50.鉄塊のアトラス
―― ごわっしゃぁぁぁぁん!!! ――
一瞬だけ宙を舞った十字架状のオブジェが凄まじい音を立て、処刑台から数メートル先の地面へ滑るように着地した。わざわざ周囲の兵を分散させた甲斐もあって、無関係の一般人は誰も傷つけていないのが幸いだ。
「あ痛ててて……尻打った。亮、メリッサさん、2人とも無事か?」
「は、はい……私は大丈夫です」
「ん、んんっ」
くぐもった声を聞いて、俺は亮が口を塞がれたままだったことに気がついた。ああそうか、猿轡を外してやらないと返事もできないよな。
ありがたいことに亮の口を塞いでいた『ハミ』はベルトで留めてあっただけなので、金具を軽く引っ張るだけで簡単に外すことができた。ついでなので首と腕にかけられたロープも今のうちに切っておくことにする。
「ま、まったく……君は相変わらず無茶苦茶するな」
「あん? なんだよ、助けてもらっといて文句言うな」
「ふふ、そうだね。でも、なんだか不思議なんだ。根拠なんか全然ないのに、なぜか君が助けに来てくれるような気がしてた」
「ま、そこはメリッサさんに感謝するんだな。俺がしばらくこの国の様子を窺ってたのはお前の運も良かったんだろうけど、彼女が知らせに来てくれなかったら俺はお前が危ないってことに気付けなかったぞ」
「うん、ありがとうメリッサ」
「そんな……私はリョウ様がご無事ならそれでいいんです」
「おいおい、イチャつくのは後にしろ。今はここから逃げるのが先決だ。っていうか、ガラムのやつはどこ行った?」
観衆はともかく、兵士たちにも包囲されているこの状況から脱出するためには、軍の中でもなるべく影響力の大きい人物を人質にとることが不可欠だ。そのために俺がガラムの姿を探していると――
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
背後から大きな悲鳴が上がった。
「んんっ?」
「あ、脚が……脚がぁぁぁ!」
振り返ると、俺たちのすぐ後ろでガラムがトラックに轢かれたカエルのように地面に転がっていた。
元々ガマガエルみたいな姿のおっさんだが、余計それっぽく見えたのは両足の脛が本来ありえない方向に折れ曲がっていたせいだ。どうやら他の連中のように突っ込んできたオブジェを避けられず、横棒の部分がモロに向こう脛を直撃したらしい。
「あーあ、逃げろって言ったのに。鈍臭いおっさんだなぁ。まあいいや、わざわざぶちのめして捕まえる手間が省けた」
俺は素早くガラムに近づき、着ていた鎧の襟にあたる部分を掴んで強引に自分たちの傍へ引き寄せた。さらに鉈のような短剣の刃を首筋に突きつけ、周囲の兵士たちに向かって大声で叫ぶ。
「さあ、道を開けな! さもないとこいつの二重アゴが三重になるぞ!」
「い、いぎぃぃぃっ!?」
「な……ひ、卑怯な。将軍を放せ!」
「おいおい、そっちのほうが人数多いのに卑怯も宗教もないだろ。大勢で群れなきゃ何もできねえ草食動物どもが、国家の権力を後ろ盾に偉そうなこと言ってんじゃねえよ。とっとと牧場に帰って草でも食ってろ!」
「ぐぬぬ……」
「燈真……それじゃこっちが悪役だよ」
「いいんだよ、こういう脅しには凄みが大事なんだ。ってか指名手配とかされないようにわざわざ変装してんだから、名前で呼ぶんじゃねえよ。レッドと呼べレッドと」
「き、貴様ら、こんなことをしてただで済むと思っているのか!」
首が締まって苦しいのか、ガラムが半分白目を剥きながら叫ぶ。
このおっさん、まだ自分の置かれた状況が分かってないらしいな。亮に恥をかかせてくれた礼も含めて、ちょっと痛い目を見せてやろうか。
「よっと」(ギュム)
「いぎゃぁぁぁぁっ!?」
ガラムのみっともない悲鳴が周囲に響き渡った。俺がやつの脚を軽く踏みつけたのだ。
「うるせえおっさんだな。人間には215本も骨があるのよ。2本や4本ぐらい折れたからって何よ」
