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61.生きるべき場所


 1


 胸の前で右手を握り締めたティナが、真剣そのものの眼差しで俺を見つめていた。

 俺はこういったことに慣れているわけではないが、さすがに今の状況が『そういうシチュエーション』だということぐらいは分かる。これはきっと、告白というものに違いない。

 心臓がもの凄い早さで鼓動を刻む。まさに『早鐘はやがねを打つように』というやつだが、生まれて初めての経験に、俺は本当に自分の心音が聞こえるんじゃないかと思うほど緊張していた。


「私……この気持ちを伝えていいのか迷ってました。ご自分の世界に戻ろうとしているトウマさんには言っちゃいけないことだって、ずっと我慢してきました。だけど……もう会えなくなるかもしれないからこそ、伝えておかないと後悔すると思ったんです」


「…………」


「トウマさん、私……あなたのことが好きです」


「…………っっ!」


 まるで、全身の血が一気に頭へと上ってきたようだった。

 顔が熱い。頭がくらくらする。バルコニーの手すりを掴んでよろめきそうになるのをなんとかこらえたが、気恥ずかしくて彼女の顔がまともに見られない。


「その……いつから?」


 ティナの顔から視線を外したままそう聞いてみる。女の子にこんなことを聞くのはズルい気もしたが、すぐに返せる言葉をそれ以外に思いつかなかったのだ。


「一緒に旅を続けていくうちに段々と……です。だけどその気持ちにはっきりと気付いたのは、あなたがリョウさんを説得していたときかもしれません」


「あのときか……」


「リョウさんに語りかけていた言葉を聞いて、あなたは本当に心の強い人なんだと思いました。いろんな人に優しくしてあげられるのも、きっとあなたが強いから……」


 なんというか、色々な感情がこみ上げてきて上手く気持ちが整理できない。頭の中はほとんど『嬉しい』で占められているのだが、自分が置かれている今の状況を考えると『手放しで喜んじゃいけない』という理性がそれをグチャグチャにかき回すのだ。


「ごめんなさい、こんな大事なときにこんな話をしてしまって……」


「いや、いいんだ。なんかもう頭ん中が凄いことになってて、今はどう返事していいのか分からないけど……これだけは言える。ありがとう、本当に嬉しいよ」


「……っ」


「俺がティナの思うとおりの強い男だったとしても、そんなのはあっちの世間じゃなんの価値も見出してもらえないことだからな。そんな俺を好きになってくれただけでも……その価値がある男だと認めてもらえただけでも、自分が今まで積み重ねてきたことは無駄じゃなかったんだって思えるよ」


「トウマさんは、どうしてそこまで元の世界に戻りたいんですか? 向こうでは誰にも認めてもらえないのなら、リョウさんのようにずっとこの世界に残ればいいのに……」


 ティナにそう言われて、俺はさっき自分がつぶやいていたことを思い出した。確かにこの世界は俺にとって居心地がいいなんてもんじゃないし、自分が特に必要とされない世界なんかで生きていくよりも、自分の価値を認めてくれる世界で生きたほうがどれほど有意義だろうか。

 だが、俺の心にはなぜかそれを受け入れ難い気持ちがあった。自分でもなんだかよく分からないのだが、何かが気に食わないのだ。


「ここは俺にとって居心地が良すぎるんだ。例えるなら『山椒魚さんしょううおの岩屋』ってやつだな」


「どういう意味ですか?」


「俺の世界の文学にある話さ。じっとしてても餌が手に入る岩屋にずっと引き篭もってた山椒魚さんしょううおは、いつしか大きくなりすぎてそこから出られなくなるんだ。人間も自分にとって優しいだけの世界に閉じこもってたら、いつかきっと何もできないやつになっちまう。そんなの、ティナが好きになってくれた俺じゃないだろ?」


「だから……あえて苦しい世界へ戻ると?」


「人間には自分が生きるべき世界、戦うべき場所ってのがあるんだよ。俺の世界には毎日嫌な思いをしながら、生まれてしまったからただ仕方なく、もしくは死にたくないからって理由だけで生きてる人間も大勢いるんだ。だから……俺もあの世界から逃げちゃいけないと思う」


「いいじゃないですか。この世界に来られたこと自体、きっと神様がトウマさんにそれを許してくださったんですよ」


「神様か……きっと俺の心に引っかかってるのはそれなんだろうな」


「……?」


「俺がこの世界で生きる権利を神様が与えてくれたんだとしても、それは俺が望んで、自分で掴み取ったものじゃないからな。まだ元の世界に戻れるかどうかは分からないけど、自分で自分の運命を切り開こうと全力を尽くした結果じゃないと、きっと俺は自分で自分を許せないんだよ」


「トウマさん……」


「ティナは今、俺の心を変えられるかもしれないと思って自分の気持ちを打ち明けてくれたんだろ? だったら俺も自分の運命を明日からの旅に賭けてみるさ。そうしてからじゃないと、ここまでついて来てくれた皆にも顔向けできないからな」


