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第3話 決着

 1


 肺と心臓とをえぐられて、血反吐を撒き散らす魔王の姿。

 しかし、その表情には傷の深さを危惧するよりも、悪役貴族に対する、より多くの驚きの色が存在した。


 そんな中、「なにが起きているんだ……」と、なんとか剣の支えで上体を起こした勇者が呟いた。

 悪役貴族が現れてからここまでの間、目に映るもの全てが、信じられないことの連続だったのだ。


 無謀だと思いつつも、奇跡よ起こってくれと願い、始まった悪役貴族と魔王との戦い。

 もはや限界だと思われた魔王は余力を残していた。


 が、そのさらに上をいったのが、悪役貴族だった。

 魔王の恐るべき攻撃を全て読み切り、一撃を食らわせるという神業。

 とても自分が知る、かつての悪役貴族にできることではない。

 そう勇者は思った。


 ならば、当然勇者は抱いてしまう。もしかして、という期待を。

 しかし、それをあざ笑うかのように、魔王は平然と立ちながら、ニヤリと口角を持ち上げて言った。


「――大したものだ」


 先ほどとは打って変わった、その口元。

 それは余裕の現れだ。


「およそ理解の範疇を超えている。だがそれは、お前が人間という枠に属するがゆえの意外でしかない」


 魔王は気付いたのだ。

 勇者らに受けた傷とは違い、悪役貴族から受けた傷は治癒される。

 それすなわち、勇者らとは違い、『精霊の祝福』を受けていない証し。


 埒外(らちがい)の存在でありながら、悪役貴族はどこまでも人間なのだ。

 なればこそ、より効果的な術があるというもの。


「いけない!」


 甲高い声で危機を叫んだのは、女呪術師。

 自身の専門であるがゆえに、魔王のなそうとすることを瞬時に察した。

 しかし、遅い。


「終わりだ! 喰らえ――死の呪法!」


 なにかを撒くかのごとく振るった魔王の腕より、無数の黒い蝶が舞った。

 それは死の先触れである。


 防ぐ方法は、五感を閉じるか、精霊の祝福を受けるか。

 その二つだけ。


 精霊の祝福を受けていない悪役貴族には、前者の方法しかない。

 しかし、これは難しい。

『先読みの極意』は五感の鋭敏さにこそ真髄がある。

 つまり、五感を閉じてしまえば『先読みの極意』は使えず、あとはただ魔王の攻撃を受けるのみとなってしまう。


 悪役貴族はこの死の黒蝶に魅入られるしかなかった。

 そして、魅入られた以上は、なにものも死に抗うことはできないのだ。


 すでに蝶は妖精となっていた。

 妖精たちはクスクスと妖しく嗤うと、その顔を恐ろしいものに変じさせ、悪役貴族へと殺到し――……

 しかし、横一文字に打ち払われた剣によって、掻き消された。


「な、なに!?」


 と、驚いたのは魔王ばかりではない。

 勇者も魔法剣士も、どちらも驚愕の表情を浮かべていた。

 悪役貴族は五感を失わず、ましてや精霊の祝福もなしに、死の呪法を打ち破ったのである。


「言っただろう? たかが魔王ごときと」


 あくまでも見下(みくだ)すように悪役貴族は言い、ゆっくりと剣を構えた。

 もはや魔王と対等。いや、それ以上だ。


 勇者と魔法剣士は、いける、と期待が確信に変わりつつあった。

 一方の魔王は、その心胆をこれ以上なく寒からしめた。


 片や喜び、片や憂い。

 そんな各人の思いが交錯する中、ただひとり女呪術師だけは、瞳から涙をこぼしていた。




 2


 それから何十合、何百合と、悪役貴族と魔王は剣と槍とを斬り結んだ。

 魔王が受けた傷は治癒によって塞がれるのだから、悪役貴族はジリ貧だ。

 事実、悪役貴族の形勢は徐々にではあるが、不利になっていった。

 しかし、本当にその認識は正しいのか。


「はぁー……、はぁー……、はぁー……」


 悪役貴族の息は絶え絶え。

 致命傷こそ逃れているものの、全身を無数の傷が覆い、皮膚は焼けただれ、一度もまばたきをしていない瞳からは、真っ赤な血が溢れている。


 まごうことなき半死半生だ。しかし、それでも食らいついてくる。

 幽鬼のごとく立ちながら、決して膝をつかず、その目には鬼火にも似た得も言われぬ光が灯っていた。


「き、貴様……何者だ。に、人間なのか……?」


 魔王のそれは、もう驚きではない。

 恐怖だった。


「……」 


 悪役貴族は答えない。

 しゃべるのも億劫だとでもいうように、荒い呼吸を整えようとするだけ。

 その普通の人間じみた姿がまた、魔王の心に激しい恐怖をかきたたせるのだ。


 ――確かに、人間だ。コイツはただの人間なはずなのだ……! なのに、なぜ倒れない……!