人類の救世主となる運命の息子を守るため、未来からやって来た殺人サイボーグと戦うお母さんのような台詞を吐きながら折れた脛にガツガツと蹴りを入れる。その痛みは察して余りあるが、骨折など何度も経験している俺にとっては少々大げさに喚きすぎだ。
「や、やめろ! やめてくれぇぇっ!」
「だったら俺たちを黙って町の外まで逃がすよう、周りにいる連中に命令しなよ」
「こ、この方たちが逃げるのを見逃せぇぇ……!」
ガラムの命を受け、周囲にいた警備兵たちが顔を見合わせながらじりじりと後ろへ下がる。アルやティナたちを追っていった連中にも退くよう命令させたので、もうすぐ皆もこっちに戻ってくるだろう。
「よーし、じゃあお前は俺たちのお見送りだ」
「なぁぁっ!?」
他の4人と合流し、ガラムの首根っこを掴んだまま大通りをズルズルと引きずっていく。兵士たちは付かず離れずの距離を保ったまま俺たちを追ってきたが、引きずられるときの振動でガラムが泣き喚くたびにびくりと体を震わせていた。
「おい、いつまでもくっ付いてくるんじゃねえよ。こいつの首を落としてそっちに蹴っ飛ばすぞ。あと城のほうへ救援を呼びに行ったりもするな。お前らはただ案山子みたいにそこで棒立ちになってりゃいいんだ」
あと少しで町の出口まで到着する。南の門は今ごろおっさんが門番を買収して開いてくれているだろうし、後輩くんのほうは外で馬車を用意して待っているはずだ。
「どうやら上手く逃げられそうですねレッドさん」
「こらこらブルー、最後まで気を抜くんじゃない。そういう台詞を吐くとそれ自体が失敗フラグになるし、俺の世界には『家に帰るまでが遠足だ』という格言があるんだぞ」
そう言いながら南へと歩いていくと、100メートルほど先にようやく城下町を囲う外壁の門が見えてきた。だがおかしなことに、肝心なその門が打ち合わせどおり開いていない。
「……どうしたんだ? おっさんのやつ、門番を説得できなかったのか」
人質がいる以上おっさんが門番の買収に失敗していても問題はないが、それにしてもなんだか妙な胸騒ぎがする。そしてさらに門へと近づいた俺たちの目に、衝撃的な光景が飛び込んできた。門番を買収しに行ったはずのおっさんが地面に倒れ伏し、誰かがその背中を踏みつけていたのだ。
「おっさん!」
「うぅ……こ、こっちは駄目だ…………別の門から逃げろ……」
肺が圧迫されているのか、おっさんは苦しそうに呻き声を上げている。
「待て、貴様らをこの国から生かして出すわけにはいかん」
「な、なんだありゃ……?」
おっさんを踏みつけていた者の姿を見て、俺は思わずそう呟いていた。
全身に真っ黒な鎧を纏った2メートル近い巨漢――それはまるで鉄の塊だった。ただでさえ分厚そうなフルプレートアーマーの上から、さらに厚さ1センチ近くもある鉄板があちこちに張り付けられているのだ。
宇宙服でも着込んだかのようにゴツい姿をしたそいつの後ろには、さらに200人ほどの兵士たちもいた。おそらく広場にいた警備兵とは違い、やつ直属の部下なのだろう。
「ふふふ、陛下に命令されたわけではなかったが、ここで張っていて正解だったな。先日の報告を聞いて、きっとお前を脱走させようとする者がいると思っていたぞナルシマ・リョウ」
山羊のような角があしらわれた兜のバイザーを開き、中の人間が顔を見せる。一見20代半ばといった感じのお兄さんだが、どちらかというとゴリラ寄りの顔だ。
「じ、ジェイク・アトラス……!」
「亮、知ってるのか?」
「六騎将の1人だよ。刃物を通さないのはもちろん、チェーンフレイル(※ 鉄球つきの鎖)やメイス(※ 金属製の棍棒)でもひしゃげない無敵の鎧を纏い、どんな戦いにおいても傷1つ負ったことがないという武人だ。そして付いた渾名が『鉄塊のアトラス』……」
「『鉄塊』だって? なるほど、見た目そのまんまだな。だけど兄さん、忘れてないか? こっちにはあんたらのお仲間が人質になってるんだぜ」
「フン、そんなマヌケがどうなろうと俺の知ったことか。敵に捕まっておいて自害もできないような六騎将の恥晒しはむしろ殺してもらって結構だ。せめてもの情けとして、彼は賊と戦って名誉の戦死を遂げたと俺から国王陛下に伝えておいてやるさ」
