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74.笑って死ねる人生を


 1


 俺は魔王に体当たりを食らわせた体勢のまま、マグマの海へと向かって一直線に落下していた。大きな岩に乗っているおかげで風圧はほとんど感じないし、これなら落ちたときの衝撃自体はそれほど大きくないかもしれない。


〔ああああああああっ!〕


 皆の呼ぶ声はもう聞こえないのに、魔王の叫び声だけは耳元でやかましい。ああもう、死ぬときぐらい落ち着いた気分で逝かせろ馬鹿。


「うるせぇ! お前はその気になりゃ生き返れるくせにギャアギャア騒ぐな!」


〔あ、あなたは死ぬのが恐ろしくないの?〕


「はっ、人に生まれ変われとか言ってたくせに知らねえのかよ、死にぎわ微笑ほほえまないやつは生まれ変われないんだぜ」


〔なっ……!〕


 昔読んだ漫画の受け売りなので半分出まかせみたいな話だが、少なくとも俺は本当にそうじゃないかと思っている。


 人に運命や宿命というものがあるのなら、それはきっと前世から積んできたごうによって決まるものだろう。むしろ物事を科学的に、全て理詰めで考えるのなら、そういうものこそごうや因果という言葉を持ち出さなければ説明がつかない。

 仮にそうだとしたら、少なくとも死にぎわに笑えないような人生を送ってきたやつには、きっと生まれ変わったとしてもろくな来世が待っていないはずだ。

 だから俺は笑う。どんなに痛かろうが苦しかろうが、それまでの生き様に後悔がないなら無理やりにでも笑って死ぬと決めていた。

 自分の命を最優先にするなんて動物でもできるのだ。誇りにせよ友情にせよ愛情にせよ、自分の命より上に何かを置けるのは人間だけの特権――ならばそれら全てが満たされたこの人生に、一体なんの後悔があるだろうか。

 実際に死が目の前に迫った今も、俺の心には強がり抜きで笑えるだけの充足感が確かにあった。


「じゃあな、お前こそもう創造主なんか引退して、次はもうちょい可愛げのあるものに生まれ変われよ」


〔…………っ〕


 そう言ってにやりと笑った俺を見る魔王の目は、驚くほどに穏やかなものだった。敵意はもちろん上から目線の憐れみもない、どこか寂しげな瞳。これは、子供の成長を認めた親の顔だ。


 そんなことを考えている間にも、煮えたぎるマグマがもう目の前まで迫っている。

 そして俺たちを乗せた岩の塊は、もの凄い音と赤い飛沫しぶきを上げて着水した。


 ―― ずどぼぉぉおん! ――


 溶岩の海はそれなりに深く、俺たちの乗っていた足場はその落下速度と重さのためか大きく沈んだ。それによって押しのけられ、ミルククラウンのように盛り上がった分の溶岩が周りから一気に押し寄せてくる。


〔あ゛あ゛ぁぁぁーーーっ!!!!〕


 まず俺の下にいた魔王の体がマグマにまれ、火であぶった飴のように融けていく。

 さらに俺自身も着ていた服や靴があっという間に炎上し、たちまち体が灼熱の溶岩と燃え盛る炎に包まれた。


「ぎゃあっちちちぃぃぃっ!!!!」


 熱い、もの凄く熱い。

 全身が溶岩にまれれば一瞬でショック死できるかと思ったが、想像以上に意識が長く持っているのが逆にキツい。

 俺は思わず両手を滅茶苦茶に振り回し、なんとかマグマの表面から顔を出そうともがいた。

 死ぬ覚悟はしていたはずなのに、それでもギリギリまで助かろうとする本能が働くのには自分でも驚きだ。


「ぶはぁっ!?」


 ようやくマグマの表面から顔を上げたそのとき、俺はおかしなことに気がついた。服はとっくに燃え尽きて裸になっているのに、なぜか宙に伸ばした腕が全く火傷を負っていないのだ。

 もちろん胸や手足を守っていたプロテクターも革ベルトが燃え尽きて外れてしまっているが、どうやら腕以外の部分にも火傷はないらしい。それどころか顔の周りを手で拭ってみると、眉毛や髪の毛までが燃えることなく残っていた。


