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第2話 魔法剣士の驚き

 1


 この場に相応しくない者の登場に驚いたのは、なにも勇者ばかりではない。

 虫標本のように、柱に磔にされていた魔法剣士も同様だった。


 というのもこの魔法剣士、元は勇者たちが通っていた学校の教諭である。

 担当である戦闘訓練でのみの関わり合いであったが、悪役貴族のことはそれなりに知っていた。


 端的にいえば、悪役貴族は侯爵家の生まれで、その性格は絵に描いたような傲慢不遜。

 家柄を笠に着た振る舞いが目立っていたため、問題児として教諭たちの間でも度々話題に上がっていたほどだ。


 勇者がかつて、この悪役貴族にイジメられていたことも、魔法剣士は知っている。

 その後、立場が逆転したことも。

 悪役貴族は孤立し、勇者が学校をやめて修行の旅に出たあとは、陰湿なイジメにもあっていた。


 ちなみに、女賢者も悪役貴族の同窓。

 つまり、驚きを露わにするべき一人なのだが、あいにくと彼女は氷塊の中に閉じ込められ、意識すらなかった。


 ――悪役貴族……なぜここに……。


 前述の通り、悪役貴族のことをそれなりに知っていたからこそ、魔法剣士はそう疑問に思った。

 当然、精鋭部隊に悪役貴族の名前は存在しない。

 そんな性格ではないし、なにより精鋭部隊に最も必要な要素――『強さ』が圧倒的に足りていなかった。


 勇者との最初の決闘のあと、悪役貴族はなにかに取り憑かれたかのように訓練をしていた。

 その現場は、魔法剣士も何度か見かけたことがある。

 周囲からは、「無駄な努力を」「勇者に勝てるわけがないのに」とせせら笑われ、実際に悪役貴族が勇者に決闘を申し込み、惨敗するということが度々あった。


 どれだけ努力しようとも、所詮は凡人の域を出ない才能なのだ。

 訓練によって他の生徒より秀でた存在になることはできるが、精鋭部隊のように選ばれし強さを得ることはできない。


 それゆえに、ここにいることが不釣り合い。

 もしやスパイか、とすら魔法剣士は思った。


「な、なぜ、キミがここに……」


 魔法剣士の疑問は、勇者が代弁してみせた。


「ふん、勇者だなんだといい気になっているお前が無様にやられる様を、わざわざ見物しに来てやったのさ」


 倒れ伏す勇者を鼻で笑うようにして、悪役貴族は言った。

 人類の存亡をかけるこの戦いすら、まるで興味がないといわんばかり。

 誰かを下に見ようとするその姿は、魔法剣士が知る悪役貴族のものと少しも変わっていなかった。


「ハ、ハ……ハハハハハハッッ!! これはいい! この土壇場において仲間割れか! 個人の主義主張など、種の存亡がかかったこの場においては、なんの意味もないというのに!

