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71.魔王との決戦(後編)


 酷い親だった。

 ろくに食事も与えられず、しつけと称して事あるごとに殴られ、ときにはタバコの火を押し付けられ、冬に水を浴びせられた状態で家の外に放置された。

 そして俺は、4歳の誕生日を迎えることなく死んだ。


 酷い国だった。

 物心つく前から銃を持たされ、両親の顔も知らずに育った。

 これは神のための聖戦、それに命を捧げれば神の国へ生まれ変われると教え込まれ、俺は神の敵と戦って10歳で死んだ。


 酷い人生だった。

 生まれつき顔が不細工、運動音痴、おまけに勉強さえできないという三重苦で、性格まで暗くなった。

 そんなやつが送る青春なんて、明るいものであるはずがない。

 俺は周囲のあらゆる人間から虫けら扱いされ、酷いイジメを受けた末に、14歳で自ら命を絶った。


 何もない人生だった。

 真面目に生きようとしたわけではなく、それ以外に取り得がなかっただけだ。

 もちろんそんな『誰でもできること』を社会が評価してくれるはずもなく、不景気のあおりを受けて俺は新卒で就職し損ねた。

 その後はバイトと派遣社員を転々とした挙句、金も貯まらず、結婚もできす、家族どころか家すらも持てず、数十年間アパート暮らしだった。

 それでも老後のためにと払っていた、雀の涙ほどの国民年金をようやく受け取れる歳になる直前、ステージ4のがんが見つかった。

 酒を飲んでいたわけでもなく、タバコを吸っていたわけでもなく、ましてや偏食だったわけでもない。ただ運が悪かっただけだ。

 そして俺は64歳で、誰にも看取られることなく死んだ。


 意味のない人生だった。

 他人を信用せず、誰も愛そうとせず、ただ金儲けだけを目的に生きてきた。

 若い頃は周囲の人間を蹴落とし、いかに自分が儲けるかだけを考え、何人もの商売敵を潰した。

 晩年は贅沢の限りを尽くしたものの、72歳で部下にの裏切りにい、財産の全てを失った。

 そして公園で凍えかけていたところを、『ホームレス狩り』と称する遊びで若者に殴り殺された。


 そこにあったのは、ただ『悲惨』の2文字だった。

 自分が思いつく限りの、様々な悲劇にまみれた人生――俺はそれを自分が送ったものとして、一瞬のうちに何度も何度も追体験していた。


「ごえぇぇっ!」


 地面にひざまずき、胃の中のものを全て吐き出してしまう。それでもなお襲ってくる吐き気と眩暈めまい……凄まじいストレスだ。

 胸が、胃が、心が痛い。血圧が上昇しすぎて顔が破裂しそうなほど熱くなり、かと思えば恐怖のあまり血の気が引いて意識が飛びそうになる。両目からは眼球がこぼれ出てしまうかと思うほどの涙が溢れ、水銀中毒でも起こしたかのように全身の筋肉が引きつって動けない。


「あぁ…………ぁ……ぁ…………!」


〔ウフフフフ……やはり心が壊れたようね。当然よ、それが人間の正常な反応……〕


「トウマさん!」


「トウマぁっ!」


「しっかりしなさい、トウマ!」


 聞き覚えのある声がどこか遠くで響いているような気がする。

 しかし耳には入ってきても、心まで届いてこない。俺は今、別の場所で別の人生を送っていて、目に映る光景さえどこか別の世界の出来事としか認識できないのだ。


〔さあ、もうお眠りなさい。そうすればあなたも優れた種族に生まれ変わり、次はきっと幸せな人生を歩めるわ〕


 魔王の髪が俺の首に巻きついて、ギリギリと絞めつけてくる。苦しいはずなのに、抵抗しようとする気がまるで起きてこない。

 そうだ、こんな下らない人生、もうどうなってもいいじゃないか。ここで終わらせてくれるというなら、むしろ望むところじゃないか。

 俺は全てを諦め、全てを自分以外の何者かに委ねて目を閉じてしまった。だがそのとき――


『たとえどんなに苦しくても、何度でも立ち上がって戦う。それが……仮面ストライカーだろう』


(――?)


