「あ……」


 文字通り、自分の中の時が止まった。間違いなく自分の名前が、紙の1番上に記載されていた。あれほどまでうるさかった心臓の鼓動の音も、周囲の音も何も聞こえなくなった。スッと体の強張りが消え、ジワジワと歓喜が足の先から湧き上がってくる。

 2位とは僅かに3点差。俺が1問でも余計にミスをしていたら、その瞬間おしまいだったかもしれない。でも、俺はしなかった。足から這い上がって来た歓喜が、遂に口に達する。


「やった……やったぞ!」


 そう叫んだ瞬間、ガッと後ろから衝撃が走った。右を向くと、とてもいい笑顔を浮かべた悠人が、俺の肩に腕を回していた。そして俺の耳元で思いっきし叫ぶ。


「やったな欽二! ほら見ろ1位だぞ1位! よくみたか!?」

「うるせぇ! 見たけど耳元で叫ぶな!」

「いや有言実行とはまさにこのこと。おめでとう欽二」


 いつのまにか智も俺の横にいた。ゆっくりと拍手をしながら、まるでアニメの主人公が中ボスを倒した後に、主人公を称賛しながら出てくるラスボスのような感じで俺を称える。

 クラスメイトも悠人の大声にわらわら寄って来て、お前が1位とかマジかよ! とか、すごい! どれだけ勉強したの? とか、てんでバラバラに、でも暖かい賞賛を送ってくれた。


「それでよ! こっちも見てくれ欽二!」


 1位の興奮冷めやらない中、悠人が俺を引っ張って紙の前に連れてくる。悠人の指差す先には……


23位 1年2組34番 吉宮悠人 1,110点


「2位は流石に無理だったが、上位30位以内とか俺初めてだぜ!」

「スゲェ! 悠人、お前もスゲェじゃん!」


 2人して小突き合いながら互いを褒め合う。悠人も2学期の期末で散々な結果だったはずだし、相当順位を上げているはずだ。智のテスト対策講座に付き合っていて、テストの山を当てたのがデカかったのだろう。ちなみに智はというと、普通に文系を捨てたので圏外さ、と肩をすくめて答えた。

 そして、俺は最後に絵梨華の名前を探した。てっきり3位辺りにいるのかと思っていたのだが、上の方から順々に見ていっても名前がすぐに出てこない。そしてやっと見つけたのは……


12位 1年3組8番 金子絵梨華 1,137点


「え……?」


 12位、俺は絵梨華が未だかつて2桁の順位を定期テストでとったのを見たことがなかった。中学時代は常に学年トップを独走し、高校に入ってからも5位以内には常に名前が載っていた。それが12位である。

 優越感は何も生まれなかった。仮に絵梨華が2位とか3位だったなら、俺は胸を張って絵梨華に勝利したと言えただろう。だが逆に今まで絵梨華史上類を見ないほどに低い順位を見て、俺は瞬間、手を抜かれたと思ってしまった。2学期の期末まで、1位と3点差5点差を争っていたはずなのに、俺と30点以上も差がついていた。俺は投げ捨てられた王冠を拾って被ったような虚無感に襲われた。


 しかし、廊下の少し離れた場所から、俺を鬼のような形相で睨みつけてくる絵梨華の姿を見た時、俺は絵梨華が手を抜いた訳でないことを悟った。絵梨華は学校での澄ました表情をかなぐり捨て、完全に俺だけに意識が向いていた。

 数秒か十数秒か、俺は絵梨華と目を合わせた。絵梨華はその黒い瞳が飛び出んばかりの勢いで目を見開き、俺を睨んでいた。その余裕のない表情は、負け惜しみを言う準備さえできているとは思えなかった。


 俺はそんな絵梨華の瞳に睨み返すことをせず、ただ絵梨華を見つめた。睨み返すことも、俺がやられたように憐れみの視線で応えることもなく、「ただの学年同期」を見るような目で。

 やがて絵梨華は不意に俺から顔を背け、歩く姿だけはどうにか保ちながら自分の教室へ入っていった。俺はその消えていく後ろ姿を最後まで見ることなく、声をかけてくる悠人と智の方へ向き直った。俺の心はもうどうやって絵梨奈に告白するかということに向けられていた。







 その日は絵梨奈がまだ試験休みであることを知っていたので、俺は表向きは試験結果を伝える為に、試験前から絵梨奈と会う約束をしていた。場所は散々迷った挙句、告白するにも良くて、高校生が多い繁華街から遠いという条件から、俺の通っている高校の駅の反対側に位置する海沿いの公園にした。

