73.魔王に捧ぐ毒杯
左右からの斬撃で体を縛っていた髪が切り裂かれ、俺は危ういところで死の絞首刑から脱出することができた。今の援護がもう少し遅かったら、本当に窒息死していたところだ。
「げほっ! ぐほっ!」
咳きこみながら首に絡んでいた髪を引き剥がす。おかげで再び脳に血と酸素が行き渡り、朦朧としていた意識がはっきりしてきた。
「……お、お前ら……!」
「だいじょーぶかトウマ?」
「まったく、寝覚めの悪い夢を見せられましたわ」
地面に這いつくばった俺の前に立っていたのは、シルヴィとシャーロットだった。こいつら、幻夢から目覚めたのか。
「あー、よく寝たわぁ。ごめんねトウマくん、ちょっと寝坊しちゃった♪」
さらに後ろから歩いてきたフリージアさんが俺の落とした短剣を拾い、手の中でくるりと回してからカッコよく構えてみせる。さっき魔王の目に突き刺さった大剣は彼女が投げたものだったらしい。
「う、ううん……」
「んん……こ、ここは……?」
亮とティナも頭を振りながら起き上がってきた。どうやら全員が幻を打ち破り、現実に戻ってくることができたようだ。
「皆、よく夢の世界の誘惑を振り払ったな。やっぱり俺の信じてたとおりだぜ」
「いくら珍しくて美味しいお酒でも、毎日飲んでたらそりゃ飽きちゃうもんねぇ。ああいうのはたまーに手に入るから嬉しいのよ」
「あたしもトウマとの間に子供がたくさんできるのは嬉しかったんだけどさ、あんまり多すぎて育てんのが大変だったんだよ。だから『たまにはあたしにも遊ばせろーっ!』って、夢の中のお前に子供の世話押し付けて飛び出してきちまったんだ」
「おいおい、産むだけ産んどいて親の責任を放り出すなよ。子供の育て方が分からなくて育児放棄するパンダかお前は」
「にゃっはは、やっぱり母親になるなんてあたしにはまだ早かったみたいだな」
「ったくお前ってやつは……。つーか、そんな簡単な方法で夢の世界から出られたのかよ? こっちは崖から紐なしバンジーかましたってのに、これじゃ魔王のやつに向かってドヤ顔してた俺のほうがバカみたいじゃねえか」
「あら、私も似たようなものですわよ。確かに最初のうちは家族で穏やかに暮らすのも悪くありませんでしたけど、あれではまんまとお父様の思惑どおりになってしまったようなものですもの。少々癪に障りましたので、またこっそり家出してやりましたわ」
「……ぶふっ……あっはははは! ほんとお前たちらしいな」
フリージアさんはともかく、俺は2人の話を聞いて思わず噴き出してしまった。そうだよな、お転婆を絵に描いたような性格のお前らが安定した生活とか安らぎなんかで満足するわけがない。
「僕もメリッサと一緒に暮らしてたんだけど、すぐにこれは夢だって気付いたよ。君の姿が見えなかったんで探しに行こうとしたら、彼女は『友達のことなんか放っておいて自分と一緒にいて欲しい』なんて言い出したからね。この旅に僕を送り出してくれたときと言ってることが正反対だったし、あれは絶対にメリッサじゃなかった」
「私も皆さんと同じです。しばらくはトウマさんやお祖母ちゃんと幸せに暮らしていましたが、2人が本物じゃないと気付いて家を出てきちゃいました」
「やっぱり皆、夢の中の暮らしにどこか違和感があったんだな」
どうやらこの2人もシルヴィたちと同じように、『そこでの生活を捨てること』で夢の世界から抜け出すことができたらしい。ガルシアさんのやり方は少々極端が過ぎたようだが、きっと何年も幻影に苦しめられたせいで俺たちほど精神的に余裕がなかったのだろう。
「夢の中のトウマさんはいつも私に優しくしてくれましたけど、私のことを優先するために他の人が困っているのを無視したり、誰かが悪い人に傷つけられているのを見過ごすこともありました。あんなの……私が好きになったトウマさんじゃありません」
その言葉を聞いたとき、俺は彼女に告白されたときと同じぐらい嬉しい気持ちになった。ティナには最初からそういう芯の強さがあると思っていたが、彼女もまた俺と同じ理由で幻影の誘惑を断ち切ってくれたのだ。やはりこの娘を好きになった俺の目は間違っていなかったらしい。
「へへっ、どうだ! お前が作り出したこの世界の人間も俺の友達も、皆お前が与えてくれる幻の幸せなんざいらねえってよ!」
〔そ、そんな……どうして? どうしてあなたたちは愛と安らぎに満ちた日常を捨てて、こんな苦しみだらけの世界で生きることを選ぶというの?〕
右目に刺さったフリージアさんのクレイモアを抜き、眼窩から紫色の血を流した魔王がわなわなと震える。