「――――っっ!」


 どうして火傷を負わないのかはまるで分からないが、これなら助かる可能性があるかもしれない。

 俺は固まりかけたコンクリートのような溶岩の中で必死に手足を動かし、上に皆がいる大きな岩の柱へ向かって泳いでいった。

 いくら体そのものが燃えないとはいえ、全身におきゅうえられているようなこの熱さはたまったものではない。なんとか目の前の岩壁にへばりついて、まずはこの灼熱地獄から脱出しなくては。


「ぬっぐぐぐぐ……!」


 岩のわずかな凹凸に指をかけ、ヤモリのように岩壁を登っていく。俺はガキの頃から度胸をつけるためと称して滝つぼへ飛び込まされたり、さらにもう一度飛び込むために滝の上まで岩壁をよじ登るという修行をさせられていたので、ボルダリングは得意なほうなのだ。


「燈真っ! 燈真ぁーーーっ!!」


 岩壁を3分の1ほど登ったところで、上のほうから亮の声が聞こえてきた。ここまで来ればこちらの声も十分に届くだろうし、ロープを下ろしてもマグマの熱で燃えることはないはずだ。


「亮ーっ! 聞こえるかぁーっ!?」


「と、燈真っ!? 生きてるの? 生きてるんだねーっ!?」


「ああ、なんとかなぁーっ! 今のところは壁にしがみついてるから、また落ちないうちにロープを下ろしてくれーっ!」


「わ、分かったーっ! すぐに下ろすよーっ!」


 そうして少し待っていると、上からするするとロープが下りてきた。掴みやすいよう先端に結び目も作ってあるので、これならなんとか上まで登れそうだ。


「燈真っ!」


 ゆっくりと引き上げられながら自分でもロープをたぐり寄せ、崖のふちに手をかけたところでようやく亮の姿が見えた。

 よく見ると亮の腰にもロープが巻かれ、そこからさらに上のほうで皆がそれを引っ張っている。ああそうか、俺が魔王を落とすために広場をかなり鋭角に斬ってしまったので、あまり崖っぷちに近づくと危ないんだな。


「ちょ、ちょっと待て亮、そっちに上がる前にお前のマントを貸してくれ。服が全部燃えちまって裸なんだよ」


「あ、ああ、分かった」


 岩壁を登りきる前に亮のマントを腰に巻きつけ、ともかく下半身だけは隠しておく。さすがに女性が大勢いる前で全裸はマズい。


「ふはぁーっ……今回ばかりはさすがに死んだかと思ったぜ」


「トウマさんっ!」


 亮と2人でようやく平坦な場所まで上がってきたところで、ティナが俺のそばに駆け寄ってきた。


「あー、また心配かけて悪いとは思ってるけどさ、お説教なら後にしてくれないか。さすがに今は疲れちまって、何を言われても頭に入ってきそうにないからな」


「そんなことしません。本当に……本当に無事で良かった……」


 ティナはそう言うと、ぽろぽろと涙を流しながら俺にしがみついてきた。ああ、怒られるよりもこっちのほうがずっと堪えるな。


「それにしても……マグマの海に落ちたのにどうやって助かったんだい? 僕も今回ばかりは本当に駄目かと思ったよ」


「へっ、そんなこと俺が知るか」


「いや、ここで『仮面ストライカー・パワフル』の名台詞はいいから」


「いやいや、ふざけて言ってるわけじゃないんだって。本当に俺も何がなんだか全く分からないんだ。服なんか一瞬で燃え尽きちまったのに、なぜか体のほうは燃えるどころか火傷さえしなかったんだよ」


「ええっ、一体どういうこと?」


「だから、それはむしろ俺が聞きたいってばよ」


「あの、トウマさん、ちょっとよろしいですかね?」


 そのとき、それまで部外者として一番後ろに控えていたチェルシーさんが突然口を開いた。そして彼女はいきなり俺の腕を掴んだかと思うと、肌のすべすべ感を確かめるかのようにあちこちを撫で回してきた。


「ちょっ……チェ、チェルシーさん!?」


「ふーむ……トウマさん、前にドラゴンの血を浴びたりしたことはないっスか? ドラゴン族の血には自分が吐き出す炎で体内を焼かれないための保護効果があるらしいんスけど、それを浴びた者も炎や熱に対する加護を授かるって話が昔からあるんですよ」


