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76.エピローグ 新しい約束


 1


 ―― うりゃっ! せいっ! うりゃぁっ! せぇいっ! ――


 王都エスペランサの一角に建つ屋敷の庭に、少年たちの元気な声が響いていた。

 俺にとっては耳慣れた声――これは、空手における基本稽古の掛け声だ。

 格子状になった柵の外から覗いてみると、しばらく見ない間に屋敷の庭は以前の3倍近くも拡張されていた。どうやら空き家だった隣の家を買い取り、そこを更地にして壁をぶち抜いたらしい。

 しかもそこに建っていた道場は小学校の体育館ほどもありそうな広さだったのだが、それでも中に入りきれない空手着姿の少年たちが外まで溢れていた。この盛況ぶりを見る限り、亮の道場経営は上手くいってるみたいだな。


「ふふ……」


 なんとも懐かしい光景に思わず笑みがこぼれてしまう。俺もわずか1年ちょっと前までは、ああやって亮と一緒に稽古してたっけ。


 ―― カン、カン ――


 屋敷の裏手に回って勝手口をノックする。そしてしばらく待っていると、ドアが開いてヴェナルドのおっさんが顔を出した。


「おう、肉屋かい? 今日はずいぶん早いな……って、おわぁっ!?」


 こちらの顔を見るなり、おっさんが頓狂とんきょうな叫び声を挙げて後ろにすっ転んだ。俺が狼の頭を模した毛皮のマスクを被っていたせいだ。


「よう、久しぶりだなおっさん」


「そ、その声は……トウマか?」


「おうよ」


「おいおい、何ヶ月も姿を見せねえと思ったら、いきなり訪ねてきて脅かすんじゃねえよ。その被り物は一体なんだ?」


「ああ、悪い悪い。なんせこの町じゃ俺は指名手配犯みたいなもんだからさ、ちょっとした変装だよ。これなら獣人っぽく見えるし、誰にも俺だとは気付かれないだろ?」


「そういうことか。まあ、とりあえず入れよ」


 おっさんにいざなわれて屋敷の中に入り、狼のマスクを脱いで応接間のソファに腰掛ける。

 まもなくメリッサさんがお茶を運んできてくれたが、彼女がすっかりどこかの若奥様といった雰囲気をまとっていたのには驚いた。もし俺がティナと結婚したら、彼女もこんなふうに大人びて見えるようになるのだろうか。

 亮が来るのを待っている間におっさんやヴィアーノくんの話を聞いてみたところ、彼らが始めたレストランの経営もなかなか順調らしい。シャーロットを通じて口コミで貴族たちに評判が広まった結果、連日予約がいっぱいで売り上げも上々だそうだ。


「燈真っ!」


 俺がちょうどぬるくなりかけたお茶を飲み干したところで、庭のほうへ通じている裏口のドアから亮が入ってきた。そういえばこいつの空手着姿を見るのも久しぶりな気がする。


「よっ、元気だったか?」


「ああ、君も元気そうで何よりだ。でも驚いたよ。魔王の城で別れてからずっと手紙すらよこさなかったのに、いきなり訪ねてくるんだもん」


「はは、そりゃおっさんにも言われたよ」


「この半年間、どこで何をしてたんだい?」


「マローダでティナとお祖母ばあちゃんのフレイアさんを養っていくためにギルドのお仕事さ。ちょっと遅れて戻ってきたフリージアさんが実入りのいい仕事を回してくれてたから、3人と1匹が食っていくにはそれほど困らなかったよ」


「なんだ、ずっとティナさんの実家にいたのか」


「ティナは旅をしてる間もずっとフレイアさんのことを心配してたからな。俺もあの人がティナを案内につけてくれたおかげでかなり助けられたし、ひとまず帰って旅の顛末てんまつを報告した後、そのまま彼女たちの面倒を見させてもらうことにしたんだ」


「でも、それでよくシャーロットさんやシルヴィさんに見つからなかったね。彼女たちはあっちのほうにもしょっちゅう出かけてたのに」


「そこはまあ、こういうマスクとかの変装で上手く誤魔化ごまかしてたのさ。シルヴィは犬の獣人ほど鼻が利くわけでもないし、ニアミスしても意外とバレないもんだぞ」


「とはいえ、そんな生活じゃティナさんも気が休まらないでしょ」


「ああ、いつまでも逃げ回ってるわけにもいかないしな。俺も次の手を打とうかと思ってたところさ」


「次の手?」


「それは――」


 ―― コンコン ――


 俺たちがそんなことを話していると、さっき亮が入ってきた裏口の扉からノックの音がした。


「どうぞ、入って構わないよ」


「押忍っ、師匠せんせい! 基本稽古が終わりました!」


 胸の前で×字を切りながら礼儀正しく頭を下げ、応接間に入ってきたのはアンディだった。亮にかなり鍛えられたのだろうか、以前の弱々しい声からは考えられないほどの元気な挨拶はもちろん、体つきのほうも前よりさらにたくましくなっている。


