夜
夜は好きだ。
夫の顔を見なくても済むから。
顔さえ見なければ直接ダメージを受けることもない。
だから夜が待ち遠しい。
暗闇の中でなら夫と対になっていても気後れすることなどない。
だって何も見えない。
夜は私と夫に何も差などないように思わせてくれる。
互いに欠けている部分を補うように繋がれると。
そのために結婚というものがあるのだと素直に思える。
「夏葉」
夫が私を呼ぶ声にどれほどの熱さがあっても煩わしいとは思わない。
その熱に苦しんでいるのなら冷ましてやろうとさえ思う。
夜に溶け込んだ夫のことは嫌いじゃない。
「夏葉」
おいでと言われる前に行ってあげてもいい。
どれほど身体をくっつけても違うものだと思わない。
「夏葉」
夜の夫だけは偽物じゃないと感じる。
嘘なんか何もない。
この人だけが私のだと。
「夏葉」
手を伸ばしてもいい。
この手の先にあるのは虚空じゃない。
「髪が随分伸びたね。そろそろ切る?」
「切って」
「ずっと伸ばす?」
「長い方が好き」
「ずっと長いね。短くしたことないの?」
「ない」
闇の中で触れる夫の指は好き。
ずっと触れていられるくらい。
夜の感触だけになった夫は好き。
意識の外だから。
世界が一日中夜なら私はもしかしたら夫を愛せるのかもしれない。
でも朝になると全て夜に見る夢だったと恩寵のような光を一人だけ受ける夫を見ると思うのだ。
そして何事もなかったかのように平然としている夫を嘘つきだとねじ伏せてやりたくなる。
この八か月その繰り返しだった。
私達の間には誰もいないから。
「夏葉」
私は夫の名を決して呼ばない。
まるで私とお揃いのような美少女ヒロインを思わせる夫の名が私は好きではなかった。
でも子供が生まれ女の子だったらきっと葉という字を入れるだろうとは思う。
「夏葉」
夜はいい。
夫は夜に限る。
これがすべて夢ならば永遠に醒めなくてもいいと思う。
朝なんか来なくてもいい。
「夏葉」
夜になると私は自分の名が好きになる。
夏生まれでもないのに夏葉と付けた両親を暖かな陽だまりのような記憶だけで思い出せる。
夜は何も怖くない。
不思議なほど夫と全てが一致していると思う。
心臓が繋がっている。
私が死ぬ時が夫の死ぬ時だと思える。
いつか別れが来るとは到底思えない。
私達は決して離れない。
夜だけ、夜だけ、夜だけだけど。