 なぜ、なぜ、なぜ。

 定まらぬ心のまま、魔王は槍を振るい、それを避けられまたも反撃を食らう。

 傷はすぐに治るが、しかし、心にはより深い傷が付けられた。


「人間が! たかが人間風情が!」


 攻撃の激しさとは裏腹に、魔王の精神はどんどんと減衰していく。

 深く、より深く――……。


 その有り様は、魔王というにはあまりに脆弱。あまりに不釣り合い。

 仮に魔王の心の模様を覗けるものがあれば、「こんな者が魔王か」とせせら笑ったに違いない。


 だが、これは仕方ないことだった。

 魔王なればこそ、どうしようもなく仕方のないことだった。


 そもそも、この魔王の恐れの根本にあるのはなにか。

 それは、『魔物』と『星』との関係性にほかならない。


 詳しく言えば、魔物とは星によって直接生み出されし存在――。

 星の生態系からは大きく外れ、それでいてどの生物よりも優れている。


 そして、その力でもって人間を殺し尽くし、この星から排除することを使命としていた。

 すなわち、魔物が人間に勝つことは星の法則ともいうべき、絶対的なものだった。


 もちろん例外はある。

 勇者たちこそ、それだ。


 勇者たちは精霊の祝福を受けた、選ばれし者。

 また、精霊とは星の一部に属しながら、人間に味方する異端。

 つまり、『精霊の祝福』とは『星の加護』に等しく、この面でいえば、勇者たちは魔王と対等の存在であるといえるのだ。


 対して悪役貴族は、何一つ加護を受けていない、まっさらな人間だった。

 にもかかわらず、優劣はすでになく、たかが人間が魔王と並び立っている。


 それは星のあり方を、根底から覆すもの。いわば、星の誤算。

 誰よりも世界の理を知る魔王だからこそ、恐れを抱くには十分だったのである。


 しかし、魔王はふと思った。

 今起こっている現象は、本当に星の誤算の産物であるのか、と。




 3


 ――星とは神ともいえる存在であるはずなのに、誤算などと、そんなことが本当にありえるのか……?


 それは決して気付いてはならない、禁忌すべきもの。

 信じるだけであった無垢なる存在が、開けてしまったパンドラの箱。

 いわば、全能の神に対する疑念といってもいい。

 

 ――もしも全てが、星の計算通りだとすれば……。


 そう考え、魔王はハッとなった。


 ――まさか、我々の使命の裏には、また別の目的があるのか……?


 悪しき予感だった。

 そんな馬鹿なと否定したくても、過去に一度、魔王は人間たちに敗れている。

 そのとき人間たちは、互いが互いに争う大戦乱のさなかにあった。

 魔王はこれを人間という種の愚かさだと思い、さらには自らにとっての絶好の機会とし、人間界へと攻め込んだ。


 ――だが、もしもあのとき我々が人間を攻撃しなかったら、人間たちはどうなっていた……? そのまま滅びた可能性もあったのではないか……?


 魔物という天敵の存在は、最終的に人間たちを一つにした。

 それが意味することとはなにか。

 まるで魔物という存在は、人間に利するためにあるかのようではないか。

 そう魔王は思ったのだ。


 ――あり得ぬ! 絶対にあり得ぬ!


 愚にもつかない考えであると、魔王は切って捨てた。


 ――人間は劣等。劣るがゆえに工夫をこらし、生態系の頂点に君臨するに至った。そのいびつさこそ、滅ぼすべき理由なのだ!


 ――人間の工夫はとどまることを知らず、いずれ想像もつかない……それこそ、星そのものを滅ぼしかねない災厄を呼び込むことになる!


 ――だからこそ、人間を滅ぼすために魔物が、そして魔王が生まれた!


