今日でもなく、明日でもなく、すぐに
さて、今の所俺と絵梨奈が知り合いであることを、絵梨華は知らない。とはいえ絵梨華と絵梨奈は姉妹であり、1つ屋根の下に住んでいる関係上、どこからバレてもおかしくはないのでそこは絵梨奈共々警戒と覚悟はしている。とはいえ修羅場は先延ばしにしたいものだ。
当然俺と絵梨奈が直接会っている所を見られたらその瞬間言い逃れ不能……そう言いたいところだが、絵梨華は俺にも絵梨奈の存在を明かしていない。とすれば、俺より疎遠な人間に明かしているとは考えづらいだろう。絵梨華と絵梨奈は双子以前に姉妹としてもまるで似ていない。つまり、相手次第では言い訳できる可能性があった。まあそもそも絵梨奈と直接会う時は偶然の要素が強く、そんなことを気にしていなかったというのも事実なのだが。
だが俺に拒絶された絵梨華が変な噂を流し出したせいで、現状別の学校の女子と下手に会うのが危険になった。本当に2股していた! と騒がれたら御終いだからだ。しかも相手は絵梨華の妹とか自爆もいいところである。せめて絵梨華を実力でねじ伏せて噂の信憑性を地に落としてからでないといけない。
『姉が受験休みに家を使いたいそうです、なんでも学期末に備えた勉強会ですとか。多分私はお邪魔なので、いい機会ですしどこかでお会いして勉強しませんか? 私のところもほぼ同じ日程で受験休みなんです』
そのメールが来たのは、受験休みに入る2日前の夜だった。うちの高校は偏差値おいくつの県内で1、2を争う高校だ。つまりこの時期には受験休みというものがある。絵梨奈は俺や絵梨華とそもそも学校が違うが、シーズンともなると日程も多少は被るらしい。
いくらメールでやり取りしているとはいえ、どうしてもタイムラグその他で効率は良いとはいえない。電話番号を貰ったところで、電話料金が考えたくないレベルに達するだろうから、電話も非現実的だ。ちなみにうちの母親は「私は若い頃、電電公社の超お得意様だったのよ!」と誇らしげに語ることがある。おっと母親の年齢がバレるな……
『じゃあこの間の喫茶店にする?』
『いえ、あそこの喫茶店は試験期間になると、私の学校の人も勉強していたりするので……』
するとどうしようか、俺が学年末に近いイコール他の皆も同じである。そういう喫茶店、ファミレス他勉強する学生が大勢いるだろう場所に出入りすること自体がリスキーかもしれない。
当然ながら絵梨華と絵梨奈の家はアウトだ。もし絵梨華が外出していても、誰かに見られて絵梨華にバレたら瞬殺である。絵梨奈と俺が知り合いであるとバレる以上にヤバい状況が生まれるに違いない。妹と2股だった! とか騒がれたら秒で終わるし、やはり今バレるわけにはいかない。
じゃあ逆に俺の家は? いやどの道変わらない気がする……考えても厳しいものは厳しく、俺は知り合いに見つからなさそうで、なおかつ勉強ができる場所を必死に探す。
「……あ、そういやここがあったな……」
ふと、俺の家の近くにある公民館に、図書室が併設されていることを思い出した。いわゆる公民館図書室というやつである。だが実は俺の家の近くにはデカめの図書館が存在し、そっちに利用客を取られてこっちの方は本当に利用客が少ない。俺みたいな高校生の姿もほぼ見られないと言って良いだろう。
駅からかなり遠いあそこなら、俺や絵梨奈の学校からも離れているし、騒ぐ人間もいないだろうから勉強するにはもってこいだ。リスクも低い。
絵梨奈に会える目処が付いてくると、どことなく浮ついている自分がいることに気づいた。知らず識らずのうちに口角が上がっているのが分かる。前に母親に指摘された通りにスマホのインカメで見てみると、なるほど意識してみると確かに気持ちが悪いと自分でも思った。
絵梨奈への好意をあの雪の日に自覚してから、俺はこうして絵梨奈と繋がっていられることを嬉しく思いつつも、同時に今の関係性に悩んでもいた。
絵梨奈はあくまで俺への罪悪感を主として俺に現状付き合ってくれている。俺は現状絵梨華を見返すという発奮を主エンジンに踏ん張って勉強しているが、その副エンジンには絵梨奈への好意も存在していることを否定できなかった。
俺はひょっとすると、同じく絵梨華の被害者である絵梨奈にいいところを見せて、俺に好意を持ってもらいたいとどこかで思っているのかもしれない。でもそれは俺を下げて絵梨華の歓心を買おうとしているクラスの連中と、一体何が変わらないんだろう。
そもそも俺と絵梨奈は、絵梨奈が並外れて心優しい人間でなければ会う機会すらなかった可能性もある。つまりこれまで俺は能動的に絵梨奈へ近づこうとはしていなかった、いやそういうように装うことができていた。
でもこれが終われば、もう絵梨奈と俺は会う理由がない。少なくとも俺は無くなってしまうと思っているし、向こうが俺に罪悪感も好意も抱いていないなら、寧ろ俺との関係性は絵梨華のことを考えると大迷惑なはずだ。
何より、俺は「姉の絵梨華にフラれたから、妹の絵梨奈に乗り換えた」と思われるのが嫌だった。そして、それを自分自身で否定できないでいた。それまで付き合ってきた絵梨華と入れ替わりで現れた絵梨奈を、絵梨華と比較してしまうのは当然の成り行きだったからだ。
