38.北の大地は今日も雨
1
翌日の早朝、俺たちは獣人たちに見送られて集落を出発しようとしていた。
すでに俺たちの前には昨日の賞品としてもらえることになった馬車が用意されている。少し古いがとても立派な幌馬車で、これなら雨風をしっかりと防げそうだ。
「こりゃあいいや。だけど、本当にこんな立派なものをもらっちゃっていいのかい?」
「うむ、お主にはシルヴィのことで色々迷惑もかけたからな。遠慮せずに持って行くがいい」
「……そういや、そのシルヴィは?」
「それが……いつの間にやら縛っていたロープが噛み切られておってな。今朝からどこにも姿が見えぬのだ。まあ、どうせどこかでふて寝でもしておるのだろう」
「――!」
それを聞いた瞬間、俺は思わずダッシュして馬車の中と幌の上を検めた。あの娘のことだから、もしかするとどこかに潜んで勝手について来る可能性もあると思ったのだ。
「ふぅ……いないようだな。よしよし」
「どうした?」
「いや、なんでもない。じゃあ俺たちは行くよ」
「うむ、お主らの旅に幸多きことを願っているぞ」
「泊めてもらったことといい、この馬車といい、本当にありがとう。あんたたちの親切は忘れないよ!」
そうして俺たちは馬車に乗り、さらに北を目指して出発した。
2
獣人たちの集落を出て数時間後、俺は馬車の乗り心地にすっかり馴染んでいた。道が整備されていないので時おり大きく跳ねたりもするが、荷物を背負って歩かなくていいというだけでこんなに楽なことはない。
「ああー、楽ちん楽ちん。だけどあんまり楽をしすぎても体が鈍るし、たまには歩くようにしないといけないな。馬たちもあんまり酷使したら可哀想だ」
「そうですね。晴れている間はなるべく歩くようにしましょう」
この馬車は移動だけでなくキャンプ時のテント代わりとしても使えるような大きさで、荷台に人間3人と荷物の入った樽を乗せてもまだスペースが余っている。二頭立てとはいえ、これだけ大きな馬車を引くとなるとスピード自体は徒歩とそう変わらないし、せっかくもらった馬を潰さないためにも普段は交代で歩くようにしたほうがいいだろう。
「まあ、今日1日ぐらいは楽させてもらおうかな。昨日は妙な時間に昼寝しちゃったせいもあるけど、あの虎娘が夜這いでもかけてきやしないかと警戒してたから寝不足だわ。ふわぁぁ……」
「それもいいけどトウマくん、馬車の扱い方を覚えるんでしょ。ちゃんと見てなさいよー」
「ああ、そうだった。はーい」
フリージアさんに言われて思い出し、あくびを噛み殺しながら立ち上がる。そして前のほうへ行こうとしたとき――
「だぁぁっ! もう限界だぁっ!」
突然、荷台の床下から叫び声がした。この声はまさか……。
「んにゃっ……と」
俺が驚いている間に後方からモフモフの手が伸びきて、誰かが素早い動きで馬車に乗り込んできた。虎模様の手足にピンと立った耳と尻尾――確認するまでもなくシルヴィだ。
「お、お前……ずっと荷台の裏に張り付いてたのか?」
しまった、馬車の中と幌の上は確認したが、荷台の裏側までは見ていなかった。どうやら車体裏の見えない部分で手足を突っ張っていたらしいが、まさかそんな体勢で長時間張り付いていられるとは思わなかったのだ。正直獣人の体力を見誤っていたのもあるが、何よりこいつが鋭い爪を持っていることを忘れていた。
「にゃっはははは! 甘いぞトウマ、あたしから逃げられると思ったかー」
「よし、引き返そう。大事な娘さんがいなくなったら族長も心配するだろうしな」
「ちゃんと書置きはしてきたから大丈夫だって。それに引き返しても無駄だぞ、祭りの翌日は集落が移動する日って決まってるからな。今ごろあの場所に戻っても誰もいないさ」
「な……!」
なんてやつだ、全て計算ずくで来やがったのか。
「まさか、ここであたしを放り出して行っちゃったりはしないよなぁ?」
「いや、できればそうしたいところだけど」
「あぁ? お前、あたしのお腹に触っといてそういうこと言うのか! 嫁入り前の娘のお腹をモフモフしといてそういうこと言うのか!」
