52.騎馬民族の戦い
アクレイムの町を脱出してから5日――俺たちは草原地帯をひたすら南へと逃げ続けていた。ここまで来ればクライスラー王国との国境は目と鼻の先だ。
人数が増えれば馬車の速度が遅くなるのは予想していたので、ティナとメリッサさんの魔法で馬の体力を回復させるというドーピングも用いながら強行軍を続けているが……はてさて、これで追っ手から逃げ切れるだろうか?
「くそ、それにしてもスピードが出ねえな。これじゃ追っ手が軽騎兵の部隊だったりしたら逃げ切れないぜ」
おっさんが荷台から後ろに広がる地平線を眺めてぼやく。
「4人も増えたせいで定員オーバーなんだよ。ってかおっさん、そもそもあんたと後輩くんはなんでついて来てんだ? 俺たちを逃がした後でこっそり戻ってもバレなかったんじゃねえのか」
「馬鹿野郎! バレるに決まってんだろうが! お前らと違って俺たちゃ顔も名前も割れてるんだから、のこのこ戻ったらそれこそ処刑されちまう」
「ごめんね、僕のために君たちまで国を捨てる羽目に……」
「ああ、いやいや、大将は気にしなくていいんでさぁ。どうせ俺たちゃ家族もいねえ天涯孤独の身だし、その気になりゃあどこだって生きていけます」
「リョウ様は僕たちだけじゃなく、兵士の皆をよく労わってくださいましたからね。こうなったら地の果てまでもお付き合いしますよ」
「2人とも……ありがとう」
「上司と部下の麗しい絆もいいけどさ、実際のところどうなんだろうな。あれから5日も経つけど、本当に追っ手はこっちへ向かってるのか?」
「あの国の王は気性の激しい人だから、ほぼ間違いなく追っ手をかけたはずだよ。僕たちが南へ逃げたことはガラムが伝えただろうし、そうでなくても考えられる方角全てに兵を放ったんじゃないかな」
「俺のハッタリは完全に無視か……」
「本当に討伐軍が来るとしても数ヶ月は先の話だろうからね。正面から戦えば数で劣るトライアンフ軍が勝てる確率はかなり低いけど、それならせめて奇襲作戦失敗の原因となった君や僕を道連れにしてやろうと考えてもおかしくはないと思う」
「あれだけ完全に橋を破壊しとけば、そう簡単には追ってこられないと思うんだけどな。人が渡れればいいだけの丸木橋ならともかく、あの川幅で騎兵部隊が渡れるような橋を架けようと思ったら少なくとも2日はかかるだろ」
「追っ手が2日遅れで出発したとして、それから3日か……追いついてくるとすればそろそろでしょうね。速度の遅さは走ってる時間の長さでカバーしてるけど、それでも大人数を乗せた馬車と騎兵じゃ速さが違いすぎるわ」
フリージアさんが大きな胸を持ち上げるように腕を組みながら所見を述べる。俺は軍隊の進行速度なんてものに詳しくはないが、ベテラン冒険者であるこの人がそう言うなら本当にその時は近いのかもしれない。
「うーん、逃げる前にあいつらの馬を何頭かかっぱらってくりゃよかったな。亮やおっさんたちに馬で走ってもらえばもうちょい速く逃げられたんだが」
「今さら言ってもしょうがないわよ。草原がこれだけ広いんだし、追っ手が私たちを見つけられないまま引き返してくれることを祈りましょ」
「……どうやらそうもいかないみたいだぞ」
突然、後方を見張っていたシルヴィが珍しく深刻そうな声で呟いた。
「まさか、追っ手か?」
望遠鏡を取り出して後方を確認してみる。すると、地平線のあたりでわずかに土煙が上がっているのが見えた。
「あれは……馬が集団で走ってきてるのか?」
「だな。草原であれだけ土煙が上がるってことは、少なくとも数百騎はいるぞ」
「マジかよ……本当に来やがった」
覚悟していないわけではなかったが、実際に数百騎もの兵隊が迫ってくる光景を目にするとやはり肝が冷える。ティナやメリッサさんに人殺しなんてさせたくもないが、さすがにあの数が相手では仮に魔法を使ったとしても切り抜けられないかもしれない。
「おいシルヴィ、お前なんか秘策があるんじゃなかったのかよ。あれに追いつかれたらヤバいぞ」
「いや、秘策なんて大したもんじゃないけどな。うーん、もうちょっとだと思うんだけどなあ」
「もうちょっとって……一体何を待ってるんだよ?」
「父上と一族の仲間たちだよ。お前に『任せとけ』って言った次の日に知らせといたんだ、皆が危ないから助けに来てくれって」
「な……! お前の仲間たちだって? 一体いつの間に、どうやって連絡つけたんだよ」
「へへっ、あたしたち獣人は動物の言葉が分かるんだぜ。ちょうど町の近くで大きな鷹が飛んでるのを見つけたから、ちょいと伝言を頼んだのさ」
「なるほど、伝書鳥ならぬ伝言鳥ってわけか。でも、常に草原を移動してる集落の正確な場所まで分かるのかよ?」
「この草原のことなら隅から隅まで知り尽くしてるって言ったろ? 時期によって大体どの辺にいるかは分かってるし、鳥は空から遠くまで見渡せるんだから見つけるのは簡単さ」