 いいや、それでこそ人間だ! 欲にまみれた人間そのままの姿なのだ!!!!」


 この勇者と悪役貴族のやり取りには、さすがの魔王も笑った。

 呆れと、蔑みとが入れ混じった大きな声で。高らかに。

 その反応からして悪役貴族はスパイではないらしいが、しかし、この魔王の笑いは悪役貴族には気に入らなかったらしい。


「……おい」


 ギロリと。

 悪役貴族の鷹のごとき鋭い眼が、魔王を射抜いたのだ。


「たかが魔王ごときが僕を笑ったのか?」


 相手が魔王だろうと関係ない。悪役貴族はどこまでも傲慢不遜だった。


「たかが人間ごときが我に物を言うのか?」


 魔王はあくまでも余裕をもって応じたが、されど空気が歪んだ。

 戦闘を予感させる前兆である。 

 悪役貴族もするりと剣を抜き、一丁前に戦うつもりのようだった。


 もちろん魔法剣士は、よせ、と思った。

 身の程を知れ、と。


 しかし、あに図らんや。

 魔王が何気なく放った槍の刺突を、悪役貴族が体を横にしてギリギリのところで避けてみせたのは、まさかともいうべき意外である。

 これには魔王も、「ほぅ」と感嘆に口を丸くしていた。


「『先読みの極意』か」


 魔王がすぐに悪役貴族の術を看破する。

 魔法剣士も同じ考えだ。


『先読みの極意』とは、知覚できるあらゆる情報を駆使し、未来を予見するという恐るべき秘技。

 しかし――、と魔法剣士は思った。


 ――所詮は小手先の技術。足りぬからこその、あがきでしかない。それでは勝てないんだ……。


 確かに、悪役貴族が『先読みの極意』を会得していたのには、魔法剣士も少しだけ恐れ入った。

 悪役貴族の年齢は勇者と同じで、二十を少し過ぎた頃。

 その若さで『先読みの極意』を会得するには、それこそ発狂寸前まで追い込むほどの修練を要したに違いない。


 だが、そもそも強者であるならば、先読みなどせずとも反射でこと足りる。

 結局のところ『先読みの極意』とは、弱者がたどり着く到達点でしかなく、無才の反射では足りない部分を、予見によって補おうというものだった。


 それに、だ。『先読みの極意』は、自分よりはるかに技量が上の相手にも渡り合える可能性を持つが、その瞬間は限りなく短い。

 欠点は、消耗の激しさにあった。

 未来を見通すことに対し、脳や精神にかかる負担はあまりにも甚大。決して何度も使える術ではないのだ。


 ――やめろ……もういい、十分だ……。たった一度、魔王の攻撃を防いだだけでも称賛に値する。面目は保たれる。だから、逃げろ……逃げるんだ……。


 魔法剣士のこの考えは、もはや憐れみに近い。

 仮に精鋭部隊の誰かであったのなら、命に代えてでも魔王を倒してくれ、と魔法剣士は願っただろう。

 それだけの強さを、精鋭部隊に所属する者たちは持ち得ていたのだから。


 だが、悪役貴族では無理であることがわかっている。

 魔王に勝てぬことが――、犬死することが火を見るよりわかりきっている。


 だからこそ、憐れんで、逃げろと思った。

 曲がりなりにも魔法剣士は教師であり、悪役貴族はかつての生徒。

 それくらいの情は魔法剣士も持ち合わせていたのである。


 しかし、すでに魔王は構えていた。

 槍の穂先を対手に向けて、魔力を全身にみなぎらせながら。


「――死ねッ!」


 魔王の放った槍が、空気を裂いて唸りを上げる。

 先ほどのような小手調べともいえる手加減はない。

 必殺の構えからの、渾身の一撃だ。


 が、意外や意外。

 その槍は、悪役貴族の頬を微かにえぐるにとどまった。


 されど二手目。

 魔王は息も吐かせぬ間に、引いた槍を左手一本で払いに転じ、悪役貴族の首を断とうとする。


 さらに間髪を容れず三手目。

 槍の払いに連動して右手で放ったのは、延長線上にあるものすべてを切り裂く、必殺の爪撃。

 しかし、そのどちらもが空を切った。


「猪口才な奴よ」


 魔王の猛攻は続いた。

 四手目は石突き、五手目は両眼からの熱光線、六手目は無数の羽根を弾丸のように飛ばした。

 さらに七手目、八手目、九手目――と次々に繰り出される魔王の攻撃は、いずれも必殺の名を冠すべきもの。