「おおっ、アンディじゃないか! お前も亮の道場に入門してたのかよ」


「あっ、トウマさん! お久しぶりですっ」


「彼には今、小さい子供たちの指導を任せてるんだ」


「へえ、あのイジメられっ子が今じゃ指導員ってわけだ」


「彼には君が教えた分の下地があったし、何よりこの道場の一番弟子だからね。黒帯を名乗っていい腕前になったら正式にそうしてもいいと思ってるよ」


「それにしても、すっかり男の顔になったなぁ。見違えたよ」


「えへへ……」


「アンディ、僕はまだ燈真と話があるから、少し休憩したら稽古を続けるようにって皆に言っておいてくれるかな」


「押忍っ!」


 アンディが再び扉の前で一礼し、道場へと戻っていく。あいつも元気そうで何よりだ。


「で、さっき言いかけた次の手って一体なんなの?」


「うん……実は俺、ティナと2人で東の大陸へ渡ろうと思うんだ」


「ええっ!?」


「マローダの町に限らず、この国ではシャーロットが親父さんや叔父さんの部下を総動員して俺を探し回ってるだろ? かといって北のトライアンフに逃げたところで、あっちはシルヴィの縄張りみたいなもんだからな。動物に居場所をチクられる可能性もあるから、姿を見られないよう鳥やネズミにまで気をつかわなきゃいけない」


「つまり、安住の地を求めて移住するってわけか」


「そういうこと。俺が今日ここに来たのも、お前にだけはもう一度別れの挨拶をしとこうと思ってな」


「でもさ、ティナさんはそれでいいって言ってるの? 年老いたフレイアさんを置いてまた旅に出るなんて、彼女にはそれも辛いんじゃないかな」


「俺もそれだけが気にかかってたんだけどさ、そこはさすが老練の大魔女様というべきか……。フレイアさんは自分が孫の足枷あしかせになるなんて耐えられないからって、こんなものまで作っちゃったんだよ」


 俺はそう言いながら、ポケットから1つの指輪を取り出した。かつてシャーロットに持たされたのと同じ、離れた相手と通信できる魔法のかかった指輪だ。


「それって……」


「オリジナルはシャーロットの家に郵送で送り返したんだけどな。その前に指輪に描かれた魔法陣を見せたら、あの人それをあっという間に複製しちまったんだ。で、何かあったらすぐにこれで連絡するからってことでティナも納得してくれたよ」


「そうか……じゃあ君とはもう会えないかもしれないんだね」


「そんな寂しそうな顔するなよ。この世界に飛ばされてきたときも、トライアンフで一度別れたときも、そう思うことは何度もあっただろ?」


「うん……」


「それに、俺はさっき外の様子を見て安心したんだぜ。道場のほう、かなり順調みたいじゃん」


 外からはまだ元気な少年たちの声が聞こえている。亮の道場経営が上手くいっているのもそうだが、この地に空手という武術が広まっていくのは自分も1人の空手家として実に嬉しい。


「道場を開いたとき、真っ先に弟子入りしてくれたのがアンディくんだったのには少し驚いたけどね。最初は近所の子供たちが中心だったけど、今は彼の紹介で貴族の子息たちもかなりかよってきてるんだよ」


「ふうん、それなら資金繰りには苦労しなさそうだな」


「うん、特にシャーロットさんのアルファード家には全面的にバックアップしてもらってる。まあ……そのせいでヘンリーさんには頭が上がらないんだけど」


「おい、世話になってるからって親父さんに俺の居場所をタレ込んだりするなよ? アルやフリージアさんにならともかく、シャーロットたちに俺の行き先がバレたら海を渡る意味がないからな」


「しないよそんなこと。道場の経営が上手くいってるのは君のおかげでもあるんだからね」


「ん? どういうことだ?」


「ああ、まだ看板を見てないんだね。ウチの道場の名前は『神代流空手道場』だよ」


「はぁっ!? お前、なに人の名前を勝手に流派名にしてんだよ!」


「だって僕の名前だといまいち知名度に欠けるでしょ。それに元トライアンフの武術指南役なんてむしろマイナスイメージにもなりかねないし、この国では君のネームバリューのほうが大きいんだもん」


「大きいんだもんっ、て……お前なぁ」


「いいじゃないか、僕が子供たちに教えてるのは君から教わった技なんだから。それに、何より大切な『押忍オスの心』もね」


「んー…………まあ……な」


 むぅ、そう言われると反論できない。

 さすがに俺ごときの腕前で一流一派を名乗るなんておこがましいにも程があると思うんだが……。まあ、この世界で空手を教えてるのなんてここぐらいだろうし、誰も文句を言う者はいないか。