「けどさ、親父さんたちがこっちへ来てくれるにしても、向こうは俺たちの位置が分からないだろ」
「大丈夫だよ、アクレイムから真っ直ぐ南って伝えてあるから」
「うーん……で、その救援とやらはいつ来てくれるんだ? 俺たちが捕まった後で駆けつけてもらっても意味ないぞ」
「いつもはここから結構遠い場所にいるはずなんだけど……1週間もあれば間に合うと思ったんだけどなあ?」
「『思ったんだけどなあ?』って、やっぱお前の計画ガバガバじゃねえか!」
「にゃっははは、悪い悪い。ちょーっと見通しが甘かったみたいだ」
「お前ってやつは……」
しまった、これはこいつのお頭がちょっとアレなのを忘れていた俺のミスだ。普段はこういうお馬鹿なところが可愛くもあるのだが、こんな状況で頼りにできるほど頭を使って物事を考えるやつじゃないことは理解していたはずなのに。
「トウマさん、このままだと追いつかれるのも時間の問題では……」
ティナが不安げな表情でこちらを見つめてくる。もう一度振り返ってみると、敵はすでに人の姿が判別できそうなほどの距離まで迫ってきていた。
くそ、こうなったら彼女の魔法で草原に火でも放ってやろうか? このあたりが焼け野原になってしまえばシルヴィの親父さんたちにも迷惑がかかるかもしれないが、空気が乾燥している今の時期ならすぐに燃え広がって炎の壁になってくれるはずだ。
いよいよとなれば本当にそうすることも考えなければいけない、そんなふうに思っていたとき――
「と、トウマさん、前からも馬の大群が迫ってきます!」
馬車を操っていたアルが叫んだ。まさか、いつの間にか別動隊が前にも回り込んでいたのか?
「おお、来た来た! おーい父上、ここだここだーっ!」
突然シルヴィが弾かれたように飛び上がり、御者席に座ったアルの隣に立って手を振り始める。俺たちには誰が乗っているかまではまだ確認できないが、目のいい彼女には見えているのだろう。
望遠鏡で見てみると、シルヴィの言ったとおりそれは獣人たちが乗った馬の群れだった。以前会った象やゴリラ、鹿やジャガーなどの獣人たちが戦仕立ての装いに身を包み、後ろから迫っている連中の倍ほどもありそうな速度で進んでくる。
「おお、無事だったかトウマどの!」
馬群に呑まれる直前のところで馬車を停めると、ライオンの頭を持つシルヴィの親父さんが近づいてきた。彼もまた立派な鎧と兜を身につけ、手には剣を持って完全武装している。
「ありがてえ、助けに来てくれたのか」
「またウチの馬鹿娘が迷惑をかけて申し訳なかったな。この場は我々に任せておくがいい」
「ほんと助かる。けど、あの人数を相手に大丈夫か?」
「ふふ、心配は無用だ。皆行くぞ! 我ら獣人の力をやつらとトウマどのに見せつけてやれ!」
「「おぉう!」」
獣人たちが勇壮な声を上げ、トライアンフの騎兵隊に向かって突撃していく。
そこから繰り広げられたのは、ほとんど一方的な戦いだった。別にトライアンフ兵の練度が低いわけじゃない。ただ馬を使いこなすという点において、獣人たちの技量がやつらよりも圧倒的に上だったのだ。そう、戦なんてものについてはまるで素人の俺が見ても分かるほどに。
たとえば右手に槍を持った騎兵というのは馬の首が邪魔になって左側が攻撃しにくいものだが、獣人たちは2人1組になってお互いが左側を庇い合うことでその隙を作らないようにしていた。逆に攻撃するときは敵の左後方から素早く近づき、死角になって防御しようのない脇腹を突いたり、身軽な猫科猛獣などは敵に直接飛びついて馬から蹴落としたりしている。
前に集落を訪れたときの祭りで彼らの馬術や弓の腕前は見せてもらったが、俺はそれが実戦に使われている様を見て感動すら覚えた。俺の世界でもモンゴルなどで戦の技を競う祭りは今でも行われているが、ここではその技術がまだ現役のものとして生き続けているのだ。
数からいえばほぼ互角のはずの勝負だったが、決着はあっという間についた。トライアンフ軍は500騎ほどの兵のうち半数以上が倒され、残った200騎足らずも恐れをなして逃げ出すという有様である。
さらにやられた連中もほとんどが負傷しているのみで、俺の見る限り死んだやつは1人もいないようだ。その後、捕虜となった兵士たちは命に別状のない程度に手当を施され、武器と甲冑を奪われたうえで帰された。
「皆、誰も敵を殺さなかったんだな。俺もできればそうしたいとは思ってたんだけど、あんたたちみたいに勇猛な戦士がそんな手加減をするとはちょっと意外だったよ」
馬を降り、脱いだ兜を脇に抱えた族長に率直な疑問をぶつけてみる。俺が人を殺さないのはただ自分が業を背負いたくないという理由によるものでしかないが、彼らにも何か宗教的な戒律や信念のようなものがあるのだろうか?