 公園に着くと、俺がホームルームで時間を食ったと言うこともあり、今回は絵梨奈の方が先に待っていた。公園から見える港の景色を背にして立っている絵梨奈は、最初に出会った時の白いコートではなく、しかし同じ白色のトレンチコートを羽織っていた。その裾が海風にたなびいて、ちょうど港に入って来た船と合わせて、とても絵になる光景であった。


「ごめん、待たせちゃったね」

「いえ、全然待っていませんから大丈夫ですよ。今日は気持ちの良い天気ですね」

「もう春なんだなって感じるよ」


 そう言って港の方を見る。まだ日本に残っているカモメが、港の上をあちこち飛び回っていた。彼らもすぐに北の方へ飛び去ってしまうだろう。彼らにとってはこれからは暑すぎるのかもしれないが、俺にとってはこれまでが寒かった。

 でも俺は渡り鳥じゃない。別に彼らの生存戦略を否定することはないが、俺は都合の良いように居場所を転々とすることはない。だから、俺にとってはこれは渡りじゃない。今までの居場所を追われ、新たな居場所を見つけたんだ。そして俺は、今度こそそこから動きたくない。


 そんな気持ちを胸に抱きつつも、まだそれを口にするのは早いと絵梨奈に向き直り、試験の結果を伝える。


「単刀直入に言おう。学年1位になれた! 周りのみんなと絵梨奈さん、君のおかげあってこそだ、ありがとう!」


 そう俺が絵梨奈に告げると、絵梨奈の顔がパッと明るく輝く。その笑顔に、俺は心が洗われる気分だった。拳を体の前でギュッと握りしめ、軽く飛び跳ねて全身で喜びを表現する絵梨奈の姿は、とても可愛らしかった。


「本当ですか! おめでとうございます! 時任さんすごく頑張ってましたし、当然ですよ!」

「いや、そんなことはないよ。本当にみんなに助けられて掴み取った1位だ。でも努力が報われたのはスゴい嬉しかった。改めてお礼を言わせてほしい、ありがとう」


 そう言って深々と頭をさげると、わわ、頭を上げてください! と、絵梨奈の動揺した声が上から降ってくる。その構図に、絵梨奈が泣き出してしまった時のことを思い出し、今は立場逆転だなと思わず下を向きながら笑みを浮かべてしまう。

 その笑みを消し、真面目な顔になったのを手で確認してから、俺はゆっくり頭をあげる。俺の顔に驚いて一瞬固まる絵梨奈をよそに、俺はゆっくり言葉を選びながら絵梨奈に話しかける。


「絵梨奈さん、俺学年1位になったら伝えたいことがあったんだ。聞いてくれないか?」

「は、はい……勿論です。何でしょうか?」


 戸惑う絵梨奈の顔を真正面から見つめ、俺はもうど直球に初っ端からこの言葉をぶつけた。


「絵梨奈さん、いや絵梨奈。俺は、君のことが好きなんだ」

「え……」

「君と去年のクリスマスに出会って、絵梨華のことで色々巻き込んでしまった。まあ君は巻き込まれたなんて思ってないのは分かってるけどね。でも俺と絵梨華の間に立って苦悶の表情を浮かべている君が見ていられなくて、その時に、君を笑顔にしたいって思った、思えたんだ」


 俺の突然の告白に目を丸くし、手を胸の前で握りしめ、俺を見つめ返してくる絵梨奈。俺は最初に告白してしまったせいか、ゆっくり喋ろうと思っていたのに次から次へ言葉が溢れて止まらない。


「あの日、ストーブに当たって暖かいといった君の横顔を、俺は忘れられないんだ。俺の為に泣いてくれた君を、俺の手で笑顔にしたいってそう思えた。君は絵梨華の妹だし、絵梨華のことがなければ俺と会わなかっただろうけど、でも俺は、他ならぬ君の笑顔が好きなんだ。このままかつての恋人の妹として別れるなんて耐えられない。僕は君を見ているんだ! どうか……今じゃなくても構わない、俺の気持ちに返事をくれないか……?」


 原稿を読んでする告白ほどバカバカしいものはないと分かっていたが、いざここまで好き勝手放題自分の口が喋るのを聞いて、俺の脳は半ば呆れ果てていた。そんな俺の口に親指を立てている脊髄が酷く憎たらく、誇らしかった。