「……そうですね。それでこそ私が好きになったトウマさんです」


 ティナは一瞬だけ寂しそうな顔をしたが、すぐに顔を上げて笑ってくれた。こんな偏屈へんくつな男のこだわりを理解してくれるあたり、彼女は本当に『いい女』だと思う。


「もしも元の世界に戻れないってことになったら、そのときはちゃんと今の返事をするよ」


「はい、あの……」


「ん?」


「もう少し、こっちに近づいてもらえますか? 渡したいものがあるんです」


「なんだ?」


 バルコニーから身を乗り出し、ティナとわずか数十センチの距離まで接近する。そして彼女が俺の手を握ったと思った瞬間――


「~~~~~~っっっ!?!?!?」


 ティナが俺の体を引き寄せ、キスしてきた。それも頬とかじゃなく、唇に。


「おやすみなさい、トウマさん」


 ティナが優しく微笑み、振り向いて部屋の中へと戻っていく。そして彼女の姿が見えなくなると同時に、俺はその場にがくりとへたり込んだ。


(…………な……なんて威力だ…………)


 効いた。今のキスは俺がこれまでに食らったどんな攻撃よりも効いた。

 それからすぐにベッドに戻ったものの、俺は結局その晩一睡もできなかった。


 2


 それから2日後、俺たちはついに魔王の城がある場所に辿り着いた。


「うぉぉ……雰囲気あるなぁ」


 俺の目の前には、まるで画家のブリューゲルが描いた『バベルの塔』みたいな円筒形の城がそびえ立っていた。

 大きさは大阪城や名古屋城といった日本の城とさほど変わらないように見えるが、地下があるという話もチェルシーさんから聞いているので、もしかすると見えているのは全体の一部分にすぎないという可能性もある。周囲には刺々しい岩山も立ち並び、それがまた魔王の城らしさをかもし出すのに一役買っていた。


「さて、これってどうやって中に入るんだろうな?」


 城の正面には高さ6メートルはあろうかという扉があるものの、大きさからして人間の力では開けられそうにない。扉の左右にはこれまた高さ4メートル近い巨人の石像が立っていて、それこそ金剛力士のような恐ろしい表情で俺たちを見下ろしていた。


「まさかこいつらが動き出して、倒さないと扉が開かないとかじゃないよな」


「さすがにそれはないと思うよ。魔族や魔物だって出入りしてたはずなんだから、そのたびにいちいち石像を壊してられないでしょ」


「じゃあ、どっかに開閉スイッチみたいなもんがあるのかな……っと」


 俺は何か仕掛けがないか探るため、小さな石段を上って扉の前に立ってみた。すると――


「トウマさん、石像がっ!」


「何っ!?」


 アルの叫び声に反応して上を見ると、左右に立っていた石像の目がぎょろりと動いた。白目も黒目もないガラス玉のようなものがはまっているだけなのだが、明らかに俺のほうへと視線が動いたのが光の反射具合で分かる。


「――っ!」


 その場で棒立ちになっていては左右から挟撃されると思ったので、俺はすぐさま後ろへ飛び退いて武器を構えようとした。だが、2体の石像は目が動いただけで体のポーズはさっきまでと全く変わっていない。


「なんだ? あいつら動き出すんじゃないのかよ」


 ―― ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………… ――


「あれっ?」


 石像が襲ってこなかったことで俺が拍子抜けしていると、何かの歯車が動く音とともに、巨大な扉が左右に開き始めた。


「あー……もしかしてあの石像って、自動ドアのセンサーみたいなもんなのか?」


「多分そうだと思うけど……僕らの想像する『魔王の城にある仕掛け』と妙なハイテクぶりがズレてて、なんか複雑な気分になるね」


「ともあれ、これで中に入れますわよ」


「馬車はここに置いとくしかないか……」


「大丈夫よトウマくん。こんなところにわざわざ来る人間なんて私たち以外にはいないでしょうし、もしも私たちを狙っている魔族の連中が後から来たとしても、そいつらの目的は馬車や荷物を盗むことじゃないんだから」


「そうですね」


 ここまで来た以上、ちょっとやそっとのことにビビって前進をためらうわけにはいかない。鬼が出ようと蛇が出ようと、こっちにはこの城を隅から隅まで探索するしかないのだ。

 俺たちはお互い顔を見合わせてうなずくと、城の奥へ向けて最初の1歩を踏み出した。

 今回は作者が高校生のときに国語の教科書で読んだ、井伏鱒二いぶせますじ先生の『山椒魚さんしょううお』の話を引用しました。


 初めて読んだ当時、作者はこれをただ『間抜けな畜生(両生類)の話』としか思いませんでした。

 ですが嫌なことを避け、楽なほうへ楽なほうへと流され続けた結果、自分がろくなキャリアもない大人になってから気付いたのです。『ああ、今の自分はあの山椒魚さんしょううおそのものじゃないか』と。

 これを読んでいる読者の方々、特に未来ある若者にはそのような人生を送ってほしくないと思い、説教臭いとは思いながらもこうしてあとがきで補足を加えさせていただいた次第です。

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