「ガルシアさんだって幻夢の中に現れる家族が偽者だってことには気付いてたさ。それでも本物の家族を守るために、あえて自分の心を押し殺してお前をここに封印し続けてきたんだ。それが理解できないっていうのなら、やっぱりお前は愛ってものがまるで分かってねえよ」
〔なんですって?〕
「本物の愛ってのはお互いを支え合って向上させるもんだ。ただ『好き』って感情に溺れてるだけのガキみたいな恋愛ごっこや、相手に依存して甘やかしてもらうだけの関係じゃねえ。だからお前の見せる幻はどっかズレてんだよ!」
〔だ、黙りなさい! あなたのような子供に無償の愛の尊さが分かるものですか! あなたなんか……あなたなんか絶対に幸せになれはしないわ!〕
「ふん、俺にとっちゃ自分が好きになった相手から無条件で愛されるよりも、自分がそいつから愛されるに相応しい人間であることのほうが何倍も大事さ。自分に都合がいいだけの人形に寄り添ってもらって喜んでるようなマヌケに、人に愛される資格なんざあるか! あんまり人間を……男を嘗めんなっ!」
「ふふ、それでこそトウマさんです」
「ま、まあ……なかなか殊勝な心がけではありますわね。恋愛というのはあくまで対等、お互いが相手に尽くすべきですわ」
「へへ、いいぞトウマ。もっと言ってやれー!」
〔こ、こんなの……こんなの私が愛した人間じゃないわ。どうして……いつから人間はこんなふうになってしまったの?〕
「お前がちゃんと理解してなかっただけで、元々人間はこんなふうなんだよバーカ!」
俺だけでなく全員から自分の愛も慈悲も否定され、魔王がこれは悪夢だと言わんばかりに首を振りながら広場の縁まで後退していく。
人間というものに対して恐怖まで抱き始めた今、もはや人類を滅ぼそうなどという心もへし折れただろう。これなら肉体が滅ぶと同時に精神も消滅……日本風に言えば後腐れなく成仏するに違いない。よし、今こそこいつにとどめを刺してやる。
「アルっ、チェルシーさんが持ってきた剣の柄をこっちに投げろっ!」
「えっ? は、はいっ!」
いきなり指示を出されたアルは少し驚いた様子だったが、すぐにチェルシーさんからエリオット爺さんの開発した練気剣を受け取り、こちらに放り投げてきた。
まさかこの欠陥品が切り札になるなんて俺自身も予想していなかったが、普通の武器じゃ致命傷を与えられない魔王を倒すにはこいつがうってつけだ。いや、やつにとどめを刺すにはこれしかない。
そして俺は飛んできた剣の柄をキャッチすると同時に、長さ30メートルはあろうかというバカ長い刀身を作り出した。
「せぇぇいっ!」
―― しゅいんっ! ――
自分たちと魔王との間に境界線を引くかのように、長い剣を斜め下に向かって一閃する。すると光の刃が俺たちのいる広場を豆腐のように切り裂き、斜めにカットされた岩の塊がやつを乗せたまま、自重でずるずると滑り落ち始めた。
〔なぁっ!?〕
このまま足場ごとマグマの海に落ちてしまえば、いくらやつでも再生能力が追いつくまい。漫画や映画なんかでもよくあるように、不死身の相手を葬るには溶岩の中へと放り込むのが鉄板のやり方だ。
「じゃあな、もう二度と復活なんざするんじゃねえぞ」
〔い、嫌ぁぁぁぁっ!〕
巨大な岩の塊とともに魔王が落ちていく。それを見て俺は勝利を確信しかけた。だが――
―― ガガガガガガガッ! ――
「何っ!?」
魔王の立っていた岩の落下が急に止まった。やつが伸ばした髪を地面に向けてアンカーのように打ち込み、自分の足場をそこに縫い止めたのだ。
「このアマ……悪あがきしやがって。だったらもう一度その髪ごと斬ってやるぜ!」
やつの髪を地面から切り離すべく、再びオーラの剣を伸ばそうと柄を構える。だがそのとき、やつの髪の一部が伸びてまた俺の体に絡みついてきた。
〔まだよ……たとえここで終わるとしても、あなただけは道連れにしてやるっっ!〕
「うわっ!?」
体がふわりと持ち上がり、魔王の目の前まで引き寄せられる。そして俺はやつにガッチリと抱きつかれ、ほとんど身動きが取れなくなってしまった。何度も反撃を食らって学習したのか、やつは髪よりもパワーのある両腕で俺を締め殺すつもりらしい。
「ぐううっ!?」
「燈真っ!」
「く、来るな! お前らまで一緒に落ちるぞ!」
「だけど……!」
「ぐあぁぁっ!」
抱きつかれる直前に頭を庇おうとしたおかげで両腕は自由なままだが、そのせいでもろに胴体を締めつけられる。苦し紛れにやつの顔面を殴りつけてみたものの、距離が近すぎるせいで腰が入らない。
くそ、なんて強烈なベアーハッグだ。肋骨がギシギシと軋んで、肺の中の空気が強制的に搾り出されてしまう。
