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40.『古き者』の最期


 静かに朝を待っていた森の中に、あらゆる生き物が逃げ出しそうなほどの地響きと轟音が響いた。

 今のは俺たちが落とした丸太によるものじゃなく、ドラゴンの足踏みと咆哮ほうこうによるものだ。あいつの体重が一体何トンあるのか知らないが、あれだけの巨体が暴れたときの衝撃を少し甘く見ていたかもしれない。


「怯むな! 攻撃を続けるんだ!」


 ドラゴンに対して恨み骨髄のカマロさんは周囲の若者たちを励まし、さらに攻撃を加えようとした。いやいやちょっと待て、最初の攻撃はあいつを怒らせるための挑発にすぎないんだよ。


「待ってカマロさん、どうせあいつのうろこは剣も槍も通さないんだから効きやしませんって。それより次は崖っぷちに立って、あいつに俺たちの存在をアピールするんですよ」


「そ、そうだったな。よし皆、篝火かがりびを掲げて声を上げるぞ!」


「「おおーーーっ!」」


 すでに攻撃を開始したからにはもはや姿を隠す必要はない。俺たちは崖っぷちギリギリの場所まで移動して、大声で叫びながら自分たちの存在をアピールした。


「グルルゥゥゥゥゥ…………」


 ドラゴンが崖の上の騒ぎに気付き、どこか無機質な目で俺たちを睨む。そして首と胸を目いっぱい反らして顔をこちらに向けたとき、やつの腹がそれこそ熔鉱炉のように明るく輝いて、それが喉のほうまで上がってくるのが見えた。


「よぉし、全員後退だぁーっ!」


 今度は俺が腹の底から声を上げ、ドラゴンの姿が見えなくなる位置まで全速力で逃げた。鉄をも熔かす炎なら岩の融点も容易たやすく超えるだろうし、足元の地面ごと燃やされるのを警戒したのだ。そして――


「ブォァアァァァァァァ!!!!!」


 ひときわ大きな叫び声とともに、凄まじい業火が谷底から噴き上がってきた。


「うおぉぉっ!?」


 思い切り地面にダイブし、泥だらけになりながらゴロゴロと転がる。やつが吐いた炎は崖っぷちの部分スレスレをかすめて天に昇っていったが、地面に伏せてもなお火傷するかと思うほどの高熱が背中を駆け抜けたのには驚きだ。


「す、すっげぇ……これがドラゴンの炎ってやつか」


 TVゲームだと2発や3発食らったところで死にはしない『ドラゴンはほのおをはいた』だが、実際目にするとまさに怪獣映画のそれだ。確かにこんなものをまともに食らったら、人間なんか骨も残らないだろう。


「ブアァァッ!! グァァァァウ!!!!」


 ドラゴンはなおも怒り狂い、天に向かって炎を吐き続けている。いいぞ、もっとやれ。


「ど、どうするんだ旅人さん? 次は川の水をここに引き込むって話だったが、そんなもんじゃあの炎は消せないぞ。しかもあれじゃ危なくて杭を落とすこともできないし、落としたところでやつに届く前に焼き尽くされちまう」


 そう、俺が立てた作戦というのはティナの魔法で地形を変え、南を流れる川の水をこの谷に引き込んでドラゴンを丸呑みにしようというものだ。その意図については何か誤解があるようだが、まあ詳しく教えていないのだからしょうがない。


「大丈夫、これが上手くいけばそれで勝負はつきます。さっきやつが吐いた炎そのものがティナたちへの合図になってますから、もうすぐ来るはずですよ」


 そしてそれから十数秒後、暴れるトラゴンの起こす地響きとは別の地鳴りが聞こえてきた。水音が混ざっているようだが、降り続ける雨が地面を叩く音とはまた違う。


「……来たか!」


 それは、大量の水だった。谷の底をたちまち半分近くも満たし、巨大なプールに変えてしまうほどの水――だが長雨で川が増水していたとはいえ、その量と勢いは明らかに異常だ。

 実をいうとティナが川の流れを変えたのはついさっきではない。俺はドラゴンの全身を一気に呑み込んでしまうため、木の伐採に慣れたカマロさんたちの力と彼女の魔法を駆使し、3日前から谷の入口に小さなダムを築いていたのである。川の水をそこへ引き込み始めたのは昨晩のよいの口、そして先ほどの炎を合図として、一晩溜まりに溜まった水を一気に解き放ったというわけだ。


「よし、崖っぷちから離れるぞ! なるべく遠くに逃げたら耳を塞いで、口を開けたまま地面に伏せるんだ!」


「――!?」


 カマロさんをはじめ、村の若者たちは俺がなぜそんなことを言うのか分からないようだった。これから何が起こるのか、実際に見たことのない人間にはその威力が信じがたいと思ったので、あえて説明しておかなかったせいだ。だが俺が「いいから早く!」と叫ぶと、皆とりあえず俺の指示に従ってくれた。そして――