 絵梨奈は呆然とした様子で俺の告白を聞いていたが、俺が言い切るとやがてポロポロと涙をこぼし始めた。


「……ごめん、突然こんなこと言って、訳が分からないよね……」

「ちが、違うんです! わ、私も、私も時任さんのことが好きです!」

「!」


 流れる涙をそのままに、絵梨奈は俺に向かって叫ぶ。そのまま絵梨奈も堰を切ったように話し始めた。


「……姉の話づてに、時任さんのことは知っているつもりでした。なので姉が酷いことをしてしまったので、ショックを受けていないかと心配で仕方なくて……でも、時任さんは寧ろ私に対してとても優しくしてくださって、話に聞いているよりズッと素敵な方で……いつの間にか、時任さんのことを考えている自分がいることに気づいて……」


 しゃくりあげながら、絵梨奈は必死に言葉を紡いでいる。俺はその真摯な姿に何も言わずに絵梨奈を見つめていた。


「で、でも……もしそんな気持ちを前に出して、姉を出汁にして近づいてきた妹だなんて思われたらと思って……そんなこと言えなくて……だけど離れたくなかったんです……! もう自分でもどうしたらいいか分からなくって、時任さんが私に勉強を教えてほしいと頼んでくださった時、寧ろそれを喜ぶ自分に罪悪感が増すばかりで……!」


 その言葉を聞いて、思わず絵梨奈の手を取った。黒い瞳が揺れる。さっき見た絵梨華と同じ、でも潤んだその瞳は決して同じものではなかった。


「……言ったろう? 最初に。君は絵梨華とは別人なんだ。俺も絵梨華と君を重ねてないか自分で不安だったけど、でも君は絵梨華の代わりにはなれやしない。どっちも似たことで悩んでいるなら、それで相殺にできないか?」


 だから、笑ってくれ。そう俺の願いを口にすると、絵梨奈は涙を流しながら、それでも笑顔を作って俺に微笑みかけた。


「絵梨奈、俺と付き合ってくれ」

「時任さん……はい、私で……いいえ、私が良いのでしたら、喜んで」

「……名前がいいな、俺はズッと名前なんだ」

「はい……はい! 欽二さん!」


 絵梨奈は初めて俺の名前を呼んでくれ、そして俺に抱きついてきた。絵梨奈をしっかりと抱きとめる。ふわりと浮いた茶色の髪の毛、そこから香る正月と同じ香り。それは後ろからではなく、今度は前で抱きとめている。

 俺は絵梨奈を優しく、しかし硬く抱きしめながら、空を仰いだ。2羽のうみねこが俺たちの頭上を旋回していた。春の訪れを感じさせる青空は、どこまでも澄み渡っていた。


第1部、完! でも第2部もちゃんとあるよ!


改めまして、ここまで見てくださった皆様に、作者の私の方から改めて厚く御礼申し上げる次第であります。投稿開始から1週間と経たずに(自分でも驚きです、まだ1週間も経ってないのね……)これほど沢山の方々にご覧になっていただき、しかも現代恋愛日間2位、ブクマ1,200件という、見たこともないような数字を叩き出すことができました。


元はと言えば、リアルで作者が相当厳しい状況に追い込まれておりまして、そのストレス解消と現実逃避に書き始めたのがこの作品だったりします(苦笑)。とにかく頭空っぽにして思いついた構図で書き始めたので、実はストックが現在に至るまで一切ありません! ほぼ書いて出しに近い状況で書いております!(自分で言っててちょっと頭おかしいと思いました)初日に4話も投稿されているのは、その部分を一括で書いて分割しているからです。


ですがここまできてしまったものですから、流石に息切れしてエタってしまうと余りに無責任なので、今後は1日1話以下の更新ペースになってしまうと思います。その点お待ちいただいている皆様には大変恐縮ですが、ご理解いただけると助かります……


でもこの先の構想が真っ白なんてことはありません! というよりエンディングロールで表示される1枚絵は既に頭の中に描かれております! なので問題はそこまでどうやってたどり着くかです。皆様の反応に合わせて変更するか、自分の最初の思いつきを押し通すか……まあ考えてても勝手にキャラが動き出したらおしまいなんですけどね!


ともあれ、まだこの作品は終わりません。もしよろしければ続きも是非楽しんでいただければ幸いに存じます!


Thank you for reading, but it's still going on now!


2020年10月7日 作中と違って冬の訪れを感じる中で 藤海昇

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― 新着の感想 ―
[一言] 流石に3週間でそこまで点数あげるのは不可能だろって思ってしまったので、私には創作物を読む素質は無さそう。
[一言] 主人公が必死に努力し結果を出した事が、読んでいて爽快でした。 二部も楽しみにしております。
[一言] 一部完結お疲れさまでした。 正直「いい最終回だった」という感はあるのですが、まだまだ先があるとのこと。期待してお待ちします。
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