37.人は死して名を残し、虎は敗れて嫁入りする
「……んぁ?」
目を開けると、そこには燃えるような夕焼け空が広がっていた。
試合の疲れで倒れるように眠ってしまったのは覚えているが、どうやらそのまま屋外に寝かされていたらしい。季節と太陽の位置、そして試合に出たのが昼過ぎだったことを考えると、おそらく3時間ぐらい寝ていたのかもしれない。
「ふぁぁー……ぅ」
欠伸をしながら体を起こすと毛布がはらりと落ちた。上半身裸に革ベルトという格好のままだったので、風邪をひかないように誰かが掛けてくれたようだ。
「あ、トウマさん。起きたんですね」
声のしたほうに目を向ける。そこではアルが何やら木の棒みたいなものをいくつも抱え、獣人たちと一緒に祭りの後片付けをしているようだった。
「そうか……もう祭りは終わっちゃったのか」
「はい、今は皆で片付けを手伝ってるところです」
「ああ、すまん。俺も手伝うよ」
「もう終わりますから大丈夫ですよ。それより族長さんのところへ行ってあげてください。トウマさんが目が覚ましたら呼ぶように言われてたんです」
「そうか、悪いな。じゃあ行ってくる」
革ベルトを外して傍に置いてあった服に着替え、族長のいるテントへと向かう。
「おう、起きたのかい旅人さん。さっきは凄かったな」
「いやー、本当にすげえよ。長老様を投げ飛ばしたのにも驚いたが、族長の娘にまで勝っちまうとはな」
「最後の技、ありゃあなんだい? あんなの見たこともねえよ」
道中で何人かの獣人とすれ違ったが、誰もが俺にニコニコと笑いかけながら試合での戦いぶりを褒め称えてくれた。よそ者の俺が5人抜きを達成したことで険悪な雰囲気になっているんじゃないかと少し心配していたのだが、ここの人たちは本当に気のいい人ばかりだな。
「あの……燈真だけど。今、いいかな?」
獣人たちの住むテントにはドアというものがないので、ノックする代わりに外から声をかける。すると入口の布がふわりと持ち上がり、その脇に控えていた犬の獣人が中へ招き入れてくれた。
「おお、目が覚めたか旅人よ」
「ああ、疲れてすっかり眠っちまったみたいだ。昨日もよく寝たはずなんだけどなあ……」
「まあ、あれだけ激しい戦いの後では無理もあるまい。だがよくぞシルヴィを負かしてくださった。父親として、そしてこの集落の長として礼を言う」
「ははは、あの娘のお転婆ぶりには相当困ってたみたいだな」
「うむ……情けない話だが、男の中にも勝てぬ者のほうが多かったぐらいでな。しかしこれであいつも今までのように大きな顔はできまいし、男どももいっそう精進するようになるだろう。そう考えればよそ者のお主に5人抜きを許したことも恥とは思わぬし、馬の2頭ぐらい安いものだわい」
「ああ、そういやそんな話だったな。なら、それについてちょっと注文があるんだけど」
「なんだ? 多少の無理なら聞いてやるぞ」
「俺たち、これからの旅に馬車が必要じゃないかと思ってたところなんだ。だから走るのが速い馬より、荷運び用のタフな馬が欲しいんだよ」
「なんだ、そんなことか。いいぞ、若くて体力のあるやつを用意してやろう。なんなら車のほうもつけてやろうか? 古いので構わぬならちょうど7~8人は乗れるものがある」
「ええっ、いいのかい? 俺としては助かるけど……馬車なんてかなり高価なもんじゃないのか」
「いやいや、今日お主の戦いがもたらした結果にはそれだけのことをしてやる価値があるはずだ」
「『あるはずだ』って、実の娘にどんだけ困ってたんだよアンタ……」
「がはははは! 面目ない」
そんな話をしていると、背後から日が射し込んできた。テントの入口が開いたのだ。また誰かが入ってきたのかと思って振り向くと、祭りの後片付けを終えたアルやティナたちだった。
「おお、いいところに来たな。今ちょうど族長さんと話してたところなんだけど、馬だけじゃなくて馬車そのものを譲ってもらえることになったんだ。これで明日からの旅はちょっと楽できるぞ」
「本当? それは頑張った甲斐があったわねえ」
「フリージアさん、馬車馬って扱えます? 俺は馬に乗ったことはあるけど、さすがに馬車は扱ったことがないもんで……」