「な……! そ、そんな殺生な! 頼むアトラス将軍、助けてくれぇぇっ!」
ヤバい、一番恐れていたことが起こってしまった。人質というのは相手にとって価値がある人物だからこそ成立するのであって、同格かそれより上の立場の人間に「そんなやつ好きにしろ」と言われてしまったら身も蓋もなくなるのだ。
しかも目の前にいるやつを倒して門を開かせようにも、あの重装甲ではそう簡単にいかないだろう。この場でモタモタしてたらいずれ城から追撃部隊がやって来るというのに、最後の最後でよりにもよってこんなやつが立ちはだかるとは。
「くそっ、こんなところで足止め食らってる暇はないってのに。皆は下がってろ。こうなったら……強行突破だっ!」
さっきはガラムの部下たちに動くなと言ったが、それでも俺から見えない位置にいた連中はこっそり城へ救援を要請しに行ったかもしれない。追っ手が来るまではまだ少し時間があるとしても、こいつ自身の手勢をけしかけられたらその時点でアウトだ。俺はやつが部下たちにその命令を下す前に、腰のホルスターからトンファーを抜いて襲い掛かった。
―― ゴギィン! ――
「ぬぅっ!?」
俺の振ったトンファーが腕の装甲に弾かれ、重い金属音を響かせる。
「兄さん、悪いがここであんたを倒させてもらうぜ」
「ほう……面白いっ!」
今の音でこいつの鎧がどれだけ分厚いかは大体把握できたが、やはり追加装甲のない部分でさえ半端な硬さではなさそうだ。かといってこいつを倒すのに5分もかけていては、おそらく橋に辿り着くまでに捕まってしまうだろう。ここから逃げ切るためには3分――いや、2分以内には勝負をつけないといけない。
―― ガギン! ゴギィ! ガギャァン! ――
「はっはははは! どうした、そんなものでこの鉄壁の守りを突破できると思っているのか?」
俺のことを完全に舐めているのか、ジェイクは後ろにいる部下に持たせた槍を手にすることもなく、腰に下げた剣すら抜かずにこちらの攻撃を防御し続けていた。
こんな攻撃をいつまで続けていても無駄なのは俺自身も分かっているが、現状を打開する方法はなかなか思いつかない。トンファーでの攻撃を諦めて釵で関節部の隙間を狙おうかとも考えたが、こいつの鎧はそういった部分もカバーするような追加装甲が各所に施されているし、そもそもそんなチマチマした攻撃では時間がかかりすぎる。
「フン……その技、ナルシマのやつが兵士たちに教えていたのと同じものか? 残念だったな。戦鎚でも砕けぬ我が鎧に、小手先の技など通用しないっ!」
「ちぃぃっ!」
空手を馬鹿にされて少々頭にきたが、実際この有様では反論のしようもない。だが、やつの放った一言が俺に今の状況を打開するためのヒントを与えてくれた。
そうだ、空手に限らず人間の力では分厚い鋼鉄の甲冑を砕いたりはできない。さすがに砲弾は防げないだろうが、この鎧なら銃弾すら弾き返すだろう。だが、それで中の人間が不死身であるということになるだろうか? 応えはノーである。
いくら頑丈な鎧で身を包もうと、それを支えている肉体はしょせん生身にすぎない。仮にこのままの格好で谷底へ突き落とされたりしたら、こいつだって普通に首が折れたり内臓が破裂して死ぬのだ。
(そうか、焦って肝心なことを見落としてたぜ。そりゃ体の表面を叩かれたときの痛みは感じないのかもしれないが、攻撃の衝撃自体は鎧の内側まで伝わってるはずなんだ。頭だ……頭に強い衝撃を加えれば、空手の技でもこいつを倒せる!)
そのことに気付いたとき、俺の心から焦りは完全に消えた。かなり時間を無駄にしてしまったが、あとは機械のように正確な動きで、こいつの頭部を思い切り打ち抜くだけだ。
「今度はこちらから行くぞ! そぁりゃぁぁっ!」
重いダンベルを床に落としたときのような音を立ててジェイクが左足を踏み込み、上から打ち下ろすような右のパンチをくり出してくる。俺はそれに合わせて左足を持ち上げ、羽ばたこうとする水鳥のように構えた。




