72.泡沫《うたかた》の夢
1
「…………燈真……燈真っ!」
「…………ん?」
目を開けると、そこはどこかで見たことのあるような体育館だった。
バスケやバレーのコートなら6面分はありそうな広さの館内に、ワーワーと激しい歓声が響いている。そして目の前には空手着を着た亮がいて、俺を呆れたような顔で俺を見下ろしていた。どうやら座ったまま壁にもたれかかって眠っていたらしい。
「まったく……決勝戦の前に居眠りなんて、どれだけ図太い神経してるんだ君は。ほら、館長の演武が終わったからそろそろ出番だよ」
「あ、ああ……そうだったな」
そうだ、次はいよいよ決勝戦だった。
俺と亮による初めての公式戦。しかもそれが決勝の舞台で実現するなんて、本当に夢のような話だ。
「トウマさーん! 頑張ってくださいねーっ!」
「私たちもここで応援してますよーっ」
「リョウなんかに負けんじゃねえぞーっ!」
試合場のマットに足を踏み入れようとしたところで、少し上のほうから聞き覚えのある声がするのに気がついた。
振り返ってみると、2階の観客席にアルやティナたちがいて、皆でこちらに声援を送ってくれていた。あれ? どうしてあいつらがこっちの世界に……ああそうか、なんか色々あってあっちの世界との行き来が自由になったんだっけ。
「始めっ!!」
厳つい顔をした50歳ぐらいの審判が試合開始を宣言し、両拳を顔の高さに構えた亮が前に出てくる。ああ、これでようやくちゃんとした形で約束が果たせるな。
「しぃっ!」
亮の鋭い突きが俺の鳩尾を狙って打ち込まれてきた。速いうえにあまりにも真っ直ぐで、左右どちらにかわしていいか迷うパンチだ。その一瞬の迷いのせいで捌きが遅れてしまったので、わずかにポイントをずらしてなんとかクリーンヒットだけは回避する。
ああ、やっぱりこいつ強いなぁ。スピードや技のキレなら俺よりも上だし、ただの突きと蹴りしか使えない公式試合では俺のほうが圧倒的に不利だ。なんとか互角に見えるよう打ち合ってはいるものの、判定までもつれ込んだら確実に俺の負けだろう。
そうして俺たちは全力を尽くして戦っていたが、試合終了間際に大きく試合が動いた。右の突きをくり出してきた亮に対し、疲れて自然と腰が落ちた俺の左ボディが入ったのだ。
「ぐはっ!?」
亮が右の脇腹を押さえながらよろよろと後退し、マットに片膝を着く。
自分で言うのもなんだが、今のは腰の入ったいい下突きだった。しかもカウンターになったため、正面から打ったにもかかわらず背中まで衝撃が響いたらしい。
「技ありっ!」
主審が『技あり』を宣告し、試合場の四隅にいる4人の副審も白旗を上げてそれを認める。亮はすぐに立ち上がったので一本にはならなかったが、これでポイントでは俺のほうが大きくリードだ。
そして――試合はそのまま時間切れとなり、俺は初めて空手の大会で優勝を果たした。
「ふふ、負けたよ燈真。僕の完敗だった」
「何言ってんだ、試合を決めた1発が半分まぐれ当たりみたいなもんじゃねえか。それ以外は終始俺のほうが押されてただろ」
「やったなトウマ! さすがあたしのダンナになる男だぁっ!」
表彰式の終わった後に廊下で亮と話をしていると、いきなりシルヴィに後ろから抱きつかれた。おいおい、耳はコスプレで済むとしても、尻尾のほうはこっちの世界じゃ隠しとけよ。
「おめでとうございますトウマさん、いい試合でしたね」
他の皆も2階席から下りてきて、それぞれが祝福の言葉をかけてくれる。そして皆でわいわい話していると、今度はティナが俺の胸にぎゅっと抱きついてきた。
「トウマさん、これで心置きなくあちらの世界で一緒に暮らせますね。帰ったら私たちの結婚をお祖母ちゃんに報告しましょう」
「――――っっっ!」
また全身の血が一気に上ってきたんじゃないかと思うほど顔が熱くなる。ティナの愛情表現はかなりストレートだが、普段おとなしい分シルヴィよりもかなり破壊力があるのだ。
ふと視線を感じて左右を見てみると、シャーロットとシルヴィがジト目でこちらを睨んでいた。そうだ、ティナと付き合うならまずこの2人との関係にちゃんと決着をつけておかなければ。
「あ、あのな2人とも、実に言いにくいことではあるんだが……」
「みなまで言わなくてもその格好を見れば分かりますわよ。あなたのことを好きになったのは彼女のほうが先のようですし、少々不本意ではありますが、私は第二婦人という立場で我慢してさし上げますわ」
「へっ?」
「しゃあねえなぁ、あたしもトウマの子供が産めればいいわけだし、嫁って肩書きだけならティナに譲ってやってもいいぞ」
「ありがとうございます。私もお2人とトウマさんを取り合うなんて本当は嫌でしたし、これからは皆で仲良く一緒に暮らしましょう」
「ちょ、ちょっと待てよお前ら。なんか言ってることがおかしくないか?」
「え、何がですか?」
「妻を複数持つなんて、貴族の間ではそんなに珍しいことではありませんわよ」
やはりおかしい。何かがおかしい。
まずあっちの世界で重婚が認められているとしても、あのプライドの高いシャーロットが「自分は2番目で構わない」などと言うだろうか?
