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36.回れ虎風車


「始めいっ!」


「しゃあぁっ!」


 一切のフェイントをかけることなく、試合の開始と同時にシルヴィは俺に襲いかかってきた。速い――今だかつてこんなスピードで動く人間は見たことがない。

 鋭い爪を持った彼女の手が俺の顔めがけて伸びてくる。旋風をまとったかのようなそのてのひらを辛うじてかわすと、切り裂かれた俺の髪が数本、パラパラと宙を舞った。


「……おいおい、爪も打撃技も禁止じゃねえのかよ」


「へへっ、今のは挨拶代わりだよ。ちょっと強めに肩を掴みにいっただけさ」


 シルヴィはそう言うが、今のをまともに食らってたら顔がえぐり取られてたんじゃないだろうか。冗談抜きにそう思えてくるほど、今の一撃はあまりにも鋭かった。


「次は下、行くぞぉっ!」


 宣言するのと足を踏み出すのと、どちらが早かったのか分からないほどのタイミングで再びシルヴィが突っ込んでくる。気付いたときにはすでに俺の胴に彼女の腕が回されていて、腰のベルトをガッチリと掴まれていた。


「おりゃぁっ!」


「っっと!」


 大きく腰を落とし、もの凄い力任せの投げをなんとか耐える。

 この娘、確かにパワーもスピードも今までのやつとは桁違いだ。見た目と組んだ感触からするとせいぜい45キロ前後しかないだろうに、一体どこからこんなパワーが出てくるんだ?


「へへー、どうしたどうした。さっきまでのやつらを投げ飛ばした変な技はもう使わないのか?」


「このっ……!」


 ようし、そんなに柔道技を見たいなら見せてやろうじゃないか。

 俺は自分のベルトからシルヴィの両手を強引に切ると、彼女の両手首を掴んでバンザイさせるように持ち上げた。そのまま後ろに振り向きながら彼女の右腕を自分の右肩に担ぎ、高く持ち上げた左腕を真下に振り下ろしつつ腰を跳ね上げる。


「そぇぃっ!」


 柔道の『そで釣り込み腰』――本来なら自分よりも背の低い相手には使いにくい技だが、女にしては背の高い彼女と俺の身長差は20センチもない。こちらが思い切り腰を落としてから仕掛ければ十分に『釣れる』はずだ。


「のわっ?」


 よし、いいタイミングで綺麗に入った。

 この技は両腕を完封したまま投げるため、素人では上手く受身をとることができない。これなら彼女がさっきの爺さんより身体能力で勝っていたとしても、そう簡単には防げないだろう。

 下手をすれば頭から落ちて非常に危険な技でもあるが、仮にそうなっても落ちる前に下から手を添えて怪我をしないよう支えてやればいい、そう考えて放ったそで釣りだった。だが――


「ほいっと」


 シルヴィは宙で回転している最中に身をひねって加速し、見事に両足から着地してみせた。これは先ほど白猫の爺さんが見せた受身――『猫の三寸返り』と同じものだ。


「……っっ! お前も『猫三寸』ができるのかよ?」


「ん? なんだそれ? よく分からないけど、お前の技は本当に面白いなぁ」


 シルヴィは猫が顔を洗うときのように手の甲で頬を撫でると、またも満面の笑顔でそう言った。なんてやつだ、身体能力が並外れているだけでなく、本能だけであの『猫三寸』をやってのけるとは。

 それにしても、どうする? こいつにはひげもないし、さっきの爺さんと同じ方法で平衡感覚を狂わせることもできない。他に思いつく方法としては頭を掴んで直接揺さぶるか、足首を抱えてジャイアントスイングで振り回すことぐらいだが……。前者はルール上反則だし、後者はもはや俺のほうにそれをやるだけの体力がない。これでは投げ技で勝つのは実質不可能じゃないか。


「ほらほらぁ、もっと色んな技を見せておくれよぅ」


 シルヴィはモフモフの手を招き猫のように動かして挑発してくるが、俺のほうはすでに体力が限界に近い。破られると分かっている技を乱発できるほどのスタミナがもう残っていないのだ。意識のほうも朦朧もうろうとしてきたし、頭まで働かなくなってきたら本格的にヤバいな。


「なんだよ……もしかしてもうネタ切れなのか? ちぇっ、つまんねーな。せっかく久々に骨のある男だと思ったのに……もういいよ、本気を出して終わりにしてやる」


 なんだと? 今までの動きが本気じゃなかったっていうのか。ちょっと待てよ、そんなことになったらもう対応しきれ――


 ―― ドムッ! ――


「のぁっ!?」


 いきなりシルヴィの顔が目の前に現れたかと思ったら、次の瞬間俺は後ろに吹っ飛ばされていた。腰を落として踏ん張っていたので尻餅をついただけで済んだが、危うく背中まで地面に着いてしまうところだ。

 今のがただの体当たりだということだけは感触で分かったが、接近してくるまでの途中がまるで見えなかった。これがあのの本気のスピードだっていうのか?