「モフモフって……(むしろムチムチというかムキムキに近かった気がするんだが)」
「確かにあのときのトウマ、思いっきりお腹に顔を突っ込んでたもんね」
「よく知りませんけど、獣人さんにとっては特別な意味があることなんでしょうか?」
「特別な意味っていうか、特別な相手にしか触らせたくないものなんだよ。それをあんなふうに好き放題してくれたからには、ちゃーんと責任を取ってくれるんだよなぁ?」
なんか俺が男として最低な間違いを犯したかのような話になってるけど、彼女の言っていることは本当なのだろうか? 騙されている気がしなくもないが、責任を取れとまで言われては断るのも後味が悪い。
「ああもう、分かったよ」
半ばヤケクソ気味だが、俺はシルヴィの話を半分だけ受け入れることにした。彼女の性格からして完全な説得は無理そうだし、こうなったら妥協案を提示してとりあえずこの場を収めることにしよう。
「お、いいのか? あたしを嫁にもらってくれるのか?」
「落ち着け馬鹿、嫁にしてやるなんて一言も言ってないだろ。俺がお前を嫁にするかどうかは別として、ついて来るなら1つだけ条件がある」
「……なんだよ条件って」
「まず大前提として、俺は元の世界に帰らなきゃならない。だからお前とは結婚しないし、子供も作ったりしない」
「あぁん!?」
「最後まで聞けよ。1年だ、もし1年経って『アウラの涙』が見つからなかったときは俺が元の世界に戻るのを諦める。お前を嫁にするかどうかはそのとき改めて考えてやるよ。逆に『アウラの涙』が1年以内に見つかったら、そのときはお前が俺のことをきっぱり諦めろ。その条件を呑めるならついて来てもいい」
「ええー、1年も待つのかよぉ。なあ、そんなつまんねーこと気にせずにあたしと子供作ろうぜー。なんだよー、お前強いくせにタマ無しかよー。それともあっちのほうが勃たねえのかぁ?」
うっせえ、お前の胸に顔を挟まれたときも股間がヤバいことになってたわ――と言いたいが、それを口にするとまた調子に乗りそうなので黙っておこう。
「何を言われようと、これが俺の妥協できるギリギリのラインだ。嫌なら今すぐ降りて、親父さんたちのとこまで走って帰るんだな」
「ぐぬぬ……しゃあねえなぁ、それで手を打ってやるよ。けど、今に見てろよ。旅をしてる間にあたしの魅力でお前をメロメロにしてやるからなぁ?」
シルヴィはそう言うと、いわゆる『女豹のポーズ』(虎なのだが)で舌をぺろりと出してみせた。うーむ、移動が楽になったと思ったら、これからは煩悩との戦いが大変そうだ。
3
数日後――なんとか馬車の扱いを覚えた俺はおぼつかない手つきで手綱を握り、どしゃ降りの雨の中を進んでいた。
幌のついた荷台からでは馬車を操れないので、御者役は必然的に外の席に座ることになる。フードつきのマントを被ってなんとか雨をしのいではいるが、正直熟練者のフリージアさんに代わってほしいところだ。
「ああもう、凄い雨だな。前が見えづらくてしょうがないぞ」
「気をつけてねトウマくん。そろそろ族長さんの言ってた川が見えてくるはずだから、間違って突っ込んだりしちゃ駄目よ」
「そう思ってゆっくり進んでるんですけどね……。こりゃしばらくどこかで雨宿りしたほうがいいかな?」
昨日あたりから道の左右には針葉樹の生い茂る森が続いているので、なるべく大きな木の下に入ればある程度は雨を防げるだろう。馬も疲れてきたみたいだし、ここは一時森の中に入って晴れるのをのを待ったほうがいいような気がしてきた。
「あー、晴れるのを待ってても無駄だぞ。この辺はこの季節、2ヵ月近く雨が降りっぱなしになるんだ」
荷台で尻尾の毛づくろいをしていたシルヴィが思い出したように呟く。なんてこった、ここはそんなにも雨量の多い地域なのか。獣人の族長にもらったこの馬車がなかったら、こりゃもっとえらい目に遭ってたな。
「……おっ? なんか向こうに村みたいなのが見えるな」
雨がほんの少しだけ弱まり、200メートルほど先に木で作られた柵のようなものが見えてきた。今までの経験からすると、あれは野生の獣や魔物から村を囲うためのものだ。