そもそも彼女は家の面子のために俺と結婚すると言っていたのだから、自分が正妻……というか俺が婿入りという形じゃないと意味がないはずだ。それに強い子供が欲しいというだけのシルヴィはともかく、俺が他の女とイチャつくと(多分)怒っていたティナがこんなことを言い出すのも不自然極まりない。
「お前ら……本物か?」
ここまで来て、ようやく俺の脳裏に『これは夢かもしれない』という考えが思い浮かんだ。夢というのは突拍子もない設定でもなぜか『そういうものか』とスルーしてしまうことが多いが、さすがにこの違和感には気付かざるを得ない。
「何を仰っていますの、そんなの当たり前でしょう? ともあれ、そうと決まれば早速ウェディングドレスを3人分仕立てさせなくてはいけませんわね。ああ、楽しみですわ」
……やっぱり違う。俺の知ってるシャーロットはこんな可愛げのあることを言ったりしない。
なるほど、これがガルシアさんの言ってた愛する者の幻というやつか。仮にそうだと気付いたところで、それが自分にとって大事な人間なら傷つけることもできない2段構えというわけだ。
そこまで考えが及んだとき、俺は本当の自分が魔王と戦っている最中だったことを思い出した。やはり目の前にいる彼女たちは俺の記憶から作られた幻影なのだ。
だが、どうすればこの夢から覚めることができるのだろうか? 普通の夢であればこれは夢だと気付いた時点で覚めることもあるが、どうやらそう簡単にはいかないらしい。
ガルシアさんの話を聞いた限りでは、自分を誘惑しようとする幻そのものを斬る――つまり彼女たちを殺さなければならないはずだが……。
いくら幻とはいえ、大切な仲間や好きな女を殺すことなんて俺にできるだろうか? やらなければ本物の彼女たちが危険なことも頭では理解できるが、目の前にいる幻影は体温まで感じられるほどにリアルで、本物と何も変わらない。
「トウマさん、ここで私たちと一緒に暮らしましょう? いつまでも……ずっと……」
いつの間にか周囲の風景が美しい草原に変わっていて、その先にある切り立った崖の向こうには一面の青い海が広がっていた。確かにこんな場所で愛する人と一緒に暮らせたら、それはどんなに幸せだろう。だが――
「悪いけど、それはできないな」
「どうして……?」
「お前らは断じて俺の知ってる仲間たちでも、俺が好きになったティナでもねえよ。自分が間違った道に進もうとしても止めてくれない、ただ自分の思いどおりになるだけの人形みたいな仲間や恋人なんて、一緒にいる意味あるかってんだ」
「なら、私たちを殺せるんですか?」
ティナをはじめとした皆の目が急に冷たくなり、俺を責めるような視線に変わる。もはや自分たちが偽物であることを隠すつもりもないらしいが、やれるものならやってみろとでも言わんばかりの表情だ。
「まあ……俺はたとえ自分の親だろうと、悪党に成り下がったのならブッ殺せる人間だと思ってるけどな。やらずに済むってんならもちろんそのほうがいいし、他に方法があるならそっちを実行するさ」
そう、仮にこの幻夢から抜け出す条件が『自分を引き止めようとする相手との繋がりを断つこと』であるなら、その方法は彼女たちを殺す以外にもある。それは自分がこの世界の住人ではなくなること――つまりこの世界で死ぬことだ。
「一体何を……」
ティナの言葉には答えず、彼女たちの横をするりと通り抜けて崖のほうへと歩いていく。そして俺は崖っぷちギリギリのところに立って一度深呼吸すると、高さ数十メートルはあろうかという崖下に向かって真っ逆さまにダイブした。
2
〔フフフ……皆いい夢を見ているようね。そのまま永遠にお眠りなさい〕
また首を絞めてとどめを刺そうというのか、魔王が仰向けに倒れた俺に向かって髪を伸ばしてくる。意識を取り戻した俺はそれに気付くと、素早く立ち上がってやつの髪をかいくぐり、人間の関節を砕くつもりで膝に肘打ちを入れてやった。