次第に気分が落ち込んでいくのが分かる。俺は果たして本心から絵梨奈に好意を抱いているのだろうか。吊り橋効果や傷の舐め合いをしているだけなんじゃなかろうか。自分で自分のことが分からなくなりつつあった。
……いや、今はそんなことを考えるより、勉強で結果を残さなければならない。そう気持ちを切り替えた俺はメールでその公民館を提案し、一緒にいるところを見られるとマズいので、公民館までの地図をメールで送ったのだった。
……そう、絵梨奈はガラケーである。故に安易に「スマホで地図見ながら来られるよね」と言ってはいけないのだ。俺たちってスマホに頼りっきりなんだなぁ……と、妙なテンションのまま悟りを開きながら、スマホをしばらく見つめていた俺であった。
暗くなったスマホの画面に映る俺の顔は、また口角が上がっていた。自分で自分のことが分からないとか思っておきながら、端から見た俺は反吐が出るほどつくづく単純な男だった。
当日、俺は待ち合わせの30分以上前に公民館に着き、入口で絵梨奈を待っていた。相手が男だろうが女だろうが、待ち合わせなら早めに行っておけと母親にはいつも言われていたが、流石に早すぎるだろうと着いてから思った。
絵梨奈は時間5分前ぴったりに到着した。駅で待ち合わせた訳でもないのに、よくここまで正確につけるものだと、俺は感心してしまった。
「お待たせしました……すみません、待たせてしまいましたか?」
「いやいや、俺も今ついたところだよ。ちょうどピッタリ5分前とかスゴいね」
勿論今ついたところなんてのは嘘である。君に会えるから浮かれて早く来ちゃった、なんて言えるかっての。絵梨華相手にだってそんな歯の浮くようなセリフ回しをしたことはない。絵梨華は見え透いたお世辞も、そういう風に聞こえるセリフも大嫌いだった。君の瞳に乾杯、なんて言ったらおちょくってんのかとマジギレされるかもしれない。
公民館の中に入り、2階にある読書スペースの一角を占拠する。平日の午前中で今日はイベントもないということで、他に利用している人は殆どいない。精々年配の方が1人2人程度である。
「まずは……テスト範囲が出たんですよね?」
「そうそう、英語の文法がここからここまでで……」
ポツポツ先生が漏らし始めたテスト範囲を確認し、その内容をドンドン詰めていく。場所が場所なので声が大きくならないように注意しつつ、ひたすら教科書やノートと睨めっこする。
「群国制や群県制はよく正誤問題などで出てくる単語ですね。これは覚えておいた方が良いと思います。後は漢の時代ですと……」
世界史もそろそろ単語を詰め込みにかかる。絵梨奈の説明は世界史でも分かりやすいが、とはいえ試験ではある程度までは暗記ゲーとなってしまう。漢字ばかりの中国史はまだいいのだが、難敵はちょいちょいカタカナを間違えるギリシャ・ローマ史とかである。
「……アレ? ここの穴埋めなんだっけ……やべ、聞き逃してプリントの穴埋め忘れてるな……」
「どれですか?」
右隣に座っている絵梨奈が、俺の手元のプリントを見ようと顔を乗り出してくる。突然の顔と顔との接近に、思わず体がビクつく。絵梨奈の黒い瞳がすぐ間近にある。
目だけは、目だけは同じだった。髪の色も、顔立ちも、性格も、背格好も、何もかも違う。でも目だけは、絵梨華と同じ澄んだ黒い瞳だった。
「ん? どうしました?」
「……あ、ああ、いやゴメン。もう1回頼めるか?」
それを見て、やはりまるで違う2人は姉妹なのだと実感してしまう。最初絵梨奈と会った時、俺は母親に「絵梨華とまるで外見が違うから、話していて嫌悪感は無い」と口にした。でもやはり、絵梨奈は絵梨華の妹で、どうしてもその事実は俺の心をどこかで縛り付けていた。
そんなことを考えながらも、勉強の手は休めない。態々俺の為に時間を割いてくれているのだ。無駄にできる時間はない。やがて昼になり、公民館の飲食可能なスペースに移動する。
絵梨奈も俺も弁当持参である。俺の方は絵梨奈と図書館でテスト勉強をすると言うと、どうせ平日だし外食する気がないなら、と母親が持たせてくれた。しかし蓋を開けてみると、普段の弁当箱ではあるものの、おかずが普段以上にキツキツに詰め込まれている。弁当交換を意識したのだろうか、それとも張り切ったのだろうか。
一方で絵梨奈の方は色鮮やかな弁当箱に詰まった色鮮やかな弁当。恐らく絵梨奈が作ったものだろうが、非常に既視感を覚える。
「おぉ……ひょっとしてだけど、普段もこんな感じのお弁当なの?」
「そうですね、普段は忙しいのでもう少し手抜きですけれど、多少は栄養バランスを考えないといけませんから」
あぁ、やはりそうだ。毎日絵梨華が食べている弁当は、全て絵梨奈が作ったものなのだろう。絵梨華は自分が作ったと堂々と自慢こそしなかったが、暗に自分が作ったかのように匂わせていた。絵梨華本人の料理の腕は分からないが、毎日弁当を作っている絵梨奈に勝ることがあるだろうか?