「あ……」


 彼女にそう言われて、俺はカマロさんたちとともに涸谷かれだにのドラゴンを退治したときのことを思い出した。そういえば、あいつにとどめを刺したとき全身に返り血を浴びたっけ。


「あー……確かにありました。それも頭からつま先まで思いっきり」


「じゃあトウマさんがマグマの中に落ちても無事だったのは、きっとそのおかげっスね」


 なんだ、体が刃物を通さなくなるとかの効果がないと思ったら、知らないうちに俺はそんな特異体質になってたのか。

 しかもマグマの熱でショック死することもなかったし、もしかすると熱さもそれなりに緩和されていたのかもしれないな。


「とはいえ、なんとも微妙な加護だなぁ。死にはしなかったとはいえ滅茶苦茶熱かったし、それこそ役立つシチュエーションが限定されすぎだろ」


「僕たちの世界じゃ消防士になるぐらいしか使い道ないだろうね」


「いや、そもそもこんな体じゃ元の世界に戻れねえよ。下手に能力を晒したら見せ物か化学実験のモルモットにされかねないし、俺が死んだ後に死体が火葬できなくても困るからな。自分の体が貴重な資料としてホルマリン漬けとかだぞ俺」


「なんだかよく分かんねえけど、それじゃトウマはずっとこの世界にいるんだな? やったぜぇ!」


 シルヴィが満面の笑顔で、格闘ゲームの勝利ポーズみたいに拳を天に突き上げる。

 そういえば魔王が見せる幻夢の中でも思ったが、こいつとシャーロットにはそろそろ結婚話を正式に断っとかないといけないな。


「まあ、そういうことになるな。これから先のことは後で考えるとして、とにかく上に戻ろう。女神様にも片がついたって報告しないと」


 そうして、俺たちは女神アウラのいる宇宙船へと戻ることにした。

 途中で脱ぎ捨てた上着を回収して羽織ったが、下半身は相変わらず風呂上がりのおっさんみたいな格好でなんとも情けない。


 2


〔そうですか……アンリは真の死を迎えたのですね〕


 俺たちは宇宙船に戻ってすぐ、女神アウラに事の顛末てんまつを報告した。彼女にとっては長年背負ってきた肩の荷が下りたと同時に、双子の妹が死んだのだからその心中は複雑なはずだ。


「まあ、最後は俺たち人間のことを認めてくれたみたいでしたよ。だからもう復活したりはしないと思うんですけど……そっちは何か感じたりはしませんか?」


〔ええ、あのの魂は完全にこの世から消滅したようです。おかげで封印の力が弱まり、この船のコントロールが私の意識下に戻ってきました〕


「ならば、これからは再び神として我々人間を見守ってくださるのですね」


 肉体よりも今まで積み重なった精神的疲労が大きいのか、アルと亮に肩を借りたガルシアさんがほっとしたようにつぶやく。この人もこれでやっと勇者の使命から解放され、これからはアルと平穏に暮らせるだろう。


〔勇者ガルシア……長年にわたってアンリを封印し、この世界の人間たちを守り続けたあなたの働きに心から感謝します。ですが――〕


 ―― コッ……コッ……コッ……コッ……コッ……ゴッ…… ――


「――?」


 女神アウラがさらに何か言おうとしたとき、俺たちが最初にやって来た入口のほうから大勢の足音が聞こえてきた。そちらに目を向けてみると、フードつきの黒いローブを着た50人ほどの集団がぞろぞろと階段を下りてくる。


「あ、あの人たちは一体……?」


 そいつらの異様な雰囲気に、俺たちは思わず身構えた。どいつもこいつも剣や槍で武装しているうえ、その表情がどう見ても友好的な雰囲気ではないのだ。


「トウマさん、あれは……魔族です」


 ティナに言われて、目の前に立ちはだかった連中の風貌を確認してみる。すると全員がさっき倒した死体使いと同じように、銀色の髪とエルフのような長い耳を持っていた。


「なんだなんだぁ? 魔族の連中が大挙して、まさか仲間のかたきを討ちに来たってんじゃないだろうな」


 集団の中から1人の小柄な老人が前に出て、床に転がったままだった死体使いの亡骸なきがらをじっと見下ろす。そして彼は鋭い目つきでこちらを振り向き、刺すような視線を俺に向けてきた。

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