 ―― ドガッ! ――


「ぐぅっ!」


 なんとか立ち上がったところに、今度は死角である背後から衝撃が来た。さらに右から――左から――前後左右、ありとあらゆる方向から体当たりが飛んでくる。


 ―― ドムッ! ドムッ! ドガッ! ズドム! ――


「うわぁぁっ!?」


 なんとか彼女の動きを目で追おうとするのだが、一瞬だけ姿を捉えたかと思ったら、またすぐに視界から消えてしまう。くそ、目にも留まらない速さとはこのことか。しかしいくら彼女が猛獣なみの脚力を持っているからといって、ここまで見失うものか?


「…………」


 いや、違う。

 敵の攻撃をさばくと同時に死角へと入り込み、自分の有利なポジションから攻撃を仕掛けるスタイルを得意とする俺には分かる。彼女がやっているのは基本的に俺の得意とする戦法と同じものだ。

 前に動物園のユキヒョウが岩の上からジャンプし、壁を二度蹴って元の位置に戻るという動画を見たことがある。空手にもあらぬ方向へ跳んでから壁を蹴って戻ってくる『三角跳び』という技があるが、彼女の動きの原理はそれと同じ――常に見えないほどのスピードで動き続けているわけではなく、まず素早いステップで俺の死角に入り、目で追ったときにはすでに別の場所へ跳んでいるだけだ。たまに姿が見えるのは、ステップの瞬間が残像として目に焼き付くせいだろう。

 そしてこんな戦法を使う彼女の意図もだんだん見えてきた。彼女は俺がキョロキョロとあちこちを見回し、土俵から押し出しやすい位置にいるときに死角を作るのを待っているのだ。その証拠に後ろからの体当たりは前から来るものよりも弱く、俺は徐々に土俵際へと誘導されている。

 とどめは俺があと一押しで土俵を割る体勢になったとき、再び彼女を見失った瞬間に死角から飛んでくるはず。ならばその一瞬にこそ反撃のチャンスがある……と言いたいところだが、その前にまず彼女の完璧な受身を破らなければいけない。


(――そうだ、1つだけあったぞ。相手をブン回して平衡感覚を失わせつつ叩きつける技が……!)


 俺は土俵際まであと2歩というところまで下がると、それまでの『四股しこ立ち』からつま先を前に向け、馬に乗るときのように膝を絞った『騎馬立ち』の構えになった。こうすればちょっとやそっと押されたぐらいでは動かないし、この位置なら攻撃が来る方向もある程度は限定できる。


「お? どうした、もう降参か?」


 彼女が足を止め、久々に俺の前に姿を現した。あれだけの動きをしていながら、息がほとんど乱れていないのがまた驚異的だ。


「ふざけんな。これは次の技で今度こそお前をブン投げてやるから、どっからでもかかって来いって構えだよ」


「へぇ……まだそんな面白いことが言えんのかよ。気に入ったぜお前、ならあたしも全力の体当たりで今度こそ吹っ飛ばしてやる!」


 シルヴィが再び地面に両手をつき、陸上のクラウチングスタートのように構えた。俺に避けられたら土俵から飛び出してしまうことなど考えていないのか、太ももの筋肉がミシミシと軋む音が聞こえてきそうなほどに肥大する。

 俺が土俵際から少し離れた場所で構えたのは、体当たりを避けられたときのことを彼女に警戒させないためでもある。これからやろうとしている技はその場から大きく動いて身をかわすようなものではないが、相手の勢いを最大限に利用しないと到底成功しないものだからだ。だがこの子の気性からして、どうやら無駄な心配だったようだな。


「ブッ飛べぇぇーーーーっ!!!」


 ―― ドッ! ――


 地面を蹴る音が離れた位置からでも聞こえるほどの踏み込みとともに、シルヴィが凄まじい勢いで突っ込んできた。両腕を後ろに下げたやじりのような姿勢だが、そのスピードと質量はまるで砲弾だ。


「ふぅんっ!」


 俺は両腕を使った中段受けで彼女の体当たりを左に受け流し、大きく身をよじりながらその体を左脇に抱えた。さらにそのまま左足を斜め後ろに引き、突進の勢いを直線運動から円運動へと変換する。