―― ごきぃっ! ――
〔あうっ!?〕
魔王がバランスを崩し、再び尻餅をつく。本来ならこの体重差では大して効くはずもない攻撃だが、今までの戦いでやつもかなり弱っているのだろう。
「へっ、俺には幻なんて通用しないってことをいい加減に学習しろ馬鹿」
〔あ、あなた……どうやって私の幻を? まさか、愛する者を殺したというの?〕
「いいや、自分が崖から飛び降りて死んだだけさ。さすがに幻とはいえ好きな女を殺すなんて後味悪いし、それなら自分が死んだほうが手っ取り早いって思ったんだよ。まあ、半分は夢だと気付いてたからこそできたことだけどな」
〔な……なんなのよあなたは? わざわざ苦しい現実に戻ってくるために、自分の幸せをあっさり放棄して死を選ぶなんて……こ、怖い……〕
魔王の瞳に怯えの色が浮かび、地面に座り込んだままじりじりと後ずさりを始める。よし、あと1歩だ。あと一押しでこいつは“折れる”。
「これが人間ってやつさ。欲望のためには悪魔よりえげつない真似もするし、逆に自分の信念のためには不合理な真似だってする。お前が思ってるほどヤワな生き物じゃねえんだよ」
〔フ、フフフ……確かにあなたに私の愛は必要ないようね。でも、他の子たちはどうかしら?〕
「――!」
やつの視線に気付いて後ろを振り返ってみると、離れたところにいるアルたちを除く仲間は皆揃って地面に倒れ伏していた。だがその表情は穏やかで、幸せそのものといった感じだ。
「うふふ……これが幻のお酒『オーガキラー』なのねぇ。あらぁ、こっちには『ハンサムボーイ』もあるじゃなぁい……」
「父上ぇ……6人目が産まれたぞぉ。にゃはは、こいつの名前はどうしようか……」
「アンディ……姉様が帰ってきましたわよ……」
「メリッサ、これからは僕がずっと君を守るよ……」
「お祖母ちゃん、ただいま……」
フリージアさんは少し違うようだが、他の皆はそれぞれ俺と同じような幻を見せられているらしい。マズい、このままではせっかく精神的に追い詰めた魔王がまた自信を取り戻してしまう。
「おい、皆起きろ! 甘っちょろい幻なんかに騙されてんじゃねえ! そんな幸せは全部偽もんだ!」
〔あっはははは! 本物か偽物かなんて関係ないわ。人は幸せを求める気持ちに抗うことなんてできない……皆があなたのような破滅願望の持ち主じゃないのよ〕
「くっ!」
「トウマくん、もはやここまでだ! やはりもう一度やつを封印しよう!」
ガルシアさんが後方から声をかけてくる。どうやら結界魔法の準備はすでに整ったようで、あとは俺たちが魔王を倒すのを諦めさえすればいつでも発動できるらしい。
「ま、待ってください! もう少しでこいつの心をブチ折ってやれるんです! 信じてください、俺の仲間たちは絶対に幻なんかに負けたりしない!」
「しかし……!」
〔さあ、お望みどおりあなたは地獄に送ってあげるわ!〕
「ぐぅっ!?」
魔王が伸縮自在の髪の毛で再び俺の体をがんじがらめにし、動きを封じてから首を絞め上げてくる。
(くそ、やっぱり駄目か……人間は自分の弱さに勝てないってのかよ? ……いや、絶対にそんなことはねえ!)
俺は仲間の強さを信頼していたが、肉体のほうは徐々に意識が遠のいていくのに抗えなかった。人間はこうして脳への血流を止められると、どんなにタフなやつでも強制的にブラックアウトしてしまうのである。
このまま意識を失えば、そのうち喉が潰されて呼吸も止まってしまうだろう。今までこの世界で生き抜いてこられた俺も、さすがにここまでかと死を覚悟しかけた。そのとき――
―― ざしゅっ! ――
〔ぎゃぁぁぁっ!?〕
突然魔王が大きな悲鳴を上げた。俺の後ろから馬鹿デカい剣が矢のような軌道で飛んできて、やつの右目に突き刺さったのだ。
そして俺を縛っていた髪は、左右から伸びてきた剣と爪によって切り裂かれた。