 ―― ズドムッ!!!!!! ――


「うぉわぁぁっ!?」


 さっき聞いたドラゴンの咆哮ほうこうが可愛く思えるほどの轟音と、震度3はあろうかという地響きの後、谷底から巨大な水柱が上がった。いや、厳密には水ではない。沸騰したお湯だ。


ちっ! あちちっ! っちぃぃぃ!!」


 冷たい雨に混じり、大量に噴き上がった熱湯の飛沫しぶきが俺たちの上にまで降り注ぐ。落ちてくる間に冷やされてだいぶぬるくはなっているが、それでも50度は超えているかもしれない。


「た、旅人さん、一体何が起こったんだぁ!?」


 俺のすぐそばに伏せたカマロさんが大声で訊ねてくる。


「あっははは! 大・成・功! 受けてて良かった義務教育ってか?」


 俺はカマロさんの質問には答えず、会心の笑みを浮かべて立ち上がった。そのまま振り返って谷のほうへと近づき、ドラゴンの生死を確認しようと目を凝らす。


「ありゃ、しまった。蒸気で何も見えないな」


「う~、熱かったぁ。トウマさん、今のはなんなんですか?」


 遅れて立ち上がったアルもカマロさんとともにやって来て、俺に今起こったことの説明を求めてきた。よし、成功したことだしネタばらしをしてやろうか。


「今のは『水蒸気爆発』ってやつだよ。水を張った水槽に熔けた鉄みたいな熱いものを流し込むと、水が一瞬で蒸発して体積が1200倍ぐらいに膨張……つまり爆発するんだ」


「そんなことが……」


 アルもカマロさんもぽかんと口を開けたまま呆然としていた。そりゃそうだ、この世界でこんな現象を目にしたことがあるとすれば、火山が噴火する瞬間を目撃したやつかアリサさんのような鍛冶屋ぐらいだろう。


「今回は手順が逆だったけどな。わざとドラゴンに炎を吐かせまくって、腹の表面まで高温になったところに水を満たして同じ条件を整えてやったというわけさ」


「な、なるほど。鉄を一瞬で熔かす炎を吐くなら、その源である腹の中身も同じように熱くなってるってわけか」


「さっきやつが最初に炎を吐く直前、腹と喉のあたりが真っ赤になってましたからね。あれを見た時点で成功すると確信しましたよ」


 上手くいけば炎を吐こうとしているドラゴンの口に直接水が流れ込み、はらわたそのものを内部から吹っ飛ばしてくれるんじゃないかと期待もしていたんだが……さて、結果はどうだろう?

 今の爆発で崖そのものにもヒビが入り、ふちの部分があちこち崩れている。谷底に落ちないよう慎重に近づいてみたが、もうもうと立ち昇る水蒸気で視界はほぼゼロに近いままだった。


 ―― ボゴン! ボゴボゴン! ――


「――!?」


 そのとき、すっかり勝ち誇っていた俺の耳にまたも爆発音が響いてきた。さっきほどの規模ではないが、また水蒸気爆発が起こっているらしい。

 おそらくまだ生きているドラゴンがダメージを受けたことで激昂げっこうし、なおも炎を吐こうとしているのだろう。そのたびに新たに押し寄せた水が蒸発して、小規模な爆発が何度も起こっているのだ。


「あいつ、あの爆発でまだ生きてやがるのか。さすがは古代竜というだけあって凄い生命力だな」


 だが爆発音は少しずつ小さくなり、徐々に風呂を沸かしすぎたときのような音になってくる。そして辺りに立ち込めた蒸気がふと吹きつけた強風で流され、谷底の惨状があらわになった。


「おお!」


 カマロさんが驚愕と歓喜の入り混じった声を上げる。

 そこには、火山の火口のように腹からモクモクと蒸気を噴き出し続けるドラゴンの姿があった。爆発の衝撃で吹き飛ばされ、あお向けの体勢のままジタバタと動き続ける姿はもはやひっくり返された亀にも等しい。

 俺の狙いどおりドラゴンの腹は大きく破れ、そこから赤熱化したはらわたが覗いてまばゆい光を放っていた。水が流れ込むたびに蒸気を上げて光を失っていくが、ドラゴンの息遣いに合わせるように脈動を繰り返している。


「よぉし、これならうろこのない腹を狙い放題だ。皆、杭で攻撃してとどめを刺すぞ!」


「「おおっ!」」


 カマロさんの号令で、無防備なドラゴンに向かって再び杭落としの攻撃が始まった。300キロもの杭が腹に刺さるたびにドラゴンは苦しげな呻き声を上げ、太陽のように輝いていたはらわたも次第に輝きを失っていく。