「ええ、できるわよ。前に旅をしてたパーティでは交代で走らせてたからね」
「じゃあ、とりあえず最初はお願いします。後で俺やアルも覚えますから」
「分かったわ」
「よかったぁ、ならもう雨が降っても冷たい思いをしながら歩かなくてもいいのね」
「ああ、雨宿りしなくても屋根があれば平気だし、これから寒くなることを考えたら風を防げるのも凄くありがたいよな。でもリーリア、お前は雨が降らなくてもしょっちゅうティナの帽子の中に入って休んでただろうが」
「う……ヤブヘビだった……」
「「あはははは!」」
「ときに旅人よ、お主たちはこれからどこへ向かうつもりだ?」
「うーん、特に決めているわけじゃないんだ。俺は元の世界に戻るために『アウラの涙』を探してるんだけど、それについて何か情報はないかな? もしくは情報を得られそうな場所とか……」
「『アウラの涙』か……そんな伝説級の秘宝ともなると、さすがに我々が知ることはないな。だが情報を集めたいならこの国の首都であるアクレイムに行ってみるといい。このまま北へ向かえば大きな川が見えてくるから、そこから少し東に行ったところだ」
「やっぱり人の多いところで聞き込みしないと駄目ってことか……いや、次の目標が決まっただけでも御の字だな。うん、まずはそこを目指してみることにするよ」
「ふっふーん、聞いたぞ聞いたぞぉ♪」
「な、なんだぁ?」
俺が族長と次の目的地について相談していると、突然どこからか声が聞こえてきた。この声は、シルヴィか?
「ほいほーいっと」
その場にいた皆が面食らっていると、部屋の奥に置かれていたベッドの下からゴロゴロと転がり出てきた者がいた。その正体は案の定シルヴィだったのだが、こいつ……ずっとこんなところに隠れてたのか?
「よう」
シルヴィは床に敷かれた絨毯の上に胡坐をかいて座ると、ネイティヴアメリカンの挨拶みたいに手を上げてにやりと笑った。俺に負けたことでへそを曲げているかと思ったが、案外気にしていないのだろうか。
「こらシルヴィ! またお前というやつは……!」
族長がまたガミガミと説教を始めるが、シルヴィはまるで聞いていない。彼女はそのまま猫のように四つ足でこちらに近づいてくると、いきなり両腕を広げて俺の頭にがばっと抱きついてきた。
「うおっ!? ちょっ……おま……!」
当たっている。とっても柔らかい2つのものが俺の顔を包み込んでいる。なんだ……なんなんだこの幸せな感覚は!
「なあ父上……決めたぜ。あたし、こいつの嫁になるっ!」
「「はぁぁっ!?」」
俺と族長が同時に叫んだ。おい、今こいつなんて言った?
「お、お前はまた何を言っているのだ!? この方たちは大事な用のために旅を続けねばならぬのだぞ」
「そりゃ知ってるさ、ベッドの下で聞いてたからな。もちろんあたしもついて行くに決まってんじゃん」
「ちょ、ちょっと待て、なんでそうなる。あの勝負にそんな取り決めはなかったはずだろ?」
「へへー、なんせトウマはあたしに勝った男だからなー。やっぱり産むなら自分より強い男の子供じゃないと」
「お前の男を選ぶ基準はそこかよっ? つーかそんなこと聞いてんじゃねえ!」
おいおい、女性の獣人というのは基本的に強い男が好きという価値観らしいが、こいつの場合ちょっと極端すぎるぞ。少しでも強い遺伝子を残したいという発想自体は生物として間違っていないのだが、これではまさに獣そのものじゃないか。
「なあ、トウマは何人子供欲しい? あたしは最低でも10人は欲しいなあ。えへへ、あたしと結婚したら毎日明け方まで寝られないから覚悟しとけよぉ」
シルヴィはそう言いながら綺麗なピンク色の舌を出し、自分の唇をぺろりと舐め回した。ヤバいぞこの女、最初から俺の都合なんか知ったこっちゃねえって感じだ。
「待て待て待て! 俺は元の世界に戻るのが目的なんだから、この世界で結婚も子作りもする気はねえよ!」
「あぁん? 別にいーよ。だったらお前の世界までついて行くだけだし」
「ダーメっ! 俺の世界じゃ獣人なんて存在自体認められないから! つーかお前を嫁にする気もねえ!」
「むー……」
強く拒絶されたせいか、シルヴィが口を『へ』の字に曲げて押し黙る。今ので諦めてくれたか?