 そこまで考え、しかし、またもや魔王の胸に湧く新たな疑念――。

 人間を滅ぼしたあとは、魔物が生態系の頂点に取って代わり、星という巨大な船の舵取りをする計画であった。

 しかし、この目的を付け足したのは、誰であろう魔王本人である。


 星から与えられた使命は、人間種の絶滅のみ。

 それ以上の命令は、この体のどこを切り取っても、何一つ刻まれてはいない。


 ――もし本当に星が人間の絶滅を望むのであれば、人間を絶滅させたあとの使命も、魔物に与えられてしかるべきではないのか。


 ――それがないということは、つまり星は、最初から魔物の勝利を否定しているということにならないか。


 魔王の頭の中を『猜疑(さいぎ)』という名の蟲が這いずり、蝕み、より巨大に肥え太っていく。

 そして、魔王は一つの結論へと行き着いた。


 ――まさか魔物とは、人間の進路を調整するための補助器のような……。


 しかし、魔王は全てを打ち消すように大きく笑った。


「フ……ハ、ハハハハハハハハッッ!!!!」


 認められなかった。

 魔物たちを束ねる王として、それだけは決して認められなかった。

 認めてしまえば最後、それは自身の存在否定となる。


 もはや後戻りはできない。

 真実がどうであろうが、自らの道を信じるしかない。

 ならば人間を滅ぼし、自らが正しかったのだと証明するまで。


 魔王の心から恐れは消え去った。

 王たるものの義務感として、心の全てを漆黒に塗りつぶした魔王は、三対の翼を広げて宙へと舞う。

 手にある『天地邪輪の槍』を力強く握り、空から人間たちを見下ろし、そして敢然と言い放った。


「人間よ! 天地を食い荒らすだけのおぞましき生物よ! 我がここに存在していることこそが、星の意志!

 滅べ! ただ滅べ! 貴様ら人間の歴史は露と消え、ようやく星の軌道は正されるのだ!」


 その激憤はなにに対してのものか。自分か、人間か、それとも自らを生み出した星に対してか。

 しかし、魔王の魂は黒い炎となって、轟々と燃えていた。

 この一撃で燃え尽きんばかりに、魔王の魔力は膨れ上がっていた。


 対する悪役貴族もまた風の魔力を溜めた。

 小細工無用。繰り返したちっぽけな反攻は、傷こそ与えられなかったが、確実に魔王の魔力と精神を削り、魔王を同じ場所に立たせていた。


 もはや力の総量でも、五分と五分。

 ならばあとは互いに自らを信じ、全ての力を出し尽くすのみ。


「ゆくぞ!」


 魔王が流星のごとく空から飛来し、悪役貴族もそれにぶつかった。

 辺りには突風が吹き荒れ、稲妻がほとばしり――、

 しかし、槍と剣は十字に組み合わさって決着はつかず、どちらの姿も依然としてそこにある。


「グッ……!」

「くっ……!」


 魔王と悪役貴族、その両者の口から漏れ出る唸り声。

 少し前の勇者と魔王の激突を再現したかのような、力と力のしのぎ合いだった。


 ただし、違う部分もある。

 今度は、第三者の介入が存在したのだ。


「魔王ォォオオオオオオオ!!!!」


 叫び声を上げながら、横合いから剣を振り上げ飛びかかってきた者――。

 一服の力を回復させた勇者だった。


「勇者ァァアアアアアアア!!!!」


 それはどちらの叫びだったか。

 いや、どちらもだ。魔王と悪役貴族のどちらもが、その名を叫んだ。

 しかし、対蹠的(たいしょてき)でもある。


 魔王は勇者の剣を防ぐために、槍から片手を離した。

 勇者を弾き飛ばすことは容易だったが、その一瞬が精神と力の合一を淀ませた。


 一方の悪役貴族。

 その心に、突如として石炭のごとき燃料が投下され、これまでで一番の輝きを放った。

 真夏の空に浮かぶ太陽のごとく、ギラギラとほとばしる激情を乗せ、悪役貴族は剣を押し込んだのだ。


「ヌウゥゥ――――ッッ!!!!」


 魔王も負けじと、今一度、両手で持って押し返そうとした。

 しかし傾いた天秤は、すでに勝敗を告げている。

 次の瞬間、悪役貴族の剣が魔王の槍を二つに断つと、そのまま魔王の胸を貫き、引き裂いたのである。


「ば、馬鹿な……」


 体を上下に分かたれた魔王が、天を仰ぎ見る。

 灰色の空間が破られ、戻ってきた玉座の間は、戦いの余波によって天井に穴が空いていた。

 その穴からキラキラと注ぐ陽の光にあたたかさを感じたとき、もうそこに魔王の命の灯火は存在しなかった。

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