 ふと、どこかで聞いたような台詞が脳裏をよぎった。そうだ、これは子供の頃にTVで見た特撮ヒーローの台詞だ。


『本当の勇気というのは腕力が強いとか弱いとか、そういうことじゃない。心の底から許せないものに、嫌だと叫ぶことなんだ』


『人間は後悔しないように生きるべきだ。自分の人生を狭くするのは他人じゃない。本当は自分自身なんだ』


『他者のために自分を変えられるのが人間だ。自分のために世界を変えるんじゃない。自分が変われば世界が変わる』


 いくつもの言葉が頭の中に浮かんでは消えていく。

 どの声も力強く、それでいて自分の子供に語りかけるような優しさを感じさせる。そして――


『俺たちは、いつも君たちのそばにいる。何があっても君たちと一緒だ。生きて、生きて、生き抜け。ヒーローは、いつも君たちとともにいる』


「――――っっ!!」


 その言葉が聞こえたとき、ほんの少し前までほほを流れていた冷たい涙が、急に熱い涙に変わったような気がした。

 そうだ、彼らは自分が一番辛い思いをしながら、それでも力を持たない人々のために戦った。妄想の中に逃げ込んだりしなかった。他人に甘えたり言い訳をしたりはしなかった。

 敵よりもまず、自分の弱さに打ちつ――それこそがヒーロー、それこそが男というものだ。そんな生き様を見せてくれた男たちがいたというのに、俺が自分の弱さに負けたりしたら彼らに顔向けできない。

 そう思った瞬間、俺の全身に力がみなぎってきた。いや、力だけじゃない。これは――勇気だ。

 さらに意識が完全に覚醒するとともに、全ての感覚が戻ってくる。


〔おやすみなさい……憐れな坊や〕


 魔王が優しげな表情のまま、首に巻きついた髪の力を徐々に強めてくる。このままでは絞め殺されるのも時間の問題だ。

 どうせいつかは死ぬにせよ、こんなやつにめられたまま殺されるなんてそれこそ我慢ならない。魔王の顔がすぐ目の前にあることに気付いた俺は、腰の後ろに残ったもう1本のサイを抜いてやつの鼻の横に突き立て、さっきと同じようにその柄尻つかじりをトンファーでブッ叩いた。


 ―― ばがんっ! ――


〔い、いぎゃぁぁぁっ!?〕


 美術室にあるデッサン用の彫刻をハンマーで殴ったかのように、魔王の鼻が根元から欠けて地面に落ちる。おかげで髪の絞めつけが緩み、俺はやつの拘束から脱出して着地することができた。


「燈真!」


「トウマさんっ!」


「おおっ、やったぜ!」


 背後から皆の声が聞こえる。さっきぼんやり聞こえた悲壮な叫びとは違う、喜びと希望に満ちた声だ。


〔ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁっ!! …………あぅっ…………あぐぅぅぅぅ…………!〕


 魔王は両手で顔を覆ったまま、何度か地面を転がった末にうずくまった状態でうめき声を上げていた。そりゃ鼻を削ぎ落とされたら人間だってそうなるだろう。


〔う、嘘…………あんなものを見せられて、どうしてまだ動けるの……?〕


「あぁん? そんなもん、ガキの頃に憧れたヒーローが心の中で笑ってるからに決まってんだろうが!」


 ほほを濡らしていた涙をシャツの袖で拭いながら、魔王に向かって自信たっぷりにえてやった。


〔……憧れですって? そんなもので……そんなものであれだけの苦しみを跳ね除けたというの?〕


 そう、心に憧れの存在を持つ人間は強い。


 まだ小学生になる前、男なら誰もが幼稚園や保育園の七夕で短冊に『○○(当時放映していたTV番組のヒーロー)になりたい』と書いたはずだ。なのに多くの人間がそれを忘れ、中学生になる前にはそういったものを『ガキっぽい』と小馬鹿にするようになる。

 だが、俺はずっとヒーローに憧れる気持ちを忘れずにいた。誰になんと言われようと、正しく生きているのは彼らのほうなのだ。

 自分たちが正しさを貫き、正しいものに憧れる強さを失ってしまったからといって、正義という言葉をパロディにおとしめてはいけない。そうやって世の中を腐らせてきたのは、それをただの綺麗事と馬鹿にする大人たちのほうではないか。

 いつか自分の子供に夢や希望を語るのなら、自分自身がそれを裏切るような大人になっちゃいけない。たとえアニメや特撮が大人に作られた幻想にすぎないとしても、その中で子供たちに正義を教えてくれたヒーローを自分から裏切っちゃいけない。

 大事なのは、自分にとっての羅針盤となる存在を持つことだ。

 それは架空の超人でなくてもいい。歴史上の偉人や、なんなら身近にいる人間だっていいのだ。

 そういう心の師を持っていれば、何かに挫けそうになったときにも必ず自分を導いてくれる。

 心の師を鏡とし、自分の姿がそれに恥じないかどうかを常にかえりみれば、決して道を踏み外すことはない。


〔なんなのよ……なんなのよあなたはぁぁっ!!〕


「ただの人間だよ。そうさ……魔法も使えなきゃ体を再生したりもできない、お前が弱っちいと見下してた人間様だぁっ!」


 ―― びきっ! がきっ! ばきぃっ! ――


 地面にひざまずいたままの魔王に飛びかかり、トンファーとサイの石突きで顔面に何度も突きを食らわせる。鼻が無くなった部分が再生する前に、その亀裂をさらに広げてやろうという攻撃だ。