 2


「じゃあ、俺はもう行くよ。元気でな、亮」


「うん、君もティナさんとお幸せにね」


「おう!」


 別れるときはいつもそうしていたように、亮とお互いの拳を合わせる。

 おそらくこれが最後の――いや、これで最後にする必要なんてどこにもないな。


「亮、俺は絶対にまたここへ戻ってくるからな。もしかしたらお互い爺さんになっちまってるかもしれないけど、そのときは孫が可愛いって自慢し合おうぜ」


「はは、それいいね。じゃあ約束だ」


「おう、約束だ」


 再び狼のマスクを被り、亮に手を振って別れを告げる。そして振り向いて立ち去ろうとしたとき、屋敷の門前に1人の女が立っているのが見えた。


(げっ! シャ、シャーロット!?)


 そこにいたのは、いつもの青いドレスに身を包んだシャーロットだった。腰には最初に出会ったときと同じ刃つきの鞭をたずさえ、まるでこれから決闘でもするかのような格好をしている。


「あら、珍しいお客さんですわね亮さん。シルヴィさん以外に獣人のお知り合いがいたとは存じ上げませんでしたわ」


「え? あ、その……」


 思わず亮のほうを振り返り、「まさか俺を売ったんじゃないだろうな?」と目で問いかける。亮はぶんぶんと首を振っているが、それならどうしてこいつがここに?


「あら、獣人の方かと思ったら、よく見ればただの被り物ではありませんの。それなら、ちょーっとそれを取ってみてくださるかしら? いえ、中の人が私の知ってる方でなければよろしいのよ。ただ、カミシロトウマという方でなければ……」


「な、なんのことだワン? 僕は青カブトという凶暴な熊を倒すため、全国から『男』を集めて回っている熊犬の獣人だワン。中の人なんていないワン」


「このやり取り、前にも一度ありましたわよねぇっ!?」


「やっぱバレたーっ!?」


 そのとき、シャーロットの後ろからひょっこりと顔を出した少年と目が合った。さっき道場のほうに戻ると言って応接間を出て行ったはずのアンディだ。

 彼は突然現れたシャーロットにうろたえる俺を見て、心底おかしそうにくすくすと笑っていた。


「アンディ……まさかお前かっ!?」


「ふふ、ごめんなさいトウマさん、姉様にはあなたを見つけたら真っ先に報せろって言われてたんです。それに僕もトウマさんのこと『義兄にいさん』って呼びたいですし、諦めて姉様と一緒になってもらえませんか?」


「こ、この裏切り者ぉぉっ!」


「ここで会ったが100年目ですわ! さあ、おとなしくこの指輪を左手の薬指にはめるか、この場で処刑されるか選びなさいっ!」


 前に渡された婚約指輪は送り返したが、今のシャーロットはそれとはまた少し違ったデザインの指輪を持っていた。しかも彼女自身の左手には、それと対になる指輪がもう薬指にはめられている。


「先に1つ言っておきますが、逃げようとしても無駄ですわよ……憲兵隊っ!」


「「はっ!」」


 シャーロットの合図とともに、彼女の叔父であるチャールズさんの部下たちがぞろぞろと門の前に集まってきた。他に逃げ道はないかとあちこちを見回してみたが、どうやらこの屋敷自体がすでに包囲されているらしい。


「ふふふ、これでいよいよ年貢の納め時ですわね」


「ぬぐぐ……ええい、こうなったら全員まとめて相手してやるっ! かかって来やがれぇぇっ!」


 狼のマスクを脱ぎ捨てながら、屋敷の前を埋め尽くした憲兵隊に向かって獣のごとくえる。こうなったら絶対にティナのところまで生きて帰って、彼女と幸せになってみせるぞ。

 逃げられるものなら逃げたっていい、戦っても勝てないなら逃げたほうがいい。だが戦っても勝てない敵や人数を相手に、逃げるのが不可能なときはどうする?

 俺は戦う。万に一つも勝ち目がなかったとしても、それ以外に幸せになる方法がないならそうするしかないだろう。そう、生きることは戦うことなのだから。


「うぉりゃぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」


 そして俺は子供の頃に見たカンフー映画のラストシーンのように、武器を構えた憲兵隊の真っ只中ただなかへと飛び込んでいった。




 ―― 完 ――



 この物語はこれにて終幕、約8ヶ月にわたる連載をようやく完結することができました。

 ここまで読んでくださった読者の皆様に心から感謝を申し上げます。


 ラストシーンは作者がカンフー映画の最高傑作と思っている『ドラゴン怒りの鉄拳』と、仮面ライダー龍騎のラストで警官隊に突っ込んでいく朝倉威あさくらたけしをイメージ。

 それだと主人公死んじゃうだろって? 大丈夫、彼はそんなヤワな男ではありません。


 物語全体の総評を兼ねたあとがきは別掲といたします。

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