「母さん、友達と勉強するって言ったからギッシリ詰め込んで来てる……良かったら味見してみる? いつもより結構多いんだ」
「いいんですか? すみません、じゃあ少しいただいても……あ、代わりに私のお弁当からも、幾つか召し上がっていただいて構いませんから」
絵梨奈がうちの母親のビーフシチューを気に入っていたことを思い出したのもあるが、どの道結構な量なので絵梨奈に多少渡す。弁当の蓋にそれぞれのおかずを乗せて交換する。あーんだなんてことはしない……しないったら。
「この唐揚げとても美味しいですね……私のものよりへにゃっとした感じが少ない……」
「作り方聞きたかったら、後で俺から聞いといてあげるよ。別に隠すようなレシピでもないはずだし、いや分かんないけど」
そうだとしても、絵梨奈相手ならうちの母親は教えてしまいそうである。俺も絵梨奈の作った卵焼きを食べてみる。俺の母親のものは甘いのだが、絵梨奈のものはしょっぱい系で新鮮な感じだった。
「どうですか……?」
「うん、うちのは甘いんだけど、しょっぱいのもいいね!」
「本当ですか? 良かったです……」
そう笑みを浮かべる絵梨奈。それを横から見ていて、俺は気づいた。
あぁ、そうか。俺は彼女に、絵梨奈に笑顔になってもらいたいんだ。初めて俺の家に来た時の不安と悔悟の入り混じった表情と、ストーブに当たって見せた時の柔らかい笑顔。俺はそれを思い出していた。
俺は決して絵梨奈を絵梨華の代わりなんかとして見てはいなかった。純粋に俺は絵梨奈の笑顔を見たいんだ。ズッと俺の前では俺のせいで曇りっぱなしの絵梨奈を、自分が笑顔にしたいんだ。俺は心優しい絵梨奈が曇った顔をしているのが、どうしても嫌なんだ。
だって俺は絵梨奈に言ったじゃないか。
『いくら君が絵梨華の妹だったとしても、誤解を招くかもしれないけれど君と絵梨華は全くの別人だ。どうして今日初対面の君に、そんな恨みつらみを俺がぶつけられる?』
そう、絵梨華と絵梨奈は姉妹という続柄であることは変わらないし、だからこそ俺と絵梨奈が出会ったという事実を覆すことはできない。でも覆す必要はない。だって、絵梨華と絵梨奈は不可分の存在じゃないんだ。今まで俺が絵梨奈の存在を知らずに絵梨華と付き合って来たように。
俺は「絵梨華の妹」に惚れてるんじゃない、「絵梨奈」に惚れてるんだ。そりゃ勿論絵梨華と絵梨奈を比較することは仕方ない。だって姉妹以前に、絵梨華は俺の前の恋人だったんだから。絵梨華の妹だから出会えはしたけど、絵梨華の妹だから惚れたわけじゃない。それが分かれば俺にとっては十分だった。
そして俺はふと、絵梨華に惚れた理由も絵梨華の微笑みであったことに気づいた。全く、俺はつくづく女性の笑顔に弱いらしい。でも、絵梨華の笑顔は俺を落とす為の笑顔だった。その件で絵梨奈に恨みはないが、俺はその事実は忘れない。あの俺に対する憐れみと蔑みの目と一緒に。
俺は、俺とその大事な人間をコケにした「前の恋人」を見返す。そして、君を笑顔にしたいと「絵梨奈」に告白する。俺はその決意を固めた。勿論姉妹であるという事実は覆らない以上、絵梨華に知れたら修羅場確定だ。でも、それは俺の恋を阻む理由にはならない。
もし絵梨奈が告白を受け入れてくれなくても、それでも良かった。でも、この気持ちを封印したままなあなあで別れることだけはしたくなかった。
「……? どうしました? 私の顔に何か付いてます?」
「あ、いやいや、そんなことはないよ」
そんなことを考えていると、絵梨奈の横顔を見ながら箸が止まっていた。取り繕って唐揚げを頬張る。今しがたの決意を胸に秘めて。
だって、抱え落ちなんて最悪だ。そうだろう?
その後、午後は午前中以上の集中力で勉強していた。そして帰り際に絵梨奈から笑顔で称賛された時、その笑顔が1番のご褒美だった。
日間5位浮上、心より感謝申し上げます。トンデモない数のブクマ・評価、誠にありがとうございます。