ゆっくりと近づいていくと、やはりそれは人の住む村のようだった。そこそこ広くて人口も数百人規模はありそうだが、大雨のせいか外を歩いている人間は見当たらない。
「……って、おいおい……えらいことになってるんじゃないかこれ?」
さらに村へと近づいてみると、そこには恐ろしい光景が広がっていた。村を挟んで北側には幅が数十メートルはありそうな大河が東西に流れていて、そこから溢れた水が村のすぐ傍まで迫っていたのだ。
「村の人たちは避難したのかな? もし誰か残ってたらヤバいぞ」
前にこれとよく似た光景をTVの災害情報で見たことがある。俺の世界だったら確実に避難警報が出ているだろうし、この雨がまだ降り続くとしたら、村がまるごと呑まれる可能性もある規模の洪水だ。
「おぉーーーい!! 旅人さぁーーん!!」
そのとき、どこからか声が聞こえてきた。雨の音と増水した川の音で聞き取りにくかったが、どうやら後ろのほうから聞こえているらしい。
馬車を停めて振り返ってみると、少し離れた森の中にたくさんの人がいるのが見えた。この状況からみて、どうやらあの村の人たちみたいだな。
「そんなところにいると危ないぞぉーっ!! こっちだ! こっちに来ぉーいっ!!」
叫んでいるのは身長と横幅がそう変わらないほどゴツい、50過ぎぐらいのおじさんだ。俺は手綱を引いて馬の首をそちらに向け、誘導に従って馬車を森の中へと進ませた。
森の中には男女含め、300人ほどの人たちがいた。20代から30代ぐらいの若い人も多いが、皆が大事な物だけを持って避難してきたという感じだ。
「あなたたちは、あの村の人ですか?」
「ああ、ここ数日の大雨で川が氾濫したんでね。避難してきたんだ」
「やっぱり……。けど、あのままじゃ村ごと呑まれちゃいますよ。どうするんです?」
「幸いこのあたりは森が豊かでね、木材にはこと欠かないんだ。水が引いたらまた村を立て直すさ」
おじさんの口ぶりからすると、どうやらこの地方じゃこういった被害は慣れっこらしいな。なぜそうまでしてわざわざ川の傍に住むのかは分からないが、農業用水などの関係で俺には計り知れない事情があるのだろうか。
「仕方ないのさ……そう、仕方のないことなんだ。これは竜神様の思し召しなんだから……」
「は?」
おじさんが何気なく呟いた言葉を聞いて、俺は思わず唖然とした。竜神……竜神様だって?
「あの……その竜神様ってのは?」
「ああ、そこの川を少し西へ遡ったところにある谷に住むドラゴンのことさ。はるか昔よりこの地に恵みの雨を降らせてくださるが、毎年この時期になると腹を空かせて災厄をもたらすんだ。大丈夫だよ、竜神様に村の若い娘を生贄に捧げればこの雨もすぐに止む。我々はずっとそうやって怒れる川を鎮めてきたんだ」
「生贄!?」
おいおい、ここの文明は弥生時代レベルかよ。確かに俺の世界でも龍は水を司る神だというが、自然現象にすぎないものに生贄を捧げればどうにかなるなんて、発想が原始人のそれじゃないか。
なんというか、どうやって雨が振るかというプロセスを知っている現代人の俺には理解できない話だ。天変地異を超常的な存在の仕業として畏れるのは分からなくもないが、『だから仕方ない』という考え方だけは性格的にどうも受け入れられない。
「ちょっと待ってくださいよ、川を鎮めるために毎年誰かを生贄にしてるって? そんなもん、本当にそのおかげで雨が止んでるのかどうか分からないでしょ。一度でいいから生贄を止めてみようって言い出す人は今まで誰もいなかったんですか?」
「な、なんと罰当たりなことを! 竜神様への生贄を止めるなど……それで今以上の災厄が起こったらどうするというんだ!」
「……いや、旅人さんの言うとおりだ。毎年川が荒れるたびに誰かを犠牲にするなんて、馬鹿馬鹿しいにも程がある!」
俺とおじさんの会話にいきなり割り込んできた青年がいた。俺より少し年上のようだが、20歳にはなっていないぐらいだろうか?
