初恋
プロポーズから数日後の土曜日彼は伯母夫婦に挨拶に来た。
二人は突然のことに戸惑っていたが喜んでくれた。
彼が帰ると伯母は何の含みもなさそうに「そう言えば夏葉ちゃん。いつもあの人の動画食い入るように見てたもんね」と言い、「小さい頃から好きだったの?」と私に聞いた。
私は小さい頃も今も好きじゃないと言いたかったが、好きじゃないのに結婚するの?と聞かれるのが面倒なので肯定した。
伯母は嬉しそうに「じゃあ夏葉ちゃんは初恋の人と結婚するのね」と言った。
これも否定したかったが、上手く説明できそうもないので断念した。
身体が勝手に頷いたのだ。
私のせいじゃない。
私は彼を好きではない。
唯彼の言う通り好きじゃなくても結婚は成り立つ。
籍を入れ共に暮らせば。
「それにしても滋賀県なんて遠いわね」
そうだ。
これも初耳だった。
彼は今年いっぱいで特殊部隊を退職して来年の四月から滋賀県にある特殊部隊の養成所、ウィザード・アカデミーで講師になることを伯父夫婦に告げた。
特殊部隊の退職金がかなりの額になること、自分が死んだとしても国から年金が支給されるので私が一生生活に困ることはないということ、住むところはアカデミーが用意してくれるので家賃もいらないし何も心配いらないことなどその他もろもろ。
「まあ新幹線ですぐよね。京都も近いし。遊びに行くわね」
「うん」
「お料理勉強しないとね。美味しいもの作ってあげないと」
その必要はないと思ったが、自分が不味いものを食べるのが嫌だったので料理は習っておくことにした。
「でも、先生になるなら安心よね。特殊部隊と違って命の危険はないだろうし。優しそうだし、イケメンだし、夏葉ちゃん、いい人と出逢えて良かったわね」
「うん」
帰って来た従姉たちに結婚の報告をすると二人は凄い凄いと興奮を隠せないようだった。
「凄いね。初恋の王子様と結婚じゃない」
「小さい頃命を助けられた恩人と結婚だなんて作り話みたい」
「夏葉ちゃん。いっつもあの人の動画ずっと見てたもんね。雑誌の切り抜き集めてさ、可愛かったよね」
「そうそう、凄いね。ずっと好きだったんだ」
そんなわけない、違う。
でも人にはそう思われていたのか。
私は唯知りたかっただけだったのに、人はそうは思わず、単純に雑に好きだと決めつけられてしまうのだ。
何て短絡的な。
この世には好きか嫌いの二択しかないのだろうか。
私は今も昔も一度としてあの男を好きでいたことなどないというのに。
「でも小野さんも凄いね。夏葉ちゃんが大人になるの待っていてくれたってことでしょう」
「凄いねー。こんな話あるんだねー。夏葉ちゃん可愛いもん。小野さんも忘れてなかったんだよ」
そんなわけない。
あの男は一度もあれから会いに来たりしなかった。
八年間ほったらかしだった。
私のことなんかとっくに忘れて暮らしていた。
私は嫌でも忘れられなかった。
だって彼は勝手に目の前に存在していたのだ。
消えてくれなかったのだ。
テレビに出て雑誌に出て、イケメンだの最強だのもてはやされちやほやされるあの男を見るたびに、どうしようもなく行き場のない何と名付けたら正確なのかわからない感情がふつふつとくすぶり続け、身体の奥底に鉛の様に沈殿していった。
全世界に私の両親を助けられなかった無能だと叫んでやりたかった。
あの男は少しも悪いなんて思っていない、偽善者だと言いたかった。
もし私が八歳の時から思っているのだとしたらその情念の濃さも気味が悪い。
そういえば何故今頃になって会いに来たのか。
知らん顔し続けたら良かったじゃないか。
それとも八歳の私が好きだったのだろうか。
ならもう遅い。
私はもう十八なのだ。
それとも彼には私が八歳の子供のままなのだろうか。
わからなことばかりだったが、それでも私は卒業式が終わり次の日には彼と入籍しそのまま滋賀県の彦根市に降り立った。
そして八か月がたった今も私は夫を愛していない。