「そぁりゃぁぁっ!」


 振り回すことでさらに遠心力が加わり、シルヴィの体重が少し軽くなったように感じられる。俺はその瞬間を逃がさず、腰のあたりを右手で押すようにして彼女の体を高く持ち上げた。


「わぁっ?」


 40キロ以上はあろうかという人間の体が右腕1本で持ち上げられ、手のひらの上でハンドスピナーのように回転する。

 これぞメキシコのプロレス『ルチャ・リブレ』の大技、その名も『ケブラドーラ・コンヒーロ』だ。突進してくる相手の勢いを利用し、リフトアップして頭上で回すという一見無意味にも思えるサーカス技だが、最後はそこから膝の上に背中を叩きつけてバックブリーカーを決めるというえげつない技でもある。


「んにゃぁぁっ!?」


 自分自身も体をひねってその場で回り、頭上に掲げたシルヴィの体が止まらないようさらに回転をかける。

 大した速さではないにせよ、天地が逆さまの状態で何度も回されれば、誰だって自分が今どちらを向いているか分からなくなるものだ。並外れた平衡感覚を持つ彼女だが、今なら単純な技でもあっさりと投げられるに違いない。

 俺は目を回したシルヴィを前に放り投げると、その体をお姫様抱っこのような体勢でキャッチしながら自分も前に倒れていった。プロレスの『オクラホマ・スタンピート』にも似ているが、そんな上等なものじゃない。ただ疲れてこれ以上動く気力がなかっただけだ。


「んぎゅぅっ!」


 どさり――と2人の体が地面に倒れ込み、シルヴィが背中を着く。それと同時に犬顔の獣人が手を挙げ、俺の勝ちを宣言した。


「勝負ありっ!」


「か、勝ったぁ……」


「ちょ、ちょっと待て! 今のはなんかの間違いだ! あたしがこんなので負けるわけが……っておい、どけ! 重いんだよ!」


「あー……悪いけど無理。もうピクリとも動けん」


「うがぁーっ! あたしのお腹の上で寝るなぁー!」


 シルヴィが俺の頭をバシバシと叩いてくる。そういや猫科の動物ってのはお腹を触られるのを嫌がるんだっけ。とはいえ、本当に動けないんだからしょうがない。

 ああ、力士の皆さんゴメンナサイ。相撲中継で取組後の殊勲しゅくんインタビューに応えてるとき、「わずか20秒も戦ってないのに、息が上がってまともにしゃべれてねえじゃん(笑)」とか思っててスイマセン。まさか取っ組み合いの5連戦がここまで体力を消耗するものだったとは……。


「起きろ馬鹿ぁぁっ!」


 耳元が騒がしい気もするが、もはや何も頭に入ってこない。俺はシルヴィの引き締まったお腹に顔を埋めたまま、心地よい疲労感に包まれて眠りについた。

 今回登場したのは飛んだり跳ねたりのド派手な技を得意とするメキシカン・プロレス――『ルチャ・リブレ』の技です。

 この『ケブラドーラ・コンヒーロ』はスペイン語で「回転させながら破壊する」という意味ですが、プロレスでは『風車式バックブリーカー』などと訳されます。アメリカや日本では相手を肩の上に担いで1度くるりと回すだけの簡易版とでもいうべきものがよく使われますが、今回主人公が使ったのは本場メキシコで用いられる本格的なバージョンになります。

 今回の話を読んで「人間を片手で持ち上げてブン回すとか嘘だろ」と思ったあなた、ならば是非『ルチャ・リブレ』で検索してのこの技の動画を探してみてください。明らかに90キロ以上ある巨漢……いや、それどころか100キロ超えてそうなデブのおっさん同士が相手をヘリのローターブレードみたいにブンブン回してますので。

 仮に試合が八百長で、持ち上げられる瞬間に相手も協力してジャンプしているのだとしても、100キロ以上もある人間を片手で支えてクルクル回せる時点で凄い技ですよね。


 主人公の腕力はベンチプレスで80キロ強(鍛えてない人には凄く感じられ、ガチ勢の人にとっては大したことない)ぐらいの設定にしてありますが、今回は相手の体重が軽かったのと、最後の体当たりの勢いが凄かったおかげでこの技が使えたということにしています。作者も体重50キロぐらいの友人相手にやってみたことがありますが、突進の勢いさえもう少しあればいけるかも……ぐらいの感覚でしたので、それを参考にしたということで。

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