「ははは、甘いと思うか? だがな、我々は人間と違って日々の糧にしない者の命をむやみに奪ったりはしない。殺せば恨みを生じ、際限のない争いに巻き込まれることになるからな」
「でも、俺たちを助けたせいでトライアンフの王には恨まれるんじゃ……。正直今回は助かったけど、このことであんたらに迷惑がかかったら俺には侘びのしようもないよ」
「気にすることはない。もしもまたやつらが兵を送り込んできたら、そのときは何度でも撃退してやるまでだ。我らの一族はトライアンフという国ができるよりも前から人間と魔族のどちらにも与せず、ただ自然とともに生きてきた。そうやってあらゆる種族の支配を拒み続けてきた野生の力は伊達ではないぞ。ふははははは!」
その言葉を聞いて、俺はまた素直に感動した。人間はよく後の禍根を断つために敵を皆殺しにしようとするが、彼らは遺恨を残さないために敵を生かすというのだ。
確かにそうすれば積もった恨みから新たな敵を呼び寄せることもないし、仮にトライアンフの王が再び侵略を命じたところで、命を救われた兵士たちがそのうち本気で戦おうとしなくなるだろう。そしてその思想はただの甘さではなく、現実的な強さ――すなわち『いつでも勝てるからいつでも来い』という自信に裏打ちされている。
「すげぇなあんたたちは……俺の理想とする生き方のお手本みたいだよ」
「そなたのような強き者に褒められると素直に嬉しいものだな。ともあれ無事で何よりだ」
ライオンの顔をした族長が差し出したモフモフの手を握り、がっちりと固い握手を交わす。
「さて、友の危機を救えたところでもう1つの用件を済ませようか」
「もう1つの用件?」
「うむ、そこにおる馬鹿娘のことよ」
「……んんっ?」
父親である族長にギロリと睨まれたものの、シルヴィはきょとんとした顔で悪びれる様子もない。おいおい、ほとんど事後承諾で飛び出してきたんだから、再会したら怒られることぐらい考えてなかったのか。
「こぉの大馬鹿もんがぁーっ! 勝手に集落を抜け出して、一族の皆だけでなくトウマどのにまで迷惑をかけるとは。今日こそは連れ帰ってその性根を叩き直してくれる!」
「んにゃぁぁーっ!?」
もの凄い声で雷喝されたシルヴィが耳をピンと立て、まさしく雷に驚いた猫のように俺の背中に飛びついてきた。そのせいでまるで俺が怒られているような格好になったのだが、ライオンの顔でマジ唸りされるとこっちまで震えそうになる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ親父さん。確かにシルヴィは勝手に押しかけてきたけど、今回俺たちが助かったのは間違いなくこいつのおかげなんだ。そんなに叱らないでやってくれ」
「うむむ……」
「それにさ、俺は1年経って元の世界に戻れなかったら結婚のことも本気で考えてやるってこいつと約束しちまったんだよ。経緯はどうあれ、その約束はちゃんと守ってやりたいと思ってるんだ。そういうわけだから、連れ戻すのはもう少し先にしてやってもらえないかな?」
「んにゃぁ♪ トウマ、ちゃんと約束覚えててくれたんだな」
シルヴィが俺に甘えるように頬擦りしてくる。ああもう、こういうところが昔飼ってた猫を思い出して憎めないんだよなぁ。こいつは猫じゃなくて虎だけど。
「ええい、トウマどのがそう言うなら仕方ない。だがシルヴィよ、彼が元の世界に戻ったときはお前もすぐに帰ってくるのだぞ」
「おう、ちゃんと帰るよ。多分そうはならないと思うけどなっ♪」
正式に旅の許しを得たシルヴィが俺の背中におぶさったまま嬉しそうな声を上げる。正直この体勢は肩と首が辛いのだが、俺は助けられたことに感謝して今日だけは彼女の好きにさせてやることにした。
今回は戦闘ではなく、行軍の速度についてちょっと補足。
主人公たちの速度は騎兵が速足で駆ける平均時速12キロより少し遅い時速10キロで1日8時間、5日で400キロぐらいを移動したものとして計算しています。対するトライアンフ騎兵隊は2日遅れで出発し、3日で400キロを走破したことになるので、1日あたり8時間で133キロ走ったとすると時速17キロということになりますね。これはちょうど騎兵の駈歩(※ 駆け足)である時速18キロに近い数字です。
あくまで平均速度であり単純計算なので、実際には主人公たちのほうがもう少し遅く、トライアンフ軍のほうは馬を休憩させる分だけ1日あたりの移動時間が短くなることでバランスがとれているものと思ってください。
ちなみに国境から王都エスペランサまでの距離は徒歩で1日6時間移動した場合、2週間から半月かかるという設定ですので、鎌倉から京都ぐらいまで(直線距離で約420キロ)ということになります。