〔ウフフ……これは罰よ。魔法も使えないただの人間が、創造主であるこの私に逆らった罰……!〕
「こ、このババァ……まだ人間を嘗めくさってやがるのか。それなら……人間様の魔法を見せてやるっ!」
やつの締めつけに負けないよう脇腹に渾身の力を込め、なんとか肺を広げて大きく息を吸う。そして――
「しゃあっ!」
―― ガガッ! ――
〔がっ……!?〕
魔王が一瞬呆けたような表情になり、そのまま眠ってしまうかのようにがくりと膝を落とした。俺が左右の手刀でやつの顎を叩いたのだ。
名付けて『毒杯』――文字どおり毒でも盛ったかのように、一撃で相手を昏倒させる技である。
この技は相手の顎を左右から、それもわずかにタイミングをずらして叩くことで脳を大きく揺らすものだ。高度に発達した科学は魔法と見分けがつかないというが、今のも素人目にはまさに魔法でも使ったかのように見えただろう。
〔…………っっ!〕
顎に大きな衝撃を加えてやれば、宇宙人であるこいつも脳震盪を起こすのはさっきまでの戦いで実証済みだ。やつの意識が途切れたことで胴体への締めつけが緩んだ瞬間、俺は両腕の拘束からするりと抜け出すことができた。
とはいえ、ここからどうやってこいつを落とす? 今与えたダメージはせいぜい10秒もあれば回復してしまうだろうし、こいつの髪を斬るための練気剣は先ほど引き寄せられたときに落としてしまった。
「ええい、こうなったら……! だりゃぁっ!」
―― ズドムッ! ――
〔ぐはっ!?〕
俺は顔の目に肘を突き出すように構えると、魔王の鳩尾に体当たりを食らわせた。足下の地面を砕かんばかりに踏み込んでの、全身を弾丸と化すかのような一撃だ。
体当たりの威力でやつの体が大きくのけ反り、脳震盪のダメージで緩くなっていた髪が地面から抜ける。それによって俺たちを乗せた岩の塊は再び滑り落ち始めたが、これでは皆のところに戻る暇がない。
「悪いな皆、俺はここまでみたいだ!」
「トウマくん?」
「トウマさんっ!」
「トウマ!」
「「燈真ぁーーーっ!」
皆の声がどんどん遠ざかっていく。いや、遠ざかっているのは俺自身か。
(ああ……本当にこの旅は楽しかったなぁ。俺がこいつと刺し違えて皆が平和に暮らせるようになるなら、それも悪くないか……)
そうして俺は魔王を道連れに、眼下に広がるマグマの海へと落ちていった。
技解説は前回で最後と書きましたが、最終決戦の決着回ということでもう1つ技を紹介することにしました。
今回登場した『毒杯』は完全オリジナルですが、これは本来手刀ではなく掌底のさらに下、手首の付け根あたりで相手の顎を左右から叩く技です。
手刀を使う技として描いたのは『技名に合わせて手の形を杯っぽく見せるため』というだけの理由ですので、実際に使うときは両手で花を作るような感じになります。
首を絞められたときの対処法としては手のひらで相手の両耳を叩き、鼓膜を破るというのが一般的ですが、そちらは手を若干大振りしないといけないので防がれやすく、コツもいるので素人には少し難しいかもしれません。
この『毒杯』も離れた間合いからだと簡単に防がれてしまいますが、作中のように密着状態なら視界の外から掌底が迫ってくるので相手からはほとんど見えません。腕の振りも鼓膜破りよりはコンパクトでいいので、胸倉を掴まれたときなどにもこちらのほうが使い勝手がいいと思います。
コツはいくつかありますが、特に大事なのは叩く場所と角度です。
脳を揺らすには顎の先端を横から打ち抜くのが有効とされていますが、この技では少し左右に開いた場所、すわなち両目の下あたりのラインを狙います。
さらに真横からではなく、ほんの少しだけ上から打ち下ろすようにすればさらに効果的です。腋を締めて打つのも大事なコツなので、要は手のひらではなく手首で拍手する感じでしょうか。
一番大事なコツは本文中にも書いたように、左右の手で叩くタイミングをわずかにずらすことです。そうすることで下顎骨の接合部から脳にリズムよく衝撃が加わり、激しい脳震盪を誘発することができます。いわゆる『ガンじゃなくてガガン!』ですね。
実際に作者が胸倉を掴まれた状況でこの技を使ったときは、本当に相手が糸の切れた人形みたいに崩れました。
とはいえあくまで一瞬昏倒させるだけなので、相手の掴みから脱出できたらすぐに追撃するか逃げるかしましょう。
脳に衝撃を加えるのはパンチドランカー症状を起こす可能性があるので控えるべきですが、1回や2回なら相手側に後遺症が残ることもありませんので、護身術として覚えておくのもいいと思いますよ。