〔ぐぅっ!? に、人間ごときが調子に乗ってぇぇっ!〕


 怒り狂った魔王が伸ばした髪を歌舞伎のように振り乱し、さらに口からは炎の塊を吐き出してきた。こうなってはやつも必死らしい。


「私たちも行くわよっ!」


「ええ!」


「がぅぅっ!」


 フリージアさんたち3人も戦いに加わり、再び激しい攻防が繰り広げられる。飛んできた火球はティナが後方から魔法で迎撃し、彼女自身への攻撃とガルシアさんたちのいる場所への飛び火は、それぞれ亮とアルが上手く防いでくれていた。


〔どうして……どうして私の愛を受け入れないの? 私はあなたたちを救おうとしているというのに!〕


「それが大きなお世話だってんだよ。何度も言わせんな! 本物の慈悲ってのは猫っ可愛がりじゃねえ。そいつがこの世界で1人きりになっちまったとしても、誰にも頼らずに生きていけるよう自立させてやるもんだ!」


〔確かにあなた自身は強いのかもしれない……だけど、それは所詮しょせん強者の理論よ。あなたの言いぐさは自分の強さを他人にも押しつけて、弱い人間に地獄で生きろと言っているようなものだわ〕


「俺がどう思ってるかは関係ねえっ! どれだけ優しい世界に生まれようと、自分の弱さに勝てないやつはそのせいで苦しむんだ。お前みたいに甘やかすだけじゃ、どんなに優れた種族だろうとそれに立ち向かえなくなっちまうんだよ!」


〔あなたは誰も苦しまない世界の存在すら否定するというの? 誰もがそれを望んでいるというのに、あなたにそんな資格があるというの?〕


「そんなもの、本物の神様にだって作れるもんか! 仮に作れるとしたら、それは人間一人ひとりの強さだけだ!」


〔できるわ! 私ならあなたたちにそれを与えてあげることができる!〕


 魔王の感情がヒートアップしていくにつれて、やつの髪による攻撃がいっそう激しさを増す。ある程度太い束になっていた髪がさらに細分化し、数が何倍にも増えているのだ。そのせいで一撃ごとの重さは大したことないが、攻撃範囲が広がりすぎて防ぐこと自体が難しい。

 そして、ついに皆がやつの攻撃をさばききれなくなるときがやってきた。はるか後方にいるアルたちを除いた全員が触手状の髪に捕らえられ、動きを封じられてしまったのである。


「くぅっ!?」


〔あなたの意識はさっきすでに見せてもらったから、次は他の子たちの頭を覗かせてもらいましょうか〕


 魔王の髪が皆の頭に絡みつき、意識の深層までも丸裸にしていく。まずい、このままでは俺が先ほど味わったような地獄を皆が見せられることになる。


〔そう……これがあなたたちの望みなのね〕


「ちくしょう、やめろこのドSババァ! 愛だのなんだの言ってるくせに、てめぇのやってることのどこにそんなものがあるってんだよ!」


〔何を言っているの? 私はあなたたちを楽園へいざなってあげようというのよ〕


「何っ?」


〔あなたがどんな困難にも耐えられるというのなら、今度は地獄じゃなく天国を見せてあげるわ。人間は苦痛には耐えられても、快楽に抗うことなんてできないものね〕


「――っ!」


 鼻を失って能面のような顔になった魔王が不気味な笑みを浮かべ、その瞳がぎらりときらめく。

 そして次の瞬間、耐えがたい睡魔に襲われ、俺の意識はまどろみの中へと飲み込まれていった。

 今回主人公を救ったヒーローの台詞は、作者が好きな仮面ライダーの名言を少し改変、もしくはそのまま引用したものです。

 実は『正義という言葉がパロディとしてしか通用しなくなった今(の時代)』という言葉も、石ノ森章太郎先生が作品の中で言ってたことなんですよね。

 だからこそ私は今作の主人公を『正義を嘘にしたくないと願っている人間』として描きました。

 この主人公は自分がヒーローになれるほど強くもなければ、自分がそんな名言を新たに生み出せるほど立派な人間でもありません。ただ自分がそうありたいと願ったヒーロー、自分が憧れた存在に恥じない生き方がしたいと願っているだけの人間です。

 幼い頃、七夕の短冊にヒーローの名前を書いたときの気持ち……今回の話を呼んでくだっさった読者の方々にそれを思い出していただければ、作者としてこれに勝る喜びはありません。

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