「カマロ!?」
「俺は前々からおかしいと思ってたんだ。竜神様が俺たちに恵みをもたらしてくれるっていうなら、どうして川を荒らして村を呑み込んだりするんだよ。災厄を起こして生贄を要求するなんて、そんなもん神様なんかじゃねえっ!」
「お前……。そうか、今年の生贄はお前の幼馴染のシーマだからな。それでそんなことを……!」
「ああそうさ! あんたら年寄り連中が勝手にやった占いなんかで選ばれちまったばっかりに……。それさえなければ、シーマはもうすぐ俺と結婚するはずだったんだ!」
いつの間にか俺の存在を無視して、カマロというお兄さんとおじさんの言い争いはどんどんヒートアップしていく。そして村人たちの中でも比較的若い集団はカマロさんの、そして年配の大人たちはおじさんの側に立ち、それぞれの後押しをするように睨み合いを始めた。住む家を追われたことでイライラが募っているせいもあるのか、なんだか険悪な雰囲気になってきたな。
「ちょ、ちょっと、どっちも少し落ち着いてくださいよ」
「何を言う! 元はといえばあんたが余計なことを言うから……!」
ああ、参ったな。どうやら地雷を踏んじまったみたいだ。この村の若者と年配者の間には以前から竜神とやらの存在を巡って対立の火種が燻っていたようだが、俺の何気ない一言がその火に油を注いでしまったらしい。
「そうだ、旅人さんたちは冒険者だろう? だったらあんたたちも協力してくれないか。俺たちはもう我慢できない。あの谷にいるドラゴンをぶっ殺して、二度と誰も犠牲にしないようにするんだ!」
「お、お前はなんと畏れ多いことを言い出すのだ! 自分が何を言っているのか分かっているのか!?」
「村長は黙っててくれ! なあ、どうだい旅人さん。大した礼はできないけど、俺たちに力を貸しちゃくれないか?」
「い、いや、俺たちは大事な旅の途中で……。今はアクレイムを目指してる最中なんだよ」
「だったらなおさらさ。アクレイムへ行くにはこの川の下流にある橋を渡らなきゃならないんだが、今の季節は橋ごと流される危険があるってんで渡れなくなるからな。ドラゴンを倒してこの雨を止ませない限り、そっちへ行っても無駄足だぜ」
うーん、この人はこの人で何か勘違いしているな。俺が言いたかったのは『ドラゴンの存在は雨とも川の氾濫とも関係ない』ということであって、ドラゴンを倒せば雨が止むって話じゃないんだが。
とはいえ、俺の世界と違ってこの世界には科学で説明できない現象があるのも事実だ。さっきはおじさんにああ言ったが、もしかしてドラゴンをやっつければ本当に雨が止んだりするんだろうか?
「なあ皆、どうする? 俺は放っておいても雨は自然に止むと思うんだけど、ドラゴンを倒さないと止まない可能性もある。かといって俺たちがドラゴンをどうこうしなくても、このままじゃこの人の幼馴染が生贄にされるしなあ」
「ドラゴンかぁ、ちょっと厄介な相手ね」
「私はトウマさんのやりたいことをできる限りお手伝いしますけど、そうですね……確かにドラゴンというのは人間が戦うには強大すぎる相手です」
「僕は……生贄にされるという女の人を助けてあげたいです。誰かを犠牲にして村を救うなんて、やっぱり間違ってますよ」
「あたしはどっちでもいいぞー。ドラゴンと戦うなんて、面白そうじゃん」
慎重派と積極派、2対2か……。この馬鹿馬鹿しい風習を止めたほうがいいというのには俺も賛成だし、ここは若い村人たちに協力するか?
「……分かりました。実際にドラゴンってのを見てみないことにはなんとも言えないですけど、とりあえず話だけは聞きますよ」
「おお、ありがとう旅人さん!」
なんだかとんでもないことになってしまったが、そうしないと目的地に行けない可能性があるならしょうがない。俺はまずドラゴンについて詳しく知るため、カマロさんをはじめとした若者たちに話を聞いてみることにした。