 しかし。しかしである。

 悪役貴族は、永遠とも錯覚する死の一瞬を生き延び続けていた。

 そして、十八手目までも凌ぎ切ると、とうとう魔王の顔色までもが変じはじめたのだ。




 2


 魔法剣士は、ありえない……、と驚きを隠せないでいた。

 ただの一度でも精神の消耗著しい『先読みの極意』。それも、相手が魔王ならばなおさらだ。

 事実、魔法剣士も『先読みの極意』を体得しているが、魔王が相手ではもって数度。


 決して魔法剣士の精神が弱いというわけではなかった。

 それどころか、魔法剣士には死ぬ覚悟もあるし、死よりも辛い目にすら耐える自信もある。


 しかし、この『耐える』という行為はつまるところ、単純な精神活動でしかない。

 対して『先読みの極意』には、瞬時に、かつ膨大な情報処理が必要になってくる。

 これを可能にするものは、ひとえに高度な意思の持続よりほかはなかった。


 特に、魔王ほどの者が相手であるならば、目に映る情報はもはや無限に近い。

 それは、一粒一粒の情報という砂が集まった『砂漠』に等しく、直後の最適行動は、その砂漠から『一本の針』を見つけ出すようなもの。

 この至難事を毎秒、寸毫(すんごう)の余白なく成功させることは、あらゆる苦痛や苦難を越えた、もはや想像にも及ばぬ狂気の所業なのである。


 今、悪役貴族は、文字通り永遠というものを体感しているはずだ。

 たった一秒を、無限に引き伸ばし、常に最善を選ばなければならないという地獄の中にいるはずなのだ。

 このような狂気の所業、精神がどれだけ擦り切れてもおかしくはなかった。


 ――なぜ、そこまでできる……なぜ、そこまでする……。


 だからこそ、悪役貴族の行動原理が魔法剣士にはわからない。

 魔法剣士が知る悪役貴族は、毎年一人はいるような権力主義の嫌味な生徒でしかなかった。

 それが今、目の前で、かつての姿からは及びもつかない奇跡を起こし続けている。


「いい加減しつこいぞ!」


 という叫びと同時、魔王から放たれた二十四手目の雷撃も、悪役貴族は魔法剣士の盾を拾うことで防いでみせた。

 続く二十五手目の槍による地面からの突き上げは、盾を弾くためのもの。

 しかし、盾が弾かれたときには悪役貴族はそこにおらず、耐久の落ちた自らの剣を捨て、より優れた魔法剣士の剣を拾っていた。

 さらに二十六手目では、再び剣と槍とがぶつかり合う――。


 その悪役貴族の戦いぶりに、魔法剣士もいつしか疑問を忘れてしまっていた。

 弱き者のあがきには、ときとして神の奇跡などよりも、はるかに人を魅了する崇高さを伴うものだ。

 目の前にある一瞬一瞬の攻防――煌めくような人間の可能性に、魔法剣士はただただ見惚れてしまっていたのである。


 そして、いよいよ三十二手目――。

 膠着していた事態が、大きく動いた。


「こんなことが!」


 魔王が驚愕とともに口から炎の息吹を放った。

 それは、あらゆるものを焼き尽くす紅蓮の炎であり、ついに悪役貴族を捉えることに成功した。


 いや、違う。その異常に魔王が気付いたときには、真っ赤に燃える火炎の中を、悪役貴族が全身に風をまとって突貫していた。

 魔王は袈裟懸けに槍を振るって迎撃しようとするが、悪役貴族はそれすらいなしてみせる。


「――しまっ!」


 魔王がとうとうつんのめったのだ。

 その一瞬を逃す悪役貴族ではない。

 悪役貴族の剣にはすでに風の魔法が付与されていた。


 ――あぁ……。その剣は、俺が教えた……。


 魔法剣士は確かに見た。

 悪役貴族が放った風の魔法剣が、魔王の……あの魔王の胸元を斬り裂くのを。


 思い出されるのは、無味乾燥とした授業であったはずの一コマ。

 教師という職業に情熱があったわけではない。仕事として機械的に教えていただけだ。


 だが、今――。

 自らの教えた剣が、誰かにしっかりと息づいていたことを魔法剣士は知った。

 なぜだかわからない。こんな状況にもかかわらず、胸がじわりと熱くなった。


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