「とは言ってもよー、お前が帰るために必要な『アウラの涙』って、まだ見つかるかどうか分からないんだろ?」
「う……」
てっきり頭のほうは回らないタイプかと思っていたら、意外にもシルヴィは痛いところを突いてきた。確かに『絶対元の世界に戻る』というのは俺の意思であって、できるかどうかは別問題だ。この世界に来て数ヶ月も経つのに『アウラの涙』は手がかりすらほとんど見つからないし、もしかすると一生帰れない可能性だってある。
「だったらお前が元の世界に帰れなかったときでいいからさぁ、あたしを嫁にしておくれよーっ。なーっ、んなぁーっ」
シルヴィが虎のくせに文字通りの猫撫で声で頬擦りしてくる。
ああもう、こうして見ると可愛いなあこいつ。動物好きの俺としては、こんなふうに懐かれたらそれだけで心がグラグラ揺れるじゃないか。
「いい加減にせんか! 旅人どのが困っておられるだろうが」
族長が大声でシルヴィを一喝し、おかげでちょっと気持ちが蕩かされていた俺も正気に戻ることができた。いいぞ、もっと言ってやってくれ。
「でもさぁ、父上だってあたしとこいつの子供……ちょっと興味あるだろ? きっと強い子が産まれるぞぉ。次の族長候補になるかもよぉ?」
「む……」
おいこらオッサン、あんたまでちょっと心動かされてんじゃねえよ。この場でこいつを止められる権限があるのはあんたぐらいしかいないんだぞ。
「なあ、皆からもなんか言ってやってくれよ」
助けを求めるように後ろを振り向いたものの、アルはなぜかジト目で俺のことを睨んでいて助け舟を出してくれそうもなかった。ああ、そりゃ女に抱きつかれた状態の男にこんなことを言われても「ハイハイ、モテて結構ですね」だよな。
ならばフリージアさんはと思って視線を向けてみたが、彼女は以前俺がシャーロットに絡まれたときと同じく、リーリアと一緒に腹を抱えて笑っていた。この人……さては俺が行く先々でトラブルに巻き込まれるのを見て楽しんでるな?
ティナもいつもと変わらない笑顔でニコニコと微笑んでいるのだが、その背後から放たれるオーラのようなものがなんか怖い。こうなったら自分の口八丁でなんとかするしかないか。
「ま、待てシルヴィ。お前は俺の遺伝子に興味があるようだが、俺の強さはお前たちみたいに先天的なもんじゃないぞ? 後から努力で後天的に身に付けたものであって、俺の遺伝子自体はそれほど優秀なわけじゃないんだ」
「イデンシ? テンテンテキ? 何言ってるかよく分かんねーけど、トウマが強いのはトウマ自身が頑張ったからだろ。それって強くなるために頑張れる男ってことじゃん。あたしはそういう男、好きだぜー」
駄目だ、メンデルの法則も進化論も知らない相手にこんなことを言っても通じない。俺の努力そのものを認めてくれたようで嬉しくもあるが、このままでは本当に彼女を嫁にもらう羽目になりなかねないぞ。
「ああもう、とにかく駄目だ! 俺はまだ結婚するような歳でもないし、ましてや子供なんて早すぎる!」
俺は強引にシルヴィを引き剥がすと、この世界で通用するのかどうかよく分からない理由を口実にして無理やりこの話題を打ち切った。
男勝りな娘とはいえ女の子を傷つけたくはないが、いつか元の世界に戻らなければいけない身である以上、やはり無責任なことはできない。俺がかなり理想のタイプであるティナに対してそういう感情を見せないようにしているのもそのためだし、そもそもこの手の話はシャーロットの件でこりごりだ。
結局その話はそれでお流れとなり、俺たちは明日の朝に旅立つことになった。
「んにゃぁーっ! やだやだやだーっ! あたしはトウマの子供産むんだぁーっ!」
シルヴィは食い下がって暴れようとしたものの、族長が呼んだ男連中にロープでぐるぐる巻きにされてつまみ出された。俺たちが出発するまで軟禁しておくという話だが、やれやれ、それまでおとなしくしててくれればいいんだが……。