「あいつもずいぶん長生きしたらしいが、これで終わりだな……」


 そのとき、ドラゴンが首を動かしてこちらを――いや、俺の目を見たような気がした。


「――っ」


 爬虫類に特有な縦長の瞳孔は怒りでも憎しみでもなく、ただ生きようとする執念だけをたたえているようにも見える。だがそれを見たとき、俺はふとこのドラゴンに申し訳ないような気持ちになった。俺が今回カマロさんたちの味方をしたのは村の年寄り連中――災害に対して立ち向かおうともせず、そのくせ女を犠牲にして平穏を得ようというその根性が気に食わなかっただけであって、特にこいつが憎かったわけではないのだ。

 ああ、そうか……そうだよな。お前は別に人間に悪意を持ってたわけじゃない。ただ人間が勝手にお前を神様に祀り上げたり、魔物扱いして憎んだりしただけだ。お前はただ本能の命じるまま、懸命に生きてきただけなんだよな。


「アル、悪いけどお前の剣を貸してくれないか? それぐらい長いのじゃないと頭の奥まで届かなそうだ」


「え、いいですけど……一体何をするつもりなんです?」


「俺、谷底に下りてあいつに直接とどめ刺してくるわ。そうしないとなんか悪いような気がしてきた」


「ええっ!? あ、危ないですよ!」


「あいつは俺たちの何倍生きたか分からないこの地のぬしだぜ。それを人間の都合で殺そうってのに、上から一方的に攻撃するなんてみっともないやり方じゃ失礼だろ。せめて直接とどめを刺して、あいつの死に敬意ってもんを払ってやらないと」


 俺はカマロさんたちに攻撃を止めるよう呼びかけ、皆が持っていたロープを繋いで崖の下まで届くよう伸ばしてもらった。谷の半分近くまで水が溜まっているのでこのままでも怪我はしないだろうが、次から次へと流れ込んでくる水があちこちで渦を巻いているので、溺れないようにロープの端をしっかりと腰に巻きつけてから飛び込む。


 ―― どぼぉん! ――


「あちちっ! まだちょっと熱いな」


 ドラゴンのはらわたが光を失ってしばらく経っていたのでもう少し冷めているかと思ったが、谷底に溜まった水はまだ熱めの温泉ぐらいの温度だった。ちょうど爆発の衝撃で崩れた大きな岩がドラゴンの顔のすぐ真横にあったので、上手く水の流れに乗りながらそこまで泳いでいく。


「よう」


 岩の塊によじ登って目の前に立ち、声をかけてみたがもちろん反応はない。ただガラス玉のような瞳が俺の姿を映しているだけだ。人語を話すドラゴンなどもいるらしいが、やはりこいつはただ強大な力を持っているだけの畜生なのだろうか?


「人間の都合であんたの命を終わらせて悪いな。だけど上にいる連中を恨まないでやってくれ。人間ってのはいつも愚かで馬鹿なことをするものなんだよ。それに、今回は人間とドラゴンの力の差を考えりゃ対等の勝負だったろ? それで俺たちが勝ち、あんたが負けたってだけの話さ」


 言い訳じみた台詞ではあるが、そもそもこれから殺そうという相手に言っている時点で自己満足のためのものだ。俺はドラゴンに向かって言いたいことだけを一方的に告げ、もはや観念したように虚ろになったその瞳に剣を突き刺した。

 どんな生物であろうと、目の裏側というのは視神経から直接脳に繋がっている。しかも目が奥に落ちないよう支えている眼底骨というのは意外にも薄っぺらく、大体の生物において眼球そのものよりももろい。こうして剣で目を貫いてやれば、貫通した剣先が脳を傷つけて確実に死に至るだろう。

 剣を突き立てられたドラゴンの体がびくりと震え、水面に大きな波を立てる。そして俺は手首を返し、剣をひねって脳髄にとどめの一抉ひとえぐりを加えようとした。その瞬間――


 ―― ぶしぃぃっ! ―― 


 ドラゴンの目から大量の鮮血が噴き出した。熱い、まるで熱湯だ。


「のわっちぃぃぃ!?」


 文字通り目の前にいた俺は、その返り血を全身で浴びることになってしまった。泳ぐときに邪魔になるので上着と靴は脱いできたが、ズボンのほうは血が染み込んだまますぐには脱げない。俺はたまらず飛び上がり、なるべく水温の低そうなところを目がけてダイブした。


「ぶはっ! ち、ちくしょう、イタチの最後っ屁みたいな真似しやがって」


 やつのほうにそんなつもりはなかったのかもしれないが、最後にとんだ反撃を食らってしまったものだ。というか、今の血は浴びても大丈夫なものなんだろうか?

 俺が再び岩の上によじ登ったところでドラゴンの体がびくびくと痙攣けいれんし、尻尾が大きく持ち上がって水面を叩いた。いよいよ偉大なる『古き者』の最期だ。

 天からの雨とドラゴンの上げた水飛沫みずしぶき、冷たい水と熱い水が奇妙なシャワーとなって谷底に降り注ぐ。俺はそれを浴びながら岩の上に胡坐あぐらをかき、両手を合わせてやつの死を見送った。

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